透明のうらがわ

それは、もう二度と見ることはないと思っていた名前だった。
男は傘を持ったまま立ち尽くす。
通知は一件だけだった。

レジには大学生くらいの男女が並んでいた。
「結局どうだったの」
女性が言う。
「何が」
「マッチングアプリ」
男性は少し笑った。
「会ったよ」
「え、マジで」
「マジで」
「写真通りだった?」
「いや」
「違った?」
「写真より普通だった」
女性が笑う。
「悪口じゃん」
「褒めてる」
店員が煙草の番号を聞いている。

後ろでは高校生がアイスを選んでいた。
コンビニはいつも忙しい。
誰も忙しそうには見えないけれど。
「それで付き合うの」
「知らん」
「会ったんでしょ」
「会った」
「じゃあ何で」
男性は少し考えてから言った。
「会う前の方が話してたから」
女性は「なにそれ」と笑った。

男はスマホを見る。
通知は消えない。
当然だった。
消していないのだから。

「でも分かるかも」
今度は女性が言った。
「分かるの?」
「会う前の方が仲良い時あるじゃん」
「あるか?」
「ある」
「ないだろ」
「あるって」

二人はそのまま会計を済ませた。
外へ出る。
自動ドアが開く。
雨の音が入ってくる。
閉まる。

静かになる。
男は通知を見る。
名前を見る。
何年も前の名前だった。
会わなくなった人の名前は忘れる。
話さなくなった人の名前も忘れる。
けれど。
たまに忘れないものもあるらしい。

男は傘をレジへ持っていった。
七百円だった。
思っていたより高かった。
思っていたより安かった気もする。
どちらでもよかった。
スマホにはまだ通知が残っている。
傘は買った。
コンビニも見つけた。
数分前の目的は全部終わった。