星浮く町の思い出屋さん―ちぐはぐな三人の記憶さがし―

 いつも涼しそうな顔をしているから、全く汗をかかないかと思ったら、目の前の男の子は私の自転車を直しながら、首筋から汗が垂れていた。今までどこか所在なさを感じていた男の子に、まざまざと「生」を見せつけられた気分だ。
 本当に、男の子はこの町に住んでいるんだ。
 私と同じくらいの年齢かな。となれば、私と同じく今は夏休み中かもしれない。

 何年生なんだろう? 受験生なのかな? どの大学を目指しているんだろう? 夢はあるのかな?

 男の子に興味を持った瞬間、すごい勢いで疑問が湧いた。すると自転車に目を向けたままの男の子が「ふふ」と、堪えきれないように笑みを零す。

「俺はこの町に住んでいる早川恒太郎(はやかわこうたろう)。恒星の恒に太郎って漢字ね。気軽に恒太郎って呼んで。
 で、今は高校三年生だから受験生だね。将来は天文学者になりたいと思っている。天文学科に行けたらいいけど、そこがダメだったら物理学科がある所かな。
 これで質問には全部答えられたかな?」
「え、質問って……」

 すると男の子の黒髪が、風に乗ってサラリと揺れる。その顔には、ちょっと意地悪な笑みが浮かんでいた。

「さっきの心の中の声、全部口に出ていたよ」
「え、えぇ……!」
「聞こえているのにスルーするのはどうかなと思って。それで質問に答えたんだ、ごめんね」
「いえ、私こそ……」

 ズカズカ聞いてしまって、とうなだれていると、男の子――恒太郎は笑みを深めた。次に「今度は君のことを教えてよ」と、チラリと私に顔を向ける。

「ずっとここに住んでる俺の方が、急に現れた君に驚いているからね」
「あ、そりゃそうだよね……」

 地元で知らない子がいたら、そりゃビックリするよ。私と同じで、恒太郎も私を気に掛けてくれていたんだ。……いや、気になって当然だよ。だって初対面の私から、いきなりせんべいを渡されたんだもの。
 またもや痴態を思い出しそうになって、慌てて頭に浮かんだ「昨日の自分」を消し去る。コホンと咳払いをして、仕切り直しだ。

「私は雪沢千宙。高校三年生で、勉強に集中するためにおばあちゃんの家に来ているの。行きたい大学は、う~ん……あはは、忘れちゃった」

 恒太郎が堂々と「天文学者になりたい」と言った姿を思い出し、反射的に言葉につまる。「名の知れた大学ならどこでもいいから入りなさい」と母から言われたから、言われた通りそこを目指している……なんて恥ずかしくて、口が裂けても言えなかった。

「ふぅん、そっか。じゃあ、また教えてね」
「う、うん……」

「志望大学を忘れる」なんて、かなり不自然な誤魔化し方だ。だけど恒太郎は気にしない様子で、一言だけ返事した。その後は、再び自転車へ目を向ける。そして「直ったよ」と、手でサドルを回して自転車がちゃんと走るか確認した。

「パンクじゃなくて、チェーンがかんでいただけみたい。乗ってみて」
「すごいね、本当に直しちゃうなんて。……うん、問題なく漕げるよ!」

 お礼を言うと恒太郎は「良かった」と微笑んだ。かなり熱心に直してくれたのだろう。最初に会った時とは比べものにならないほどの汗が流れている。
 そのまま……というのも申し訳なくて「おばあちゃん家が近いんだけど、お茶飲んでいく?」と声をかける。

「千宙の家に?」
「うん。……あ~」

 もしかしてこの誘い方は、まずいやつ?

 さっきの熱中症で倒れたおばあちゃんを見たから、こんなに汗をかいたら恒太郎まで倒れるんじゃないかと心配して誘ったことだったが、よく考えれば、これってナンパみたいだ。
 恒太郎もそう思っての「千宙の家に?」なのだろう。またもや痴態をさらしてしまった……。

「ご、ごめん! 変な意味じゃなくて、その、この暑さだから、心配で!」

 必死に(それはもう必死に)言い訳すると、恒太郎は「プハッ」と吹き出した。漆黒の瞳を細めて私を見る。「そんなに必死にならなくても分かってるって」という声が聴こえてきそうだ。

「気遣ってくれてありがとう。でも俺の家、ここからそう遠くないんだ。だから大丈夫」
「そ、そうなんだ! ごめん、余計なこと言った……」

 せんべいに花火に、挙句にナンパ――なんだか夏の風物詩が揃いつつあり、ますます恥ずかしい。このままでは、夏休みでテンションが上がって羽目を外し掛けている痛い高校生だ。
 だけど恒太郎は、落ち込む私の背中をパンと叩こう……として、その手を止める。手が汚れているからだ。その代わりなのか「大丈夫大丈夫」と、恒太郎はゆっくり私を肯定した。

「気遣ってくれて嫌な気持ちになる奴はいないから。俺も嬉しかったし。だから心配してくれてありがとうね。
 俺、ちょっと天文台に寄ってから帰るよ。千宙こそ顔が赤くなってきてるから、早く家に帰った方がいよ」
「う、うん。分かった」

 顔が赤いのは暑さもあるけど、恥ずかしさもある。だけど本当に顔に熱が籠ってきたから、「じゃ」と手を振った。恒太郎も踵を返す。

 手を洗う場所は、どこにあるんだろう?
 あ、天文台の中にあるのかな?

 よく知らないけど、天文学者って星を研究する人のことだよね? 恒太郎が夢中になるほどの星が、あの天文台からは見えるんだ。
 どんな星なんだろう。将来天文学者になりたいと思わせるほどの星を、私も見てみたい。

「ね、ねぇ」
「ん?」
「やっぱり私も、一緒に天文台へ行っていいかな?」

 気づけば、こんなことを言っていた。急だったのにも関わらず、恒太郎はニッと「快諾の証」とも言える笑みを浮かべる。

「もちろん、一緒においで。案内するから」
「~、うんっ」

 方向転換するために自転車を降りる。自転車を押す手に、自ずと力が入る。坂道を登っているのに、不思議と重くない。きっとワクワクしているんだろうな。まだ見ぬ物を待ち遠しく思う気持ちは、まるで自分の背中に小さな羽が生えた心地だ。

「星ってね、すごいんだよ。全ての星には、存在している意味がちゃんとあるんだ」

 私の横で、はじけるような笑みを浮かべて話す恒太郎。そんな彼の横顔を、気づけば私はずっと見つめていた。

 ◇

「ここがデッキだよ。昼間は星がないけど、この町で一番高い建物だからさ。景色だけでも充分に楽しめるかなって」
「わ、本当だ。見晴らしがいいね。風も気持ちいいしっ」

 なびく髪を押さえながら、眼前に広がる自然を目に焼き付ける。
 おばあちゃん家が小さく見える。まさか見下ろす日が来るなんて。

「私の悩み事もさ、私の中では大きいことだけど、本当は『小さい問題』なんだろうな」

 唐突に言ったことだったけど、恒太郎は頷いてくれた。

「そうかもね。望遠鏡を覗く時、俺も同じことを思うよ。宇宙はとてつもなく広くて、そこに浮かぶ惑星も、俺たちとは比べ物にならないほど大きいんだ。
 だからって訳じゃないんだけどさ、大抵の悩みは何とかなるんじゃないかと俺は思ってる。宇宙にはまだまだ謎があって、それを解明するには何百年何千年とかかるかもしれない。それに比べれば――ってね。
 といっても、その時の自分はしんどいだろうけど」

 恒太郎は、チラリと私を見て笑った。きっと気遣ってくれたんだろう。

「悩みなんて謎に包まれた宇宙と比べれば、ないも同然」という言葉は尤もだ。確かに、そう考えられたら楽だろう。だけど、すぐに脳が切り替えられないのも確かなのだ。
 私は、私の悩みを、今この時も私なりに悩んでいる。だから恒太郎が「しんどいだろう」と寄り沿ってくれて嬉しい。少しだけ報われた気持ちになる。

「あ、俺の家も見える」

 恒太郎は私から視線を外し、遠くを見る。どうやら恒太郎の家も、ここから近いらしい。まさかご近所さんなのかな?彼の視線の先には、おばあちゃんの家もあった。

 そういえば恒太郎の苗字の「早川」って、やっぱりどこかで聞いたような――と思っていると、「聞いてなかったけど」と恒太郎。

「ちひろって、どういう漢字?」
「千の宇宙って書いて、千宙だよ」
「へぇ、いいね!」

 宇宙という言葉を聞いた途端、恒太郎はぱっと花が咲いたような笑みを浮かべた。自分の名前じゃなくて、私の名前でこんなに嬉しそうにするなんて……本当に宇宙や星が好きなんだな。思えば彼の名前も、宇宙に関連した名前だ。

 ふと思ったけど、恒太郎はずっとここに住んでいるんだよね? ということは「思い出屋さん」について何か知っているかもしれない。私のおじいちゃんが営んでいた思い出屋さんを、彼はどう思っていたんだろう。

「恒太郎はさ、思い出屋さんってお店を知っている?」
「思い出屋さん……あぁ」

 ポンと手を叩いて、恒太郎は頷いた。

「聞いたことがあるよ。ただ、風の噂だったから、実際に見たことはないんだ。近所の家がその店なんだけど、そこには見たことない車が停まっていることが多々あった。
 不思議に思っていつかばあちゃんに聞いたら『遠くから来たお客さんなんだろうね』って言ってたよ」
「この町の人は、思い出屋さんを利用しないの? その、思い出屋さんはお客さんから話を聞く仕事をしていたらしいんだけど」

 やんわりと内容を伝えると、恒太郎は「これは憶測だけど」と胸ほどある高い手すりに両肘を乗せる。近くにある大木が風に揺れ、葉の影で私たちを覆ったり晒したりしていた。

「近所の人とは日常的に話をしているから、『思い出屋さん』として接していないんだろうね。ご近所さんたちの立ち話の中で、色んな話をしているんだよ。嬉しいこととか、悲しいこととかさ」
「立ち話……」

 なるほどと思った。要は「自分の胸の内を誰に晒すか」ということなのだ。話す相手がいない人は思い出屋さんを頼る。近所の人に話して気持ちがスッキリすれば、それでいいのだ。
 この町は立ち話が日常的に行われていた。だから町の人には、思い出屋さんが必要なかったのかもしれない。

「あぁいった何気ないことが、案外に日常で必要なんじゃないかな。最近は家の中でさえ、会話が少ないことがあるでしょ? 両親だってスマホばかりに目がいってるし」
「あぁ……」

 やや顔に暗い影を落とした恒太郎を見て、「確かに」と思った。大学の進路について相談した時も数回の会話のみで、お母さんは仕事に戻ってしまった。スマホで誰かに電話をしていた。私の話よりも、仕事が大事なのだと思ってしまった。私のことも興味がないのかなって。

「確かに最近、家での会話ってないかも……」
「自分の気持ちを話す機会は、きっと多ければ多いほどいいんだろうね。年齢関係なくね」

 そして時代も関係なく、だろう。祈春さんとミヤを見ていれば分かる。同じく私もだ。
 家で、家族にすら本音で話せないから、ずっと心の中で行き場のない気持ちがくすぶっている。この胸焼けみたいな気持ちは、話す機会をちゃんと作れば解消されるかのだろうか。
 いや、そもそも……私に、お母さんと向かい合って話す勇気はあるのだろうか。そっちの方が問題な気がする。
 それに、やみくもに「行きたい大学がないから勉強したくない」ということも言えない。それでは、ただの子供のわがままだ。

 だから、まずはやりたいことを見つけないと。
 自分の興味が引かれる、そんな何かを――

「この町に来たのは勉強のためじゃなくて、自分の夢を見つけにきたのかも」
「そうか、素敵なことだね」
「ねぇ、恒太郎は、どうやって夢を見つけたの? ほら、天文学者になりたいっていう」
「俺は小さい頃から星を見てきたから、この夢は必然だったと思う。だけど、そうだな。夢を見つけるには、まずは色んなことに触れてみたらいいと思うよ。たくさんの情報や知識を蓄えると、その分、選択肢は広がるんだ。だから挑戦するって、大事だと思うよ」

 確かに、白紙のキャンバスを見たところで「この絵のタイトル」なんてものは分からない。絵で情報が足されていって、ようやく「絵のタイトル」が分かるのだ。
 私の頭の中は、いわば真っ白なキャンバス。受験生だから、とりあえず勉強しなきゃ――とだけ思っていて、将来の自分の姿なんて想像したこともなかった。
 勉強をしていれば何かが分かると思っていたからだ。大学に入れば、何か夢が見つかると思っていた。だけど夢を見つけてキラキラした表情を浮かべる恒太郎を見ていると、「いつか夢は見つかるはず」という考えではいけない気がした。

「挑戦する、か……うん、ありがとう。恒太郎」
「役に立ったかは分からないけど、どういたしまして」

 想像できないくらい、色んなことに触れてこなかった。すごく勿体ないことをしていたように思う。
 だから、これから挽回したい。あてはないけど、手探りで見つけてみよう。色んなことに触れて、私だけのキャンバスを埋めてみよう。そうすれば、私の人生のタイトルが見つかるかもしれないから。

「……あ」

 さっそく見つけたかもしれない。
 挑戦すること。

「祈春さんとミヤに会わなきゃ」

 ふと思い立ち、恒太郎に別れを告げる。すると恒太郎が「待って」と私を呼び止めた。

「俺だいたいここにいるからさ。時間があったら、いつでもおいでよ。勉強できる場所もあるし、一緒にやれば捗るかも」
「うん……、ありがとう!」

 恒太郎と「また」と約束し、おばあちゃん家に戻る。
 いつも畑に出たがるおばあちゃんだけど、この暑さを危惧してか、家の中でのんびりテレビを観ていた。そうかと思えば「どれ、晩ご飯の支度するか」なんて言うから、手伝いしたいと申し出る。
 そんな私を、驚いた目で見たのは、おばあちゃんと一緒にテレビを観ていた祈春さんだった。

「今日は勉強したくていいの?」
「しなくていい、というわけではないですが。これも『ある種の勉強』みたいなものなので」

 そう言うと、祈春さんは首を傾げた。暑いのか、肩についた髪は一つに括られている。括られた毛先が筆になっている様を見て、コンビニで買って帰った、手持ち花火の点火紙を思い出す。

「あの、今日の夜に花火をしませんか? そろそろミヤも帰ってくると思うので」
「花火……」

 奥さんの小夜さんと一緒に、花火を見たことがあるのだろうか。祈春さんは目を細めて「いいね」と嬉しがった。そうしておばあちゃんの元へ行き、「今日は素麺なんてどう?」とメニューを話し合っている。花火に、素麵……確かに、なんか雰囲気が合ってるかも!

 満場一致で素麺に決まった晩ご飯の用意を、三人で手分けして行っていく。素麺と言ったら薬味だと、おばあちゃんはミョウガやシソを切り始める。祈春さんは、さっきから卵焼きを一生懸命に巻いている。私はというと、畑でとれた野菜を洗う係だ。
 今日も今日とて、祈春さんが大量に収穫してきたらしく、シンクの中はトマトの「赤色」で埋め尽くされていた。

「ただいま。庭にテーブルが出てたけど、あれなんだよ?」

 そんなこんなでバタバタ用意をしていると、バイトを終えたミヤが帰ってくる。これから花火をしながら素麺を食べることを伝えると、盛大にため息を吐かれた。何か嫌だったのだろうか。

「花火っていうけど、ライターは持ってんのかよ」
「あ」
「やっぱりな。これ、買って来たから使えよ」

 ミヤがポケットから出したのは、小さなライター。そう言えば花火にしか目がいってなかった。わざわざガスコンロまで行って、点火しなければいけないところだった。
 ミヤにありがとう、とお礼を言った時。ちょうど祈春さんが通りかかる。出来上がった物から、外のテーブルへ運ぶらしい。
 偶然にも一堂に会したこのタイミングで、私はやっと二人にとある相談をする。

「ねぇ祈春さん、ミヤ。
 思い出屋さんのことなんだけど」

 合わせて四つの目が私を見る。そう見られると緊張してしまって、ゴクリと生唾を飲み込む。
 だけど、もう怖気付かない。私は「挑戦する」んだ。
 己を鼓舞するように、恒太郎の言葉を思い出す。

『まずは色んなことに触れてみたらいいと思うよ。たくさんの情報や知識を蓄えると、その分、俺たちの選択死は広がるから。だから挑戦するって、大事だと思うんだ』

 二人には今日まで(特にミヤからは)、「思い出屋さんの店主になってほしい」と何度も言われた。私が引き継がないと思い出屋さんは廃業してしまう、ということは分かっていても、「やる」とは言えなかった。
 怖かったのだ。ウジウジしている自分が、どうして誰かの心を救えることができるだろうと。自分のことを信じてなかった。「自分には荷が重いから」「どうせ務まらないから」と逃げていたのだ。
 だけど恒太郎と話して、挑戦しないままに何もしないのは、ひどくもったいないことだと思えた。何気なくやってみたことが私の好きなことだったり、もっと学んでみたいと思うきっかけになるかもしれないと思った。もしかして私の夢に続くかもって、そんな希望を抱いた。
 だから思い出屋さんの店主をやってみようと思ったのだ。

「思い出屋さんの店主、やっぱりやってみる。先代と比べると頼りなくて、あまりお客さんもこないかもしれないけど」

 それでも私が引き継げば、未来へのバトンを渡せる。この思い出屋さんを繋ぐことができる。それだけでも私が名乗り出る価値がある気がした。……いや、価値があると思うことにする。自分のやることを、まずは自分が信じてあげる。大丈夫だと自分に言い聞かせれば、自ずと自信もついてくるはず。

「やってくれるのか?」
「本当に? いいの、千宙さん」

 二人は目を丸くした。信じられない、という顔だった。だけどもう一度「やる」と宣言すると、二人は揃って肩の力を抜いた。安心したのか、心なしか表情も緩んでいる。
 二人から「ありがとう」とお礼を言われた時、一足先に始めたおばあちゃんの花火の光により、二人の顔が暗闇にポッと浮かぶ。それはすごく優しい顔で……「やると言ってよかった」と、心からそう思った。