岸田加代はご禁制の山と知りながら立ち入っていく。目に一杯の涙、大粒の涙を流しながら。
山頂に向かう道は長く、まだまだ先。ずっと登りなので疲労感が蓄積してつらい。
道は村人の手によって歩きやすくはなっているものの滑りやすさの防止にところどころ砂利が蒔かれているだけで階段のような気の利いたものではなかった。
見渡す限り草と林。そして頭上を仰ぐと狭い夜空。月はおろか、星一つ見えなかった。一本道を歩き辿り着いたのは神木に囲まれた黄金屋根の祠だった。周囲には白と黒の玉石が敷き詰められ、どこか神が住まう佇まいに、加代は感動し、期待を膨らませた。
◇
俺、風間圭一はあの時を振り返る。
神が言うには、加代の傷を全て圭一が引き受けた結果、俺も加代も生き延びることが出来るという。問題は、加代が中学三年の冬、十二月二十五日に心不全にて急逝するという事だった。
俺は納得し、神によって傷を交換した。その際に、元々つけていた圭一の顔の傷が加代の顔に移り残ってしまった。残念なことに、加代は顔の傷がどうして着いたのか記憶がなかった。
加護なのか下り坂だからなのか、無事に山を下りた後、俺は急激に全身打撲となって入院し、床に臥せったので加代へは何も説明が出来なかった。親に説明を代行してもらおうとしてもご禁制の聖なる山に勝手に入って怪我しました、では済まないほど怒られてしまう。
加代の命を救ったのに、言い訳もできず頭を打っていたのか混乱して入院も長引いてしまい、精神が落ち着いた頃には時間を大変浪費してしまっていた。
悪いことは続くようで、加代の顔についたその傷を利用して、彼女に魅力を感じて狙っていた吉田太一が『加代は覚えてないだろうが、お前は風間に殴られたんだよ、本当に覚えてねーのか?』と嘘の作り話を繰り返し加代に吹き込んだ。
加代には顔に傷がついた原因の記憶がなかったのが不幸にも災いした。記憶がなかったのは加代が崖落下で気絶していたからで、圭一が崖を降りる際に鋭い枝で切ったからだった。このタイムラグが全てを狂わせていった。
俺の悲劇は始まった。こんなことで? そう、こんなことで。
太一の説明を聞いた以降、加代は圭一の言い訳を聞かず、先に教えてくれた太一の話を鵜呑みにした。人は記憶の定かでない出来事を先に教えて貰ったものを優先的に信用する、ありがちな心理現象だ。
加代と圭一の心の隙間に、ありふれた感情から来るすれ違いが始まった。
ただ不幸中の幸いだったことを強いて挙げれば、加代の顔の傷は整形手術により奇麗に治癒・癒合した、という事だけだった。
『おい風間! お前、昨晩に加代をオカズにしてないだろーな? もしも自家発電してたら許さんぞ。それにな、とっくの昔に俺が加代の初めてを貰っているんだ、自家発電じゃなくてな。悔しいだろうが、もう諦めろや』
この下品な発言は太一のものだ。
なぜこんな破綻した性格の男に加代は靡いたのだ? にわかに信じられない。しかし中高生の若き頃、女子は不良に憧れるという。それで初めてを経験したり浮気をされたりして恋愛を学び、大学や新社会人になってから普通の真面目な男性が好みになると聞く。
(クズい、クズ過ぎんだろ、吉田。初めての経験を自分が奪ったと触れ彼女の尊厳を踏みにじるな)
圭一は、このような細かな点を詳細に日記に綴り続けた。いつか誰かが読んで信じてくれるように。
圭一は吉田たちにイジメで侮辱され、誹謗中傷されてすら言い返さない。言い返せば喧嘩になる。他のクラスメイトに加代が処女を喪失したことが耳に入る。そうなれば処女喪失を指摘された加代が悲しむ。
片想いを長々としていた加代が自分以外に肉体関係を持ってしまった幼馴染に対して、未だに気づかいをするのは、何年たっても圭一が加代に横恋慕しているからであり、太一が言うように片想い中なのは言い返せない事実だった。
吉田が加代の初めてを奪った日、俺は加代の部屋の明かりがついていて人影が動くのを見てしまっていた。長年、一緒に育ってきた幼馴染の加代と吉田が行為中だと思われる声がかすかに聞こえてきた。吉田の声は特に大きかった。
『隣の家には風間がいるんだろ? きっと聞いて悶々としているだろうぜ』
次の日、初めてを捨てた加代をまともに見られなかった。つらかった。
その日だけじゃなかった。加代の両親の帰宅が遅くなる不在時に、部屋に遊びに来た吉田は必ず加代を抱いた。フィニッシュの時の大きな声が嫌でも聞こえてくるぐらいだ。加代すら時々嫌がっていたと思われる声を出していた。
いくら不在時を狙っているとはいえ繰り返されているのだから加代の両親は気づいていないのだろうか? 娘が妊娠などするとは思っていないのだろうか。娘の変化に気づいていないのだろうか。
悔しかった。あんなに好きだった加代が他人に奪われた事実。しかもクラスメイトの男子だ。休み時間ごとにイチャつく風景が目に飛び込んでくる。加代はもう俺とは会話しない。他人に近い、そんな間柄だ。そんなことなら崖下の大怪我から救うんじゃなかったって?
俺は今でも加代を救ったことには後悔をしていない。
山頂に向かう道は長く、まだまだ先。ずっと登りなので疲労感が蓄積してつらい。
道は村人の手によって歩きやすくはなっているものの滑りやすさの防止にところどころ砂利が蒔かれているだけで階段のような気の利いたものではなかった。
見渡す限り草と林。そして頭上を仰ぐと狭い夜空。月はおろか、星一つ見えなかった。一本道を歩き辿り着いたのは神木に囲まれた黄金屋根の祠だった。周囲には白と黒の玉石が敷き詰められ、どこか神が住まう佇まいに、加代は感動し、期待を膨らませた。
◇
俺、風間圭一はあの時を振り返る。
神が言うには、加代の傷を全て圭一が引き受けた結果、俺も加代も生き延びることが出来るという。問題は、加代が中学三年の冬、十二月二十五日に心不全にて急逝するという事だった。
俺は納得し、神によって傷を交換した。その際に、元々つけていた圭一の顔の傷が加代の顔に移り残ってしまった。残念なことに、加代は顔の傷がどうして着いたのか記憶がなかった。
加護なのか下り坂だからなのか、無事に山を下りた後、俺は急激に全身打撲となって入院し、床に臥せったので加代へは何も説明が出来なかった。親に説明を代行してもらおうとしてもご禁制の聖なる山に勝手に入って怪我しました、では済まないほど怒られてしまう。
加代の命を救ったのに、言い訳もできず頭を打っていたのか混乱して入院も長引いてしまい、精神が落ち着いた頃には時間を大変浪費してしまっていた。
悪いことは続くようで、加代の顔についたその傷を利用して、彼女に魅力を感じて狙っていた吉田太一が『加代は覚えてないだろうが、お前は風間に殴られたんだよ、本当に覚えてねーのか?』と嘘の作り話を繰り返し加代に吹き込んだ。
加代には顔に傷がついた原因の記憶がなかったのが不幸にも災いした。記憶がなかったのは加代が崖落下で気絶していたからで、圭一が崖を降りる際に鋭い枝で切ったからだった。このタイムラグが全てを狂わせていった。
俺の悲劇は始まった。こんなことで? そう、こんなことで。
太一の説明を聞いた以降、加代は圭一の言い訳を聞かず、先に教えてくれた太一の話を鵜呑みにした。人は記憶の定かでない出来事を先に教えて貰ったものを優先的に信用する、ありがちな心理現象だ。
加代と圭一の心の隙間に、ありふれた感情から来るすれ違いが始まった。
ただ不幸中の幸いだったことを強いて挙げれば、加代の顔の傷は整形手術により奇麗に治癒・癒合した、という事だけだった。
『おい風間! お前、昨晩に加代をオカズにしてないだろーな? もしも自家発電してたら許さんぞ。それにな、とっくの昔に俺が加代の初めてを貰っているんだ、自家発電じゃなくてな。悔しいだろうが、もう諦めろや』
この下品な発言は太一のものだ。
なぜこんな破綻した性格の男に加代は靡いたのだ? にわかに信じられない。しかし中高生の若き頃、女子は不良に憧れるという。それで初めてを経験したり浮気をされたりして恋愛を学び、大学や新社会人になってから普通の真面目な男性が好みになると聞く。
(クズい、クズ過ぎんだろ、吉田。初めての経験を自分が奪ったと触れ彼女の尊厳を踏みにじるな)
圭一は、このような細かな点を詳細に日記に綴り続けた。いつか誰かが読んで信じてくれるように。
圭一は吉田たちにイジメで侮辱され、誹謗中傷されてすら言い返さない。言い返せば喧嘩になる。他のクラスメイトに加代が処女を喪失したことが耳に入る。そうなれば処女喪失を指摘された加代が悲しむ。
片想いを長々としていた加代が自分以外に肉体関係を持ってしまった幼馴染に対して、未だに気づかいをするのは、何年たっても圭一が加代に横恋慕しているからであり、太一が言うように片想い中なのは言い返せない事実だった。
吉田が加代の初めてを奪った日、俺は加代の部屋の明かりがついていて人影が動くのを見てしまっていた。長年、一緒に育ってきた幼馴染の加代と吉田が行為中だと思われる声がかすかに聞こえてきた。吉田の声は特に大きかった。
『隣の家には風間がいるんだろ? きっと聞いて悶々としているだろうぜ』
次の日、初めてを捨てた加代をまともに見られなかった。つらかった。
その日だけじゃなかった。加代の両親の帰宅が遅くなる不在時に、部屋に遊びに来た吉田は必ず加代を抱いた。フィニッシュの時の大きな声が嫌でも聞こえてくるぐらいだ。加代すら時々嫌がっていたと思われる声を出していた。
いくら不在時を狙っているとはいえ繰り返されているのだから加代の両親は気づいていないのだろうか? 娘が妊娠などするとは思っていないのだろうか。娘の変化に気づいていないのだろうか。
悔しかった。あんなに好きだった加代が他人に奪われた事実。しかもクラスメイトの男子だ。休み時間ごとにイチャつく風景が目に飛び込んでくる。加代はもう俺とは会話しない。他人に近い、そんな間柄だ。そんなことなら崖下の大怪我から救うんじゃなかったって?
俺は今でも加代を救ったことには後悔をしていない。



