「ごめんなさいね、泣かせるつもりはなかったけれど」
教授は私に近づいて、左肩を優しくさすってくる。
「……私自身、クライエントの自殺のことがあったからとかはあまり言いたくはないけれど、でも、やっぱり私自身の心理師としてのアイデンティティを考え直す必要を突きつけられた、そんな感じがして、今でも揺らぐことがあるわよ」
「……辞めたいって思いませんか、そんなしんどいことがあったら」
「思わない」
教授の目は、私の酷く揺らいだ視界でもはっきりと見えるくらい、澄んでいた。
「何が起きても、何があっても絶対に辞めない。辞めたいだなんて、思ったこと自体ない」
私は何も言い返せなくなる。
「……そうだ!」
教授はパンと手を叩いて、冷たく凍っていた空気を打ち破った。
「書いてみない? 過去の自分への手紙」
突然何を言い出すかと思えば、肩透かしをくらったような気がしてしまった。
「手紙ですか」
「そう、手紙。ただの手紙」
「何のために?」
「自分への手紙を書くと、自然と、自分の内面にいやでも気づかされるのよ。それが、自分を救うことにも繋がるかもしれないし。単に、私がそれで少しは救われたように感じるってだけ」
「でも、その書いた手紙ってどうしたんですか」
「え?」
「手紙、書き終わったらどうしたんですか」
「庭で燃やして、最後に水をかけて、土に埋めたわ」
今度は、私の口がぽかんと開く。
我に返って、一度ひゅっと息を吸うと、喉の奥に冷たい空気が突き刺さって、むせてしまった。
あまりに古い方法というか、捨て方というか、そもそも、書き終わった手紙を " 捨てる " という行為を想像して、私は目を見開いた。
「やってみたら? 今の時代、便せんは可愛いものも多いし? 大学の最寄り駅から一駅先のターミナル駅なら文房具屋さんもあったはずだし」
じゃあ、これから会議があるから、と教授は立ち上がって教室から出て行ってしまった。
数時間後。
私は、教授に教えてもらった文房具屋に立ち寄り、虹色に彩られた小鳥が青空を飛んでいくデザインに目を惹かれ、そのままそれを手に取り会計し、自宅に持ち帰ってきた。
「ただいまー」
玄関の靴だなにある小皿に、鍵をカランと置いた。壁に手を沿わせながら電気のボタンをカチッと押す。
誰もいない、私の声だけが響く部屋に灯りがともる。
カバンを床に放り投げ、ソファに身を預けた。
疲れがソファの綿に溶けて、消えていく。それが妙に心地良くて、眠りたくなってしまう。
いけない。
教授から教わったことのうち、「自分の人生にとって必要だ」と感じることは、とりあえずやってみる。そう決めているのに、疲れを理由に投げだしそうになってしまっている。
私はソファの背もたれから背中を剥がして、カバンからさっき買ったばかりの便せんの袋の封ををビリビリと開けた。
白い四角いテーブルの上にあるペンスタンドから、特に気に入っている真っ黒な五色入りのボールペンを取り出し、黒色のインクを押し出す。
過去の自分への手紙。
その前に、私は私ではない、誰かに――タツさんへ手紙を書きたくなって、便せんの一番上に「タツさんへ」とだけ書き記した。
何を言えば、伝えれば、正解なのか。
必要なのは、書かなければならないのは、伝えなければならないのは、
正解、なのか?
私は、目の前の真っ白な壁を見つめて、そっと考える。そして、また、屋上でのことを思い出す。
タツさんが私に話してくれたことの一つひとつを、風穴を開けられた、あの瞬間のことを――――。
教授は私に近づいて、左肩を優しくさすってくる。
「……私自身、クライエントの自殺のことがあったからとかはあまり言いたくはないけれど、でも、やっぱり私自身の心理師としてのアイデンティティを考え直す必要を突きつけられた、そんな感じがして、今でも揺らぐことがあるわよ」
「……辞めたいって思いませんか、そんなしんどいことがあったら」
「思わない」
教授の目は、私の酷く揺らいだ視界でもはっきりと見えるくらい、澄んでいた。
「何が起きても、何があっても絶対に辞めない。辞めたいだなんて、思ったこと自体ない」
私は何も言い返せなくなる。
「……そうだ!」
教授はパンと手を叩いて、冷たく凍っていた空気を打ち破った。
「書いてみない? 過去の自分への手紙」
突然何を言い出すかと思えば、肩透かしをくらったような気がしてしまった。
「手紙ですか」
「そう、手紙。ただの手紙」
「何のために?」
「自分への手紙を書くと、自然と、自分の内面にいやでも気づかされるのよ。それが、自分を救うことにも繋がるかもしれないし。単に、私がそれで少しは救われたように感じるってだけ」
「でも、その書いた手紙ってどうしたんですか」
「え?」
「手紙、書き終わったらどうしたんですか」
「庭で燃やして、最後に水をかけて、土に埋めたわ」
今度は、私の口がぽかんと開く。
我に返って、一度ひゅっと息を吸うと、喉の奥に冷たい空気が突き刺さって、むせてしまった。
あまりに古い方法というか、捨て方というか、そもそも、書き終わった手紙を " 捨てる " という行為を想像して、私は目を見開いた。
「やってみたら? 今の時代、便せんは可愛いものも多いし? 大学の最寄り駅から一駅先のターミナル駅なら文房具屋さんもあったはずだし」
じゃあ、これから会議があるから、と教授は立ち上がって教室から出て行ってしまった。
数時間後。
私は、教授に教えてもらった文房具屋に立ち寄り、虹色に彩られた小鳥が青空を飛んでいくデザインに目を惹かれ、そのままそれを手に取り会計し、自宅に持ち帰ってきた。
「ただいまー」
玄関の靴だなにある小皿に、鍵をカランと置いた。壁に手を沿わせながら電気のボタンをカチッと押す。
誰もいない、私の声だけが響く部屋に灯りがともる。
カバンを床に放り投げ、ソファに身を預けた。
疲れがソファの綿に溶けて、消えていく。それが妙に心地良くて、眠りたくなってしまう。
いけない。
教授から教わったことのうち、「自分の人生にとって必要だ」と感じることは、とりあえずやってみる。そう決めているのに、疲れを理由に投げだしそうになってしまっている。
私はソファの背もたれから背中を剥がして、カバンからさっき買ったばかりの便せんの袋の封ををビリビリと開けた。
白い四角いテーブルの上にあるペンスタンドから、特に気に入っている真っ黒な五色入りのボールペンを取り出し、黒色のインクを押し出す。
過去の自分への手紙。
その前に、私は私ではない、誰かに――タツさんへ手紙を書きたくなって、便せんの一番上に「タツさんへ」とだけ書き記した。
何を言えば、伝えれば、正解なのか。
必要なのは、書かなければならないのは、伝えなければならないのは、
正解、なのか?
私は、目の前の真っ白な壁を見つめて、そっと考える。そして、また、屋上でのことを思い出す。
タツさんが私に話してくれたことの一つひとつを、風穴を開けられた、あの瞬間のことを――――。

