天才令嬢は時戻りを繰り返す~幼馴染の年上伯爵に伝えたいこと~

こちらにやって来るフレッドの表情は少し焦ったように余裕のないもので、クロエが今まで見たことのないものだった。
フレッドは眉間に皺を寄せて、ダニエルを睨むように近寄ってきたかと思うと、クロエの肩をグイと掴んで自分の元に引き寄せた。
同時に、クロエの肩にかかった上着をはぎ取るように乱暴にとると、ダニエルに押し付けた。

「お、お兄様、どうなさったの?」

いつも穏やかな笑みを浮かべているフレッドが、どうしてこのような態度をダニエルに取るのか、その理由が分からず、クロエは困惑しながら尋ねた。
だが、フレッドはクロエの言葉には答えず、ダニエルを睨んだままだ。

「クロエの相手をしてくれて礼を言う。だが、もう結構だ」

そしてクロエの肩を抱いたまま、踵を返した。

「さぁ、クロエ帰ろう」
「えっ!? で、でもダニエル様とお話が」

余りにも強引にクロエを連れ去ろうとするフレッドに、クロエは驚いて声を掛ける。
だが、それには聞く耳をもたずに、フレッドは歩き出してしまった。

「貴殿はフレッド・アルドリッジ伯爵ですか」

背後からダニエルがフレッドを呼び止めた。
ダニエルの声は、先ほどまでクロエと談笑していた時とは打って変わって低いもので、心なしか静かな怒りを孕んだものだった。
その言葉に、フレッドはようやく足を止め、ダニエルを見据えた。
ダニエルは、フレッドの鋭い視線を真っ直ぐに受け止めながら、逆にそれを睨み返す。

「クロエ嬢は、貴殿が恋人を蔑ろにしているせいで令嬢に絡まれていた。貴殿の行動が周囲の誤解を招き、クロエ嬢の立場が悪くなっているのが分からないのですか?」

クロエがブリジットたちに囲まれ、ドレスの色について嘲笑されていたことを示唆しているのだろう。

「クロエ嬢は私が家に送り届ける。貴殿はロザリー・ナグノイア嬢と過ごし、彼女を送るべきだ」
「クロエを助けてくれたことには感謝する。だが、君に俺たちのことをとやかく言われる筋合いはない」

そして、話はここまでだと言うように、フレッドは今度こそクロエを連れて歩き出した。

「さぁ、ここは寒いから帰ろう」
「ちょっと……お兄様! 待ってください。ダニエル様とまだお話しが……」

フレッドはクロエの手を握ると、強引に歩き出した。
クロエは慌てて声をかけるが、フレッドはそれを聞こえないかのように歩き続け、結局クロエはダニエルと別れの挨拶も出来ないまま連れ去られてしまった。




フレッドによってクロエは半ば押し込まれるようにして馬車に乗せられてしまった。
そして、フレッドはそのままクロエの隣に座った。
四人乗りの馬車で何故フレッドがあえて隣に座ったことに加え、フレッドの手はクロエを捕らえたままだ。
それなのにフレッドは無言で窓の外を厳しい顔で見つめていることに、クロエは困惑してしまった。
クロエの角度からはフレッドの表情はよく見えないが、纏う空気から不機嫌なことが察せられた。
何か自分がフレッドを怒らせるようなことをしたのか?
クロエは今日の言動を振り返ったが、思い当たる節はなかった。

(もしかして、会場で何かあったのかしら?)

そう考えた時、ロザリーの顔が思い浮かんだ。
フレッドに連れられて馬車に乗ったが、先ほどダニエルが言っていた通り、恋人のロザリーを屋敷まで送るべきだ。
もしかして、クロエをエスコートした責任を果たすために、ロザリーを置いて来てしまったのだろうか?
そんな考えがクロエの頭をよぎった。
もしそうならば、フレッドにもロザリーに申し訳ない。

「あの、ロザリー様はいいのですか?」
「別に、ロザリーは放っておいても平気だ。そもそも送る義理はない」
「義理は無いって……」

恋人に対してあまりの言いように、クロエは思わず眉を顰めた。

「そういう言い方はロザリー様に失礼じゃない? それに私は一人で帰れましたよ?」

苦言を呈そうとしたクロエに対し、フレッドが突然こちらを振り向いた。

「一人で? あの男に送ってもらうつもりだったんじゃないのか?」
「あの男ってダニエル様?」

唐突に話題が変わり、クロエは驚いた。
だがそれ以上に、フレッドの表情に、静かな怒りの色を感じて、思わず息を呑んだ。

「彼は誰だ? 随分親しそうにしていたが、お前の知り合いか?」
「ええ、あの方はダニエル・リーセル様とおっしゃるの。私と一緒に研究をしてくださっていた研究仲間なんです」
「それで? お前たちはどういう関係だ?」
「どういうって……ですからただの研究仲間ですけど」

フレッドの言わんとしていることが分からず、クロエは困惑しつつ首を傾げた。

「そのただの研究仲間と顔を寄せ合って笑うなんて、ずいぶん親密なんだな。恋人同士だって言ってもいい距離だったじゃないか」
「恋人って。そんなつもりじゃ」

まるでクロエが悪いことをしたかのように非難の色を帯びたフレッドの言葉に、クロエは反論しようとした。
だが、その言葉はクロエの口から発することは無かった。
クロエの顔を覗き込むフレッドの表情があまりにも辛そうで、切なく、苦しそうだったからだ。

(え?)

クロエはフレッドが何故そんな表情を浮かべるのか分からず、驚いて目を瞠った。
すると突然、フレッドがクロエを抱きしめると、耳元で声を絞り出すように囁いた。

「クロエ、お前の隣は俺のものだ」

突然抱きしめられているという事実に、クロエは驚きのあまり頭が真っ白になり、息が止まった。
何と声を掛けていいのか、思考がまとまらない。

「お兄様?」

動揺で声が震えつつ、クロエがフレッドを呼ぶと、更に強く抱きしめられた。

(なんで、抱きしめられているの?)

縋るように強く抱きしめられ、クロエの心臓がドクドクと音を立てた。
その時だった。

「うっ……!」

フレッドが小さく呻いたかと思ったと同時に、激しく咳き込んだ。
ゴホゴホという湿り気を帯びた咳は、明らかに普通ではない。

「お兄様! 大丈夫ですか!?」

クロエは慌ててフレッドから身を離すと、そのまま彼の体を背もたれに預けた。
苦悶の表情を浮かべたフレッドは、咳が止まると大きく息を吐き、呼吸を整えようとした。
だが、呼吸は浅く、顔色も悪い。
クロエはフレッドの首元に触れた。
熱はない。
むしろ低いくらいだ。
脈は少し早かったが、呼吸が落ち着くと共に、通常の脈拍に戻った。
その時、不意にフレッドの首元にうっ血痕があることに気づいた。
それはシャツの立ち襟に隠されているが、確かに首筋に赤紫の小さな跡が残されている。

「もう大丈夫だ。心配しなくてもいいよ」

心配そうに見つめるクロエに対し、フレッドはいつものような穏やかな微笑みを浮かべた。

「ちょっと風邪気味なだけだ」

だが、フレッドの咳は風邪の咳とは違う、肺に異常がある時の咳だ。
それに心臓の部分を押さえているということは、胸に痛みがあるのかもしれない。
しかし、クロエは医療魔術の研究者ではあるが、医者ではない。
そのため、医者のような専門的な知識は乏しく、確実な診断は下せなかった。

「でも、何か病気かもしれない。早く病院に行ったほうがいいわ」
「いや、平気だ。すぐ治るよ」
「でも……」
「ははは、クロエは心配性だな」

尚も言い募るクロエに、フレッドはそう笑った。
その頃には、フレッドの顔色もすっかり戻っていたが、クロエの中には一抹の不安が残った。
心の中がざわざわとして、嫌な感じだ。

「本当に無理なさらないでね。体調不良が続くようだったら、絶対にお医者様の所に行ってくださいね」
「分かったよ」

心配性のクロエの言葉に、フレッドは苦笑した。
その時、馬が一鳴きしたかと思うと、馬車がゆっくりと止まった。
どうやらクロエの屋敷に到着したようだ。

「さぁ、もう着いてしまったね。お休み、ゆっくり休むんだよ」
「今日はありがとうございました。お兄様も、無理なさらないでね」

クロエはそう言って馬車を降りた。
窓から小さく手を振るフレッドを乗せ、馬車は再び走り出す。
クロエは馬車が小さくなるまでその姿を見送った。
暫く馬車が見えなくなると、クロエはその方向を見つめたまま深いため息をついた。
久しぶりに夜会に出たせいか、自分でも知らずに緊張していたようだ。
気が抜けた途端、どっと疲労が押し寄せる。

(疲れたわ……早くお風呂に入って寝ましょう)

そう思ってクロエが屋敷に足を向けようとした時、自分のドレスの裾が視界に入ってきた。
フレッドの瞳の色と同じ、美しいスカイブルーのドレスを見て、不意に夜会のことが思い出された。

(ロザリー様、綺麗な人だったわ)

女性らしい体つきと妖艶さを持つロザリーは、同性のクロエから見ても美しかった。
フレッドとロザリーは、周囲が言うように似合いのカップルだ。
特に二人がダンスを踊る様は、まるで絵画のようでもあり、絵本に出て来る王子様とお姫様という表現がぴったりなほど美しく、そこだけ別世界の様に輝いていた。
そのことを思い出したクロエの胸が、チクリと痛んだ。

(どうしてお兄様はこの色のドレスを贈ってくださったのかしら……)

最初は偽装恋人のために贈られたのだと思ったが、既にロザリーという恋人がいるのであればフレッドを示すような色のドレスを贈る必要はないはずだ。
初めてロザリーがクロエを見た時、不機嫌そうな表情をしたのはそのせいだろう。
当たり前だ。
自分の恋人と同じ色を纏った女性が現れたのだから、気分がいいはずもない。
だが、ドレスをプレゼントしてくれたのはフレッド自身だ。
彼が何を思い、何を意図してドレスを贈ってくれたのか、クロエには分からなかった。

やはりブリジットが言ったように、クロエを憐れんでドレスを贈ってくれたのだろうか?
クロエにとってフレッドは誰よりも傍にいた幼馴染で、天才令嬢などと言われ、奇異な目で見られていたクロエを普通の少女と同じように扱ってくれた大切な存在だ。
だがフレッドにとって、クロエはどんな存在なのだろうか?

(お兄様が考えていることが分からないわ)

クロエは夜空を見上げると、フレッドと出会った日のことを思い出していた。