あと3回の席替えで、君に伝えたいこと

四時間目の終わりを告げるチャイムが鳴った。

教室の空気が一気にほどける。

机に突っ伏していた生徒が顔を上げ、あちこちで椅子を引く音がした。

窓際のカーテンが五月の風を受けてふわりと膨らむ。

グラウンドから聞こえてくる運動部の掛け声。

昼休み前の教室はいつも少しだけ浮かれている。

「よし、席替えするぞー」

白石先生の声に、教室がどっと沸いた。

「やった!」

「うそ、今の席好きだったのに!」

「蒼真、また窓際行けよ」

「なんでだよ」

笑い声が広がる。

その中心にいるのは、やっぱり橘蒼真だった。

友達に肩を組まれても嫌な顔ひとつしない。

何か面白いことを言ったらしく、周りがどっと笑う。

自然と人が集まる。

蒼真の周りだけ、少し空気が明るい気がした。

廊下からも。

「橘ー!」

女子の声が飛んでくる。

蒼真は振り返り、

「なに?」

と気軽に返事をした。

それだけなのに、呼んだ女子たちが嬉しそうに顔を見合わせている。

すごいな、と湊は思う。

蒼真は特別だ。

運動もできる。

勉強もできる。

顔だって整っている。

少し伸びた前髪の隙間から覗く目はいつも真っ直ぐで、笑うと少しだけ幼く見えた。

女子に人気なのも当然だと思う。

たぶん、自分とは住む世界が違う。

「朝比奈」

突然名前を呼ばれた。

顔を上げる。

その蒼真が目の前に立っていた。

思わず背筋が伸びる。

「くじ」

「あ」

言われて気づく。

席替え用の箱が自分の机の横に置かれていた。

「ごめん」

慌てて持ち上げる。

蒼真が箱の中に手を入れた。

長い指が一枚の紙をつまみ上げる。

その横顔を、なぜだか少しだけ見てしまう。

別に珍しいことじゃない。

同じクラスなのだから、毎日見ている。

それなのに。

近くで見ると少し緊張する。

蒼真が紙を開く。

何番だったのかは見えない。

次は湊の番だった。

箱の中から一枚だけ紙を引く。

小さく折りたたまれた紙。

ただの席替えだ。

どこの席になっても変わらない。

そう思っているはずなのに。

ほんの少しだけ。

本当に少しだけ。

蒼真の近くの席だったらいいな、と思った。

「じゃあ発表するぞー」

白石先生が出席簿を片手に教壇へ戻る。

教室はまだざわざわしていた。

くじを交換し合うやつ。

すでに結果を予想して騒いでいるやつ。

窓際では女子たちが机を寄せて昼休みの予定を話している。

そんな中、湊は手の中の紙を見つめていた。

三十五番。

ただの数字だ。

それなのに、なぜだか落ち着かない。

「一番から順番になー」

先生が読み上げ始める。

あちこちで歓声が上がる。

「やった!」

「最悪!」

「うわ、遠っ!」

机を運ぶ音。

笑い声。

誰かが友達を呼ぶ声。

その全部が混ざって、教室が少しだけ騒がしい。

湊は窓の外を見た。

校庭の向こう。

体育館の屋根が陽射しを反射して白く光っている。

去年の今頃は何をしていたっけ。

そんなことを考えていたら、

「三十五番」

白石先生の声が耳に届いた。

反射的に顔を上げる。

「朝比奈」

呼ばれて小さく返事をする。

教壇横の席順表に目を向ける。

後ろから二列目。

窓側から二番目。

思っていたより悪くない。

静かそうだし、黒板も見やすそうだった。

少し安心する。

すると、

「お」

どこかで誰かの声がした。

「蒼真そこじゃん」

その名前に思わず反応してしまう。

顔を上げる。

教室の中央で、蒼真が席順表を見ていた。

友達に肩を叩かれながら笑っている。

湊もつられて席順表を見た。

そして。

心臓が少しだけ跳ねた。

自分の席の隣。

そこに書かれていた名前。

橘蒼真。

一瞬、見間違いかと思った。

もう一度見る。

やっぱりそうだった。

隣。

蒼真が。

隣。

教室の騒がしさは変わらない。

誰かが笑っている。

机を引く音もする。

なのに。

その瞬間だけ。

そこだけ音が遠くなった気がした。

「よろしくな」

不意に声がした。

顔を上げる。

蒼真だった。

いつの間にか近くまで来ていたらしい。

くしゃりと笑う。

それだけで周りの空気まで明るくなる気がする。

「……うん」

うまく返事ができなかった。

蒼真は気にした様子もなく、

「窓際いいなー」

なんて言いながら自分の机を持ち上げる。

その後ろ姿を見ながら、

湊はそっと席順表から目を逸らした。

少しだけ。

本当に少しだけ。

嬉しいと思ってしまったことを、誰にも知られたくなかった。