僕らのノイズ ※最後の願いは、よく考えたうえで送信してください。

「まあ、なんでもいいけれど……どうも佐々木さんは、というか、この学科にくる学生のうち、半分弱が、ね」

 何かを言いたげに口をもごもごさせている教授を目の前に、私の頭の中は、混乱を極める。

「誰かを救いたい、助けたいって思うのは純粋に素敵なことだとは思う。けれど……」

 私ははっきり結論を言ってくれない教授に、心のどこかでイライラしてしまう。
 鬼のくせに、どうしてこういうときにはスパッと言ってくれないのか。

「誰かを助けたいとは言いつつ、本当は、他の誰でもない、自分自身を救いたいんじゃないかなって思うの」

 佐々木さん、あなたもじゃない?
 そう言われて、さっきまで感じていたはずのイライラが、すうっとどこかへ消えてしまいそうになる。

 認めたくない。

 私が、私を、 " 助けたい " ? " 救いたい " ?

 そんなわけ――

「それ自体をおかしなことだと私は思わない。……思えるわけないのよ。私も、心理師になる前はそうだったから。だから」
「だから、なんですか」

 教授を責めたくなる。責めてしまいそうになる。
 そこまで言って、どうしてまだはっきりと言ってくれないのか、わからない。

 鬼は、いつものように金棒を振り回すような雰囲気を失っているように見えた。

「うまく言えないけれど……自分を救うことと誰かを助けることは、実際には全く別の問題なの」

 教授は、じっと私の目を見つめてくる。

「もっと言えば、自分を救うために誰かを利用するなんてこと、あまりに、残酷」

 私はそう言われた瞬間、頭のどこかで、タツさんの話を思い出していた。
 タツさんの声が、耳の奥で突き抜けるようだった。

「救世主願望、メサイア・コンプレックスとも言うらしいんだけどね、これは」

 教授が両腕を組んで、微笑みながら、悩んだような顔を見せてくる。

 救世主願望、メサイア・コンプレックス。
 去年、図書館で勉強していたときに、ふと見つけた言葉だった。

 自分を助けるという目的を達成するために、相手を助ける。つまり、教授が言ったように、" 自分を救うために、誰かを利用する "。それを、一般的には「救世主願望、メサイア・コンプレックス」と呼ぶらしい。

 そのページを読んだときはまだ、「だからなんだというんだろう」と特にこれといったものを気に留めることなく、私の手は、指は、次のページをめくり続けた。

 それが今になって、私の無自覚な部分――素直に生きてきたつもりだったのに――を見透かして、言い当てられるなんて。図星だと思ってしまう自分は、少しは" 大人になれた "と思えていたはずなのに、それでも未熟なままの部分がたくさんあることに気づかされて、私は顔を酷く赤らめた。

「いいのよ、恥ずかしくなるのもダメなことじゃない。むしろ、あなたが今気づけたこと、それがある意味、救いだから」
「救い? こんな思いをさせられているのに!? どこが救いなんですか!」

 私は机をバンと叩き、声を張り上げて、そう叫んだ。
 教室内に音が響いたのか、教授が目を見開いて、口をぽかんと開けている。

 やってしまった。

「初めてよね、あなたがそうやって声を張り上げるなんて」
「いや、その」

 教授に成績を落とされるかもしれない。単位がもらえなくなるかもしれない。
 それは私にとって、夢を叶えることができなくなる。死活問題だ。
 実習を無事にやり終えて、単位を取得しないと、そもそも卒業単位すら危うくなるかもしれない。
 私の脳内は、瞬く間に真っ黒な闇に覆われそうになる。私は、口をぎゅっと結んだ。

「いいのいいの。それに、明日から現場実習が始まるでしょ? その前に気づけたんだから。事前学習でみんな、今年の学生たちは自己主張が強すぎるからどうなることやら、と学生全員に対してハラハラしていたけれど」
「……どうしてそのとき、教えていただけなかったんですか」
「どうしてって」

 教授は、うーん、そうねえと呟きながら、また悩んだ顔をする。

「そういうことこそ、本当は他人からじゃなくて自分の力で見つけに行って、自分から気づこうとしなければ、本当の意味では、答えにたどり着いたなんて、言えないんじゃない?」

 悔しいけれど、今回ばかりは、教授の言う通りかもしれない。
 それこそ、認めたくない、だけれど。
 
「昔ね、とはいっても数年前の職場にいたのよ。自分を救えていないのに、助けられていないのに、そのことに無自覚なままで、クライエントを救おう、助けようとしていた人が」

 教授は遠い目をして、語り始める。

「良い人だった、本当に、良い人だった。でも」

 教授の顔が曇り、私の目の前を冷たい風が吹いた気がした。

「その人が担当していたクライエントがね、自殺で亡くなられたの」

 辺りの音が聞こえなくなる。

「ご遺族はその職員どころか、職場全体を訴えて、裁判になった。どうしてか、佐々木さんは想像できる?」

 今までの会話から考えることはできる。けれど、私の口から言うには、無理があるように思えた。
 私は口をかたく結んだまま、俯く。

「理由は、そのときの職員、私の同僚だった人がご遺族に対して、悪びれもなく、こう言ってしまったからなの。

 " 仕方なかったんじゃないですか "って」

 私は耳を疑う。
 そんなこと、あっていいのか。にわかには信じ難い、ありえない。

「ご遺族の許可を得たうえで、記録を読ませてもらったとき、彼の……メサイア・コンプレックスがあまりにも暴走していたこと、そのことがクライエントにあんな選択に追い詰めてしまった。私は、彼には申し訳ないけれど、そう思わざるをえなかった」

 教授だけじゃないですよ、私もそう思います。
 そう言えば済むことだと、頭ではわかりきっているのに。
 まだ、何も言えない。どうしようもない虚しさが、ゆっくり、じわじわと膨らんでいく。

「彼は、クライエントに何度も『あなたが壊れないように僕が背負います』とか、『誰もわかってくれないなら、僕があなたの理解者になる』とか、しまいには『どうしてわかってくれないんですか!? 僕はこんなにもあなたを大切に思って、支えているのに!』なんて言ったみたいなの」

 教授は、はぁと深くため息をついた。
 私は、数年前――屋上でのこと――を静かに思い出して、言葉にしようがない気持ちに駆られて、目をきょろきょろと動かしながら両手を揉み続けることしかできなくなっていた。

 数年前。

 タツさんと最後に話したあの日のこと。

 茜色をした夕暮れの光とともに、音もなく消えていった、あの日。


 教授の話に出てきた人は、どう抗おうにも、過去の私を見ているようで、苦しくなった。


 私はその場で、ただ、教授の目の前で、自分の声を押し殺して、大粒の涙を流すことしかできなかった。