極上のパス

 ピィー。
 後半戦のホイッスルが鳴り響く。
 こちらからのキックオフ。ボールは下げられた。受け取るが、チェックが早くて、MFにパスを回した。
 FWの位置が悪い。相手DFに押し込まれていて、パスが通る気がしない。
 それなら、俺が行くしかない。
「俺に戻して、ついてこい」
 片手を上げると、ボールが戻る。
 胸でトラップして、ドリブルで切り込んだ。
 ボランチを一人残して、MF三人で駆け上がる。
 DFが突っ込んでくるが、当たり負けするのがわかっているからパスで逃げる。
 もう一人は、カバーの邪魔をしてくれていた。
 ボールが俺の足に戻ってくる。
 この距離ならシュートが打てるが、嫌な位置にCBがいた。そのまま打てば、コースが甘くて止められる。
 それならば一か八かに賭けよう。
 思いっきり右足を振り抜いた。斜め上に鋭く飛んでいく。
 俺は脇目も振らずに駆け出した。
「ヒメを止めろ。ぶつかれ」
 東堂先輩の声が背中に突き刺さる。でも、もう遅い。
 ボールはガッとゴールバーにヒットして跳ね返った。
 そこに突っ込んで飛び上がり、頭で押し込む。
 無我夢中で着地のことを考えておらず、地面に体を打ちつけた。
「いって」
 体を庇い、首を巡らせる。
 ボールはゴールの中を転がっていた。
「よし!」
 仰向けになって拳を空に突き上げ、腹の底から叫ぶ。
 ピッチ上は静寂に包まれた。
 一番早く我に返ったのは、相手のGK。
「ヒメ、大丈夫か?」
 手を差し出され、掴む。引き上げてくれて、俺は体を払った。
「ああ、平気だ。ありがとう」
 顎に力を入れたまま、藤丸が剣のある目を向けて、大股で近付いてくる。
「なんでパスをくれないんですか? あんな無茶な攻め方をして」
「甘えんな。パスが出せねーんだよ。欲しけりゃ常にいいポジションを意識しろ」
 戻るために駆け出すと、藤丸がピッタリと隣に張り付く。
「怪我はしていませんか?」
「ああ、問題ない」
「ヒメ先輩に、オレへパスを出したいと思わせます」
 横目で藤丸を確認する。
 瞳は強い意志を宿して、輝いていた。
「期待している」
 顔の横で拳を作る。藤丸も拳を握り、トンと甲がぶつかった。


 今度は二、三年生から始まる。
 相手のパスをカットして、藤丸に鋭いパスを送った。
 足先が届くが、キープはできない。相手DFに奪われる。
 前半では触ることすらできなかった。次は取れると確信する。
「奪われたら奪い返せばいい。何度でもパスを出すからな」
「はい!」
 藤丸は戻りながら叫ぶ。
「お前もだからな」
 もう一人のFWに向かって声を張ると、こちらからも「はい」といい返事が戻ってきた。
 ボールを奪い奪われ、どちらもなかなか決めることができない。
 ボールを掠め取ると、すかさず藤丸にパスを出した。『ここに来い』と込めて。
 初めて藤丸が完璧に追いついた。
 胸がスッとすく。脳が痺れるような快感が押し寄せてきた。
「藤丸、打て!」
 藤丸が打つ直前に、DFが進路を塞ぐ。
 咄嗟にコースを変えるが、そこにはGKが待ち構えていた。GKがボールを弾き飛ばし、相手のDFがボールをキープする。
 今のはすごくよかったが、相手の動きが抜群だった。
「ヒメ先輩、もっとください」
 藤丸は決められなかった悔しさを、バイタリティに変換して叫んだ。
 藤丸が追いついたときの高揚感が、忘れられない。もっとあの感覚に浸りたい。
 いくらでも回してやる。


 交代を挟みつつ、どちらも決め手に欠ける。
 後半残り三分。いまだに1-3だ。
 ボールはこちらがキープしている。パスを回して、ゴールを奪う作戦を考える。
 個人としてもチームとしても、二、三年生の方が上だ。どう切り崩せばいい?
 思考を巡らせるが、いい考えが浮かばなかった。
 劣っているなら、数で勝るしかない。
「全員上がれ!」
 DFに向かって叫ぶ。
 高崎がDFとGKを引き連れてきた。
 二、三年生が「うわっ」と顔を引き攣らせ、一年生は戸惑いに瞳を揺らす。
 オフェンス陣だけで足りないなら、十一人で攻めまくるだけだ。
「攻めて攻めて攻めまくれ!」
 相手ゴールに向かって、シュートを打つ。
 弾かれてもこぼれ球を拾い、拾ったやつから矢継ぎ早にボールを蹴る。
 相手にボールをキープされても、前線に上げられる前に挟み込んで奪えばいい。
「全員自分が決める気で行け。体勢を崩し、ゴールへの道を自分たちでこじ開けるんだ!」
 ポジションなんて関係ない。十一人で点を取る。
 相手のGKが防いで体勢を崩せば、そこをDFが上手くカバーして、なかなか切り崩せない。
 俺の元にボールが転がってくる。
「ヒメ、決めろ」
 高崎が叫んだ。
 攻めまくれと発破をかけた。全員、俺が打つと思っている。
 DFの裏へ藤丸が動くのが見えた。この状況でも、あいつは俺のパスを待っている。
 自分で決めるより、藤丸を使いたいと血が騒いだ。
 シュート体勢のまま、サイドに思いっきり蹴り上げた。
「お前が決めろ!」
 藤丸が走り込んでワントラップ後に、ゴールへ全力で足を振り抜いた。
 DFとGKが足や手を伸ばした時には、すでにボールがネットに突き刺さっていた。
 ピィー!
 後半終了のホイッスルが鳴る。
 ゴールの余韻を味わう間もなく、2-3で敗北した。
「あー、負けた」
 頭を掻きむしる。
 四点取るつもりだった。壁が高くて、越えられなかった。
 ピッチは喧騒に包まれている。辺りに視線を巡らせた。
 藤丸だけはシュートを決めた喜びも、負けた悔しさも見せず、ただ呆然と立ち尽くしていた。まるで藤丸の周りだけが、音を無くしたように。
 小走りで近付き、背中をポンと叩く。
 大袈裟なほど体が跳ねて、藤丸がこちらに目を向けた。
「どうした?」
 藤丸は首を捻って、口をまごつかせる。
「えっと……。言葉にするのが難しいんですけど、パスを受け取った瞬間に、決められるって確信したんです。まだシュートを打ってもいないのに」
 藤丸は頭をガシガシと掻き、眉を寄せる。
「ここに欲しいと思ったところへ的確にパスが来て、ゾワゾワするのに昂って。こんなに気持ちがいいの初めてで。すみません、感覚的なことしか言えなくて」
 なんでこんな簡単なことが、わかんねーんだよ。
「お前さ、ずっと一人でゴールを決めてたんだろ?」
 今まで自分が一番上手かった。味方も藤丸に頼り切って、仲間というよりおんぶに抱っこの状態だったのだろう。
「自分が活躍するのは、気分がいいと思う。でもさ、サッカーは仲間とやるから楽しいんだよ。楽しかっただろ?」
 藤丸は宙を睨みつけて思案した後、満面の笑みで頷いた。
「はい、楽しかったです!」
 晴れやかな顔につられて、俺も口の端が広がる。
「整列しろ」
 三浦先輩がセンターラインで声を上げた。
「行くぞ」
「はい」
 藤丸の背をポンと叩いて駆け出した。


 部活が終わって着替え終わると、藤丸が「ヒメ先輩」と弾む声で呼ぶ。
「今週の土曜日はどこに出かけましょうか」
「出かけねーよ」
 この軽々しさは、部活中とは雲泥の差だ。
「ほんと、そっけないですよね。最近はそんなところも堪らないんですけど。オレ、新しい扉を開いたんですかね?」
 やっぱり普段はウザいな。
「じゃあこれはいらないか?」
「なんですか?」
「ご褒美」
 藤丸の手に、小さく折りたたんだノートの切れ端を乗せる。藤丸はそれに視線を落として、不満の声を上げた。
「えー。ご褒美って言うなら、チューとかしてくださいよ」
 口を突き出され、全身を戦慄かせる。
「いらねーなら返せ」
 奪い取ろうとすると、藤丸はつま先立ちをした。握った拳を上へ伸ばす。飛んでも届かなくて、さらに腹立たしさが込み上げた。
「……待ってください。さっきまでめちゃくちゃかっこよかったのに、ピョンピョンして必死に取ろうとするの、ギャップがヤバいですね。オレを悶えさせたいんですか!」
「うるせー! いいから返せ」
「いや、せっかくもらったので返しませんよ」
 ムカムカがおさまらない。
「お前さ、一番最初に得点するって言ったけど、最初の得点は東堂先輩だったよな」
 藤丸は思い出したのか、頬を引き攣らせて、眉を顰めた。
「チームとしての最初の得点は、俺だったしな」
 眉間に深い皺を刻んだのを見て、少し気分が晴れた。
「ヒメ先輩も東堂先輩も、絶対に追い抜いてみせます!」
 藤丸の纏うピリッとした空気に、背筋がゾクリとする。
 こいつも負けん気が強いよな。藤丸の強い意志が、研ぎ澄まされた目にこもる。
 その目に魂を揺さぶられるが、そう簡単に越えさせるわけにはいかない。俺だってまだまだ上手くなる!
 空気がふっと軽くなった。
「ところで、これはなんですか?」
 藤丸は両手を伸ばして、紙を広げていく。
「ん? ローマ字と数字が書いてあるけど、ランダムっぽいですよね? 暗号ですか?」
「なんだよ、暗号って。俺のメッセージアプリのIDだ」
 藤丸は処理落ちしたように固まり、数秒後に「え?」と叫んだ。
「いやいやいや、待ってください。いつも袖にされているのに、急に本当のご褒美をもらえると、どう反応していいかわからないですって」
 袖にされているのがわかっているのに、藤丸の今までの絡み方を思い返すと、メンタルが強すぎて怖いくらいだ。
「でも返信は期待するな」
 そう返したけれど、藤丸はいつものヘラヘラした表情を引っ込めた。
 ノートの切れ端を掴む手が、微かに震えている。
 その顔は、ひどく頼りない笑みに変わった。
 調子が狂う。
 視線を逸らし、スクールバッグを肩にかけて部室を出た。
 藤丸が慌てて追いかけてくる。
「ヒメ先輩、ありがとうございます」
 藤丸は目を和ませて、柔らかく微笑んだ。
 夕日が伸ばす、並んだ影に目を落とす。
 ピッタリと引っ付いているように見えて、片眉を跳ね上げた。


 家で宿題をしていると、スマホが震える。
 予習と復習まで終えると、ベッドに寝転がってスマホの画面をタップした。
『土日、どっちで遊びますか?』
『本当にヒメ先輩ですか?』
『中身は高崎先輩ってオチじゃないですよね?』
 全部藤丸からだった。
 俺の名前なのに、高崎だと思う意味がわからない。
「文字でもうるせーな」
 既読をつけて、画面を消す。
 大きなあくびをして、瞼を下ろした。


 翌朝、朝練が終わると藤丸が値踏みするような目を向けてきた。
「なんで返信を、してくれないんですか?」
「返信は期待するなって言ったろ」
「……まー、そのおかげで、ヒメ先輩本人のアカウントだってハッキリしましたけど」
 藤丸はブツブツと不満を漏らした。
「俺もヒメからほとんど返信来ねーよ」
 高崎が横から口を挟む。
「ほとんどってことは、たまには来るってことですか?」
「用がある時だけな。『明日提出の宿題はなに?』とか『何時に集合する?』とかに答えてくれるだけ」
「え? じゃあなんでオレの出かける誘いには、返信してくれないんですか」
「俺は行くなんて言ってねー」
 大きく息を吐き出す。
「それなら、オレも明日提出の宿題を聞きます」
「俺が藤丸のクラスの宿題なんて、知るわけねーだろ」
 高崎は同じクラスだから、教えられるだけだ。
 藤丸は眉間に皺を寄せて、額を押さえる。
「高崎先輩に、同じクラスマウントを取られただけか」
 悔しさの滲む声に、高崎は「取ってない、取ってない」と呆れまじりに顔の前で手を振った。
「はー。……デレてくれたかと思えば、焦らしてきて。ヒメ先輩はすごい魔性ですよね」
「何言ってんだ。放置してるだけだろ」
 教えなければよかった。少し後悔する。