天才令嬢は時戻りを繰り返す~幼馴染の年上伯爵に伝えたいこと~

妖精。
それがフレッドのクロエに対する第一印象だった。
フレッドがクロエに初めて会ったのは15歳の時。
クロエは7歳だった。

クロエの父親であるジェレミー・ランディット伯爵とフレッドの父親は学生時代からの親友で、その日は4年ぶりにランディット伯爵が娘を連れて遊びに来ることになっていた。
父ケイネスは数日前から楽しみにしているようだったが、正直に言うとフレッドは憂鬱だった。
ランディット伯爵が娘を連れて遊びに来ると言うことは、その娘の相手はフレッドがしなくてはならないということが目に見えていたからだ。

(女の子の相手か……)

フレッドは街からの帰り道、そう思って小さくため息をついていた。
ランディット伯爵の娘であるクロエについて、フレッドが周囲から聞いていた話だと、彼女はかなりの変わり者だという。
大人顔負けに口が達者で、周囲の人間を困らせて楽しむような子供だと聞いている。
フレッドはそんな子供の相手をしなくてはならないのかと内心憂鬱であった。
加えて、最近フレッドの婚約者を選ぶためなのか、様々な令嬢と会わせられ、女性の相手は辟易していた。

自覚はないがフレッドの顔は非常に整っているらしく、お茶をした少女達がこぞってフレッドを求めた。
だが彼女らが見ているのはフレッドの外見と伯爵令息という地位だった。
少しでも彼女達の意向に反した行動をとると怒ったり泣いたりして、フレッドを振り回す。
ただでさえそんな少女たちの相手をするのもうんざりなのに、大人も閉口するような我儘な子供の相手をすることを考えると、憂鬱で仕方なかった。
だから、そんな少女の相手をする時間を極力少なくするため、フレッドはあえて用事を作って外出した。
とはいうものの、父の話を無視するわけにもいかず、暫く街で時間を潰した後、フレッドは屋敷に戻った。
屋敷に戻ると、父とランディット伯爵がコンサバトリーで談笑していた。

「ただいま帰りました」
「フレッド、遅かったじゃないか」
「申し訳ありません」

父はフレッドを見るなりそう言って眉根を寄せつつ迎えた。

「フレッド君、久しぶりだね。大きくなったなぁ」

父の向かい側のカウチソファーにはワインレッドの髪に、眼鏡をかけた男性が座っていた。
形の良い眉に、眼鏡の奥から若葉色の瞳を向けて、ニコニコと満面の笑みを浮かべている。

「ランディット伯爵、お久しぶりです」
「ずいぶん大きくなったね。私が会った時にはまだこんなに小さかったのに」

そう言って、ランディット伯爵は腰のあたりに手を翳した。
フレッドがさっと室内を見回したが、少女の姿はないようだ。
このままさりげなく立ち去って部屋に戻ろうか。
そう思ったフレッドだったが、そうは問屋が卸さなかった。

「あぁ、クロエちゃんは庭を見に行っているんだ。クロエちゃんはスコーンが好きだそうだから持って行っておあげ」

フレッドの行動を先回りするように、父親がフレッドにそう言った。
フレッドは内心苦虫を噛み潰したような気持ちになりながらも、それを感じさせない表情で頷いた。

「……はい。分かりました」

フレッドはそう答えると、クロエを探しに庭へと向かった。
アルドリッジ伯爵家の庭は広い。
だからこのまま見つけられなかったと言い訳をして戻ろうかとも思ったが、さすがに父親の手前それはできないだろう。
フレッドは、心の中で何度目かのため息をつきつつ、重い足取りでクロエを探した。
庭の端にあるバラ園へと足を踏み入れ、きょろきょろと少女の姿を探すと、バラ園の中央にあるガゼボに一人の少女が横になっているのが見えた。

(あそこにいるのがクロエ・ランディットか?)

そう思いつつ近づいて少女の姿を見た瞬間、フレッドの体に電流が走った。
それはあまりにも美しい光景だった。
緩く波打つ髪はキャラメル色なのだろうが、光の加減で淡い金色にも見える。
シミ一つない新雪のような真っ白い肌は陶器のように滑らかで、唇はピンクに色づき、ぷっくりと柔らかそうだ。
白いレースがふんだんについたワンピースは天使の衣のように見えた。
フレッドはゆっくりと少女の元へと進み、その傍らに座ってその顔を眺めた。

(可愛い……)

思わず愛らしい寝顔を見つめていると、少女の長いまつげがふるりと揺れた。

「ん……」

ゆっくりと開かれた瞼から現れたのは、深く落ち着いた緑色の瞳だった。
最初はぼんやりとした表情でフレッドを見上げたかと思うと、突然勢いよく起き上がった。

「えっ!」

驚愕の表情を浮かべる少女をこれ以上怖がらせないように、フレッドは優しく微笑みながら声を掛けた。

「あぁ、起こしてしまったね」
「ええと、フレッド様?」
「父から聞いてたのかな? 初めまして、僕はフレッド・アルドリッジ。君がクロエ・ランディット伯爵令嬢、だよね?」
「え? ええ、初めまして……」

クロエはフレッドを見て戸惑いの表情を浮かべていた。

(驚かせてしまったかな)

フレッドが声を掛けようと口を開いた途端、突然クロエの瞳から涙が溢れ、滑らかな肌を滑り落ちた。
エメラルドのような美しい瞳から流れ落ちる涙は、不純物が一切ない水晶のようだった。
それを見た瞬間、フレッドの心臓がドクンと音を立てた。
クロエの涙に濡れた瞳は美しく、フレッドは無意識に手を伸ばし、気づけばそっとその頬に触れていた。

「綺麗だ……」

フレッドの口から、思わずそんな言葉がこぼれた。

「え?」
「どうして泣いているの?」
「私……」
「どうしたの? 怖い夢でも見た?」

フレッドの問いに、クロエは小さく首を振った。
そして、涙を拭うと愛らしい笑顔を向けた。

「いいえ、そうではないのですが……。突然泣かれても驚かれたでしょう? ごめんなさい」
「ううん、いいんだ」

そうしてフレッドは持ってきたスコーンを取り出すと、クロエの前に置いてお茶を用意した。

「クロエ嬢、よかったらスコーンでも食べる?」
「ええ! 私、スコーンが大好きなの」
「そう、良かった。君のお父上がクロエ嬢がスコーンが好きだって言っていたんだ。持ってきて正解だったね」

本当はケイネスに無理に持たされたものだったが、そんなことを言ってはクロエに嫌われてしまうだろう。
フレッドは真実を隠したまま、にっこりと笑った。
その後、いくつか話をしたが、クロエは噂に聞いていた通り、少し変わった少女だった。
確かに年齢に似合わない知識を有していることは、少し話しただけで分かったし、並みの大人たちが驚くのも無理はないだろう。

だが、口が達者で周囲の人間を困らせるような少女ではなかった。
たぶん、クロエの美しさや賢さを妬んだ誰かが、そんなことを吹聴しているのだろうと察しがついた。
会話は好きな本の話から始まり、やがてバラ園の話に移った時、クロエは庭の隅にある花壇に目を留めた。
花壇とは言っても、普通の人間からしたら草むらに近い、雑草の生い茂った一角だった。
だが、クロエは宝物を発見したかのように目を輝かせながら、フレッドを見つめた。

「あら? あの水色の花……オオイヌノフグリですよね? あそこの花壇もとても綺麗だわ」

それはフレッドにとって意外な言葉だった。
オオイヌノフグリは雑草の一種である。
だがフレッドはその小さな水色の花が好きだった。
フレッドが幼少の頃、母親に贈った花で、雑草にも関わらず母が喜んでくれた花だからだ。
その時、母はこの花の別名が『星の瞳』ということを教えてくれた。
その別名も響きがいいし、花言葉が高潔で好きになった。
それ以降、フレッドにとって特別な花になったのだ。

だが、普通の令嬢にはそれが理解できないようで、バラ園を案内しても「あんな雑草抜いちゃえばいいのに」「この庭に相応しくない」「みすぼらしい」と言って、蔑んだ顔をする。
彼女たちがいかに表面しか見ていないかが、その言葉でありありと分かった。
だから、クロエの反応は、フレッドにとって意外なものだった。

「君は、こんな雑草みたいな花を綺麗な花だっていうの? その辺に咲いている花だよ。あんな雑草は抜いてしまった方がいいとか、庭には不要だとか、邪魔だとか思わないの?」
「え!? 思わないわ! だってオオイヌノフグリはとても有効な花なのよ。解毒や腎臓病、喘息や浮腫にもいいの。それに胃腸を整える働きもあるの」

そう言ってクロエはオオイヌノフグリに対して様々な知識を披露した。
その言葉は、クロエがいかに物事の本質を見ているのかが、如実に伝わってくるものだった。
この一件で、クロエは姿が愛らしいだけではなく、その中身までも美しいことが分かった。
同時に、フレッドの心臓がとくとくと胸の奥で鳴り響く。
一瞬で恋に落ちるとはこのことだろう。

(あぁ、僕は……クロエが好きだ)

女性など煩わしいと思い、どこか冷めていたフレッドは、まさか自分が恋をするなど思わなかった。
それも一目惚れに近い。
そんな自分に戸惑いつつも、クロエを傍に置いて自分だけを見てほしい。
そんな欲求が頭をもたげた。
クロエとの時間はあっという間に過ぎてしまう。
彼女と離れがたく、フレッドは別れ際にクロエの手に口づけ、再会を誓った。

そして、翌日。
フレッドはさっそく行動に出た。

『来週の日曜日、時間があったらお茶を飲みに屋敷に来ないかい? 君が好きなスコーンを用意して待っているよ』というメッセージと共に、一輪の赤い薔薇を送ったのだ。

一輪の薔薇を贈る意味は「一目惚れ」。
そして、赤い薔薇を贈る意味は「あなたを愛しています」。
その意味にすぐに気づいた父ケイネスは、動揺を隠せないでいたようだったが。
しかし、最終的には「クロエちゃんはいい子だし、お嫁に来てもらってもいいよ」とすぐにフレッドの気持ちを肯定してくれた。
だが、幼いクロエにはフレッドが贈った花の意味も分からないだろうし、急に想いを告げても理解できないだろう。

だから、クロエが自分だけを見るように、ゆっくりと距離を詰めていくことにした。
フレッドは暇さえあればクロエをお茶に誘い、共に時間を過ごした。
やがてクロエは計画通り、フレッドに好意を持ってくれるようになった。
順調に二人の距離は近づいていく。
そして1年が過ぎたある日、事件が起こった。