僕らのノイズ ※最後の願いは、よく考えたうえで送信してください。


 *

「ただいま……」

 恐る恐る玄関を開けながら、小声で呟いた。
 奥にある台所から、お母さんがこちら側に大きな足音を立てて、鬼の形相で向かってくる。
 私はお母さんに叩かれる気がして、反射的に顔に力が入って下を向いた。

「遅い! 夕飯は十九時って決まってんでしょ! いつまで待たせるの!」

 お母さんは両腕を組んで怒りを沸騰させたまま、「もう!」と後ろを振り向いて台所へ戻っていった。
 私はローファーを脱いで家に上がり、電気を消したままの冷たい廊下を歩いて食卓についた。テーブルに並んでいるのは、スーパーのお惣菜のコロッケと、炊飯器で炊きあげたばかりであろう、お椀に盛られた白いご飯が二つ――お父さんは残業で帰りが遅くなるんだ――良かった。でも、怒ったままのお母さんと食卓を囲むのは、気まずい。
 でも、ここで食べなければ食べないで、怒りを買うのは何度も経験してきたから、さすがにもう学習できている。
仕方なく、お母さんと向かい合って「いただきます」と告げた。
 白いお皿に、レタスと一緒に盛り付けられた、お惣菜のコロッケが温かい。わざわざ容器から出して温めてくれたんだ。
 お母さんの変な優しさと、目の前から伝わってくる怒りの温度差が妙に気持ち悪くて、なかなか箸が進まない。 

「仕事でさ、新人ナースがまたやらかしてー」

 ……またか。この妙な優しい食卓が用意されていたのは、そういうことだったのか。
 お母さんが苛立ちながら、肘をついて悪態をつき始める。
 ここから二時間ほど一方的に仕事の愚痴を聞かされるのか、とうんざりした。

 私はなかなか進んでいかない箸で無理におかずを挟み、口に運んで飲み込む
 こういうとき、よく砂の味がすると聞いたことがある。けれど、私の舌は濃い茶色をした塩っ辛いソースが沁みた、コロッケの味を訴えてくるばかりで、砂の味なんて微塵もしてこない。

 お母さんの愚痴は、時折こちらが相槌を打って「ちゃんと聞いている」と意思表示さえしておけば、勝手に満足してくれる。

 ご飯を食べ終えて、ごちそうさまをしても、まだ話が続いている。
 ――本当は、私だって、いろいろ話を聞いてほしいのに。
 唇をきゅっと結んだ。ゆるんでしまうと、私は許されてもいないのに、自分の話をしそうになるから。……そんな衝動が胃からこみあげてくる予感がしたから。

 小さい頃からお母さんは、私の話を少しも聞いてくれない。それどころか、話そうとしたら被せられて何も言えなくなる。
 お母さんは日ごろの鬱憤を発散することができても、私の中ではそれが溜まり続けていて、息苦しくなる。
 私は俯いて、制服の赤色と紺色で彩られたチェック柄のスカートを小さくぎゅっと握った。

 ある程度話に落ちがついたのか、お母さんはお皿を台所に立って洗い物を始めた。その後ろ姿を見て、私は「やっと終わった」と心のどこかで呟く。スマホを確認すると、二十時半を過ぎていた。
 いつもより短い時間で済んで、ホッとした。

 椅子から立ち上がって、台所を出て階段を上り、自分の部屋に入った。
 ベッドにうつぶせになって、真っ暗な部屋の壁を横目で見つめる。
 今日はもう何もしたくない。
 考えすぎたような、そうでもないような、どちらなのかさえよく分からない。
 ただ、もやもやが残る頭でこれ以上何かする気は起きない、それだけ。

 寒いからエアコンを付けたいけれど、リモコンを置いてある机まで手を伸ばすことは、なんだか、何かに負けを認めるような気がして嫌だったから、諦めた。
 制服から寝間着に着替えないといけないけれど、それもしんどくて、そのまま目を閉じた。