透明のうらがわ

どれだけ時間が経ったか分からない。
スマホの明かりだけが暗い部屋を照らしていた。
気付けば外は明るくなり始めていた。

カーテンの隙間から朝日が差し込む。
昨日まで嫌いだったはずの朝が、今日は少し眩しかった。
「……」
男は天井を見る。
何時間こうしていたのか分からない。
眠ることもできず、何かをすることもなく、ただ時間だけが過ぎていた。

そして、ようやく気付いた。
自分はずっと寂しかったのだと。
仕事が嫌だったわけではない。
生活が苦しいわけでもない。
普通に生きている。
周りから見れば、何も問題のない人生だった。

それでも。
何かが足りなかった。
毎朝同じ時間に起きて、同じ電車に乗って、同じ場所へ向かう。
誰かに必要とされるわけでもなく。
誰かを必要とすることもなく。
ただ、今日を終わらせるためだけに明日を迎えていた。

この世界は残酷である。
夢を追い続けた人間は、いつかその夢を叶えるかもしれない。
努力した人間は、努力した分だけ何かを手に入れるかもしれない。
諦めずに進んだ人間は、いつか自分の場所を見つけるかもしれない。

でも。
何もしなかった人間は。
何も始めなかった人間は。
一体何を手に入れるのだろう。

男はスマホを見た。
画面にはアプリが表示されている。
止める。
「……俺は何をしてるんだ」
口に出すと、思ったより小さな声だった。

昔の自分なら笑っていた。
誰かにいてほしい。
そんなことを言う人間を、弱いと思っていた。
でも今なら分かる。
人は一人で生きられる。
でも、一人で満たされるわけではない。

男は立ち上がった。
鏡を見る。
疲れた顔が映っていた。
自分の顔なのに、少し知らない人間に見えた。
透明なビニールの内側に閉じ込められているようだった。

外の世界は見えるし声も聞こえる。手を伸ばせば届きそうなのに触れることはできない。
そんな場所で、ずっと息をしていた。
「……もう」
男はスマホを見る。
「どうでもいい」
そう呟いた。
投げやりな言葉だった。
でも。
本当に何もかも諦めたわけではなかった。
諦めた人間は、そもそも誰かを求めたりしない。

男は画面を開く。
昨日まで否定していた場所へ。
自分には関係ないと思っていた場所へ。
少しだけ足を踏み入れる。
そこに何があるのかは分からない。
騙されるかもしれない。
時間の無駄かもしれない。
それでも。
今の自分には。