フレッドとドレスを買いに行ってから2週間が過ぎ、今日はクロエが久しぶりに参加する夜会だ。
この夜会は王太子の誕生日パーティーのため、いつもの夜会と比べても豪華だった。
純白の壁一面に施された金の装飾が、シャンデリアの光を反射して室内を更に明るく、豪奢に見せていた。
優美な音楽が奏でられ、ダンスフロアでは男女がダンスを楽しんでいる。
柔らかなピンクや黄色など、様々な色のドレスが踊りに合わせてふわりと舞っていた。
他にも、着飾った紳士淑女たちがシャンパングラス片手に談笑しており、銘々が夜会を楽しんでいた。
だが、クロエがフレッドにエスコートされてこの華やかな会場に足を踏み入れた瞬間、人々の視線が一気に集まるのをクロエは感じた。
これは決して自意識過剰なわけではない。
その証拠に、クロエたちを見た人々のひそひそと囁き合う声がさざ波のように聞こえてくる。
一つはフレッドを称える声だ。
「フレッド様よ!」
「はぁ、いつ見てもカッコいいわぁ」
「一度お話してみたい! 声を掛けられたい! 思い切って声を掛けてみようかしら」
女性は蕩けるような表情をしてフレッドに熱い視線を向けている。
顔が赤くなっている女性もちらほら見えた。
今日のフレッドは普段は下ろしている前髪を上げているため、いつもよりも更に凛々しく見える。
黒のタキシードは長身のフレッドの体つきをより精悍に見せ、いつも以上に素敵だ。
そしてもう一種類の声はクロエを揶揄する声だ。
「まぁ、またあのモグラと一緒だわ」
「可哀想に。フレッド様はまた無理にエスコートさせられてるのね」
「モグラの分際で、フレッド様と一緒に夜会に来るなんて」
「そうよね。モグラは研究室に籠っていればいいのだわ」
クロエはそんな悪意を含む言葉を聞こえないふりをしていると、クロエの耳元でフレッドが囁いた。
「気にしなくていい。お前は誰よりも綺麗だ。俺の妖精だよ」
慣れたが、やはり陰口を言われることに、傷つかないわけではない。
だけど、ここで暗い顔をしてはフレッドに心配をかけるだけだ。
クロエはそう思って気にしない素振りをして微笑んだ。
「ふふふ。妖精は言い過ぎです。それにもう慣れましたから、お兄様も気になさらないで」
「……もう少し待っていてくれ。きっとお前を守るから」
フレッドはそう言ったが、その言葉の意味が分からずクロエが首を傾げていると、背後から声を掛けられた。
「よう、フレッド。ようやく来たな」
「ジョエルか。久しぶりだな」
にこやかにこちらへやってきたのは黒髪の青年だった。
身長は高く、すらりとした手足に、服の上からも引き締まった体つきであることが分かる。
切れ長の目には黒曜石のような瞳があり、唇の端には微笑みが浮かんでいた。
華やかなフレッドの魅力とはまた別の、凛々しく男性らしい魅力の持ち主だった。
そのジョエルがクロエに目を止めて笑顔を向けた。
「お? もしやこちらのレディがクロエ・ランディット嬢かな? 初めまして。俺はジョエル・ロートシル。会えて嬉しいよ」
「初めまして、クロエ・ランディットです。こちらこそお会いできて嬉しいですわ」
ジョエルは魅惑的な微笑みを浮かべたかと思うと、クロエの手を取って甲を自分の口元に運んだ。
だが、その唇が触れる直前、すっとフレッドの手がそれを阻止した。
「なんだよ。いいだろ、挨拶なんだから」
「駄目だ。というか見るな。減る」
「はぁ? お前どんだけ狭量なんだよ」
「さっさと行け」
「んなこと言うなよ」
このようにずけずけと話すフレッドは珍しい。
クロエは驚きながら二人の掛け合いを聞いていると、その視線に気づいたフレッドが説明した。
「王立学園の同期なんだ」
「そうなのですね。お兄様とご学友の方がお話しているのが、なんだか新鮮です」
クロエが小さく微笑むと、ジョエルがフレッドの肩を組んで、ニカリと笑った。
その様子から、フレッドとジョエルが親しい友人であることが察せられる。
「こいつさー、クロエちゃんに会わせて欲しいって言ってんのに絶対会わせてくれなかったからさ。今日クロエちゃんの顔が見れて嬉しいよ。フレッドが言ってた通り可愛いね」
「え?」
可愛いと言っていた気がするが聞き間違いだろうか。
モグラと呼ばれる自分は決して可愛い部類ではないのは自覚している。
髪は地味なキャラメル色だし、濃い緑色の目ばかりが強調され、加えて不健康な青白い肌。
可愛いとは程遠い容姿なのだ。
だから、ジョエルが言ったのはリップサービスなのだとすぐに分かった。
だがジョエルは、ニヤリと笑いながら言葉を続けた。
「こいつはいっつもクロエちゃんの話ばっかでさ。忙しいはずなのに、クロエちゃんとの茶会の日は、鬼のような形相で仕事を終わらせて帰るんだぜ。いやー、あれは愛の力だね」
「ジョエル、いい加減にしてくれ」
フレッドが強い語調でジョエルの言葉を遮った。
少し顔が赤いのは気のせいだろうか。
「フレッド!」
そんな会話をしている時、突然フレッドの名を呼ぶ女性の声がして、クロエたちはそちらを振り返った。
女性の姿を認めたジョエルは、先ほどの笑顔から一転して、苦虫を噛み潰したような表情となった。
心なしか、フレッドも顔を顰めた気もする。
「おっと、ロザリー・ナグノイアか。俺アイツ苦手だし、もう行くわ。じゃあね、クロエちゃん」
そう言ってジョエルと入れ替わりにやってきたのは一人の女性だった。
華やかな銀色の巻き毛の女性は、金色の瞳を煌めかせてフレッドを見ている。
大きな目はくっきりとしていて、意思が強そうだが、凛とした佇まいは月の女神のようにも思えた。
その美しい容姿に驚いたが、クロエが驚いたのはその容姿だけではなかった。
ロザリーが身に着けているドレスと装飾品はクロエのドレスの配色——つまりフレッドの髪と瞳の色と同じものだったのだ。
明るい空を彷彿とさせるスカイブルーのドレスに、ブルーダイアモンドがあしらわれたイヤリングがその耳元を飾っている。
胸元のネックレスは、金でできた糸を束ねたもので、繊細で上品な印象を与えるものだった。
そんなロザリーの姿を見て、クロエは動揺してしまった。
「フレッド、来ていたのなら声を掛けてちょうだい。貴方をずっと待っていたのよ」
「……ロザリー、すまない。ジョエルと話をしていた」
ロザリーと呼ばれた女性は、フレッドに蕩けるような笑みを見せたあと、不意にフレッドの傍に立つクロエに目を留めた。
そして、眉間に皺を寄せ、怪訝な表情を浮かべた。
クロエに対して、明らかに不愉快だという感情が現れているように思えた。
「この人は、どなた?」
「あぁ、紹介がまだったか。彼女がクロエだよ。クロエ、ロザリー・ナグノイア侯爵令嬢だ」
「嫌だわ、フレッド。そんな畏まった呼び方をしないで、いつもみたいにロザリーって呼んでちょうだい」
そう言ってロザリーは甘えるように、フレッドに腕を絡めた。
ロザリーが当たり前のようにフレッドに腕を絡ませ寄り添うことに、フレッドは特に何も言わない。
つまり、二人にとってこの行為は、日常的に行っていることを示唆していた。
フレッドにそのような女性がいることを知らなかったクロエは、内心の動揺を抑えつつ、笑顔を作ってロザリーに挨拶をした。
「初めまして、ロザリー様。クロエ・ランディットと申します」
そう言ってクロエは控えめにお辞儀をし、微笑んで答えたのだが、ロザリーはクロエに対して憮然とした表情を向けた。
そしてクロエのことを上から下まで舐めるように見た後、赤く妖艶な唇に微笑みを浮かべて言った。
「ふーん、あなたがフレッドが『妹のように思っている』と言っていた幼馴染、ねぇ」
言葉だけ聞くと、至って普通の会話だとは思うが、ロザリーの言葉に棘があるように感じたのは、クロエの気のせいだろうか。
ロザリーは、まるで品定めをするようにクロエを数秒ほど見つめたが、途端に興味を失ったようにフレッドに向き直った。
「じゃあ、もうジョエルはいないのだし、もちろんダンスを踊ってくれるわよね」
無言でいるフレッドに対し、ロザリーは手を差し出す。
ファーストダンスは近しい人間、例えば恋人や婚約者と踊ることが多い。
つまりロザリーはフレッドにとって特別な存在だということになる。
フレッドがチラリとこちらを見てきたが、クロエに止める権利はない。
「私の事は気にしないで」
クロエの言葉にフレッドは戸惑いの表情を浮かべたが、ロザリーの美しい白磁のような手をゆっくり取ると、ダンスの輪へと入って行った。
二人のダンスは美しかった。
ロザリーがターンをすれば、フレッドの瞳と同じスカイブルーのドレスが、花開くように揺れた。
二人は親密そうに顔を寄せ、お互い見つめ合って踊っている。
その様子は、美しく輝いていて、その場だけが違う世界のように見えた。
二人を見ていた参加者もほうとため息をついており、吐息と共に二人を賞賛する声が耳に入ってきた。
「やっぱり美男美女は絵になるわ」
「お二人って恋人らしいわよ。私、二人がデートしているところを見たわ。そろそろ婚約という話も出ているみたい」
「そうそう。フレッド様はナグノイア侯爵邸に足しげく通ってらっしゃるとか」
「悔しいけどお似合いよね」
確かに二人は似合いだった。
天高い秋の空を思わせる青の瞳に、輝くばかりの金髪を持つフレッドは太陽の化身のようで、対して銀髪に金の瞳を持つロザリーはまるで月の女神。
まさに昼と夜を体現した似合いのカップルだった。
だが、その会話を聞いて、クロエの胸がなぜかざわりとした。
初めての感覚に落ち着かなくなる。
何だろう。
この胸に広がる痛みを伴った不快感は。
理由は分からないが、酷く落ち込んでしまう。
(なんだ、お兄様、恋人がいらっしゃったんじゃないの。言ってくれれば良かったのに)
これでも10年の付き合いだ。
幼馴染として恋人ができたことを報告してくれればよいものを、隠すなんて水臭い。
たぶんそう思うから、胸がもやもやして気持ちが沈んでしまうのだろう。
何とも言えない気持ちを抱えながら、クロエが2人を見ていると、ダンスが終わったフレッドたちは、そのままロザリーの父親であるナグノイア侯爵に会いに行ってしまった。
それを見たクロエはなんとなく視線を床へと向けた。
するとその視界に影が落ちた。
顔を上げると、3人の令嬢がクロエの前に立っていた。
一人は見覚えのある顔だ。
名前はブリジット・ザイナックと言い、子供の頃から何度か茶会で会ったことのある伯爵令嬢だった。
色白ではあるが鼻にそばかすがあり、髪はオレンジ色の癖毛。
茶色の目はつり気味で、少し意地の悪い印象を与える女性だった。
後ろにいる2人も、話したことはないが、夜会で顔を見たことがある。
「あらぁ、天才魔術科学者様がこんなところでお一人ですの? どなたからも相手にされないでお可哀想ねぇ」
「それは仕方ないと思いますわ、ブリジット様。殿方は小賢しい女など嫌がるものですから。頭が良すぎるのも考えものですわね」
「そうそう、相手にされないなんて当然ですわよね」
ブリジット達はそう言って大仰に眉を顰めて言った。
こんな風に絡まれることはクロエにとってしょっちゅうの事だ。
人は自分たちのコミュニティとは異なる者を〝異質〟と認知し、排除したがる生き物だ。
だから普通ではない頭脳を持つクロエは、彼女たちにとって排除したい対象なのだろう。
(だから夜会は嫌なのよ……)
クロエは内心でそう思いつつ、なるべく努めて平静を装い、ブリジットたちに尋ねた。
「何かご用でしょうか?」
「貴方さっき、フレッド様にエスコートされてたわよね」
「ええ、そうですが」
「まさか勘違いしていないでしょうね?」
ブリジットの言葉の意味が分からず、クロエは首を傾げてしまう。
「勘違い、ですか?」
「ええ、自分がフレッド様の恋人だと思ってないかってことよ」
「そんなことは……ありませんが」
フレッドにとってはクロエは幼馴染であり、妹のような存在であり、女避けのためのパートナーだ。
それはクロエも重々承知しているし、クロエ自身もフレッドを恋人だとは思ったことはない。
困惑するクロエに対し、ブリジットは吊り目を細めて鋭く言った。
「じゃあなんでそんな色を着てるの?」
「え?」
そんな色、というのがクロエの着ている青いドレスの事を意味していることに、一拍置いて気づいた。
すぐには反応できなかったクロエに、ブリジットは嘲笑を浮かべた。
「それってフレッド様を意識したお色よね? エスコートしてもらってそんな色のドレスを着て、恋人だと勘違いしてるだなんて、恥ずかしくないの? 本当の恋人であるロザリー様に対抗しているおつもり?」
「あなたなんてロザリー様の足元にも及ばないわ」
「ほら見なさい、二人は恋人同士なの。見て分からないの?」
ブリジットの後ろにいる二人の令嬢も、ブリジットと同様に嘲笑を浮かべると、クイと顎でフロアの方を示した。
その先には、二人で談笑しているフレッドとロザリーの姿があった。
「貴方がフレッド様の色を身に着けるなんて分不相応よ。身の程をわきまえなさいよ」
「でも、エスコートはお兄様がすると仰って。それにこのドレスだってお兄様がプレゼントしてくださったもので、私はそんなつもりじゃ……」
クロエは弁明するが、ブリジットは聞き入れる様子はなかった。
逆に深いため息をつくと、首を傾けてクロエを斜めに見下ろした。
「はぁ、貴方なにも分かってないわね。フレッド様はお優しいから、誰からも相手にされない貴方を憐れんでくれているのよ。それなのに優しさに付け込んで、恋人みたいに振舞うなんて図々しい」
「まぁ、フレッド様にはロザリー様という立派な恋人がいるのだから、自分が恋人だと勘違いしてるなんて滑稽よね」
「本当だわ」
そう言って3人はクスクスと侮蔑を孕んだ笑みをこぼした。
フレッドがドレスを贈ってくれるのは、普段自分の身に構わないクロエを気遣ってのことだとクロエ自身分かっていた。
それがフレッドの憐れみの気持ちなのだと言われれば、完全に否定できない。
だから、クロエは言い返すことができず、そのまま固く手を握るしかできなかった。
その時、低い落ち着きのあるバリトンボイスがクロエの名を呼んだ。
「クロエ・ランディット嬢、こんなところにいたのか。探したよ」
振り向くとダークブラウンの髪を後ろに流した青年が立っていた。
以前、共同研究した研究員の一人であるダニエル・リーセルだった。
年は20歳とクロエよりも上だが、年若い女性であるクロエに対しても、一人の研究者として扱ってくれる男性だ。
ダニエルはアーモンド形の美しい形の目で真っすぐにクロエを見つめながら近づいてきた。
かと思うと、そのまま流れるようにクロエの手を取った。
「申し訳ない。僕が君の傍を離れたばかりに」
「え?」
まるで自分がクロエのパートナーであるかのようなダニエルの言葉に、クロエは驚いてしまった。
3人の令嬢もダニエルの登場に驚きの表情を浮かべている。
そんな3人には目もくれず、ダニエルはクロエしか視界に入っていないかのように柔らかく微笑んだ。
「さぁ、行こう。ダンスが始まってしまっている」
ダニエルはそう言いながらクロエの腰を引き寄せると、そのままダンスフロアの方に向かった。
背後から令嬢たちの憎々しげな視線を感じつつ、クロエはダニエルにリードされてその場を離れた。
この夜会は王太子の誕生日パーティーのため、いつもの夜会と比べても豪華だった。
純白の壁一面に施された金の装飾が、シャンデリアの光を反射して室内を更に明るく、豪奢に見せていた。
優美な音楽が奏でられ、ダンスフロアでは男女がダンスを楽しんでいる。
柔らかなピンクや黄色など、様々な色のドレスが踊りに合わせてふわりと舞っていた。
他にも、着飾った紳士淑女たちがシャンパングラス片手に談笑しており、銘々が夜会を楽しんでいた。
だが、クロエがフレッドにエスコートされてこの華やかな会場に足を踏み入れた瞬間、人々の視線が一気に集まるのをクロエは感じた。
これは決して自意識過剰なわけではない。
その証拠に、クロエたちを見た人々のひそひそと囁き合う声がさざ波のように聞こえてくる。
一つはフレッドを称える声だ。
「フレッド様よ!」
「はぁ、いつ見てもカッコいいわぁ」
「一度お話してみたい! 声を掛けられたい! 思い切って声を掛けてみようかしら」
女性は蕩けるような表情をしてフレッドに熱い視線を向けている。
顔が赤くなっている女性もちらほら見えた。
今日のフレッドは普段は下ろしている前髪を上げているため、いつもよりも更に凛々しく見える。
黒のタキシードは長身のフレッドの体つきをより精悍に見せ、いつも以上に素敵だ。
そしてもう一種類の声はクロエを揶揄する声だ。
「まぁ、またあのモグラと一緒だわ」
「可哀想に。フレッド様はまた無理にエスコートさせられてるのね」
「モグラの分際で、フレッド様と一緒に夜会に来るなんて」
「そうよね。モグラは研究室に籠っていればいいのだわ」
クロエはそんな悪意を含む言葉を聞こえないふりをしていると、クロエの耳元でフレッドが囁いた。
「気にしなくていい。お前は誰よりも綺麗だ。俺の妖精だよ」
慣れたが、やはり陰口を言われることに、傷つかないわけではない。
だけど、ここで暗い顔をしてはフレッドに心配をかけるだけだ。
クロエはそう思って気にしない素振りをして微笑んだ。
「ふふふ。妖精は言い過ぎです。それにもう慣れましたから、お兄様も気になさらないで」
「……もう少し待っていてくれ。きっとお前を守るから」
フレッドはそう言ったが、その言葉の意味が分からずクロエが首を傾げていると、背後から声を掛けられた。
「よう、フレッド。ようやく来たな」
「ジョエルか。久しぶりだな」
にこやかにこちらへやってきたのは黒髪の青年だった。
身長は高く、すらりとした手足に、服の上からも引き締まった体つきであることが分かる。
切れ長の目には黒曜石のような瞳があり、唇の端には微笑みが浮かんでいた。
華やかなフレッドの魅力とはまた別の、凛々しく男性らしい魅力の持ち主だった。
そのジョエルがクロエに目を止めて笑顔を向けた。
「お? もしやこちらのレディがクロエ・ランディット嬢かな? 初めまして。俺はジョエル・ロートシル。会えて嬉しいよ」
「初めまして、クロエ・ランディットです。こちらこそお会いできて嬉しいですわ」
ジョエルは魅惑的な微笑みを浮かべたかと思うと、クロエの手を取って甲を自分の口元に運んだ。
だが、その唇が触れる直前、すっとフレッドの手がそれを阻止した。
「なんだよ。いいだろ、挨拶なんだから」
「駄目だ。というか見るな。減る」
「はぁ? お前どんだけ狭量なんだよ」
「さっさと行け」
「んなこと言うなよ」
このようにずけずけと話すフレッドは珍しい。
クロエは驚きながら二人の掛け合いを聞いていると、その視線に気づいたフレッドが説明した。
「王立学園の同期なんだ」
「そうなのですね。お兄様とご学友の方がお話しているのが、なんだか新鮮です」
クロエが小さく微笑むと、ジョエルがフレッドの肩を組んで、ニカリと笑った。
その様子から、フレッドとジョエルが親しい友人であることが察せられる。
「こいつさー、クロエちゃんに会わせて欲しいって言ってんのに絶対会わせてくれなかったからさ。今日クロエちゃんの顔が見れて嬉しいよ。フレッドが言ってた通り可愛いね」
「え?」
可愛いと言っていた気がするが聞き間違いだろうか。
モグラと呼ばれる自分は決して可愛い部類ではないのは自覚している。
髪は地味なキャラメル色だし、濃い緑色の目ばかりが強調され、加えて不健康な青白い肌。
可愛いとは程遠い容姿なのだ。
だから、ジョエルが言ったのはリップサービスなのだとすぐに分かった。
だがジョエルは、ニヤリと笑いながら言葉を続けた。
「こいつはいっつもクロエちゃんの話ばっかでさ。忙しいはずなのに、クロエちゃんとの茶会の日は、鬼のような形相で仕事を終わらせて帰るんだぜ。いやー、あれは愛の力だね」
「ジョエル、いい加減にしてくれ」
フレッドが強い語調でジョエルの言葉を遮った。
少し顔が赤いのは気のせいだろうか。
「フレッド!」
そんな会話をしている時、突然フレッドの名を呼ぶ女性の声がして、クロエたちはそちらを振り返った。
女性の姿を認めたジョエルは、先ほどの笑顔から一転して、苦虫を噛み潰したような表情となった。
心なしか、フレッドも顔を顰めた気もする。
「おっと、ロザリー・ナグノイアか。俺アイツ苦手だし、もう行くわ。じゃあね、クロエちゃん」
そう言ってジョエルと入れ替わりにやってきたのは一人の女性だった。
華やかな銀色の巻き毛の女性は、金色の瞳を煌めかせてフレッドを見ている。
大きな目はくっきりとしていて、意思が強そうだが、凛とした佇まいは月の女神のようにも思えた。
その美しい容姿に驚いたが、クロエが驚いたのはその容姿だけではなかった。
ロザリーが身に着けているドレスと装飾品はクロエのドレスの配色——つまりフレッドの髪と瞳の色と同じものだったのだ。
明るい空を彷彿とさせるスカイブルーのドレスに、ブルーダイアモンドがあしらわれたイヤリングがその耳元を飾っている。
胸元のネックレスは、金でできた糸を束ねたもので、繊細で上品な印象を与えるものだった。
そんなロザリーの姿を見て、クロエは動揺してしまった。
「フレッド、来ていたのなら声を掛けてちょうだい。貴方をずっと待っていたのよ」
「……ロザリー、すまない。ジョエルと話をしていた」
ロザリーと呼ばれた女性は、フレッドに蕩けるような笑みを見せたあと、不意にフレッドの傍に立つクロエに目を留めた。
そして、眉間に皺を寄せ、怪訝な表情を浮かべた。
クロエに対して、明らかに不愉快だという感情が現れているように思えた。
「この人は、どなた?」
「あぁ、紹介がまだったか。彼女がクロエだよ。クロエ、ロザリー・ナグノイア侯爵令嬢だ」
「嫌だわ、フレッド。そんな畏まった呼び方をしないで、いつもみたいにロザリーって呼んでちょうだい」
そう言ってロザリーは甘えるように、フレッドに腕を絡めた。
ロザリーが当たり前のようにフレッドに腕を絡ませ寄り添うことに、フレッドは特に何も言わない。
つまり、二人にとってこの行為は、日常的に行っていることを示唆していた。
フレッドにそのような女性がいることを知らなかったクロエは、内心の動揺を抑えつつ、笑顔を作ってロザリーに挨拶をした。
「初めまして、ロザリー様。クロエ・ランディットと申します」
そう言ってクロエは控えめにお辞儀をし、微笑んで答えたのだが、ロザリーはクロエに対して憮然とした表情を向けた。
そしてクロエのことを上から下まで舐めるように見た後、赤く妖艶な唇に微笑みを浮かべて言った。
「ふーん、あなたがフレッドが『妹のように思っている』と言っていた幼馴染、ねぇ」
言葉だけ聞くと、至って普通の会話だとは思うが、ロザリーの言葉に棘があるように感じたのは、クロエの気のせいだろうか。
ロザリーは、まるで品定めをするようにクロエを数秒ほど見つめたが、途端に興味を失ったようにフレッドに向き直った。
「じゃあ、もうジョエルはいないのだし、もちろんダンスを踊ってくれるわよね」
無言でいるフレッドに対し、ロザリーは手を差し出す。
ファーストダンスは近しい人間、例えば恋人や婚約者と踊ることが多い。
つまりロザリーはフレッドにとって特別な存在だということになる。
フレッドがチラリとこちらを見てきたが、クロエに止める権利はない。
「私の事は気にしないで」
クロエの言葉にフレッドは戸惑いの表情を浮かべたが、ロザリーの美しい白磁のような手をゆっくり取ると、ダンスの輪へと入って行った。
二人のダンスは美しかった。
ロザリーがターンをすれば、フレッドの瞳と同じスカイブルーのドレスが、花開くように揺れた。
二人は親密そうに顔を寄せ、お互い見つめ合って踊っている。
その様子は、美しく輝いていて、その場だけが違う世界のように見えた。
二人を見ていた参加者もほうとため息をついており、吐息と共に二人を賞賛する声が耳に入ってきた。
「やっぱり美男美女は絵になるわ」
「お二人って恋人らしいわよ。私、二人がデートしているところを見たわ。そろそろ婚約という話も出ているみたい」
「そうそう。フレッド様はナグノイア侯爵邸に足しげく通ってらっしゃるとか」
「悔しいけどお似合いよね」
確かに二人は似合いだった。
天高い秋の空を思わせる青の瞳に、輝くばかりの金髪を持つフレッドは太陽の化身のようで、対して銀髪に金の瞳を持つロザリーはまるで月の女神。
まさに昼と夜を体現した似合いのカップルだった。
だが、その会話を聞いて、クロエの胸がなぜかざわりとした。
初めての感覚に落ち着かなくなる。
何だろう。
この胸に広がる痛みを伴った不快感は。
理由は分からないが、酷く落ち込んでしまう。
(なんだ、お兄様、恋人がいらっしゃったんじゃないの。言ってくれれば良かったのに)
これでも10年の付き合いだ。
幼馴染として恋人ができたことを報告してくれればよいものを、隠すなんて水臭い。
たぶんそう思うから、胸がもやもやして気持ちが沈んでしまうのだろう。
何とも言えない気持ちを抱えながら、クロエが2人を見ていると、ダンスが終わったフレッドたちは、そのままロザリーの父親であるナグノイア侯爵に会いに行ってしまった。
それを見たクロエはなんとなく視線を床へと向けた。
するとその視界に影が落ちた。
顔を上げると、3人の令嬢がクロエの前に立っていた。
一人は見覚えのある顔だ。
名前はブリジット・ザイナックと言い、子供の頃から何度か茶会で会ったことのある伯爵令嬢だった。
色白ではあるが鼻にそばかすがあり、髪はオレンジ色の癖毛。
茶色の目はつり気味で、少し意地の悪い印象を与える女性だった。
後ろにいる2人も、話したことはないが、夜会で顔を見たことがある。
「あらぁ、天才魔術科学者様がこんなところでお一人ですの? どなたからも相手にされないでお可哀想ねぇ」
「それは仕方ないと思いますわ、ブリジット様。殿方は小賢しい女など嫌がるものですから。頭が良すぎるのも考えものですわね」
「そうそう、相手にされないなんて当然ですわよね」
ブリジット達はそう言って大仰に眉を顰めて言った。
こんな風に絡まれることはクロエにとってしょっちゅうの事だ。
人は自分たちのコミュニティとは異なる者を〝異質〟と認知し、排除したがる生き物だ。
だから普通ではない頭脳を持つクロエは、彼女たちにとって排除したい対象なのだろう。
(だから夜会は嫌なのよ……)
クロエは内心でそう思いつつ、なるべく努めて平静を装い、ブリジットたちに尋ねた。
「何かご用でしょうか?」
「貴方さっき、フレッド様にエスコートされてたわよね」
「ええ、そうですが」
「まさか勘違いしていないでしょうね?」
ブリジットの言葉の意味が分からず、クロエは首を傾げてしまう。
「勘違い、ですか?」
「ええ、自分がフレッド様の恋人だと思ってないかってことよ」
「そんなことは……ありませんが」
フレッドにとってはクロエは幼馴染であり、妹のような存在であり、女避けのためのパートナーだ。
それはクロエも重々承知しているし、クロエ自身もフレッドを恋人だとは思ったことはない。
困惑するクロエに対し、ブリジットは吊り目を細めて鋭く言った。
「じゃあなんでそんな色を着てるの?」
「え?」
そんな色、というのがクロエの着ている青いドレスの事を意味していることに、一拍置いて気づいた。
すぐには反応できなかったクロエに、ブリジットは嘲笑を浮かべた。
「それってフレッド様を意識したお色よね? エスコートしてもらってそんな色のドレスを着て、恋人だと勘違いしてるだなんて、恥ずかしくないの? 本当の恋人であるロザリー様に対抗しているおつもり?」
「あなたなんてロザリー様の足元にも及ばないわ」
「ほら見なさい、二人は恋人同士なの。見て分からないの?」
ブリジットの後ろにいる二人の令嬢も、ブリジットと同様に嘲笑を浮かべると、クイと顎でフロアの方を示した。
その先には、二人で談笑しているフレッドとロザリーの姿があった。
「貴方がフレッド様の色を身に着けるなんて分不相応よ。身の程をわきまえなさいよ」
「でも、エスコートはお兄様がすると仰って。それにこのドレスだってお兄様がプレゼントしてくださったもので、私はそんなつもりじゃ……」
クロエは弁明するが、ブリジットは聞き入れる様子はなかった。
逆に深いため息をつくと、首を傾けてクロエを斜めに見下ろした。
「はぁ、貴方なにも分かってないわね。フレッド様はお優しいから、誰からも相手にされない貴方を憐れんでくれているのよ。それなのに優しさに付け込んで、恋人みたいに振舞うなんて図々しい」
「まぁ、フレッド様にはロザリー様という立派な恋人がいるのだから、自分が恋人だと勘違いしてるなんて滑稽よね」
「本当だわ」
そう言って3人はクスクスと侮蔑を孕んだ笑みをこぼした。
フレッドがドレスを贈ってくれるのは、普段自分の身に構わないクロエを気遣ってのことだとクロエ自身分かっていた。
それがフレッドの憐れみの気持ちなのだと言われれば、完全に否定できない。
だから、クロエは言い返すことができず、そのまま固く手を握るしかできなかった。
その時、低い落ち着きのあるバリトンボイスがクロエの名を呼んだ。
「クロエ・ランディット嬢、こんなところにいたのか。探したよ」
振り向くとダークブラウンの髪を後ろに流した青年が立っていた。
以前、共同研究した研究員の一人であるダニエル・リーセルだった。
年は20歳とクロエよりも上だが、年若い女性であるクロエに対しても、一人の研究者として扱ってくれる男性だ。
ダニエルはアーモンド形の美しい形の目で真っすぐにクロエを見つめながら近づいてきた。
かと思うと、そのまま流れるようにクロエの手を取った。
「申し訳ない。僕が君の傍を離れたばかりに」
「え?」
まるで自分がクロエのパートナーであるかのようなダニエルの言葉に、クロエは驚いてしまった。
3人の令嬢もダニエルの登場に驚きの表情を浮かべている。
そんな3人には目もくれず、ダニエルはクロエしか視界に入っていないかのように柔らかく微笑んだ。
「さぁ、行こう。ダンスが始まってしまっている」
ダニエルはそう言いながらクロエの腰を引き寄せると、そのままダンスフロアの方に向かった。
背後から令嬢たちの憎々しげな視線を感じつつ、クロエはダニエルにリードされてその場を離れた。


