星浮く町の思い出屋さん―ちぐはぐな三人の記憶さがし―

 玄関で待っていると、名前を呼ばれた。
 男の子の声――?
 膝の間から顔を抜き、声のした方を見上げる。そこには、「父さんの見舞いに行く」と言っていた恒太郎が、心配そうに私を見下ろしていた。

「大丈夫? 千宙。
 って、泣いてるの? ちょっと待って」

 そう言いながら、恒太郎はゴソゴソとポケットを探る。そうして「あった」と、私にふわふわのハンカチを渡してくれた。私は何が何だか分からないまま受け取り、ポカンとする。

「どうして、だって今日はお見舞いにって……」
「その予定だったけど、何か胸騒ぎがしてさ。それに『いつでもメールして』とは言ったけど、千宙ってスマホを携帯しなさそうだなって思って。一人で抱え込んでいるんじゃないかって心配で、様子を見に来ちゃった」
「あ……」

 確かに、その通りだ。現に今だって、スマホは書斎室に置きっぱなし。
 本音で話すこともそうだけど、ここぞという時に助けを求めることも難しいのだと、今になって気づく。

「私、未熟なことだらけだな」
「そんなことないよ。千宙は頑張った。じゃないと涙だって出ないはずだから。本気でぶつかった証拠だよ」

 渡したはずのハンカチを自ら取って、私に代わって恒太郎が涙を拭いてくれる。「いいよ」と言ったけど、彼は譲らなかった。

「昨日は甘えさせてもらったからね。今度は俺の番。いつでも胸を貸すから、飛び込んできていいよ」
「それは……ふふ、難しいかも」

 いつも真面目な恒太郎が、こんな風におちゃらけてくれる。私の心を和ませようとしてくれるんだと思ったら、自然と笑みが零れた。……そういえば、祈春さんが言ってたな。

『千宙さんにはとびっきりが来るから。玄関で待っていてよ』

「とびっきり」というのは、恒太郎のことだったんだ。
 どうして祈春さんが恒太郎と連絡をとれたんだろう、という疑問はさておき。
 涙を拭いてくれたり、笑わせてくれたり――私の沈んだ心を、無理なく少しずつ掬い上げてくれる。確かに恒太郎は、私のとって「とびっきり」だ。彼のおかげで、時間をかけて流れた涙が、やっと止まる。

「私、家族の仲を引き裂いちゃった。もう元に戻れないと思う。今まで仮面をつけた家族だったけど、それでも何とか一緒に住むことはできた。だけど……もう無理だよ。私が壊したんだ」

 私は玄関に座ったまま。恒太郎は立ったまま。まるで止まってしまったような時間の中で、心にある不安を向き出しにしていく。
 不思議なもので、喋り出してしまえば、数珠つなぎでどんどん気持ちが溢れてきた。次から次に、面白くなければ明るくもない、ただ虚しい言葉を呟いていく。

「ごめん、恒太郎。こんな情けない姿ばかり見せて。朝、あれだけ励ましてくれたのに」
「ううん。上手くいかないことはあるよ。ぶつかることもあって当然だ。
 だからこそ話をするんだよね?
 昨日、千宙が俺に教えてくれたことだ」
「あ……」

 そうだ。ご両親がどう思っているか聞いた方がいいと思って、恒太郎に「お母さんと話した方がいい」と伝えた。
 でも……私はもう、母の気持ちを知っている。その結果、母は私の気持ちを否定した。

 ズンと暗い雰囲気を再び纏う。その肩に、恒太郎の温かな手が優しく乗った。

「さっきは千宙が話したんでしょ? なら、今度はご家族が話す番だ。
 今は、みんながそれぞれ別室で話しているんだよね?
 何を話しているか、こっそり聞きに行こう」
「え、でも……」

 それって、いいのかな? いわゆる盗み聞きって奴だよね?
 だけど恒太郎は「いいから」と、私の手をやや強引に引っ張る。

「子供が親に話をするのは勇気がいるけど、きっと親も同じなんだよ。子供を前に『自分の気持ち』を話すのは、勇気がいるし難しいことなんだ。だから素直になれない時もあるし、全てを話しきれない時もある。
 だから子供である千宙以外の人と話す時こそ、本音が出るのかも。だから聞いてみよう、親の気持ちを」

 子供って親をよく見る。気にする。だからこそ上手く振る舞えない時がある。子供ってそういうものだ。
 だけど恒太郎の言うように、親も似ているのかもしれない。大人とは言え完壁じゃなくて、だからこそ不器用で、口下手なのかも。
 もしそうなら、私の知らない母の気持ちがあるのなら……聞いてみたい。

「私、行ってみる」

 これが最後の望みだと。一種の賭けのような気持ちで、私たちはこっそり中へ戻った。
 



「ここまで来て何を話すか分かっていない内は、父親失格だぞ」

「一室ずつ聞き耳をたてよう」となり、一番に向かったのは、ミヤと父がいる部屋だ。
 ミヤが心配になったのだ。いかんせん二人には体格差がある。父は土木の仕事をしているからか体格がいい方だ。ゴツイ、というべきか。対してミヤは中学生の容姿。力の差は、一目瞭然だ。
 ゆえにケンカになろうものなら――という一抹の不安が湧いて、「一番にミヤの所に行きたい」と言ったのだ。
 その心配は当たっているというべきか、ミヤの強気な口調に、父はイライラしているようだった。胡坐をかいている足の、その膝がユラユラと揺れている。時おり聞こえる大きなため息は、ミヤに聞かせるためだろう。最近の父がよくやる手だ。
 言葉ではなく行動で示す。それも他人に気づいてもらうこと前提の受動型――一家の大黒柱とは思えない貫禄の無さだ。しかも家族だけではなく、赤の他人にまでこの態度とは……と、改めて父には失望する。

「俺がここにいる意味はない。失礼する」
「おい、まだ話は始まってもないぞ」
「話すことはない。第一俺は、責められることは何もしていない。ちゃんと家族を『見守って』いる」
「……」

 私だけでなく、ミヤの眉もピクリと動く。次に、大きなため息を吐いたのはミヤだった。

「『見守る』と『見放す』をはき違えるなよ」
「……なに?」
「あんたのしていることは、家族の悩みを蚊帳の外で見ているだけだ。『自分は関係ない』と興味を示していないだけ。……あんた、さっきの千宙の顔を見たかよ? 母親にあれだけ責められる娘を見て、何も思わないのか?」
「だから、俺は見守って」
「違う。見放したんだ」

 ガツンと険のある声が響く。父からも感じたことのない気迫を、爛々とした目つきをしたミヤが纏っている。

「あんたは首をつっこむのが面倒だからと放置した。『どうせ二人で答えを出すだろう』と他人任せにした。
 そんなやつが千宙の父親なんて口が裂けても言うなよ。あんたにはその資格がないんだから」
「っ!」

 カッとなった父が、その場にすっくと立ちあがる。机を叩きそうになったのをようやく自制し、腕の振りを止めているようだった。加えて、怒鳴りそうになったのだろう。しかし寸でのところで抑えた。ハクッと動いた口が、ふるふると閉口する。
 対してニヒルな笑みを浮かべたのはミヤだ。「まぁ座れよ」と、今度は自分が足を崩して胡坐をかく。

「本当のことを言われたからって、そうカッカするな。これ以上千宙に幻滅されたくなかったら、ここで考えを改めていけ。もちろん考えを改めたからって、謝罪は必要だぞ」
「~っ、そんなことを言うために俺を呼んだのなら、失礼する」

 ミヤの態度に、ついに堪忍袋の緒が切れたらしい。父は私たちが聞き耳を立てている襖に近づく。
 見つかる前に逃げなきゃ、と思った時。ドンと、大きな音が響いた。ついに父がミヤへ何かしたのだろうか?
 慌てて中を覗く。狭い視界に写ったのは、父の両手を、片手で机に押さえつけるミヤ。父の左手、その上から右手、そのまたさらに上にミヤの右手が乗っている。まるで団子状態……というのはあながち間違いではなく、三人の折り重なった手の近くに、本当に指の隙間を縫うように、ボールペンが一本、団子の串みたいに机へ突き立っていた。机は昔ながらの厚い木で出来ていて、ちょっとやそっとじゃビクともしない。もちろんボールペンなんて刺さらない。むしろボールペンの方が負けるだろう。だけど、それが突き刺さっている。木を裂くほど速い動きで、ミヤが机に刺したのだ。
 形勢逆転。ミヤの実力は、父を優に越えるものだった。

「話の続き、するよな?」
「も、もちろん……っ」

 こんな芸当を見せられては、いくらガタイのいい父でも縮み上がるというものだ。ミヤが「次は本当に刺さっちまうから気を付けろよ」なんてにっこり笑って、父の手を解放する。それが恐怖を倍増させたのか、父は元居た場所に大人しく戻った。今度は父の方が正座をしている。ミヤは「くるしゅうない」って感じで、尚もあぐらだ。

「ねぇ、あのミヤって子、大道芸人か何かなの?」
「あ、あはは……」

 ミヤはロボットなんだよ――とは言えず。不思議がる恒太郎に、私は苦笑を浮かべるしかない。
 その後の父は、さっきとはうってかわって大人しいものだった。ミヤから「父親というのは」という話をこんこんと聞かされている。借りて来た猫という表現がしっくりくる。
 ミヤは、ロボットだ。それ故に父親がいない。
 だけど彼は、まるで自分に父親がいたかのように話をしている。その瞳の奥には、元の時代を懐古しているような、自分を引き取ってくれたおじさんを大切に思い出しているような。そんな、ちょっと切ない、だけど温かい記憶がちらちらと見え隠れしていた。




 次は、祈春さんと姉がいる部屋へ向かった。

 向かっている途中、さっきとは違う、何か、こう……何とも言えない空気が廊下にまで漂ってきた。私と恒太郎は、不思議がって顔を合わせる。部屋の先に、どんな光景が待っているのだろう。緊張しつつ、少しだけ襖を開ける。

「ねぇ、祈春さんって彼女いるんですか?」
「妻がいるよ」
「え~! もうご結婚されているんですか!」

 さすが姉というかなんというか。いや、あの父にしてこの姉あり、とでも言うべきか。姉は「どうして自分がこの部屋に移動してきたか」を全く分かっていないようだった。というか、意味をはき違えている。姉の顔に「イケメンの祈春さんと二人きりになれて嬉しい」と書いてある。
 祈春さんは大人なので、姉のそういう態度は透けて見えているだろう。しかし妻を亡くした彼からすると、姉の態度は不快そのものだ。後で謝ろう、何度でも。姉に代わって、心から。

「君は」
「私、星来って言いますっ」
「星来さんは、千宙さんの夢に反対なの?」

 姉のぶりっ子を気にも留めない祈春さんは、聞きたかったことを聞く。すると姉はそれまで浮かべていた笑みを、スッと引っ込めた。

「応援するつもり、です。ただ、大学は長いから……。私は、あの子が『勉強好きじゃない』ことを知っているから、テキトウに決めた将来の夢のために好きでもない勉強をするのは苦しいだろうなって。そう思ったんです」
「……そう。ちゃんと意味があったんだね。
 星来さんは? 今、学生なんでしょ? 勉強は苦しくないの?」
「私は将来の夢を目指して入学したから、意思があるし覚悟があります。医学部を受験したみんなも、きっとそう。だけど……それでもリタイアしていく子がいる。自分が志した道でも、勉強についていけないと断念する子がいるんです。だから、千宙にはちゃんと決めてほしかった。後悔しないように、ちゃんと」

 机の上で両指を組む姉を見て、祈春さんは「そっか」と呟いた。その際に、こちらをチラリと見たのは気のせいではない。彼は気づいているのだ。私と恒太郎が盗み聞きしていることに。いや、むしろこうしてほしくて一人一部屋に分けたのだろう。ミヤと相談して、そう決めてくれた。私のために。私が家族の本音を知られるように、と。

「ありがとう祈春さん、ミヤ」

 それに恒太郎も――私の後ろから部屋を覗く恒太郎へ、チラリと視線を送る。彼は父を見ていた時よりかは、幾分か落ち着いた表情になっており、私の視線に気づくとふわりと笑ってくれた。きっと「姉が私のことを思っている」と分かったからだろう。

 ね、千宙は大事にされているんだよ――という恒太郎の声が、聞こえてきそうだった。

「星来さんは、ずっと千宙さんを大事に思ってきたんだね。だからこそ、彼女を気に掛ける癖が抜けないんだ。確かに君の中で千宙さんはずっと妹だけど、いつまでも小さな子供じゃない。自分の夢を自分で決めるくらいには、大きくなったんだよ」
「あ……」
「心配するのも分かるけど、まずは信じてあげなくちゃ。君が将来の夢を口にした時、千宙さんは止めたかな?」
「そういえば、一言も止められなかったな。がんばれって、そう言ってくれた」

 あれは嬉しかったな――と目を伏せる姉を見て、ちょっとだけ泣きそうになった。そういえば私は昔から姉を頼ってばかりで、一言目から「お姉ちゃん」と助けを求めることが多かった。そう言えば、いつだって姉が助けてくれたのだ。
 その繰り返しを経て、姉の中で「私に世話を焼くこと」が当たり前になっていった。つまり、姉はただのお節介じゃない。私への思いが積み重なってできた、こじれた愛を持っている、とでも言うべきか。

「星来さんは今まで十分に、手を差し伸べてきた。だから今度は見守ってあげよう。それが千宙さんのためにもなるから」
「……つまり私って、妹離れができてなかったんですね」
「そうだろうね。僕からすると微笑ましい悩みだけど」

 だけど両親そろって千宙さんを信じないのはよくないよね――と、祈春さんは朗らかな笑みの中でも、ピリッとした空気をまとう。その言葉の意味をちゃんと理解したのか、もう姉は祈春さんに言い寄らなかった。「ありがとうございます」と、座ったままキレイな角度でお辞儀をする。

「姉として間違ったことをしていたから、謝らなくちゃ」
「誰だって間違いはある。大事なのは紡ぎ直すことだよ。姉妹の絆も、家族の絆も。そうしなければ千切れて離れて、バラバラだ」

 そう言って、祈春さんは懐からポストカードを取り出した。写真の中でキラリと光る星が、祈春さんの目に反射する。瞳が潤んでいる? 泣きそうになっているのだろうか?
 そう心配したけど、姉が「キレイですね」と、ポストカードを指さす。祈春さんは憂いを晴らすような笑みをにっこり浮かべて、「僕の宝物なんだ」と。小夜さんとの記憶と共に、再びポストカードを懐へ仕舞った。



 最後は、おばあちゃんと母がいる居間だ。
 父は、本当に自分の立場が分かっていなかった。姉は自分が何をすべきか、はき違えて捉えていた。だけど根底には、私への愛がちゃんとあった。
 だったら母はどうだろう?
 私のことを、どう思っているのかな?

「……っ」

 知りたい、だけど知りたくない。そんな二つの気持ちがガツガツと心を削りながらせめぎ合う。
 だけど、震える手が温かな体温に包まれる。恒太郎だ。まるで「大丈夫だよ」と言わんばかりに、私の手をギュッギュッと握ってくれた。これは……朝もしてくれた「おまじない」だ。
 ありがとう、恒太郎――
 おまじないをかけてもらった私は、深呼吸をして落ち着きを取り戻す。そうして居間に近づき、二人の声に聴き耳を立てた。