天才令嬢は時戻りを繰り返す~幼馴染の年上伯爵に伝えたいこと~

その日、フレッドは神妙な顔で病室に入ってきたクロエを見て、怪訝な表情で首を傾げた。

「どうしたんだい、そんな怖い顔をして」

いつもはにこやかに迎えるフレッドだったが、クロエの様子にただならぬものを感じたのだろう。
戸惑いを隠せないようだった。

「お兄様、大事なお話があります。聞いてくださいますか」
「なんだい?」

クロエはそう前置きすると、一呼吸置いてから口を開いた。
これまでの実験でクレープス病の根治させる技術まであと一歩のところまで来ていること。
だが、予想以上にフレッドの変異細胞の増殖が速く、このままでは治療薬の開発が成功するまで、フレッドの命が持たないこと。
それらのことをクロエは説明した。
フレッドはそれを黙って聞いている。

「もし、治療薬の完成までお兄様の病気が進行しなければ問題ありませんが、現状開発まで少し時間がかかるのです」
「……そうか」

力なく呟いたフレッドの手をクロエは握ると、スカイブルーの瞳を真っ直ぐに見つめた。

「ですが、一つ提案があるんです。それは確実性には欠けるもので、賭けに近いことかもしれません。聞いてくださいますか?」
「ああ、もちろんだよ」
「今、ラルドビア国と共同でコールドスリープという魔術の開発を進めています」
「コールドスリープ?」
「はい。生き物を瞬間的に凍らせ、再び凍結時と同じ状態で蘇らせる技術です。その技術を使ってコールドスリープでお兄様の時を止め、その間に治療薬を開発します」

そこまで言ったクロエは一旦言葉を区切った。
この提案はあまりにもリスクが高い上、確実性に欠ける。
そんな魔術をフレッドに施していいのか、クロエは今も迷っている。
それにこの提案はフレッドの不安を煽る形になってしまっているかもしれない。
そう思うと、もう一歩の言葉が出なくなってしまった。
逡巡するクロエを見たフレッドは、その気持ちを察したのだろう。
クロエに優しく言葉の先を促した。

「俺は大丈夫だ。話を続けて」

「ただ、いくつか問題点があります。一つは人体を丸ごと凍らせてコールドスリープさせるのは前代未聞で、初の試みになります。だから成功するか確実性に欠けるのです。様々な生き物で何度も治験を繰り返しましたし、部分的ではありますが私の腕でも実験して問題ないことを確認しています。でも100%成功する保証はないんです。二つ目はコールドスリープには5年という時間制限があります。5年後、上手く目覚めることができても、治療薬が完成しているか……断言できません」

そこまで一気に話したクロエは、フレッドの言葉を待った。
どんな反応が返ってくるか。
不安と緊張で体を固くしていると、フレッドは柔らかく微笑んだ。

「クロエの提案を受けるよ」
「で、でも、この方法は賭けかもしれませんよ」
「コールドスリープの開発は、クロエが協力したのだろう?」
「はい」
「なら、失敗する確率は0だよ」
「それに、5年後に治療薬を開発できるか分からないのですよ?」
「大丈夫、クロエなら開発できるよ」

無条件に信頼してもらえた喜びよりも動揺の方が勝った。
思わず念押しをしてしまう。

「本当に、よろしいんですか?」
「ははは、お前が提案したのに、なんでそんなに驚いているんだい?」

フレッドは可笑しそうに笑った。
だが次の瞬間、クロエを真っ直ぐに見つめた。

「たとえ失敗しても、可能性があるなら俺は賭けたいと思っている。それに俺は、クロエを信じているから。絶対に大丈夫だと信じているよ」
「お兄様……」
「ただ、そうだな。一つだけ約束して欲しいんだ」

何を約束させられるのか?
病気を治すこと? それともコールドスリープを成功させること?
何を言われるのか予想がつかずクロエは首を傾げた。

「なんでしょうか?」
「クロエ、結婚してくれないか?」
「え?」

突然の言葉にクロエは我が耳を疑い、思わず聞き返していた。

「結婚……ですか?」
「あぁ。お前の夢だったラルドビアの留学も叶えた。クロエは自分の夢を叶えた男となら結婚してもいいんだろう? だから、結婚して欲しい」

クロエの答えなど決まり切っている。
だから「もちろん」だと答えようとした。
しかし、口を開こうとしたクロエの唇に、フレッドはそっと触れて言葉を封じた。

「ただ、答えは俺がコールドスリープから目覚めて、病気が治ったら聞かせてほしい」

クロエを信じてくれたことも嬉しいし、プロポーズも嬉しい。
色んな感情が頭の中を駆け巡り、胸がいっぱいになった。
上手く言語化できず、クロエは涙を浮かべて何度も何度も頷いた。
そしてフレッドの瞳を真っ直ぐに見つめ、力強く答えた。

「分かりました。その時は、絶対にプロポーズの答えを伝えますね」
「あぁ。いい返事を楽しみに待ってるよ」

柔らかく微笑んだフレッドは、愛し気な眼差しでクロエを見つめるとそっと顔を傾けた。
キスをされる。
自然と目を閉じたクロエの唇にフレッドの熱がじんわりと伝わってくる。
まるで誓いのキスのようだとクロエは思った。

(この熱を、ずっと忘れないわ)

クロエはそう思いながら、フレッドの存在を刻むように長いキスを交わした。




フレッドと最後にキスを交わしてから5年の月日が流れた。
クロエは目の前に横たわるフレッドの顔をそっと撫でた。
凍った頬から伝わる体温はひんやりとして冷たい。

(長かったわ……)

フレッドの時はあの日からずっと止まったままだ。
もう二度とフレッドのスカイブルーの瞳がクロエを映してはくれないかもしれない。
そんな恐怖と戦いながら、ここまで来たのだ。
あの日から季節は移ろい、既に5年が経っている。
クロエももう22歳になっていた。

「ふふふ、お兄様は今の私を見たらどう思うかしら?」

17歳で婚約者を作り20歳までに友人たちは皆結婚し、今では子供のいる友人たちも多い。
だから、22歳といえばもう行き遅れの年齢だ。

(お兄様がお嫁にもらって下さらなかったら、もう結婚は無理ね)

クロエはフレッドを見つめながらそう思って苦笑した。
だがその前にフレッドを目覚めさせ、病気を治すことが先決だ。

「さぁ、始めようか」

コールドスリープを解除するため、ダニエルが声をかける。

(お兄様を絶対に助けるわ。そして、あの答えを今度こそ伝えるわ)

ゆっくりと握っていたフレッドの手を離す。
名残惜しいが、次に触れる時には温かな温もりを返してくれることを祈って、クロエは頷いてダニエルに答えた。

「はい」

そうして目を閉じたクロエはこれまでの知識と研究とを積み重ねて開発した魔術展開を始めた。
クロエが魔法陣に力を込めると、フレッドの周りを囲む魔石が青白い光を帯びる。
光の粒子はそのままフレッドの体を覆いつくしていく。
同時に、フレッドの胸が上下に動き始めた。
コールドスリープが解けた証拠だ。
それを見たクロエはすぐさま、開発したクレープス病の特効薬を口元に流し込んだ。

「魔術・展開」

クロエがそう言うと、寝台の下に赤色の光が複雑な魔法陣を描く。
光が天井の一か所に集中すると、一気にフレッドの胸に突き刺さった。
光を帯びた赤い粒子がフレッドの中に吸い込まれると、そこを起点とするように、フレッドの体内に広がり、瞬く間に体を覆っていた痣を消し去っていく。
ものの数秒でフレッドの体を蝕んでいた痣は消え去り、元の肌色に戻った。
予想通りの反応。
ここまでは成功している。

(あとはお兄様が目覚めるのを待つだけだわ)

クロエもダニエルも、フレッドの反応を待った。
しかし、フレッドの瞼は上がることなく、眠ったままだ。
1分、2分……時間は経過していく。

「どうして? どうして目覚めないの?」

クロエの胸にジリっとした焦りが生まれた。
もう目覚めてもいい時間だ。
それでもフレッドの反応はない。
急いで手首で脈を取ると一定のリズムで脈が動いている。
口元に耳を寄せると、呼吸もしていた。

(理論は完璧だったはずだわ。痣も消えているし、呼吸も安定している)

ただ顔色は青白いままで、生気がまるで感じられない。
瞬間、クロエの脳裏に5回目の時戻りの記憶が蘇る。
あの時見た光景と、今の光景は酷似していた。
またフレッドを失うかもしれない。
恐怖で胸が締め付けられ、背中に冷たい汗が流れた。

「失敗だ」

静かに告げるダニエルの言葉が、クロエには死刑宣告のようにも聞こえた。

「いいえ! まだよ! ちゃんとコールドスリープは解けているし、クレープス病だって完治している。ダニエル様だって分かるでしょう!?」

ダニエルの言葉を否定したくて、クロエは思わず声を荒げた。
だがそれは同時にクロエ自身にも言い聞かせる言葉でもあった。

「落ち着いてくれ、クロエ嬢。君もこの事態は想定しただろう? 脳に障害が残ったんだ。数時間後には呼吸が止まるはずだ」

そう、この状態はクロエも想定していた事態だった。
コールドスリープが解けたとしても、一部の身体的機能が動かない可能性があった。
際たるものは、凍傷だ。
皮膚の一部が凍ったままで、そこから壊死してしまう可能性。

そしてもう一つは脳の損傷だった。
長時間凍らせたことで、脳死状態に陥る可能性だった。
こうなってしまっては、回復することなく数時間後に死亡する。

分かっていた。
分かってはいたがそれでも信じられない。
信じることを気持ちが拒否する。
フレッドの体に涙を浮かべて縋るクロエを見るに堪えないといようようにダニエルは目を背け、小さく声を掛けた。

「何かあったら呼んでくれ」

そうしてダニエルは静かに病室を出て行き、病室にはクロエとフレッドだけが残された。
クロエは祈るようにフレッドの手を握ると、声を震わせながら語り掛けた。

「お兄様、貴方を失ったら、私も生きていけないわ」

クロエはこれまで全ての時間をフレッドを助けるために費やした。
そう、クロエの人生はフレッドと共に歩むためだけにあるのだ。
フレッドのいない世界なら生きている意味はない。

(お願い、あの時の返事をさせて)

コールドスリープを提案した時、フレッドはクロエにプロポーズをしてくれた。
だがクロエの返事はフレッドがコールドスリープから目覚め、病気が治ってから伝えるという約束だった。
だからクロエはフレッドにプロポーズの答えを伝えられていない。
目覚めてほしい。
プロポーズの答えを伝えさせてほしい。
その思いを伝えるように、クロエは想いを込めてフレッドに口づけた。

少し低い温度が唇から伝わり、その冷たさに心まで冷えそうだ。
だがその時、握る手がピクリと動いた。
驚いて身を離すと、フレッドの顔に赤みが差し始めている。
そして金色の長いまつげが震え、ゆっくりと瞼が上がった。

「……クロエ?」

弱々しく掠れた声だったが、クロエの名を呼んだ。
ずっと焦がれて、もう一度聞きたいと思っていたフレッドの声だ。

「お兄……様?」
「クロエか?」
「ええ! そうです! 分かりますか?」
「もちろんだ。クロエの顔を忘れるはずはないだろう?」

涙が溢れて止まらない。
もっとフレッドの顔を見たいのに、涙が邪魔をしてはっきりと見えなかった。
そんなクロエを見てフレッドは小さく笑うと、ゆっくりと体を起こし、自分の手に視線を落とした。
そこには痣が消え去り、以前と同じような肌だった。

「そうか、病気は治ったんだな」
「はい!」
「やっぱり、お前を信じて良かった」

フレッドの目が真っ直ぐにクロエを捕らえる。
スカイブルーの瞳に映るのはクロエの姿。
同時にクロエのエメラルドの瞳に映るのもフレッド只一人だった。
込み上げる感情が溢れ、感情に任せてフレッドに抱き着くと、トクントクンという心音が聞こえる。

布越しに熱を感じ、ようやくフレッドが目覚めたことを実感した。
フレッドもまたクロエを強く抱きしめた。
どれほどの時間抱き合ったのか。
ようやく体を離したフレッドがクロエの顔を覗き込みながら笑った。

「クロエ、もっと顔をよく見せてくれ。綺麗になったな」
「あれから5年です」
「そうか。5年か……」
「年を取って幻滅しましたか?」
「まさか。昔よりずっと綺麗だ」

慈愛に満ちた眼差しがクロエに注がれる。
その瞳には一点の嘘もなく、むしろ熱情に揺れていた。

「それで、あの日の返事を聞いてもいいかな?」

あの日の返事。
それはフレッドからのプロポーズの答えを意味する。
ずっと、ずっと。
5年前からずっと伝えたかった言葉を、クロエは今ようやく言える。

「お兄様、愛しています。貴方のお嫁さんにしてください!」
「もちろんだ。嬉しいよ、クロエ。愛してる、一生離さないからな」

その言葉に破顔したフレッドは、再びクロエを抱きしめた。
クロエの涙はとうとうあふれ出し、フレッドの肩を濡らした。
言葉にならない思いを込めて、クロエは何度も頷き、愛していると伝え続けた。
こうして、クロエは6度目の時戻りの末に、フレッドを救うことができたのだった。