極上のパス

 次の日の放課後、紅白戦前の緊張感で、一年生の表情は硬い。
 各々で準備運動をしているところに、一人ずつ声をかけて背中をポンと叩く。
 藤丸と目が合った。自信満々に口角を上げる。
 あいつは大丈夫だな。
 視線を外して、声をかけていない一年生を探す。
「ヒメ先輩! 目が合ったんだから、次はオレじゃないんですか。ずっと待ってたんですよ」
 藤丸は文句を言いながら、俺の目の前に立つ。
「お前は怖気付いてなんて、いないだろ」
 藤丸は自分の体を抱いて、体を小さくした。わざとらしく震える。
「あー、めっちゃ不安だ」
 感情のこもっていない声を上げ、チラチラと視線を投げてくる。
 大袈裟に肩を落として、藤丸を見上げた。
「お前が最初に点を入れるんだろ? 決めてこい」
 背中をポンと叩く。
「もう一回、お願いします」
 催促されてもう一度。
 藤丸は晴れやかな顔で笑う。
「本当は一番に声をかけてほしかったですが、みんなより一回多くポンってしてもらったんでいいです。見ててくださいね」
「ああ、がんばれ」
 最後にもう一度軽く叩いて、別の一年生のところに向かった。
 藤丸が「みんなより二回多い」と騒いでうるさい。緊張感がなさすぎるのも、どうなんだ?


 ピィー!
 試合開始のホイッスルが、グラウンド全体に響き渡る。前半戦が始まった。
 二、三年生からのキックオフ。
 一度ボールをMFに下げると、FWが突っ込んだ。
 東堂先輩がスペースに入ると、待ち構えていたかのようにそこへパスが通る。
 高崎が前方を塞ぐが、カバーが間に合っていない。
 東堂先輩は、別のFWにパスを出す。
「二人で当たれ」
 ボランチとSBが駆けるが、挟み込む前にパスが出された。そこに走り込んでいた東堂先輩がトラップするとシュート体勢に入る。
 高崎が利き足の前に位置取った。
 間に合ったと思わせて、後ろにパス。MFが受け取ると、東堂先輩はサイドに駆けた。
 MFが出したパスに、東堂先輩は強烈なボレーシュートを叩き込む。
 GKの手を弾き飛ばす弾丸ライナーが、ゴールネットに突き刺さった。
 二、三年生は東堂先輩に飛びかかって、喜びを分かち合う。
 一年生は圧倒的なプレーに、表情をなくした。
 無理もない。開始からまだ三分しか経っていないのだから。
 味方だと頼もしいけれど、敵になるとこんなにも厄介な存在になるのか。
 圧巻のプレーに触発されて、自然と口角が上がる。
「お前らもよく見とけよ」
 一緒に座っている一年生に声をかける。目と口を開いて、呆然としていた。
「全員動きが硬い! 先輩だからって遠慮するな!」
 高崎が声を張る。
 高崎はいつも通りだな。
 FWに目を向ける。
 藤丸が苦い顔で、東堂先輩を睨みつけていた。
 自分が決めると宣言していた、先制ゴールを奪われたんだ。火がついたらしい。
 あの負けず嫌いなところは、FWとしての長所だな。
「気持ち切り替えろ! 次は止められるから」
 ピッチに向かって、発破をかける。
 次は一年生が攻める番だ。
 MFがボールをキープして、藤丸が前線を上げる。縦のロングパスを胸でトラップした。
 驚異的なボディバランスで、一歩目が早い。
 DFの傍をすり抜け、足を振り抜いた。
 球速は申し分ないが、コースが甘い。三浦先輩が素早くボールの正面へ動き、ガッチリとキャッチする。
「戻れ! カウンターくるぞ」
 口の横に手を添えて、声を張り上げる。
 三浦先輩は前方へ大きく蹴り上げた。
 一年生は必死に走る。
 ボールを持った相手FWに、積極的に当たりにいく。
 ホッと息を吐き出した。
 一年生の本来のプレーが見られそうだ。
 たまらず出したパスを相手のMFが拾うと、すかさず前にロングパスを出す。
 そこに走り込むのは東堂先輩と高崎。東堂先輩がボールをキープすると、高崎が前方を塞ぎ、CBとボランチも左右を挟む。
 東堂先輩は後ろにパスを出した。
 MFが受け取り、逆サイドにパスを通す。
 FWが放ったシュートをGKが弾き返した。ボールを拾ったのは相手のMF。
 間髪入れずにシュートを打ち、体勢を崩したGKが手を伸ばすが届かない。ゴールネットを揺らした。十分で二点目を失う。
 俺はベンチにいる全員を引き連れて、ピッチに入った。
「巻き返すぞ!」
 一年生は「はい」と声を上げた。めげてはなさそうだ。
「ヒメ先輩! パス待ってます」
 藤丸が手を大きく振る。
「お前は外に出ろ。交代だ」
 藤丸は口を尖らせて、不貞腐れたようにベンチに向かった。
 試合が再開される。一年生がセンターマークから、後ろにボールを蹴った。それを受け取り、きっちりボールを止める。
「攻めるぞ。上がれ!」
 FWが駆けた。大きく蹴り上げる。
 FWが足を伸ばし、難なく受け取った。すぐに相手のDFに囲まれて、ボールを奪われる。
 くそっ。ぬるいパスじゃ、止められる。
「戻れ!」
 相手のDFが前に蹴り上げる。
 東堂先輩が受け取ると、空気が張り詰めた。
 絶対に行かせない。
 東堂先輩の前に飛び出す。
 強い相手と向き合い、興奮でゾクゾクと胸が躍る。
 でも東堂先輩はこちらに向かってくることはなく、横にパスを出した。
 それを相手MFが受け取る。
「え? なんで来ないんですか」
「ヒメとの一対一は魅力的だけど、抜けるか五分五分だからコスパが悪い。さらに追加点をもらうために、おりるに決まってるだろ」
 冷静すぎて腹が立つ。
 走って追いかけ、東堂先輩へのパスをインターセプト。
 FWが前方に走るのを確認して、蹴り上げた。
「あれを取るのか」
「もう点は渡しませんよ」
 FWを追いかける。
 味方MFがパスを受け取り、逆サイドのFWにパスを出すが読まれていて、パスコースに飛び出した相手DFにボールを奪われた。
 ロングパスが東堂先輩に通る。
 まずい。
「高崎、任せた!」
 DFが二人張り付く前に、東堂先輩はシュートを打った。
 高崎が飛び出して、足を伸ばす。ボールは明後日の方向に飛んでいった。
 それを相手のFWが走り込んで、ゴールに向かって蹴り飛ばす。
 辛くもGKが弾き返した。
 こちらのDFがキープして、大きく前方に蹴り上げる。
 胸でトラップして、FWが取りやすいパスを回した。
 攻めきれずにボールを奪われて、相手のカウンター。
 やっぱりこのパスじゃダメだ。
 大きく蹴り出されたボールは東堂先輩に渡る。
 DFとGKが必死に防ぐが、執拗な攻めに崩されて、三点目を失った。
 試合開始から二十分が経つ。交代の時間だ。
「やっとヒメ先輩とやれますね。焦らされて、気合十分です。パス、待ってます」
 目をギラギラとさせて、藤丸が笑う。
 そこまで言うなら、本気のパスをぶつけてやろうじゃないか。
 試合が再開され、ボールを受け取る。FWが前に走り、藤丸へ『ここまで来い』と込めて、ボールを蹴り上げた。
 藤丸は追いつけずに、ボールはサイドラインを割る。
 藤丸が渋い顔をこちらに向けた。
 追いつけるはずだ。お前はその程度じゃないだろ。
 視線を外して、スローインに備える。
「東堂先輩に渡るから、ボールが投げられたら後ろから寄れ」
 MFに小声で指示を出す。
「わかりました」
 奥歯を噛み締めて頷くのを確認して、俺は東堂先輩につく。
 俺と東堂先輩の身長差は、二十センチほど。必ずここにくる。
 東堂先輩に体を当てる。東堂先輩も俺に寄せた。よろけそうになるのを、必死に踏ん張って耐える。
「ヒメ、お前は囮だろ」
 頭上から、ふっと笑いが降ってきた。
「……なんのことでしょう?」
「ヒメが俺に張り付くなんて、それしかない。他のやつにつけば、ヒメを回避したいと思うよな。俺ならヒメ相手でも引けを取らない。このミスマッチを活かしにくるだろうと踏んでるんだろ」
 全てバレている。本当に敵になると厄介な先輩だ。
 でもバレていてもやることは変わらない。来るところがわかっているのだから、味方と二人で挟み込むだけだ。
 ボールが投げられる。案の定、こちらに向かってきた。
 MFが走り込んでくる。
 東堂先輩がキープした時が、奪うチャンスだ。
 だが、東堂先輩はヘディングで軌道をずらして、ボールは相手のMFに渡った。
「だからコスパの悪いことはしないって言ったろ」
「くそっ」
 一筋縄じゃいかない。
 走る東堂先輩を追いかけた。


 どちらも攻めては止められての膠着状態。
 藤丸へのパスは、何度試しても通らない。
 イライラが蓄積されていく。藤丸も俺への目つきが、徐々に険しくなっていた。
 受け取れよ。それとも俺の買い被りすぎか?
 妥協して、もっと優しいパスに切り替えるしかないのか。
 ……いや、藤丸なら絶対に届く。
 前半戦は0-3で終了した。
 ハーフタイムになり、全員でコートを出る。
 水筒に口をつけ、煽るように水を飲んだ。
 視線を巡らせると、俯いて肩を落としているGKが目についた。
 近付いて「おい」と声をかける。GKはあからさまにビクリと体を跳ねさせた。
「すみません。三点も取られてしまって……」
 俺は強めに背中を叩いた。
「いいか、一人で三点失ったわけじゃない。俺たち十七人で失ったんだ。むしろあれだけ攻められて、三点で済んでいるのはお前のおかげだ。後半もその調子で頼むな」
 GKは一人しかいない。最後まで頑張ってもらわないと。
 GKは「ありがとうございます」と口を引き結んだ。
 だが、実際は高崎の功績がでかい。
 自分が積極的に守り、DFを動かしてコースを限定させていた。
 こういう時、真っ先に声をかけてやりそうなのにどうしたんだ?
 高崎を探していると、頭にタオルをかけて座り込んでいた。表情は見えないが、肩が大きく上下している。
 怒涛の攻めと慣れない指示出しで、高崎に負荷がかかりすぎた。
「大丈夫か? 飲め」
 高崎の水筒を差し出す。
 掠れた声で「サンキュー」と言って受け取った。
 前半フルで出ていたのはGKと高崎だけ。抜けられるとキツイが、少し休ませたほうがいいな。
「後半開始十分は、高崎を休ませる。その間、俺がボランチに入る」
 全員に伝えれば、水を飲み干す勢いで飲んでいた高崎が声を荒げた。
「バカか! 四点取るんだろ? ヒメが下がったら、取れるもんも取れねーだろ。ヒメはDFに『できるよな!』って言えばいいんだよ」
 DFに目を向ける。
 歯を食いしばって、澄んだ瞳を向けていた。
 俺が間違っていた。
「できるよな!」
 DFは声を揃えて「はい」と空気を震わせた。
 オフェンス陣に目を向ける。
 藤丸と視線が交わった。不機嫌な顔を隠そうともせず、こちらに近付いてきた。
「ヒメ先輩はオレにだけ、パスがキツくないですか?」
「俺はお前が届くパスしか出していない。自分の力不足を、俺のせいにするな」
 睨み合っていると「ヒメ」と嗜めるように呼ばれる。
 三浦先輩が苦笑しながら、こちらに向かってきた。
「お節介かもって思ったんだけどさ。ちゃんと伝えてやったほうがいいんじゃないのか? 藤丸が誤解するだろ」
 口を引き結んで、視線を逸らす。
「どういうことですか?」
 藤丸が三浦先輩に訊ねた。
「ヒメは藤丸が届くって信用して、キツめのパスを出しているんだ。今まで取りやすかったのは、ヒメが気を使っていたってことだよ」
「そうなんですか?」
 チラリと藤丸を見上げる。顔を歪めていた。
「優しいパスじゃ突破できない。俺は取れないパスは出さない。藤丸なら絶対に届く。走れ」
 藤丸がヒュッと息を飲み、喉を鳴らす。
「わかりました。必ず期待に応えます」
 その瞳は光を帯びていた。
「姫宮先輩」
 別のFWに呼ばれて、そちらに目を向ける。
「俺も走れます」
「俺もです」
「ああ、死に物狂いで追いつけ」
 円陣を組んで、気合を入れる。
「後半、四点取るぞ!」
「はい!」
 全員の声が揃い、空気が震えた。痺れるような熱気に包まれる。


 後半戦が始まるのに、三浦先輩はベンチに座ったままで、二年生のGKが立ち上がった。
「三浦先輩は出ないんですか?」
「ああ、俺は前半だけ。一年生だけじゃなく、二年生も出してやりたいだろ。それに、いい選手が揃ってるって一年生にわからせたいしな」
「そうですね」
 二年生のGKと目が合う。
「絶対にヒメのこと、止めるから」
「俺じゃねーよ。俺たちが絶対に抜くから」
 スタメンだけじゃない。
 全員がサッカーが好きだし、負けられないと思っている。
 だからこそ、倒したい。