星浮く町の思い出屋さん―ちぐはぐな三人の記憶さがし―

 一気に寡黙になった私を見た三人は、口々に声を掛けてくれた。

「おい、何で黙ってるんだよ」
「ひろちゃん? 卵焼きならまだあるよ?」
「もしかして何かあった? 電話してくる?」

 さっきまで家族団らんな雰囲気で温かく過ごしていたけど、一気に心がザワザワする。
 恒太郎に何かあったんだ。
 そうでなければ、恒太郎が「天文学者を諦める」なんて、そんなこと言う訳ない。いつもニコニコ笑う彼の写真が、端からボッと燃えていくような。そんな最悪のイメージが脳裏に広がる。
 恒太郎、きっと今悩んでいるよね? 苦しんでいるよね? それでメールを送ったんだ。私に助けを求めてくれた。

「千宙さん、行っておいで」
「え……?」

 隣に座る祈春さんが、私の手を取って立たせる。いつの間に居間を出ていたのか、ミヤが私のカバンを持ってきていた。

「大事な人が困っているんでしょ?」
「どうしてそれを……私、何も言ってないのに」

 すると座ったままのおばあちゃんが「そんなあからさまに顔を青くされたら誰だって分かる」と、ちょっと意地悪く笑った。もしかして私と恒太郎が最近仲がいいって知っているのかな? 早川のおばあちゃんから聞いているのかも。ご近所さんだし、恒太郎のおばあちゃんだし。
 仲良しだと知られていると思ったら何だか恥ずかしい。だけど、後押ししてくれる気持ちが嬉しくて心強い。

「ありがとう、すぐ帰る!」

 カバンを持って、家を飛び出す。そのまま早川さん家のチャイムを鳴らした。すると恒太郎が出てきてくれた。その顔には影が宿り、目から光が消えている。夜の暗さのせい……ではない。

「何があったの、恒太郎」
「……近所だってこと、忘れてた」

 その言葉の裏には「来てほしくなかった」という、いつもの彼らしくない気持ちが見え隠れする。いきなり突撃するのは迷惑だったかな?と思ったけど、それでも彼を放ってはおけなかった。例え自転車で三十分かかろうが、徒歩で一時間かかろうが、私は恒太郎に会いに行ったと思う。

「千宙……ごめんね。いきなりメールしちゃって」
「謝らないでよ、だって私、嬉しかったから。話してくれて嬉しいの。……それで、何があったの?」

 恒太郎は私から視線を外し、家の中をチラリと見る。姿は見えないけど、中からは絶え間なく足音が響いていた。何だか忙しない雰囲気だ。恒太郎も、どこかソワソワしている。

「何でもないよ。ごめん、こんな夜に来てくれてありがとう。帰ったほうがいいよ、おばあちゃんが心配する」
「……ウソはやめてよ」

 恒太郎の肩が、ビクリと跳ね上がる。「何でもない」は、やっぱりウソだ。恒太郎には間違いなく、何かが起きた。だけど話そうとしない。しきりに家の中を気にしている。
 この場にいるから話しにくいのかな? だったら、ここから離れたらいいんだ。

「恒太郎、ちょっと来て!」
「え、わっ」

 恒太郎がサンダルに足を通したのを見て、私は思い切り腕を引いた。早川家を出て、私のおばちゃん家を通りすぎ、そうして天文台に到着する。
 天文台を見た瞬間、恒太郎の顔が激しく歪む。彼は「傷ついている」のだと、上から降り注ぐ月光が教えてくれた。
 今日は満月。例え夜に外へ出ても、恒太郎の顔がよく見える。

「恒太郎……」

 もう一度「何があった?」と聞こうとした直前で、口を噤む。さっきのおばあちゃんを、思い出したから。
 おばあちゃんは私が将来の夢を決めるまで「勉強しろ」とは言わなかった。ずっと待っていてくれた。その待ち時間のおかげで、ゆっくり考える時間を作ることができた。誰からも何からも急かされないその期間は、とても居心地がよかった。だからリラックスできて、自らと向き合うことができた。そうしている内に夢を見つけることが出来、おばあちゃんに「話そう」と思えるまでになったのだ。
 人が何かをするに必要なのは、時間だ。
 恒太郎も、今はそうなのかもしれない。落ち着く時間が必要なのかも。つまり今私がするべきことは「待つ」。それだけだ。
 二人の間に沈黙が流れる。だけど気まずくはなかった。なぜなら夜の虫たちが大演奏会を開いているからだ。満月の日は、虫の活動も活発になるのだろうか。今まで聞いたどの夜よりも賑やかだ。心の憂いを吹き飛ばすような鳴き声が、隣に立つ恒太郎にも響きますように。

「……あ、今光った。恒太郎、あそこ見て」

 天文台の隣は木が生い茂っているばかりで、川は流れていない。だから見間違いかと思ったけど……。
 私が指さす先を見て、恒太郎は「ホタルだね」と教えてくれた。黄色の光が、さっきからしきりに点滅している。ふらふらと飛んで、まるで舞を踊っているようだ。

「私、久しぶりにホタルを見た。キレイだね。川にいるものとばかり思っていたけど、山にもいたんだ」
「……うん」

 顔を下げていた恒太郎は、ホタルを目で追った。そうして一本指を顔の高さまで掲げる。するとホタルがスイと飛んできて、彼の指に吸いつくようにピタリと止まる。

「わ、止まった。なんで、どうやったの?」
「ホタルを見ていると、たまにこういうことがあるんだよ。人懐こい虫だよね」

 そう言いながら笑う恒太郎は、ホタルの光を見つめる。その時間はしばらく続いた。だけどフッとホタルが飛び立ち、元の暗さに視界が戻る。
 その一連の流れを見た恒太郎が「今の俺みたいだ」と、ポツリと漏らした。

「この手で星を観察し、調べられると思ったんだ。天文学者になる未来を疑うことはなかった。俺は未来を、もう手にしていると思ったのに……その可能性はなくなった。俺の手は、空っぽだ」

 ホタルがいなくなった手を、恒太郎はギュッと握りしめる。私は一歩、恒太郎に歩み寄った。そうしてポンポンと背中を叩く。今私が彼にしてあげられることは、きっとこれくらいだ。

「頼りなくてごめんね。いつも恒太郎は私を励ましてくれるのに」
「俺、千宙を励ましてた?」
「うん」

 恒太郎は「そうかな」と笑った後、遠くを飛ぶホタルへ再び視線を移す。そうしてポツリポツリと話し始めた。

「俺の家は代々農業で、それを生業に生活しているんだ。今は父さんが継いでいるけど……今日、病気で倒れた。今は入院してる。これから着替えとかを持って行くんだけど……もしかして後遺症が残るかもしれないと、用意しながら母さんが言った。そうしたら、もう農業はできない。家に入ってくるお金はゼロだ。生活ができなくなる」

 収入源がなくなるということは、大学費用が払えないということ。つまり恒太郎が大学に行けなくなる、ということだ。

「前に父さんは、俺に『好きな道へ行け』と言ってくれた。『農業をやっている限り、金は大丈夫だから』って。でもこんなことになったら、もう……っ」

 恒太郎は両の手を握りしめる。肩が震えている。いつもニコニコ笑っている彼の、これほど嘆き悲しむ姿を見るのは胸が痛んだ。
 だけど一緒に悲しんでいるばかりでは何も解決しない。彼の地獄に落ちたような気持ちを救ってあげるには、どうしたらいいだろう?
 色々悩んだ結果、震える彼の手の上から、私は自分の手を重ねた。

「色々調べてみた? お金がない人が大学に行く方法とか、そういうこと」
「え……まだ、だけど」
「じゃあ調べてみようよ。それにご両親にも確認してみよう。本当に恒太郎に夢を諦めてほしいのかって。支援が受けられそうなら受験してもいいのか、とかもさ。まだ聞けてないんだよね?」

 恒太郎は頷いた。時に子供というのは、家族の空気を察して自分の立ち位置を決めることがある。それが正しい時もあるし、空回りしている時もある。
 何て言われるのか怖いから、聞くことができない――そう思う恒太郎の気持はよく分かる。ずっと悩んだ私も、やっとお母さんに「本音で話そう」と思ったくらいだし。腹を割って話すというのは、成長すればするほど難しくなるものだ。
 でも、だからこそ向き合わないといけない。自分の夢がかかっているなら、その夢を諦めきれないなら、特に。

「恒太郎が家族を思う気持ちは素敵だと思う。でも恒太郎の気持ちをご両親に知ってもらうことも、同じくらい素敵なことだと思うよ」
「千宙……うん、ありがとう」

 恒太郎は、星空を見上げた。大きな満月が私たちを見下ろしている。月の周りでは、星たちが「楽しそうにおしゃべりしている」と想像をしてしまうくらい、絶え間なくチカチカと瞬いている。それがずっと遠くまで続くのだ。遥か向こう、私たちの想像つかない所まで。

「やっぱり星っていいな。この星の下では、俺の悩みごともちっぽけなものだから、勇気をもらえるよ」

 すかさず私が「ちっぽけじゃないよ」と言うと、恒太郎は「そうだね」と破顔した。
 よかった、笑ってくれた――安心して、ホッと胸を撫で下ろす。

「良かったら、もう少しここにいてくれない? 今から、母さんに電話をかけるから」
「うん、もちろん」

 そうして恒太郎は、フーと長い息を吐いて、スマホを操作した。数コール鳴ると「恒太郎?」と、彼のお母さんの声が聞こえる。穏やかな、だけど今は状況が状況だからちょっと急いでいるような、そんな声だ。

『恒太郎、どこにいるの? お母さん、そろそろ家を出るけど』
「母さん、一つだけ聞きたいことがあるんだ」
『どうしたの?』

 恒太郎は、ゴクンと生唾を飲み込む。私はスマホを握っていない彼の手を、今度は両手で包み込んだ。がんばれと、エールを送る。一瞬ビックリした恒太郎だけど、私としっかり目を合わせ、頷き返してくれた。

「俺……、まだ天文学者を目指していいのかな?」

 勇気を出して言った彼の声は震えていて、今にも泣きそうで。今恒太郎の心は不安で溢れているんだって分かった。お母さんにも、彼の緊迫感が伝わっているのだろう。電話の向こうで「恒太郎」と言ったきり無言で、どうやら言葉が見つからないようだ。
 だけど、すっと息を吸いこむ音が聞こえる。次に聞こえたのは、母親らしい力強い声だった。

『お父さんが倒れたから気にしているのね。それでさっき、あんなに暗かったの。そう……心配かけちゃったわね』

 ゴクッと生唾を呑む音が聞こえる。それは恒太郎のものか、お母さんのものか、はたまた二人の会話を聞く私のものか。

『お父さんは後遺症が残るかもしれないし、残らないかもしれない。だけど例え残るとしても、きっとリハビリを頑張ると思うわ。自分のせいで恒太郎が天文学者への道を諦めたなんて知ったら、きっと自棄を起こすと思う。それくらお父さんは……ううん、お父さんもお母さんも、あなたの夢を応援しているのよ』
「え……でも、いいの?」

 恒太郎の目に、光が戻る。心の中で枯渇していた泉が、再び湧いてくるような輝きだった。

『いいも何も、これは私とお父さんの問題よ。子供のあなたに背負わせる気はないわ。その代わり、しっかり勉強しなさい。これくらいのことで道を諦めていたんじゃダメよ』
「「これくらいのことって……」」

 思わず声に出た。するとお母さんが「あら、誰かと一緒にいるの?」と聞く。

「うん、相談に乗ってもらっていたんだ。電話しようと思えたのも、その子のおかげだ」
『そう。いいお友達を持ったのね』
「……うん」

 恒太郎は私を見て、ほほ笑んでくれた。月光に照らされた彼の顔は、まるで妖精のように透き通っていて、言葉にできないほどキレイで……。その姿をまじまじと見てしまった私は、ボンッと顔に熱がこもる。だから繋いでいた手をパッと離したのだけど、なぜか恒太郎は唇を尖らせ、不満顔だ。私、何かいけないことしちゃったかな……?

 私がどぎまぎしている間に、親子の話は終わったらしい。「母さんも気を付けて病院に行ってね」という恒太郎の労いで、通話が終わる。この場に静寂が戻り、再び虫の鳴き声が響く。瞬く星たちは、恒太郎の勇気をたたえて拍手しているようだった。
「ふー」と、緊張の糸がほどけた恒太郎が、またもやキレイな笑みを私に向ける。

「千宙の言う通りだった。まずは話してみないと、だね。今電話しなければ、ずっとすれ違ったままのギスギスした家族になるところだった」
「……うん、よかった。本当によかったね」

 すれ違ったままのギスギスした家族――というのは、むしろウチのことだろう。本音で話せていないのも、私の方だ。

「ありがとう、千宙がいてくれてよかった。心が救われたよ」
「ううん、恒太郎が私にメールを送ってくれたからだよ。私こそ、頼ってくれてありがとう」

 自分の気持ちを誰かに気づいてもらうためには、まずは自分がアクションを起こさないといけない。気づいてもらうのを待っているだけじゃ何も始まらない。恒太郎は今、勇気を出してアクションを起こした。だからこそ報われた。
 だったら次は、私の番だ。今度は私が、お母さんに電話をかけよう――

 そう意気込んだ時。またしても私のスマホが短く震える。一度だけの振動。画面を見ると、母からのメールだった。

「『予定が変わって、明日お姉ちゃんとそっちに行くようになったから』、……え?」

 電話をしようと思っていたスマホが、土の上にポトリと落ちる。
 どうやら私の場合は電話ではなく、面と向かって母と話をしなければならないらしい。