翌日の朝九時。私は縁側で深呼吸をしていた。
「スー、ハー……」
なぜそんなことをしているかというと、あと三時間もすれば来るからである。私の母と姉が。
「私が見つけた将来の夢は心理カウンセラーで、その理由は……」
深呼吸の後は、まるでこれから面接を受ける受験生のように、ブツブツと繰り返す。
母に話す内容は決まっていて「将来の夢が決まったこと」、「心理系の学部に進みたいが、無名大学であること」だ。本当は有名大学の心理系に進めれば良かったけど、「私の偏差値ではギリギリ難しい」というのが昨夜調べて分かったことだ。でも、その他にも要因はある。それは――
「おーい、千宙」
「え、恒太郎?」
縁側から庭を挟んで見える道路に、恒太郎が立っている。右左を確認した後、こっちに来てくれた。半袖に膝丈パンツと、今日はラフな格好だ。いつもは見えない膝が見える……それだけで、なんだか恥ずかしくなってしまって、視線を逸らす。
「どうしたの?」
「えと、いや……何でもないよ」
遅れて「おはよう」と互いに挨拶をする。座っていいか恒太郎に聞かれたので頷き、私たちは縁側に隣同士で腰かける。
「今日、お母さんと話すんでしょ? 将来について」
「うん。お昼に来るんだけど、緊張しちゃって……」
「そうだよね」
恒太郎は、雲が速く流れる空を見上げる。私の憂いを晴らすような太陽が、頭上からジリジリと道路を焼いている。
昨晩、衝撃でスマホを落とした私に代わり、恒太郎が拾ってくれた。その時に「あ」と、申し訳なさそうに私を見る。
『ごめん、メール見ちゃった』
『え、いいよ。それは、いいんだけど……』
『お母さんに、会いたくないの?』
恒太郎からスマホを受け取る。「そうじゃないけど」と曖昧な返事になってしまった。「会いたい」と言えないところをみれば、私は母に壁を感じているんだろう。もちろん、姉にも。
『私ね、将来の夢が最近やっと決まってさ。だけど、たぶんお母さんが望む大学とは違うの。それを明日、話そうと思うんだけど……』
『あぁ、なるほど。それは緊張するよね。俺も経験があるよ』
『え。恒太郎にも、そんな時があったの?』
ビックリして尋ねると、恒太郎は「そりゃあるよ」とクツクツ笑った。
『天文学者なんて狭き門だからさ。大変なだけで得る物が何もないんじゃないかとか、最初は散々に言われたよ』
『どうやって乗り越えたの?』
『何もしなかった。何を言われても、俺はこれまで通り天文台に通い続けた。そんなブレない俺の姿を見て、先に両親の方が折れた。それからは応援してくれてるよ』
それは、すごくいいご両親だな……って、ちょっと羨ましくなっちゃった。だって私のお母さんは、私よりも仕事を見ているから。私が何の行動をしているかなんて気にも留めないだろう。真正面から話さないと、会話する機会さえ設けられないのだ。
羨んでいると、恒太郎は「でも」と、さっき通話した自分のスマホを見る。
『いつも行動を起こすのは両親の方だった。要は俺、甘えていたんだ。だから今回は、すごく苦労した。自分からアクションを起こすって、難しいんだな。自分の気持ちを相手に気づいてもらうのって、簡単じゃないんだ。
だからこそ千宙の気持ちが分かるよ。
明日は緊張するだろうけど頑張って。応援してるから』
『うん……。ありがとう、恒太郎』
――そういう経緯があって、今の私の心境を、恒太郎は知っているのだ。
は~と長い息を吐く私の背中を、昨日私がしたように、恒太郎がポンポンと優しく叩く。
「大丈夫だよ。千宙は乗り越えられる。そうだ、おまじないしようか」
「おまじない?」
「両手を出して、はい」
「は、はい」
空に手のひらを向けて、恒太郎の前に両手を出す。すると恒太郎も、自分の両手を出した。それを私の手にピッタリ重ね、次にギュッと握る。まるでおにぎりを作るように、ギュッギュッと。
「あの、えっと」
恒太郎の体温が直に伝わり、どうしたらいいか分からない。アワアワしている間に「はい、おわり」と恒太郎は手を離した。
「今の緊張した?」
「し、したよ。ビックリした」
「よかった。それは一日分の緊張だよ。先取したから、お母さんと話す時はもう緊張しない。だから安心して話しておいで。きっと千宙なら大丈夫だから」
「恒太郎……」
そのための手繋ぎだったんだと、彼の思いやりに心が温まる。「ありがとう」と笑うと、恒太郎も恥ずかしそうに笑い、そのままピョンと縁側を降りた。
「俺も今日、父さんの見舞いに行くんだ。またメールするよ。千宙も、いつでもメールして」
「もちろん電話も大歓迎」と言われ、ポッと顔に熱が溜まる。だって、なんだか恒太郎が「私からの電話を待ち望んでいる」って勘違いしちゃうような、そんな笑顔だったから……。
ドキドキしながらお礼を言うと、恒太郎は爽やかに笑った。そうして手を挙げ、自分の家に戻って行く。お父さんへのお見舞いがあって忙しいだろうに、私が緊張してると思って、わざわざ顔を出してくれたんだ。
「ありがとう、恒太郎」
お母さんが来る前に、恒太郎に会えてよかった。すごく勇気をもらえた。さっきまでに不安は、もうない。
私は、ちゃんと話せる――自然と、そう思えた。
「あれが恒太郎くんなんだ、いい子だね」
「そうか? 爽やかそうに見えて、なんか手が早そうだけどな」
恒太郎の優しさをしみじみ感じていると、上から声が降ってきた。見上げると色違いの甚平を来た祈春さんとミヤの姿。寝た格好のままだ。これから着替えるらしい。
「二人共、昨日は夜遅くまで付き合わせちゃってごめんね」
というのも昨晩、恒太郎と別れて家に帰った後、ミヤに手招きされた。何かと思えば、白い紙をバンと提示される。一番上には「志望大学5ランキング」と書いてあった。
『一緒に調べてやる。心理カウンセラーを目指せる大学と、あんたの偏差値を照らし合わせていくぞ』
『僕は全然詳しくないから、主に書く係でお願いねぇ』
そうして二人の協力があって、夜通し志望大学を調べていたのだ。その甲斐あって、ランキングは埋まった。さっそく今日、お母さんに話すことができる。……お母さんのお眼鏡にかなう大学は、やっぱり候補に挙がらなかったけど。
「祈春さん、ミヤ、ありがとう。私、お母さんに全力でぶつかってみる」
「応援しているよ、千宙さん」
「ま、あんたなら大丈夫だろ」
二人からの激励を受け、再びヤル気がみなぎってくる。
大丈夫、私ならきっとできる――
そうして昼の十二時を心穏やかに迎えた……のだが。
「お父さんも一緒に行きたいって言うから、急きょ三人で来ちゃった。おばあちゃーん、久しぶり!」
「……え?」
寝耳に水の話に、思わずすっ転んでしまいそうになる。母、それも姉と一緒というだけでも気が重かったのに、そこに父も追加となれば……。
さっきまで凪いでいた心臓が、再び忙しなくドコドコと音を立てる。あぁ、こんな状況で私の夢を話さなければならないなんて。
姉の星来(せいら)を見ると、実家よりも栄えた場所へ移り住んだためか垢ぬけて美人になっている。服も見たことないもので、彼女を一層華やかに見せた。口から出てくる話も私の知らない大学の話で「勉強ばかりで忙しい」と言うも、私からするときらびやかに輝いて聞こえる。
「朝は早いし、夜は遅いしで大変だよ~」
「そうかい、星(せい)ちゃんも頑張っているんだねぇ」
いつもの食卓を、私たち家族四人と、おばちゃんで囲んでいる。祈春さんとミヤは「自分たちがいるとややこしくなるから」と、二階に控えている。もちろん彼らが使っている布団は、今はタンスの中だ。
今日は珍しくバイトが休むだというミヤに、窮屈な思いをさせてしまっている。早めに話をして、この場をお開きにしよう。
「あのさ、私の行きたい大学のことなんだけど」
唐突に話を切り出す。すると今まで笑みを浮かべていた姉と、相槌を打っていた母、黙々とご飯を口に運んでいた父すらも、動きを止めて私を見た。六つの目が、私を品定めするように見ている……気がする。いや、きっと私の恐怖心が、そう見せているだけなのだろうけど。
恒太郎が言ってくれた「千宙なら大丈夫」という言葉を思い出す。そうして小さく息を吸った後、意を決して私の気持ちを吐露した。
「私。将来は心理カウンセラーになりたい。だから心理系が学べる大学を探したの。そうして大学を絞ったんだけど……これが、私の行きたい大学」
昨夜、三人で考えたランキングを、小さな紙に書いておいた。それを隣にいる姉に渡す。すかさず母が覗き込んだ。その瞬間、眉間にギュッとシワが寄る。
「千宙、これは何の冗談?」
「……冗談じゃないよ」
ここ数日、真剣に考えてきたことを「冗談」だと一蹴する。私の努力を無に帰すような残酷な行いに、思わず心が折れそうになった。だけど、ここで怯んでいては何も成せない。昨晩、勇気を出した恒太郎を脳裏に映す。あの時の彼の勇気が、今の私に宿りますように――
「ちゃんと自分なりに考えて決めたの。やっと自分のしたいことが見つかった。だから」
「どうして、いきなり心理カウンセラーなの? それがやりたいと思ったきっかけは?」
「それは、思い出屋…………えぇっと」
言いかけて、思いとどまる。
思い出屋さんの話をして、いいのかな?
おばあちゃんは「重荷になるものを継がせたくなかった。娘にも孫にも」と言った。つまり思い出屋さんのことをお母さんに内緒にしておきたい、ってことだろうか。それに私としても、思い出屋さんはひっそりと営んでいきたいと思っている。自分だけの秘密……というか、思い出屋さんをしている時が、一番私らしくいられる気がするから。要は、私にとって大切な場所なのだ。そこを母や姉に邪魔されたくなかった。
だから言えなかった。「思い出屋さんをしたから将来の夢が見つかった」と。何を言わない代わりに、拳をぎゅっと握る。
だけど当然、母は不満だろう。どうして心理カウンセラーになりたいのか聞いても答えないなんて、思いつきで喋っているとしか思えないだろうし、実際に母はそう勘違いした。「やっぱり」と吐き捨てながら、私が書いた志望大学の紙を机に置く。
「何でもいいから職業を決めて、行けそうな所に行こうだなんて。自分に甘すぎるわ。そんなんじゃ社会に出てもやっていけないわよ」
「何でもいい、なんて。私がいつ言った?」
「……言ってるも同じじゃない」
珍しく反論した私に、一瞬だけ母は驚いたようだった。だけど、すぐに応戦する。私も母も、目と眉をつり上げている様は、全くもって一家団欒な雰囲気ではない。祈春さん、ミヤ、おばあちゃん。この三人といた時の方が、よほど「家族」の温かさを感じる。
ウチの家族は、家族の体をなしていない。既に冷え切っているのは、一目瞭然だった。
「あなたも何とか言ったらどう? 気軽に心理カウンセラーなんて言ってるけど、間違いなく大変な職業よ。千宙が苦労するのは目に見えてるわ」
「あ? うぅん」
父はいつもの調子で寡黙一辺倒だ。「首を突っ込みたくない」「面倒くさい」と顔に書いてある。父であるのに、なんて無責任なんだろう。娘である自分の肩を持ってくれない薄情さに、心に新たなわだかまりができる。
極めつけは、今まで傍観者であった姉だ。
「大学って楽しそうだけど大変だからさ、よく考えて決めた方がいいよ? 適当に決めて大学入ったって、興味のない勉強をするのは苦痛だし」
「私が、いつ……って言った」
「え?」
さすがにカチンときた。
姉がいない間は、ウチがどれほど冷え切っているか知らないくせに、何を口を挟んでいるんだと、そんな汚い言葉が私の心を覆う。
いつもは家にいないくせに、こんな時だけしゃしゃり出て、何を今さら――あぁ、もう止まらない。自分の口を制御するのは、既に不可能だった。
「私がいつ『テキトウに決めた』って言った?
お姉ちゃんは黙ってて。勝手に出て行ったくせに……。
一人楽して、この家から逃げ出したくせに!」
「な、千宙⁉」
「こら千宙、なんてこと言うの!」
「誰も私の言うことを聞いてくれないなら、もう出て行って! 今すぐ帰ってよ!」
その後は、言うまでもなく散々だった。
姉をかばいながら母は私を責めるし、姉も姉で「心配しているのに!」と自分がお節介なことに気づいていない。家族がひっちゃかめっちゃかな状況であるにも関わらず父は見て見ぬふりで、依然として皿の上で箸をさまよわせている。どのおかずを選ぼうか悩む暇がある彼に、「一体どういう神経しているんだ」と叫びそうになった。
だけど口を塞がれた。大きな手によって。
見上げると、いつもの笑みではなく、どこか困った顔で笑う祈春さんがいた。
「さすがに看過できないから出てきちゃった。ごめんね」
ギスギスした空気を浄化するような優しい声に、思わず涙腺が緩む。
こんなつもりじゃなかったのに。ただ私の気持ちを伝えたかっただけなのに。
自分の本音を話すことすら、この家族の中では難しい。
やっぱり私たちは偽物だ。
形ばかりの、はりぼての家族だ――
その後は泣いてしまって、とてもじゃないが話が出来ない。そんな私に代わって、ミヤが声を張った。
「全員、移動しろ。一人一部屋ずつだ」
「失礼ですけど、あなた達は……?」
怪訝な顔をした母が、祈春さんとミヤを交互に見る。祈春さんが「友人だよ。ここで仲良くなったんだ」とのらりくらりとかわしてくれた。しかしただの友人の命令に従う気はないらしく、母はその場を動かない。
「これは家族の問題なので、よその人は放っておいてください」
「その『家族』が機能してないから第三者が入るんだんろうが」
「な……!」
ミヤの忌憚ない言い方に、母はますますムッとする。さらに何か言い返そうとした瞬間、この場に鶴の一声が響く。
「私も話がしたい。月子はここに残れ、私とな」
おばあちゃんは、いつものつぶらな瞳ではなく、爛々とした目で実の娘を見た。反対に、まさかそんなことを言われると思ってなかった母はビックリしているのか、口をパクパクさせるだけ。
そうこうしている内に、祈春さんが姉を、ミヤが父を別室に連れて行った。顔が整っている二人を見て、頰を染めた姉は、ある意味狼狽している。父は……寡黙は変わらないが、不満顔だ。ミヤに任せて大丈夫だろうか。
「あれ、ちょっと待って。私は……」
私は一人で外にでもいたらいいのだろうか? そんなことを思っていたら、涙が引っ込んでしまった。
すると居間を去る祈春さんが、私へ振り向く。
「千宙さんにはとびっきりが来るから。玄関で待っていてよ」
「? わかりました……」
何が何やら分からないまま、家族全員が四散する。
一人玄関に向かった私は、ガックリと肩を下げた。
「こんなはずじゃなかったのに……」
言い合いの末、目の前であっけなくバラバラになった家族を見て、心が鉛のように重たくなる。どうして自分の家族は、恒太郎の家族のように一致団結できないのだろうか。
「恒太郎が、羨ましい」
ポツリと呟くと同時に、涙が零れる。泣くということは、家族に対してまだ期待をしていたということ。結果は、あまりにむごいものだったが。
膝を抱えて涙を流す。私の鳴き声は、暑さに負けんばかりと格闘するセミの鳴き声にあっけなく負けるほど、弱々しいものだった。
「スー、ハー……」
なぜそんなことをしているかというと、あと三時間もすれば来るからである。私の母と姉が。
「私が見つけた将来の夢は心理カウンセラーで、その理由は……」
深呼吸の後は、まるでこれから面接を受ける受験生のように、ブツブツと繰り返す。
母に話す内容は決まっていて「将来の夢が決まったこと」、「心理系の学部に進みたいが、無名大学であること」だ。本当は有名大学の心理系に進めれば良かったけど、「私の偏差値ではギリギリ難しい」というのが昨夜調べて分かったことだ。でも、その他にも要因はある。それは――
「おーい、千宙」
「え、恒太郎?」
縁側から庭を挟んで見える道路に、恒太郎が立っている。右左を確認した後、こっちに来てくれた。半袖に膝丈パンツと、今日はラフな格好だ。いつもは見えない膝が見える……それだけで、なんだか恥ずかしくなってしまって、視線を逸らす。
「どうしたの?」
「えと、いや……何でもないよ」
遅れて「おはよう」と互いに挨拶をする。座っていいか恒太郎に聞かれたので頷き、私たちは縁側に隣同士で腰かける。
「今日、お母さんと話すんでしょ? 将来について」
「うん。お昼に来るんだけど、緊張しちゃって……」
「そうだよね」
恒太郎は、雲が速く流れる空を見上げる。私の憂いを晴らすような太陽が、頭上からジリジリと道路を焼いている。
昨晩、衝撃でスマホを落とした私に代わり、恒太郎が拾ってくれた。その時に「あ」と、申し訳なさそうに私を見る。
『ごめん、メール見ちゃった』
『え、いいよ。それは、いいんだけど……』
『お母さんに、会いたくないの?』
恒太郎からスマホを受け取る。「そうじゃないけど」と曖昧な返事になってしまった。「会いたい」と言えないところをみれば、私は母に壁を感じているんだろう。もちろん、姉にも。
『私ね、将来の夢が最近やっと決まってさ。だけど、たぶんお母さんが望む大学とは違うの。それを明日、話そうと思うんだけど……』
『あぁ、なるほど。それは緊張するよね。俺も経験があるよ』
『え。恒太郎にも、そんな時があったの?』
ビックリして尋ねると、恒太郎は「そりゃあるよ」とクツクツ笑った。
『天文学者なんて狭き門だからさ。大変なだけで得る物が何もないんじゃないかとか、最初は散々に言われたよ』
『どうやって乗り越えたの?』
『何もしなかった。何を言われても、俺はこれまで通り天文台に通い続けた。そんなブレない俺の姿を見て、先に両親の方が折れた。それからは応援してくれてるよ』
それは、すごくいいご両親だな……って、ちょっと羨ましくなっちゃった。だって私のお母さんは、私よりも仕事を見ているから。私が何の行動をしているかなんて気にも留めないだろう。真正面から話さないと、会話する機会さえ設けられないのだ。
羨んでいると、恒太郎は「でも」と、さっき通話した自分のスマホを見る。
『いつも行動を起こすのは両親の方だった。要は俺、甘えていたんだ。だから今回は、すごく苦労した。自分からアクションを起こすって、難しいんだな。自分の気持ちを相手に気づいてもらうのって、簡単じゃないんだ。
だからこそ千宙の気持ちが分かるよ。
明日は緊張するだろうけど頑張って。応援してるから』
『うん……。ありがとう、恒太郎』
――そういう経緯があって、今の私の心境を、恒太郎は知っているのだ。
は~と長い息を吐く私の背中を、昨日私がしたように、恒太郎がポンポンと優しく叩く。
「大丈夫だよ。千宙は乗り越えられる。そうだ、おまじないしようか」
「おまじない?」
「両手を出して、はい」
「は、はい」
空に手のひらを向けて、恒太郎の前に両手を出す。すると恒太郎も、自分の両手を出した。それを私の手にピッタリ重ね、次にギュッと握る。まるでおにぎりを作るように、ギュッギュッと。
「あの、えっと」
恒太郎の体温が直に伝わり、どうしたらいいか分からない。アワアワしている間に「はい、おわり」と恒太郎は手を離した。
「今の緊張した?」
「し、したよ。ビックリした」
「よかった。それは一日分の緊張だよ。先取したから、お母さんと話す時はもう緊張しない。だから安心して話しておいで。きっと千宙なら大丈夫だから」
「恒太郎……」
そのための手繋ぎだったんだと、彼の思いやりに心が温まる。「ありがとう」と笑うと、恒太郎も恥ずかしそうに笑い、そのままピョンと縁側を降りた。
「俺も今日、父さんの見舞いに行くんだ。またメールするよ。千宙も、いつでもメールして」
「もちろん電話も大歓迎」と言われ、ポッと顔に熱が溜まる。だって、なんだか恒太郎が「私からの電話を待ち望んでいる」って勘違いしちゃうような、そんな笑顔だったから……。
ドキドキしながらお礼を言うと、恒太郎は爽やかに笑った。そうして手を挙げ、自分の家に戻って行く。お父さんへのお見舞いがあって忙しいだろうに、私が緊張してると思って、わざわざ顔を出してくれたんだ。
「ありがとう、恒太郎」
お母さんが来る前に、恒太郎に会えてよかった。すごく勇気をもらえた。さっきまでに不安は、もうない。
私は、ちゃんと話せる――自然と、そう思えた。
「あれが恒太郎くんなんだ、いい子だね」
「そうか? 爽やかそうに見えて、なんか手が早そうだけどな」
恒太郎の優しさをしみじみ感じていると、上から声が降ってきた。見上げると色違いの甚平を来た祈春さんとミヤの姿。寝た格好のままだ。これから着替えるらしい。
「二人共、昨日は夜遅くまで付き合わせちゃってごめんね」
というのも昨晩、恒太郎と別れて家に帰った後、ミヤに手招きされた。何かと思えば、白い紙をバンと提示される。一番上には「志望大学5ランキング」と書いてあった。
『一緒に調べてやる。心理カウンセラーを目指せる大学と、あんたの偏差値を照らし合わせていくぞ』
『僕は全然詳しくないから、主に書く係でお願いねぇ』
そうして二人の協力があって、夜通し志望大学を調べていたのだ。その甲斐あって、ランキングは埋まった。さっそく今日、お母さんに話すことができる。……お母さんのお眼鏡にかなう大学は、やっぱり候補に挙がらなかったけど。
「祈春さん、ミヤ、ありがとう。私、お母さんに全力でぶつかってみる」
「応援しているよ、千宙さん」
「ま、あんたなら大丈夫だろ」
二人からの激励を受け、再びヤル気がみなぎってくる。
大丈夫、私ならきっとできる――
そうして昼の十二時を心穏やかに迎えた……のだが。
「お父さんも一緒に行きたいって言うから、急きょ三人で来ちゃった。おばあちゃーん、久しぶり!」
「……え?」
寝耳に水の話に、思わずすっ転んでしまいそうになる。母、それも姉と一緒というだけでも気が重かったのに、そこに父も追加となれば……。
さっきまで凪いでいた心臓が、再び忙しなくドコドコと音を立てる。あぁ、こんな状況で私の夢を話さなければならないなんて。
姉の星来(せいら)を見ると、実家よりも栄えた場所へ移り住んだためか垢ぬけて美人になっている。服も見たことないもので、彼女を一層華やかに見せた。口から出てくる話も私の知らない大学の話で「勉強ばかりで忙しい」と言うも、私からするときらびやかに輝いて聞こえる。
「朝は早いし、夜は遅いしで大変だよ~」
「そうかい、星(せい)ちゃんも頑張っているんだねぇ」
いつもの食卓を、私たち家族四人と、おばちゃんで囲んでいる。祈春さんとミヤは「自分たちがいるとややこしくなるから」と、二階に控えている。もちろん彼らが使っている布団は、今はタンスの中だ。
今日は珍しくバイトが休むだというミヤに、窮屈な思いをさせてしまっている。早めに話をして、この場をお開きにしよう。
「あのさ、私の行きたい大学のことなんだけど」
唐突に話を切り出す。すると今まで笑みを浮かべていた姉と、相槌を打っていた母、黙々とご飯を口に運んでいた父すらも、動きを止めて私を見た。六つの目が、私を品定めするように見ている……気がする。いや、きっと私の恐怖心が、そう見せているだけなのだろうけど。
恒太郎が言ってくれた「千宙なら大丈夫」という言葉を思い出す。そうして小さく息を吸った後、意を決して私の気持ちを吐露した。
「私。将来は心理カウンセラーになりたい。だから心理系が学べる大学を探したの。そうして大学を絞ったんだけど……これが、私の行きたい大学」
昨夜、三人で考えたランキングを、小さな紙に書いておいた。それを隣にいる姉に渡す。すかさず母が覗き込んだ。その瞬間、眉間にギュッとシワが寄る。
「千宙、これは何の冗談?」
「……冗談じゃないよ」
ここ数日、真剣に考えてきたことを「冗談」だと一蹴する。私の努力を無に帰すような残酷な行いに、思わず心が折れそうになった。だけど、ここで怯んでいては何も成せない。昨晩、勇気を出した恒太郎を脳裏に映す。あの時の彼の勇気が、今の私に宿りますように――
「ちゃんと自分なりに考えて決めたの。やっと自分のしたいことが見つかった。だから」
「どうして、いきなり心理カウンセラーなの? それがやりたいと思ったきっかけは?」
「それは、思い出屋…………えぇっと」
言いかけて、思いとどまる。
思い出屋さんの話をして、いいのかな?
おばあちゃんは「重荷になるものを継がせたくなかった。娘にも孫にも」と言った。つまり思い出屋さんのことをお母さんに内緒にしておきたい、ってことだろうか。それに私としても、思い出屋さんはひっそりと営んでいきたいと思っている。自分だけの秘密……というか、思い出屋さんをしている時が、一番私らしくいられる気がするから。要は、私にとって大切な場所なのだ。そこを母や姉に邪魔されたくなかった。
だから言えなかった。「思い出屋さんをしたから将来の夢が見つかった」と。何を言わない代わりに、拳をぎゅっと握る。
だけど当然、母は不満だろう。どうして心理カウンセラーになりたいのか聞いても答えないなんて、思いつきで喋っているとしか思えないだろうし、実際に母はそう勘違いした。「やっぱり」と吐き捨てながら、私が書いた志望大学の紙を机に置く。
「何でもいいから職業を決めて、行けそうな所に行こうだなんて。自分に甘すぎるわ。そんなんじゃ社会に出てもやっていけないわよ」
「何でもいい、なんて。私がいつ言った?」
「……言ってるも同じじゃない」
珍しく反論した私に、一瞬だけ母は驚いたようだった。だけど、すぐに応戦する。私も母も、目と眉をつり上げている様は、全くもって一家団欒な雰囲気ではない。祈春さん、ミヤ、おばあちゃん。この三人といた時の方が、よほど「家族」の温かさを感じる。
ウチの家族は、家族の体をなしていない。既に冷え切っているのは、一目瞭然だった。
「あなたも何とか言ったらどう? 気軽に心理カウンセラーなんて言ってるけど、間違いなく大変な職業よ。千宙が苦労するのは目に見えてるわ」
「あ? うぅん」
父はいつもの調子で寡黙一辺倒だ。「首を突っ込みたくない」「面倒くさい」と顔に書いてある。父であるのに、なんて無責任なんだろう。娘である自分の肩を持ってくれない薄情さに、心に新たなわだかまりができる。
極めつけは、今まで傍観者であった姉だ。
「大学って楽しそうだけど大変だからさ、よく考えて決めた方がいいよ? 適当に決めて大学入ったって、興味のない勉強をするのは苦痛だし」
「私が、いつ……って言った」
「え?」
さすがにカチンときた。
姉がいない間は、ウチがどれほど冷え切っているか知らないくせに、何を口を挟んでいるんだと、そんな汚い言葉が私の心を覆う。
いつもは家にいないくせに、こんな時だけしゃしゃり出て、何を今さら――あぁ、もう止まらない。自分の口を制御するのは、既に不可能だった。
「私がいつ『テキトウに決めた』って言った?
お姉ちゃんは黙ってて。勝手に出て行ったくせに……。
一人楽して、この家から逃げ出したくせに!」
「な、千宙⁉」
「こら千宙、なんてこと言うの!」
「誰も私の言うことを聞いてくれないなら、もう出て行って! 今すぐ帰ってよ!」
その後は、言うまでもなく散々だった。
姉をかばいながら母は私を責めるし、姉も姉で「心配しているのに!」と自分がお節介なことに気づいていない。家族がひっちゃかめっちゃかな状況であるにも関わらず父は見て見ぬふりで、依然として皿の上で箸をさまよわせている。どのおかずを選ぼうか悩む暇がある彼に、「一体どういう神経しているんだ」と叫びそうになった。
だけど口を塞がれた。大きな手によって。
見上げると、いつもの笑みではなく、どこか困った顔で笑う祈春さんがいた。
「さすがに看過できないから出てきちゃった。ごめんね」
ギスギスした空気を浄化するような優しい声に、思わず涙腺が緩む。
こんなつもりじゃなかったのに。ただ私の気持ちを伝えたかっただけなのに。
自分の本音を話すことすら、この家族の中では難しい。
やっぱり私たちは偽物だ。
形ばかりの、はりぼての家族だ――
その後は泣いてしまって、とてもじゃないが話が出来ない。そんな私に代わって、ミヤが声を張った。
「全員、移動しろ。一人一部屋ずつだ」
「失礼ですけど、あなた達は……?」
怪訝な顔をした母が、祈春さんとミヤを交互に見る。祈春さんが「友人だよ。ここで仲良くなったんだ」とのらりくらりとかわしてくれた。しかしただの友人の命令に従う気はないらしく、母はその場を動かない。
「これは家族の問題なので、よその人は放っておいてください」
「その『家族』が機能してないから第三者が入るんだんろうが」
「な……!」
ミヤの忌憚ない言い方に、母はますますムッとする。さらに何か言い返そうとした瞬間、この場に鶴の一声が響く。
「私も話がしたい。月子はここに残れ、私とな」
おばあちゃんは、いつものつぶらな瞳ではなく、爛々とした目で実の娘を見た。反対に、まさかそんなことを言われると思ってなかった母はビックリしているのか、口をパクパクさせるだけ。
そうこうしている内に、祈春さんが姉を、ミヤが父を別室に連れて行った。顔が整っている二人を見て、頰を染めた姉は、ある意味狼狽している。父は……寡黙は変わらないが、不満顔だ。ミヤに任せて大丈夫だろうか。
「あれ、ちょっと待って。私は……」
私は一人で外にでもいたらいいのだろうか? そんなことを思っていたら、涙が引っ込んでしまった。
すると居間を去る祈春さんが、私へ振り向く。
「千宙さんにはとびっきりが来るから。玄関で待っていてよ」
「? わかりました……」
何が何やら分からないまま、家族全員が四散する。
一人玄関に向かった私は、ガックリと肩を下げた。
「こんなはずじゃなかったのに……」
言い合いの末、目の前であっけなくバラバラになった家族を見て、心が鉛のように重たくなる。どうして自分の家族は、恒太郎の家族のように一致団結できないのだろうか。
「恒太郎が、羨ましい」
ポツリと呟くと同時に、涙が零れる。泣くということは、家族に対してまだ期待をしていたということ。結果は、あまりにむごいものだったが。
膝を抱えて涙を流す。私の鳴き声は、暑さに負けんばかりと格闘するセミの鳴き声にあっけなく負けるほど、弱々しいものだった。



