星浮く町の思い出屋さん―ちぐはぐな三人の記憶さがし―

「さて」

 いつもとは少し違う、ゆっくりとした、だけどどっしりと構えたような、そんなおばあちゃんの声が聞こえる。

 居間が見える場所に移動した私たちは、はやる心を押さえてさっそく部屋を覗く。
 まず母の背中が映る。次に、いつもの席で、いつもと同じく隣の席を空けるおばあちゃんの姿。二人はL字になる並びで座っていた。
 おばあちゃんが注いだのだろう。ガラスコップには麦茶が注がれている。
 今日も晴天だ。暑いくらいの盛夏だ。けたたましくセミが鳴き、どこかの家でぶら下がる風鈴の音が、この場の静寂を破るように届いている。
 五感で夏を感じる。だけどこの居間だけは、まるで冬将軍がきたようだ。心なしかひんやりし、ピンと空気が張りつめる。

「月子は昔から、人の揚げ足をとるのがうまいからなぁ。
 人の欠けた穴を、大きく広げるのは楽しいか?」
「……そんなこと、いつ私が言った?」
「月子を見て思ったことじゃ」

 おばあちゃんはグラスを傾ける。

「誰にだって未熟なことはあろうよ。特に子供はそうじゃ。考えが足らないことが多い。わたしら大人から見ると『何をそんな甘い考えを』と思うことがある。それでも子供は動くのじゃ。……いや、動けるのじゃ。大人がしり込みするようなことでも、子供は動ける。そうして果敢に挑戦し、自ら道を切り開く。唯一無二の人生を歩くために。
 それは喜ばしいことじゃろ? お前は違うのか、月子」
「私は……」

 母は少しだけ頭を下げた。……何を考えているのだろう。おばあちゃんの言葉に、一体どれほど納得しているのか。
 母が何も喋らないことを受け、おばあちゃんが再び口を開く。

「お前のしていることは、見えない鎖で子供を縛っているのと同じじゃ。自分の思い通りに動かそうとしている。宙ちゃんは操り人形か? 月子の目に、あの子はどう写っとる?」
「……」

 また、母は喋らなかった。だけど私からすると意外だった。母は言い負かされるのが、とにかく嫌いな人なのだ。おばあちゃんの言う通り「揚げ足取りが上手く」て、人が見せたちょっとの隙をも見逃さない。巧妙に付け入り、ぐうの音も出ないほど理詰めする。それ故に、私は母との会話が苦手だ。何を言っても負けるから。
 だからこそ今、おばあちゃんに何も言い返さない母が不思議だった。大声で反論するかと思えば、何かに耐えるように顔を下げるだけ。

「私は、怖いのよ」

 ようやく母が口を開いたのは、おばあちゃんが茶菓子を出そうとした時だった。沈黙が、破られる。

「星来を医学部に行かせたはいいけど、六年間の大学費用が払えるか……それが不安で、怖いのよ」

「一人暮らしの費用もいるし」と母は、いつもよりゆっくり話す。

「星来が『医者になりたい』と言った時は、応援したいと思った。だから受験したけど……いざ大学に通うとなったら、急にお金のことが心配になった。お父さんは土木の仕事についてるから、いつ体を壊して無職になるかもしれないし」
「お金が不安か?」
「急に現実を見るようになった、っていうのかしら。今思えば、医学部は無謀だったのかなって」

 母は顔を上げた。カタンとコップの音がしたから、麦茶を飲んだのだろう。背中しか見えないから、音を頼りに情報を拾う。

「でも、そこで打ちひしがれても仕方ないから、それなら私が稼ごうと思ったの。ちょうど昇進したし、これ以上にない好機だと思って。だけど上司からは『女だから』と侮られ、部下からは『あまり歳が変わらないのにしゃしゃり出て』と冷めた目で見られ……。
 そんな中で自分を奮い立たせるには、完璧な自分でいるしかなかった。欠点のない私になれば、誰からも文句は言われないはずだから」

 母が喋る間に、おばあちゃんは引き出しにしまっていた茶菓子を出した。そうして母が喋り終わったら「ほら食べろ」と、菓子皿をズズと母へ寄せる。母はポリポリ音を立て、「おいしい」と呟く。かすれた声だが、泣いてはいない。こんなことで泣く母ではないのだ。だけど……よほど思いつめていたのだろう。いつも大きく威圧的な母の背中が、今はちっぽけに見えた。

「月子は抱えすぎるからなぁ。もっと楽に考えればいいのに、あることないこと考えて全部背負ってしまう」
「あることないこと、ってなによ。全部『あること』よ」
「部下の『皆』がお前を嫌っているのか? 慕ってくれる人もいるだろうに」

 母は心当たりがあるのか、「あ」と短く声を漏らす。

「そういう人の善意すら、お前が勝手に悪意に捉えて敵視する。そんなことをすれば、いくら慕ってくれる人もお前を嫌煙する。月子は自分から敵を作り、孤独になる。昔からの悪い癖じゃ」

 昔から――だとしたら、母は損な性格だ。自分からあることないこと首を突っ込んでは孤立無援になり、自分で自分の首をしめるのだから。
 しかしおばあちゃんの話の中で「確かに」と思う所はある。母は昔から、どこか完璧主義だったのだ。母も自分の性格を理解していたのだろう。だから自分を抑えることができたし、私たちへも優しく接していた。
 しかし姉が大学に入るとお金のことが心配になり、おまけに立場のある役職につかされ多忙を極めた。その結果、心の余裕がなくなった。故に私へ「完璧」を求め始めた。「どこでもいいから皆が知る有名大学に行きなさい」と言い始めたのも、その時だ。

「しかし」とおばあちゃん。

「お金を思うと逼迫する気持ちも分かるが、千宙に当たるのは筋違いだ。星来には夢を追わせておいて、なぜ千宙には制限する? その不平等に、『もう帰って』とあの子が怒るのも当然じゃ」
「それは……お金に苦労してほしくなかったからよ。私みたいに」

 母の頭が下がる。彼女の背中が、自信を失くすようにゆっくり曲がる。

「子供がどんな夢を見つけても、親であれば応援したいと思う。だけど、その先に明るい未来が待っていないなら、私は止めるわ。苦労してほしくないから。好きでもないのに、さほど儲からないって噂の心理カウンセラーを目指して、あの子が幸せになるとは思えない。
 子供に、楽に、楽しく生きてほしいと思うのは、おばあちゃんも同じでしょ?」
「そうさな」

 おばあちゃんは頷く。「母というものはそういうものだ」と添えながら。

「けどな月子。お前の気持ちは、宙ちゃんの前では迷惑も同じだ」
「め、迷惑⁉」

 これには母も声を荒げた。私も私で、いきなりの緊迫した状況にヒヤヒヤだ。だけどおばあちゃんはゆったりと話した。そこには焦りも不安もない、あるのは彼女が積み上げてきた貫禄だけ。

「子供には子供の人生がある。いくら親が心配しても、手を繋いでもこける時はこけるし、怪我をする時はする。親がすることは、子供が失敗しないよう予め行動を規制することじゃない。弱った子供が泣きつく場所を常に用意しておくことだ」
「あ……」
「まだ宙ちゃんは泣きついていない。一人で頑張れるという証拠だ。だから、その道を阻むな。彼女が自分で見つけた道だ。黙って後ろで待っていればいい。宙ちゃんが不安になって振りむいた時に、月子がその不安ごと受け止めてやれ。
 子供というのは親の前を走るものだ。同時に親というのは、大きくなる子供の背中を見守るものだ。それを忘れてはならん」

 ツンと、鼻の奥が痛くなった。おばあちゃんの言葉は、私に「自由にしていい」と言ってくれたみたいだった。涙がこぼれそうになる。しゃくりあげては母にばれてしまうから、なんとか涙を飲み込んだけど。
 だけど、どうやら母も同じらしい。

「ほれ月子、ティッシュ。そうやって我慢するから色々ため込んでしまう、お前の悪いところじゃ。ガス抜きしろ。皆が戻ってくるまでに泣いておけ」

 お母さんの声は何も聞こえなかった。だけどティッシュを抜き取る音がした。たまに「は~」と、大きな吐息も零れる。今まで母が背負っていた重荷を、私は初めて目の当たりにした気がした。

「お母さんも、ずっとしんどかったんだね」

 ポツリと零すと、恒太郎は私の頭を撫でた。今までで一番、優しい手つきだ。

「千宙が勇気を出して『家族の気持ちを聞こう』と思ってくれてよかった。今まで一番、穏やかな顔をしてる」
「前の私、ひどい顔だった?」

 恐る恐る恒太郎を見上げると、彼はニッと笑みを深めた。たまに見せる、ちょっと意地悪な笑みだ。

「きっと俺も昨日はひどい顔だったから、お互い様だよ」
「うん、ふふ。そうだね」

 笑い合っていると、なんだかいい匂いがしてきた。居間から続く台所を見るも、誰かが料理をしている気配はない。というか、中庭から漂っているような……。

「そういえば他の人達は、とっくに話が終わっているよね? 何をしているんだろう」
「お肉が焼けるような香ばしい匂い……まさかっ」

 二人で顔を見合わせ、急いで玄関で靴に履き替える。
 玄関扉を開けると、「アロハ~!」と。いつもコンビニで見る店長が、なぜかパンパンに膨らんだビニール袋を両手に私たちを出迎えた。