天才令嬢は時戻りを繰り返す~幼馴染の年上伯爵に伝えたいこと~

ダニエルが出て行ったドアを見つめながら、クロエは先ほどの出来事を思い返した。

『一応、デートの誘いのつもりなんだが』

その言葉の意味をようやく理解すると、顔がカッと熱を持った。
何を隠そう、クロエがデートの誘いを受けるのは初めてのことだった。
今まで一緒に外出した男性と言えば、父とフレッドだけだ。
それ以外の男性と一緒に出かけるなど初めての事だし、勿論デートなどしたこともない。
だから、突然デートと言われても、どうしたらいいのか正直分からないというのが本音だ。

(と、とりあえず、落ち着きましょう)

火照った顔を鎮めるため、クロエはすっかり冷めきった紅茶を飲んだ。
既に渋くなった紅茶を飲み干すと、ようやく冷静に考えることが出来るようになった。

『すぐに恋人になってくれとは思っていない。まずは僕を知って欲しいんだ』

つまり、ダニエルはクロエと恋人関係になりたいと思ってくれているということだ。
だが、これまでダニエルのことは研究仲間としか思っていなかった。
だから突然恋人になってくれと言われても困惑してしまう。
それにクロエには恋という感情が、まだ理解できていない。
恋愛小説によると「相手を見るとドキドキする」とか「相手を見ると胸がキュンとする」などと書いてあったが、クロエにとってはイマイチ理解できない感情だった。

「ダニエル様に、なんて答えるのがいいのかしら?」
「なになになに? ダニエル様、顔を赤くして出て行っちゃったけど、何かあったの?」

そう声を掛けてきたのは、ラーナだった。
興味津々と言った様子でクロエに笑顔を向けて来る。
クロエは何と答えればいいのか逡巡したが、ここは年上でかつ第三者であるラーナの意見を聞いてみるのもいいだろう。

「実は、ダニエル様にデートの申し込みをされてしまって……」

そう切り出して、クロエは先ほどの会話を掻い摘んで話した。

「えええ! そうなの!? それでそれで? クロエちゃんはどう答えたの?」

身を乗り出して尋ねて来るラーナに気圧されながら、クロエは戸惑いの言葉を口にした。

「突然の事で何も答えてないの。でもどう答えていいのか困ってしまって。ダニエル様の事は嫌いじゃないけど、突然恋人と言われてもピンとこないというか……」
「なるほどね」

クロエの話を聞いたラーナはうんうんと頷いたあと、カラリと笑って答えた。

「じゃあ、一回デートしてみたらいいじゃない!」
「ええっ!? そんなに簡単に言わないで」
「どうして? ダニエル様はすぐに恋人になってくれって言っているわけじゃないんでしょ?」
「そうだけど……」
「クロエちゃんはさ、他の男性ともっと関わるべきだと思うんだよね。今まではフレッド様が邪魔……じゃなかった、ずっと傍にいたけど、フレッド様は恋人ができたわけだし、この機会にクロエちゃんも他の男性とお付き合いするのもいいと思うよ」
「兄離れってこと?」
「そうそう!」

確かに、クロエはフレッドとしか男性と関わることはなかった。
しかし、ラーナが言う通りフレッドに恋人がいる以上、今まで通り気軽に会うことは無いし、クロエ自身も「兄離れ」のいい機会かもしれない。

「でも、今のところダニエル様を異性として好きっていう気持ちは持ってないのに、いいのかしら?」
「別にデートするのは恋人だとは限らないんだし、ダニエル様の事は嫌いじゃないんでしょ? 一度、一緒に出掛けてみて、お互いの事をもっと知り合ってから返事をしてもいいんじゃないかな?」
「なるほど」

ラーナの言葉には納得しかなかった。
確かにダニエルは研究仲間であり、気心も知れている。
それに学術的な話もできるし、一緒にいて苦にならない相手だ。
「気軽に行っちゃえ!」と言うラーナの後押しもあり、クロエはダニエルの誘いを受けることにした。




夕刻過ぎにカフェから屋敷に戻ったクロエは、出迎えてくれた侍女のナンシーへの返事もそこそこに、部屋に直行した。
そして、ベッドにダイブすると、そのまま枕に顔を埋めた。
脳裏に蘇るのは、うっすらと顔を赤らめたダニエルの顔だった。
告白されたことに実感は湧かないが、なんとなくソワソワする気持ちになる。

「お兄様に恋人がいるのだもの。私も早く婚約者を見つけなきゃ」

それがダニエルになるのかはまだ分からないが、(フレッド)離れにはなる。
父にもそろそろ婚約者を決めてはどうかと言われているので、そういう意味でも良い機会となるはずだ。
目を閉じると、夜会で見たフレッドとロザリーの姿がはっきりと思い浮かび、少しだけ胸がチリリと痛くなり、苦しくなった。

(きっとお兄様がいなくなって寂しいって思うからこんな風に気持ちが塞ぐんだわ)

だが、フレッド以外の男性と親しくなれば、その寂しさも薄れ、フレッドとロザリーの事を自然と祝福できるようになるだろう。
だからこそ、ダニエルと交流し、一緒に過ごしてみよう。
クロエは自分に言い聞かせるようにそう思いながら、いつしか眠りへと落ちて行った。




気づけば、クロエは暗闇の中に佇んでいた。
右を向いても左を向いても、上も下も、どこにいるかも分からない。

(ここは……どこ?)

まるで現実味の無いこの空間にいることに、少しばかり不安に駆られたクロエだったが、これは夢なのだろうとぼんやりと思った。
だが、何故このような夢を見ているのか?
夢なのだからそこに意味を見出すこと自体がおかしな話なのだが、クロエはこの空間に〝呼ばれた〟という感覚があった。

闇に目を凝らしていると、不意に人が現れた。
ぼんやりとした光を纏った人物は、緋色の髪に金の瞳を持つ青年だった。
金と群青色の布を肩から掛けた服装は、どこか異国の者を思わせた。
クロエは突然現れた人物を認め、小さく息を呑んだが、理由はそれだけではなかった。
青年の纏う空気は明らかに人間のものでは無いように感じたからだ。

「貴方は、誰?」

クロエは青年にそう尋ねたが、青年はそれには答えなかった。

「お前は何度も同じ時を繰り返している。それが何故か、思い出せ」
「同じ時を繰り返す?」

青年の言っている言葉の意味が分からず、クロエは訝し気に眉を顰めた。
その時スッと青年が腕を上げ、一か所を指さした。
クロエがその方向を振り返ってみると、そこに横たわっている人がいることに気づいた。
よく見ると、それは血の気の失せた顔をした金髪の男性だった。
だが、視界が霞んで、誰なのかはっきりとは分からない。
ただ、不意に思ったのだ。

(この人が、私が救いたい『誰か』なのだわ)

クロエがこれまで焦燥感に駆られるように、我武者羅に医療魔術の知識を身に着ける理由となっている『誰か』。
それがこの男性であることを思い出したのだ。

『ええ。XXXのことも、XXXを助けるということも絶対に思い出す』

いつかどこかで、クロエは確かにそう言っていた。
だが、その名前をどうしても思い出せない。
必死で記憶を辿るが、いつものように砂が落ちるように崩れていく感覚しかなかった。
その時、緋色の髪の青年が静かに言葉を発した。

「もう時間だ。早く思い出せ。そして彼を救うんだ」

青年の声が耳に入ると共に、クロエの周囲が光り輝き出した。
視界が白に包まれ始めたことで、クロエはこの夢が終わることを悟った。
だから最後に男性に向かって叫んでいた。

「絶対にあなたを助けるから、待っていてください」

そして小鳥の囀りが聞こえ始め、クロエはゆっくりと目を覚ました。

(ここは?)

視界に入るのは見慣れた天蓋。
窓からはレースのカーテンが揺れ、朝日が差し込んでいる。

「おはようございます、お嬢様」

侍女のナンシーに声を掛けられても、クロエはすぐに答えることができなかった。
頭がぼうっとして働かない。
まだ夢の続きを見ているようで、自分が現実に戻ったのか、実感が湧かなかった。

「お嬢様?」
「あ……ナンシーおはよう」
「どうされたんですか? ぼうっとしてますけど、また遅くまで論文をお読みになっていたのですか?」
「そんなわけじゃないけど、ちょっと不思議な夢を見たから……」

そう、あれは夢だ。
だけど妙にリアルな夢だった。
クロエは夢の内容を思い出そうとして、ふとあることに気づいた。
夢で必死に見ようとしていた男性の顔。
夢の中ではよく見えなかったが、あの金糸のように美しい髪と、高い鼻梁には見覚えがあった。

(あれは……お兄様?)

だがクロエはすぐに頭を振ってその考えを否定した。
クロエが必死に医療魔術を身に着けようとしている『誰か』とフレッドがまるで紐づかない。
フレッドは健康で、クロエの医療魔術とは無縁の存在だ。

(きっと、お兄様の事を考えて眠ってしまったからだわ)

クロエはそう結論付けると、ベッドから起き上がり、仕事に向かう準備を始めたのだった。