十七歳の私へ
長くなるかもしれません。でも、読んでくれたら嬉しいです。
歌うことをやめたあと、幸せになれましたか?
……いいや、きっと、知りたいのはそういうことじゃない。
だから、言い方を変えます。
今のあなたは、
生きることそのものを、諦めようとしていませんか。
当時からほんの最近まで、私は、いろんな形での喪失体験を重ねて生きてきました。
「生きていくことが怖い」と思いながら、生き苦しい毎日を過ごしてきました。
今でも幼いけれど……もっと幼い頃は、ただでさえ怖がりで。
幼稚園では常に、部屋の隅に置かれた遊具に隠れてそこから出てこなかったり、夜、寝る前に布団をかぶっては「明日もちゃんと笑顔になれますように」と願って眠りについたり。
いつも朝が来ると絶望し、泣きながら自分が向かうべき場所へ歩いて……を繰り返していたことを、懐かしい思いに浸りながら、私は思い出しています。
幼い頃から、どう頑張っても、周りと同じができなくて、いつも大人に誰かと比較されては怒られているような子どもでした。
苦手なことと得意なことのアンバランスさに耐えきれず、いっそのこと、この人生を終わらせたいとさえ考えたことも、数えきれないほどあります。
そんな生活の中で経験し続けた、あらゆる喪失体験を救ってくれた一つが、歌うことでした。
特に、ずっと隣にいてくれていた朋美には、何度救われたかわかりません。
朋美に傷つけられている、いじめられている。そんな今のあなたからしてみれば、今の私が書いている内容はどれも、「ありえない、信じられないことだ」と言いたくなるであろうことを、私はできる限り理解したうえで、よく考えたうえで書いています。
ご無礼を、どうか今だけ、この手紙を書き終えるまでの間はお許しください。
もう少し、お話しさせてください。
私は、ある人と出会って、やっと救われたと大いに喜んでいました。両手を広げて、すべてを受け入れるように。
もう恐れるものはない、この世界は私の思う通りだ――――それが何を意味するのか、今思い出しても顔が火照るくらい恥ずかしくなります。
それぐらい、当時の私はおそろしく浅はかな人間で、何も考えられていなかった。
そして、私はまたも、存在しているはずなのにもかかわらず居場所を失うという、いわゆる「あいまいな喪失」という体験をしました。
※あいまいな喪失については、詳しく調べていただいたほうがわかりやすいかもしれません(私自身、前まで書いていた卒論で扱った分野ですが、途中で内容を変えたから、説明がしきれず……ごめんなさい)。
あいまいな喪失、孤独感。
その関係性について、いくら調査・分析をしてもうまく言葉には表しきれず、また、いくら頑張ったとしても最後まで書ききれる自信もなく、そのときにも新たな死別体験が重なり、休むために筆を一度折っています。
まだ道半ば、歩き始めたばかりだから、決断するには早すぎる、とゼミを担当している教授からは何度も説得されたけれど……。
今思えば、書ききれなかった理由に隠れていた本音は、一言で言えば、私の弱さゆえだったのかもしれません。
調査は既に歩みを進めていて、その調査が終わった部分から分析を進めていました。
だからこそ、もどかしい気持ちでいっぱいです。
今はまだ、なんとかなる、なんとかできる、できてしまう。
教授にはそう言われて、流されそうになったけれど、分析を進めていけばいくほど、書けば書くほど、自分自身を丸ごと見失ってしまうような気がしました。
人生の先行きの不安さから、前に進めなくなっている、足止めを食らう、目の前で規制線が貼られたような、そういう何とも言えない不安さをずっと、解決できずにいます。
気を紛らわそうと、アルバイトを始めてみました。
けれど、あの当時の――今のあなたが経験することになるであろう、なんとも言えない、ただ「失うわけがない」と信じていたのに失ったという喪失感が消えることはなく。
むしろ、日に日に強さを増していった自分の気持ちに、私は嘘をつき続けてまで見て見ぬふりをするとか、目を背けることとかができなくなっていました。
だから今、「この手紙を書いて、あなたに読んでもらいたい」、「今感じる私の思いの証拠を、消したくない」と、あなたに全て委ねる思いで書き始めました。
一度、ちゃんと私の中にある「あらゆることのわからなさ」に答えを出したかった。
何度も書きかえてきた正解を、
自分の人生の舵を、自分で取り続けるために、書きかえたかった。
書きかえる、と決めたから。
だからこの手紙は、私が私について考える一つのきっかけにもなりたい。そうして、私と、この手紙を読んでいるあなたとで一緒に考えて、書き上げて、初めて完成になるんだと言いたいし、そう信じたい。
読んでくれた、あるいはどこかで読んでくれているであろう――あなた――がいてくれるから、今、私はこの手紙を書くことができています。
ただ、ただ、「ありがとう」でいっぱいです。
私は、どんなに苦しくても、黙って一人で抱えて生きていれば、誰にも迷惑をかけずに済む、平和で穏やかでみんなが笑って過ごしている、そういう理想通りの生活が送れると思い込んでいました。
それが正しい生き方なんだろうなと、疑うことはありませんでした。
傷つくことが、一番怖いから。
自分が壊れてしまわないように、傷つかないように。そのための方法を考えて生きていました。
ふと、あるときに大切な人から「素直な心と目で物事を見る。人を頼ることも大切な力だよ。」と教えてもらいました。その考えが気づけば、今、私が生きていくうえでの一つの軸になっていて。
しだいに「子どもたちの " 今 " を支えて、未来に繋げる」そんな仕事をしたいという夢ができました。
「子どもたちの " 今 " を支えて、未来に繋げる」
それは、これからを生きていくであろう、今の私の――新しい道しるべ――になったのかな、と手紙を書きながら想像しています。
私は考え方がコロコロ変わるし、とにかく忘れっぽい。
周りの人の考え方についていくのに精いっぱいで、追いつくのに最低でもニ、三年はかかる、とてもとてもマイペースな人間です。
そんな自分がいつまで経っても、やっぱり……見た目もちゃんと大人になった今でも、どこか苦手で。
数えきれないくらい書きかえてきた正解も、なんなら不正解だったことも、今の私を作ってくれたという意味で、全部宝物です。
――ノイズ、雑音だとさえ思っていた、自分の気持ちすべて。
十七歳のあなたに向けて、今、言いたいことがあるとしてもきっと、今の私はうまく言えません。
当時のことを思えば、喧嘩してしまうかもしれない。
それは、今の私がもつ正解や正しさ、正義が、あの頃の私にとってはきっと、何もかもが間違いで、反抗するターゲットだったかもしれないから。
正しさは時に、相手を傷つける武器にさえなりうること。
それを、当時、ある人から教わって、妙に納得しているのもあって。
だから、今の私はこの手紙をあなたの手の届くどこかに、そっと置いてきて、プレゼントしたいです。
あなたはきっと、どんなときも「大丈夫」で抱え込んでしまうだろうから、本当はそれ以外の言葉が合っているような気がしてしまうけれど、やっぱり見つかりません。見つけられません。
言葉って、難しいね。
「大丈夫」ではない。
そんなことのほうが、どう考えたって世の中には多いのに。
「大丈夫」で線を引いて、何かを守った気になって。
愛されたい。
ただ、そう言えたら良かったのに。
言おうとすると、言葉にしようとすればするほど、喉奥でつっかえて「大丈夫」にすべて委ねてしまう。
人間は、脆すぎる。
だからってわけではないけれど……今の私が、あなたが最後の合同定期演奏会で読み上げるであろう手紙に対して、返事を書き残していくならば。
どうか、これからも、
たくさん悩んで、たくさんもがいて、
たった一秒先でもいいから、
その先の未来に、
手をのばしてほしい。
私はあなたをずっと、待っているから。
そのときは、私の右手で、あなたの手をとるから。
二〇××年十月二日
秋の夜空に小さく瞬く、大切な存在を想って。
長くなるかもしれません。でも、読んでくれたら嬉しいです。
歌うことをやめたあと、幸せになれましたか?
……いいや、きっと、知りたいのはそういうことじゃない。
だから、言い方を変えます。
今のあなたは、
生きることそのものを、諦めようとしていませんか。
当時からほんの最近まで、私は、いろんな形での喪失体験を重ねて生きてきました。
「生きていくことが怖い」と思いながら、生き苦しい毎日を過ごしてきました。
今でも幼いけれど……もっと幼い頃は、ただでさえ怖がりで。
幼稚園では常に、部屋の隅に置かれた遊具に隠れてそこから出てこなかったり、夜、寝る前に布団をかぶっては「明日もちゃんと笑顔になれますように」と願って眠りについたり。
いつも朝が来ると絶望し、泣きながら自分が向かうべき場所へ歩いて……を繰り返していたことを、懐かしい思いに浸りながら、私は思い出しています。
幼い頃から、どう頑張っても、周りと同じができなくて、いつも大人に誰かと比較されては怒られているような子どもでした。
苦手なことと得意なことのアンバランスさに耐えきれず、いっそのこと、この人生を終わらせたいとさえ考えたことも、数えきれないほどあります。
そんな生活の中で経験し続けた、あらゆる喪失体験を救ってくれた一つが、歌うことでした。
特に、ずっと隣にいてくれていた朋美には、何度救われたかわかりません。
朋美に傷つけられている、いじめられている。そんな今のあなたからしてみれば、今の私が書いている内容はどれも、「ありえない、信じられないことだ」と言いたくなるであろうことを、私はできる限り理解したうえで、よく考えたうえで書いています。
ご無礼を、どうか今だけ、この手紙を書き終えるまでの間はお許しください。
もう少し、お話しさせてください。
私は、ある人と出会って、やっと救われたと大いに喜んでいました。両手を広げて、すべてを受け入れるように。
もう恐れるものはない、この世界は私の思う通りだ――――それが何を意味するのか、今思い出しても顔が火照るくらい恥ずかしくなります。
それぐらい、当時の私はおそろしく浅はかな人間で、何も考えられていなかった。
そして、私はまたも、存在しているはずなのにもかかわらず居場所を失うという、いわゆる「あいまいな喪失」という体験をしました。
※あいまいな喪失については、詳しく調べていただいたほうがわかりやすいかもしれません(私自身、前まで書いていた卒論で扱った分野ですが、途中で内容を変えたから、説明がしきれず……ごめんなさい)。
あいまいな喪失、孤独感。
その関係性について、いくら調査・分析をしてもうまく言葉には表しきれず、また、いくら頑張ったとしても最後まで書ききれる自信もなく、そのときにも新たな死別体験が重なり、休むために筆を一度折っています。
まだ道半ば、歩き始めたばかりだから、決断するには早すぎる、とゼミを担当している教授からは何度も説得されたけれど……。
今思えば、書ききれなかった理由に隠れていた本音は、一言で言えば、私の弱さゆえだったのかもしれません。
調査は既に歩みを進めていて、その調査が終わった部分から分析を進めていました。
だからこそ、もどかしい気持ちでいっぱいです。
今はまだ、なんとかなる、なんとかできる、できてしまう。
教授にはそう言われて、流されそうになったけれど、分析を進めていけばいくほど、書けば書くほど、自分自身を丸ごと見失ってしまうような気がしました。
人生の先行きの不安さから、前に進めなくなっている、足止めを食らう、目の前で規制線が貼られたような、そういう何とも言えない不安さをずっと、解決できずにいます。
気を紛らわそうと、アルバイトを始めてみました。
けれど、あの当時の――今のあなたが経験することになるであろう、なんとも言えない、ただ「失うわけがない」と信じていたのに失ったという喪失感が消えることはなく。
むしろ、日に日に強さを増していった自分の気持ちに、私は嘘をつき続けてまで見て見ぬふりをするとか、目を背けることとかができなくなっていました。
だから今、「この手紙を書いて、あなたに読んでもらいたい」、「今感じる私の思いの証拠を、消したくない」と、あなたに全て委ねる思いで書き始めました。
一度、ちゃんと私の中にある「あらゆることのわからなさ」に答えを出したかった。
何度も書きかえてきた正解を、
自分の人生の舵を、自分で取り続けるために、書きかえたかった。
書きかえる、と決めたから。
だからこの手紙は、私が私について考える一つのきっかけにもなりたい。そうして、私と、この手紙を読んでいるあなたとで一緒に考えて、書き上げて、初めて完成になるんだと言いたいし、そう信じたい。
読んでくれた、あるいはどこかで読んでくれているであろう――あなた――がいてくれるから、今、私はこの手紙を書くことができています。
ただ、ただ、「ありがとう」でいっぱいです。
私は、どんなに苦しくても、黙って一人で抱えて生きていれば、誰にも迷惑をかけずに済む、平和で穏やかでみんなが笑って過ごしている、そういう理想通りの生活が送れると思い込んでいました。
それが正しい生き方なんだろうなと、疑うことはありませんでした。
傷つくことが、一番怖いから。
自分が壊れてしまわないように、傷つかないように。そのための方法を考えて生きていました。
ふと、あるときに大切な人から「素直な心と目で物事を見る。人を頼ることも大切な力だよ。」と教えてもらいました。その考えが気づけば、今、私が生きていくうえでの一つの軸になっていて。
しだいに「子どもたちの " 今 " を支えて、未来に繋げる」そんな仕事をしたいという夢ができました。
「子どもたちの " 今 " を支えて、未来に繋げる」
それは、これからを生きていくであろう、今の私の――新しい道しるべ――になったのかな、と手紙を書きながら想像しています。
私は考え方がコロコロ変わるし、とにかく忘れっぽい。
周りの人の考え方についていくのに精いっぱいで、追いつくのに最低でもニ、三年はかかる、とてもとてもマイペースな人間です。
そんな自分がいつまで経っても、やっぱり……見た目もちゃんと大人になった今でも、どこか苦手で。
数えきれないくらい書きかえてきた正解も、なんなら不正解だったことも、今の私を作ってくれたという意味で、全部宝物です。
――ノイズ、雑音だとさえ思っていた、自分の気持ちすべて。
十七歳のあなたに向けて、今、言いたいことがあるとしてもきっと、今の私はうまく言えません。
当時のことを思えば、喧嘩してしまうかもしれない。
それは、今の私がもつ正解や正しさ、正義が、あの頃の私にとってはきっと、何もかもが間違いで、反抗するターゲットだったかもしれないから。
正しさは時に、相手を傷つける武器にさえなりうること。
それを、当時、ある人から教わって、妙に納得しているのもあって。
だから、今の私はこの手紙をあなたの手の届くどこかに、そっと置いてきて、プレゼントしたいです。
あなたはきっと、どんなときも「大丈夫」で抱え込んでしまうだろうから、本当はそれ以外の言葉が合っているような気がしてしまうけれど、やっぱり見つかりません。見つけられません。
言葉って、難しいね。
「大丈夫」ではない。
そんなことのほうが、どう考えたって世の中には多いのに。
「大丈夫」で線を引いて、何かを守った気になって。
愛されたい。
ただ、そう言えたら良かったのに。
言おうとすると、言葉にしようとすればするほど、喉奥でつっかえて「大丈夫」にすべて委ねてしまう。
人間は、脆すぎる。
だからってわけではないけれど……今の私が、あなたが最後の合同定期演奏会で読み上げるであろう手紙に対して、返事を書き残していくならば。
どうか、これからも、
たくさん悩んで、たくさんもがいて、
たった一秒先でもいいから、
その先の未来に、
手をのばしてほしい。
私はあなたをずっと、待っているから。
そのときは、私の右手で、あなたの手をとるから。
二〇××年十月二日
秋の夜空に小さく瞬く、大切な存在を想って。

