極上のパス

「新入部員、楽しみですね」
 サッカー部の朝練後、体育倉庫の鍵を閉めているキャプテンの三浦(みうら)先輩に声をかける。
 やわらかな風が、火照った肌に心地いい。
「そうだな。優しくしてやれよ、ヒメ」
「俺は優しいですって」
 三浦先輩は「どうだか」と肩をすくめた。
 三浦先輩と並んで部室に向かっていると、ヘラヘラとした軽薄な笑みを貼り付けた男子学生が「おはようございます」と声をかけてきた。赤いネクタイから、一年生だとわかる。
 目鼻立ちがはっきりとしていて整った顔だが、自信に溢れたような生意気さに眉を顰めた。
「ヒメの知り合い?」
 三浦先輩が口元に手を添えて、俺の耳に顔を寄せた。
「いえ、知りません」
 俺は首を振る。
「めっちゃ可愛いですね! サッカー部のマネージャーですか? オレ、藤丸蓮司(ふじまるれんじ)。ポジションはFW(フォワード)です。あなたのためにシュートを決めます」
 両手を握られて、流し目の後にウインクまでされ、呆気に取られて固まった。
 隣で三浦先輩が「ブッ」と吹き出して、我に返る。
 フツフツと怒りが湧いてきて、手を勢いよく振り払った。キツく睨み付ける。
 この見た目で、散々苦渋を舐めてきた。
 背が低くて軽いから、当たられると弱い。どうしようもないところをカバーするために、パスの精度やボール捌きを磨いた。
 こういう初対面で舐めた態度を取るやつを、黙らせるために。
「あれ? オレに口説かれて嬉しくないんですか? おかしいな」
 藤丸は腕を組んで首を傾けた。心底不思議でしょうがないといった顔だ。
「あっ、もしかして隣の人が彼氏ですか?」
 限界に達して、掴みかかろうと腕を伸ばす。
 藤丸に触れる前に、三浦先輩が俺を後ろからホールドした。
「ヒメ、落ち着け」
「離してください! 調子に乗ってる鼻っ柱を叩き折らなきゃ、気が済みません」
 背中ごと抱え込まれて、びくともしない。
「ヒメって呼び方、可愛くて先輩にピッタリですね」
 爆発したような怒りが込み上げて暴れるが「頭を冷やせ」と嗜められる。
「君もこれ以上煽るな! 今のうちに逃げろ」
 三浦先輩が藤丸に、切迫した声で叫んだ。
「えー、じゃあまた放課後にお話ししてくださいね。お姫様」
 藤丸は膝を屈めて、俺の顔を覗き込む。上目遣いであざとく笑い、片手を上げると校舎の方へ歩いていった。
 三浦先輩が安堵の息を吐く。
 俺のあだ名はお姫様じゃなくて、苗字からだ。
 はらわたは煮えくり返って、どうにも収まらない。
 足だけでなんとか片方のスパイクを脱ぐ。つま先に引っ掛けて、藤丸の頭目掛けて足を振り切った。
「あ!」
 三浦先輩が声を上げると同時に、スパイクはスコーンと藤丸の後頭部にヒット。
「いって!」
 頭を押さえながら、藤丸が振り返った。
「俺はお姫様でもマネージャーでもねーよ。MF(ミッドフィルダー)姫宮景虎(ひめみやかげとら)だ。放課後、お話なんてできねーくらい、しごいてやるからな!」
 声を張り上げると、藤丸がスパイクを拾う。紐を解きながら戻ってきた。
 俺の足元に跪く。大きくてゴツゴツした手が、踵を掬って固定した。
 とっさに足を引き抜こうとしたけれど、ガッシリ掴まれていてびくともしない。
 俺を見上げて口角を上げる藤丸の顔が腹立たしい。
「俺に触るな」
「まぁまぁ、遠慮しないでください」
 スパイクを履かせられる。藤丸は窮屈に感じない、絶妙な力加減で紐を縛った。
「可愛い顔して、おてんばなシンデレラですね。王子になってあげましょうか?」
 三浦先輩が喉の奥で「うわっ」と引き攣った声を出し、俺は鳥肌が立って身震いした。
「お前なんて願い下げだ!」
「頼む! 押さえるのもしんどいんだって。早く逃げてくれ」
 三浦先輩が泣き出しそうな声を出した。
 藤丸は小さく会釈をして「また放課後に」と踵を返す。
「……ヒメ、もうスパイクを飛ばすなよ」
 三浦先輩は「朝練より疲れた」と嘆く。
 藤丸が見えなくなると、手が緩んで解放された。
「俺って、マネージャーっぽいですか?」
「うーん、小柄で可愛らしい顔をしてるもんな。子猫みたいな感じ」
「チビで男らしくないって言ってるんですか?」
 眉間に皺を寄せて、目を吊り上げる。
「怒んなって。ヒメが聞いてきたんだろ。その顔ですごんでも、迫力ないしな」
 三浦先輩は俺の背中を、バシバシ叩いて笑う。
「三浦先輩みたいだったら、よかったのに」
 背が高く、ガッチリしていて男らしい。
 俺もそんなふうに育ちたかった。
 毎朝グラス二杯の牛乳を飲んでいるのに、伸びる気配もなく一五八センチ。
 奥歯をギリッと鳴らす。
「まー、気にすんな。あんなのは最初だけだ。ヒメのプレーを見たら、ぶったまげるぞ」
 カラカラ笑う三浦先輩のおかげで毒気を抜かれ、はー、と肩を落とした。
「いつも通り、コントロール抜群だったな。痛そうだった」
「ちゃんと甲側がぶつかるように、調整してますよ」
 ふん、と鼻息を荒げる。
 とんでもなく失礼なやつだが、怪我をさせるわけにはいかない。
「チームメイトになるんだから、仲良くしてくれよ」
「無理ですね」
「さっきまで、新入部員が楽しみだって言ってたのに」
「俺はあんな生意気な後輩じゃなくて、素直で純粋な後輩を求めているんです」
「ヒメだって俺たち三年からしたら、生意気な後輩だろ」
 三浦先輩は俺の頭を、ぐしゃぐしゃにかき混ぜる。
 口を尖らせながら、手櫛で髪を整えた。


 授業中も藤丸の軽薄な顔を思い出して、イライラが蘇ってきた。
 シャーペンの上のキャップをカチカチと連打する。
「姫宮、この答えは?」
 教師に当てられ、立ち上がる。
「a=1、b=−1、c=2です」
「……正解だが、授業に集中するように」
「はい、すみません」
 小さく頭を下げて座る。
 嫌なことを思い出して、勉強に身が入らないなんて。
 背筋を伸ばして、教師の説明に耳を傾ける。
 こんなことのせいで、成績を落としたくない。
 放課後はヘラヘラ笑っていられないくらい、完膚なきほどに実力差を突きつけてやる!
 藤丸のことは頭の中から蹴り出して、彼方へ追いやった。



 放課後になり、新入部員が緊張した面持ちで、横一列に並ぶ。
 その中で藤丸だけが、余裕たっぷりに口角を上げていた。
 視線が絡む。藤丸の顔は、媚を含んだとろけそうな眼差しに変わる。反射的にこめかみがピクピクと震え、口をひん曲げた。
 俺たち二、三年生は、三浦先輩と副キャプテンの東堂(とうどう)先輩の後ろに並んで一年生と向き合う。
 東堂先輩は涼しげな切長の瞳を、一年生へ走らせた。
「十五人もいるな」
 隣に並ぶDF(ディフェンダー)高崎(たかさき)が、俺に顔を寄せて小さな声で話しかけてきた。短く刈り込まれた頭がすぐ近くで揺れ、声は弾んでいる。
「やる気があるやつばかりだといいな」
 素直でやる気があれば、初心者でも大歓迎だ。
 藤丸の足元に目を向ける。使い込まれたスパイクが映った。
 経験者でも、舐めきった態度のやつは論外。
「一人以外、やる気ありそう」
「やる気ないやつはどいつ?」
「あのニヤニヤしてるやつ」
 高崎は藤丸に目を止めて、あー、と声を漏らした。
「やる気がないってより、図太いんじゃない。上級生を前に笑ってるんだもん」
 片眉を跳ね上げ、フン、と鼻息を荒げる。
「全員静かにしろ」
 東堂先輩が声を張り上げると、全員が瞬時に口を閉じる。空気が引き締まった。
「サッカー部に入ってくれて、ありがとう。全員歓迎するよ。俺はGK(ゴールキーパー)の三浦。一応、この部のキャプテンだ。こっちはFWの東堂。副キャプテンをしている。わからないことがあれば、なんでも気軽に聞いてくれ」
 三浦先輩の柔らかな声で、一年生の肩の力が抜けたように見えた。
「順番に自己紹介をしてくれるかな? 緊張しなくても、名前とポジションくらいでいいよ。言いたいことがあれば、付け足してもいいけど」
 一年生は名前とポジション、その後によろしくお願いします、と言うくらいで、自己紹介はテンポよく回る。
 藤丸の番になった。
 俺を見て、片側の口角だけを上げる。嫌な予感しかしない。
「藤丸蓮司、FWです。ヒメ先輩とデートがしたいです。今週の土日は暇ですか? オレとデートしましょう」
 周りからどよめき声が上がり、頭を抱えた。
 最悪だ。
 奥歯を噛み締めて、拳をキツく握る。絶対にぶちのめす。
「あーあ、かわいそ。ヒメの見た目に騙されちゃって」
 高崎が同情の目を藤丸に向けるが、かわいそうなのはどう考えても俺の方だ。
「静かに。そういうことは、練習後に個人的に話せ。自己紹介の続きをするぞ」
 東堂先輩が大きく手を鳴らす。
 静かになると、自己紹介が再開された。
「まずはウォーミングアップがてら、軽く走るぞ。その後、実力を見せて欲しい」
 東堂先輩を先頭に、二列に並ぶ。しんがりは三浦先輩。
 俺の隣には藤丸が立つ。眉間を狭めて睨み上げた。
 藤丸は相変わらず、軽薄そうな笑みを浮かべている。
 スタートすると、ひたすら話しかけてきた。ずっと無視をしているのに、口を閉じない。
「ヒメ先輩はどこに行きたいですか? 映画? 水族館? テーマパーク? それともうちに来ますか? 誰もいないと思うので、遠慮しなくていいですよ」
 頭もベルトも緩そうなやつの家になんて、行くわけないだろう。
 口を引き結んで、走り続けた。