「今話したように、家族心理学、特に家族療法の考え方の一つに、円環的因果律というものがあります」
教授がスライドを黒板に投影し、円環的因果律の図と直線的因果律の違いを図で示している。
「"「直線的因果律とは、クライエントの問題は、特定の原因によってもたらされた結果であるという関係のことです。直線的因果律の観点からは「こどもが学校をさぼる」という問題の原因は、「成績が落ちたこと」と考えます"(※2)」
私は説明をうんうんと聞きながら、ボールペンで手元の講義資料に過不足なく説明を書きこんでいく。
「"「円環的因果律」とは、相互が原因でも結果でもあるという関係であり、卵と鶏の関係にあたります。卵が原因で鶏の結果であるとは言えず、お互いにぐるぐると繰り返していく円環的な関係です。家族療法では、クライエントの問題を、家族の成員間、もしくは家族システム内の円環的因果律の観点でとらえます。円環的因果律では、「こどもが学校をさぼる」を「成績が落ちた→親が叱る→親への反発→学校をさぼる→成績が落ちる→親が叱る→・・・」などという観点で捉えます"(※2)」
教授の急に難易度を上げてきた説明に、私はボールペンで書いて追いつくことに必死になる。
お互いが、お互いに影響をおよぼし合う。
誰か一人に原因がある、という考え方じゃなくて、お互いが、か……。
人生も、そんなものだろう。
私はやっと書き終えてボールペンを机に置いた。教授がスライドを閉じて、顔にマイクを近づけたせいでザザザと小さくノイズが入る。その耳障りなノイズに、私は小さく眉間にしわを寄せた。
「……ざっと説明しましたが、まだ理解するには難しいかもしれません。そこで、本日は課題を出します」
私はげんなりした。
まだ、別の講義で出されたレポート課題に手すらつけられていないからだ。
「課題内容は学内ポータルの課題提出ページに掲示します。そこに書かれた問いに対し、あなた自身の考えを書いて、期限までに提出してください」
誰も返事をしないけれど、大学ってそういうものなんだろうなと、私はいつも通り自分を納得させる。
周りの人たちは、教授の話を聞いているのかいないのか、私にはわからない素振りでそそくさと退室の準備をし始めていた。
「実習で忙しい毎日かもしれません。だからこそ、この課題にしっかりと向き合って、今のあなただからこそ出せる答えを考えてください」
講義を締めくくる教授の言葉で、高校時代を思い出す。
卒業してから、もう、三年という月日が経った。
あれから私は、都内の大学生、この大学の児童心理学科の学生になった。
講義終了のチャイムが教室に響き渡り、周りの学生たちが教室の前後のドアからぞろぞろと出て行く。
私は、スマホで学内ポータルにアクセスして、課題の内容に目を通そうとした。
思わず、目を疑いそうになり、スマホの画面を裏返し、背もたれに寄りかかって、深くため息をついて目を閉じる。
課題の内容文の一言目に、「あなたにとって、家族とはなんですか」と表示されていたからだ。
ずっと、目を逸らしてきた。
まるで、実習中に思い悩んで苦しくなってしまった私を、実習担当でもあるこの講義の教授に見透かされているみたいに思えて、おでこに熱が寄る。
学科の先輩、後輩、同回生、なんなら自由選択科目として履修した他の学科の学生たちから、この教授はこう呼ばれている。
" 鬼 "と。
例外なく、私もそう称している。
鬼でしかない。鬼そのものでしかない。
夢を叶えるために突破しなければならない壁というか、固く閉ざされた門の前にいる門番というか、そういう存在に思えてしまって。
私が天井を仰ぎながらうだうだとしていると、教授が私のところへすたすたと何も気に留めていないような足取りで歩いてきた。
「佐々木さん」
教授は、肩に資料のようなものがたくさん入ったバッグをかけたまま、その重さをものともしないような素振りで私を見下ろしてくる。
「は、はい!」
鬼に怯えてしまい、声が変に上ずってしまう。
「その顔だと、私が出した課題、すぐには答えを出せなさそうね」
鬼に言い当てられてしまったと、私は俯いた。
「実習ではあんなにはつらつと、堂々と人と関われているなあと感心していたし、それに、私が古い知識のまま学習が止まっていた法律や制度の部分も、佐々木さんが教えてくれて助かったなとも思ったし」
私がまだ、鬼を、ただの教授だととらえていた頃の話だ、それは。
「あのときは、私がまだ、なんていうか、怖いもの知らずで」
ああ! と両手で口を押さえ、目を見開きながら、教授を見上げた。
私の様子になのか、言動になのか、教授はぷはっと吹き出す。
「鬼……でしょ? 私のあだ名、愛称? 嬉しいけどねぇ」
教授は少し困ったような顔で、顔を傾けた。
「嬉しい?」
私は教授の放った言葉が理解できず、どういうことなのかと考えることに必死になり、目の前に言葉の流星群が流れる。
「嬉しいわよ、学生たちに、私が存在を認知されているって証拠でしょ?」
それでも " 鬼 " というあだ名をつけられること、嫌だとは思わないのだろうか。
私が眉を八の字にさせて悩んでいると、教授が通路越しに隣に座ってきた。
「なんかね、勘違いさせているかもしれないから、あえて佐々木さんに話すけれど」
「私に?」
驚いて、私はまた声が上ずる。
「実習を受けるための選抜試験のこと、覚えているかしら」
去年の今頃に受けた、実習を受けられる人数を絞り込むための選抜試験のことだった。
どうして、公認心理師の資格を取りたいのか、教授たちに訪ねられて、いろいろなことが脳裏によぎって、言葉が詰まったあの瞬間。冷汗が止まらなくなって、泣きそうになったこと。
あれは、この教授を目の前にしたから起きた現象ではない、と今ならわかる。
高校時代を突然、無意識に思い出していたから起きた現象だと。
「覚えています」
そう呟きながら、選抜試験で「児童心理司として、児童相談所で働きたい」と宣言したことを思い出す。
「いまだにわからないのよ。だって、児童心理司って、基本的には大学を卒業して、地方公務員試験を受けて採用されたらなれるものじゃない? わざわざ、時間とお金をかけてまで、公認心理師資格を取得したうえで児相に努めたいって言われたら驚くわよ、そりゃあもう。まあ、成績や姿勢自体に問題があるわけではないから合格させたはいいものの……」
高校三年生の頃の三者面談、進路面談でも同じことを言われた。
お母さんには、家で繰り返し「金食い虫」と言われて怒られた。
それでも、公認心理師資格を取ったうえで、児童心理司になりたいと思うのは、
「子どもたちの " 今 " を支えて、その " 今 " を未来に繋げる、そういう仕事がしたいんです」
私は教授の目をまっすぐ見つめて、そう伝えた。

