星浮く町の思い出屋さん―ちぐはぐな三人の記憶さがし―

 天文台に行くと、相変わらず恒太郎はいた。今日は資料室で勉強だったらしく、メガネをかけてノートと資料を交互に見ている。資料というのはいわゆる天体についてで、中にはビッシリと小さな文字が並んでいるのが、少し離れた所に立つ私の位置からでも見えた。
 恒太郎は集中しているらしい。セミの鳴き声が窓を隔てていてもうるさいくらい聞こえるのに、まるで耳に入っていない。かといって急に近づいたらビックリさせちゃうし……と開けっ放しのドアをノックする。二、三度鳴らして、ようやく恒太郎と視線が交わった。

「千宙、来てたんだね。いらっしゃい」
「恒太郎……うん、こんにちは」
「何か元気がない? どうしたの?」

 姉と話して荒れた心を落ち着けたつもりだったけど、どうやら恒太郎には不自然に映ったらしい。「体調が悪いの?」と私を心配する言葉をかけてくれる。それらはお母さんやお姉ちゃんと電話で話しても聞かなかった、私の欲しかった言葉だった。
 じわりと潤んだ視界を正常に戻そうとしたからか、「何でもない」の言葉に力がこもる。

 家族じゃないけど、私の心配をしてくれる人がいる。それが恒太郎で良かったと、私を心配そうに見る彼を見て思った。

「千宙……?」
「本当になんでもないの、ごめんね」

 虚無感の中に沈む自分を、引っ張り出してもらうような感覚。もしくは冷たい海に浸かっていた体が、ホカホカと温もりを取り戻していく感覚――私が落ち着ける場所は家ではなく、この星浮き町なのかもしれない。

「……そうだ、千宙。あっちを見てよ」
「お土産コーナー?」

 資料室とお土産コーナーの部屋は向い合せになっていて、どちらのドアも開いている。部屋を移動すると、天体望遠鏡で撮れた星や天体の写真がクリアファイルやバッジになって売られていた。星好きには、きっとたまらないお土産だ。

「きれい……」

 目を奪われるって、このことだ。私が知っている夜空とは違う。
 その中でも一際キレイだったのがポストカードだっ。流れ星が落ちている夜空を撮った、まるで奇跡のような写真。白色の星の他に、赤色の星も見える。今にもチカチカと瞬きそう。

「さすがプロだなぁ。私なんてこの前、星空を撮ろうとしたら真っ暗でさ。どうしてレンズ越しじゃないと、星って映らないんだろう」
「近年スマホの性能はいいとは言われてるけど、それでも光を集めるにはまだまだ口径が小さい。もちろん他の要因も絡んでるけど、スマホで夜空を撮るのはまだ先だろうね」

 さすが恒太郎だ。私の知らないことをたくさん知っている。本当に天文学者になりたいんだと分かる。

「このポストカード、一枚買ってもいい?」
「受付まで持って行くといいよ。自分用?」

 私は首を横へ振る。これは祈春さん用だ。彼には、いつか星空の写真を渡したいと思っていた。
 奥さんと見た星空を思い出して、きっと喜んでくれるはず。彼の喜ぶ顔を見たら、自ずと笑みが零れた。

 そんな私を見ていたのだろう。恒太郎が「誰かに渡すの?」と、どこかソワソワしながら尋ねた。物思いにふけていた分、待たせてしまった。慌てて「ごめん」と返事をする。

「一緒に住んでる人にあげるんだ。星空が大好きなの。きっと嬉しがると思って……それがどうしたの?」

 恒太郎は少し視線を彷徨わせた後。「あのさ」と、ポケットからスマホを取り出す。

「連絡先、交換しない? その人が喜んだかどうか知りたいし……」
「いいけど、なんで知りたいの?」
「こ、この天文台のお土産を気に入ってくれるかなと思ってさっ」

 いつも涼しい顔をする恒太郎が、やや焦っている……ように見える。私の気のせいかもしれないけど。でも、この天文台に通う恒太郎からしたら、お土産を貰った人の反応が気になるのは当然かもしれない。
 なんだかバツの悪そうな顔をしながら連絡先を交換した恒太郎と、私。外を見ると、遠くから雨雲が近づくのが見えた。夏特有のスコール。これに遭えば、さっき買ったポストカードも紙くずと化すだろう。

「帰ろうか、濡れないうちに」
「うん」

 恒太郎は徒歩で来た、ということで、彼に合わせて歩いて帰る。肩からかけるトートバッグは勉強道具が入っているのかパンパンで、見ただけでも重そうだ。それなのに恒太郎は、私の自転車を押してくれた。俺に合わせてもらってるから、って。

「変わるよ? 元はと言えば、私の自転車だし」
「俺の家までしか押してあげられないから気にしないで。ここからすぐ近くなんだ」

「ほら、あれ」と指さす先を見ると、いつか野菜を配った早川さん家があった。せんべいをくれた人だ。
 そこで私はやっと合点がいき、頭の中で急速に、点と点が一本の線で結ばれていく。

「恒太郎って、あそこの家に住んでるの? まさか早川恒太郎の『早川』って、ご近所の早川さん?」
「『ご近所の』って……やっぱり千宙は、向かいのおばあちゃんの家の子なんだ。
 最初に千宙に会った時に、千宙がおせんべいをくれたでしょ? あれ、ウチのおばあちゃんの癖でさ。自分の好きなせんべいを人に配るんだよ。千宙が持ってたからご近所さんに配ったのかな?、って思ってさ」
「あの日は野菜を配って、それでお礼に、おせんべいを……」

 恒太郎は笑った。きっとあの日を思い出しているのだろう。恥ずかしくなるから、やめて欲しい……!
 手をパタパタさせて熱を逃がしていると、恒太郎が「じゃあさ」と立ち止まる。私の家に先に着いてしまった。どこか残念に思っていると、彼から思いがけない提案をされる。

「今度は一緒に天文台に行こうよ。連絡先も交換したしさ」
「う、うん!」

 その時、ミヤと話す「音羽ちゃんの顔」を思い浮かべる。あの時の彼女の顔は、花が咲いたような満開の笑顔だった。不思議と今の私も、彼女と同じものが咲いている気がして……なんだかちょっぴり照れ臭くなった。




「――というわけで祈春さん、これどうぞ」

 皆で晩ご飯を囲んでいる時、私は買ってきたポストカードを祈春さんに渡す。彼は「え」と、短い声を出して驚く。

「いつか祈春さんにあげたかったんです。いつでも星空を持ち歩けたら、きっと心強いだろうと思って。星空が見えなくても笑顔でいられるだろうと思って」
「千宙さん……」

 祈春さんは「ありがとう」と、ポストカードを受け取った。箸を置いて両手で受け取り、目をキラキラさせて手中に収まる星空を見つめる。いつか星空を見て「僕の手に収まりきらないよ」と哀しそうに笑った彼だけど、今の彼に笑顔はない。その代わり、口の両端にクッと力が入ったのが分かった。

「ありがとう、千宙さん。ありがとう……」

 ポストカードを胸に抱き、祈春さんは頭を下げた。喜んでもらえてよかったな。彼の心の支えにあったのであれば、尚さら嬉しい。

 それから私たちは、秋に植える野菜の話をおばあちゃんから聞いた。昔は梨の木もあったみたいだけど、もう手放してしまったらしい。確かにおばあちゃんの背では、一人で育てるのは難しいだろう。たまに野菜を送ってもらっていたけど、おじいちゃんがいてこそ育った作物も中にはあったのだ。もう少し味わって食べればよかったと、遅すぎる後悔をする。

「おじいちゃん……」
「おい、食事中に辛気臭くなるな。飯がマズくなる」
「もっとこう、他にも言い方ってあるでしょ……」

 何でもズバッと言うミヤに、少しばかり落ち込む。すると祈春さんが「はは」と柔らかい笑みを浮かべた。

「最初さ、千宙さんに思い出屋さんを背負わせるのは僕たちのエゴかなって思ったけど……でも、やっぱり店主は君しかいなかったね。ミヤくんもそうで思うしょ? 僕と同じ、千宙さんに励まされた君ならさ」

 そう言われると千宙は「うっ」と短くうめいた。次に視線を、右へ左へさ迷わせる。

「そりゃ、まぁ、そうだけど……。音羽とのことも感謝してるし……」

 ミヤが言うには、音羽ちゃんには自分がロボットだと、あれから正直に告げたらしい(店長さんには、ずっと言わないつもりなんだって)。なんて言われるかドキドキしたけど、音羽ちゃんは「話してくれてありがとう」とお礼を言ったらしい。

「普通の人間じゃないと聞いて驚くか幻滅されるかと思っていたのに、まさかお礼を言われるなんて……。音羽が、俺を引き取ってくれたじいさんと重なった。だから俺も『聞いてくれて、見つけてくれてありがとう』って言ったんだ。もう後悔しないために」
「そっか」

 昨日と違い、ミヤは清々しい顔をしていた。憑き物が落ちたような、そんな晴れ晴れした顔だった。
 そんなミヤを見て、自分の気持ちのままに行動することは自分に自信を与えることかもしれない、と思った。

「千宙さんは僕のことも、ミヤくんのことも解決してくれた。やっぱり千宙さんは、人の気持ちに寄り沿う素質があるんだよ。将来の夢も、それを活かす職業にするんだよね?」
「はい。でも、まだ何の職業があるか調べてなくて……」

 言うと、きんぴらごぼうを食べていたミヤが箸を置く。目を瞑って、何やら集中し始めた。次に「その分野を得意とする仕事ならあるぞ」と喋る。もしかして、私の代わりにどんな職業があるか調べてくれてるのかな?

「心理カウンセラーが最適だろうな。その職業に就くために必要な資格は、臨床心理士や社会福祉士だ。資格がなくてもなれる場合もあるみたいだが……でもあった方がいいだろう。心理系の大学に進めば資格をとれるぞ」
「心理カウンセラー、そんな仕事があるんだ……。ありがとう、ミヤ。自分でも調べてみるね」

 感謝の気持ちで「はい、これも食べて!」と、おばあちゃん特製のナスの田舎煮を、ミヤの皿に追加で盛る。好物なのか、ミヤは「さんきゅ」とすぐ箸を伸ばした。

「ひろちゃんは、やりたいことが見つかったのか?」

 今までテレビを観ていたおばあちゃんが、ふと私を見つめる。私は正直に頷いた。

「落ち込んでいる人が笑ってくれるとすごく嬉しい。ましてや自分の言葉で立ち直ってくれたのだと思ったら、余計に。これは私のやりがいだと思ったの。おじいちゃんやご先祖様が、ずっと思い出屋さんを続けてくれたおかげだよ。思い出屋さんの存在がなかったら、ここまで辿り着けなかった」

 ちなみに、おばあちゃんに「思い出屋さん」について聞いたことはない。そしておばあちゃんからも、その話を聞かされたことはない。おばあちゃんが言わないってことは、あまり話したくないことなのかな?と思って、今まで話すことを避けていた。
 だけど――いい機会だ。私は、自分の境遇を打ち明ける。

「おばあちゃん、私ね、今思い出屋さんの店主をしているの。勝手に始めて、ごめんなさい」
「……そうかい」

 おばあちゃんのご飯は早い。まだ私のお茶碗にご飯が半分残っている段階で、彼女は食後のお茶を飲み始めた。縦線の模様が入ったガラスコップに注がれたお茶を口に含んだ後、ゆっくりと飲み下す。

「まさかひろちゃんが引き継いでくれるとは思わんかった。変な職業じゃないしな。
 私としても、重荷になるものを継がせたくはなかった。娘にも、孫にも。
 だけどひろちゃんは、ご先祖様の思いを汲み取ってくれたんじゃなぁ。ありがとう。じいさんも天国で喜んどるわ」

 そう言って、誰もいない隣の席を見る。彼女の目元には、キラリと光る涙。それを見て、おばあちゃんは本当は「思い出屋さんを継いでほしかったんだ」と分かった。
 だけど言わなかった。私が苦しくならないようにって。その優しさが、彼女の涙を通してじんわりと伝わってくる。

「私にとって思い出屋さんは、すごくすごく大事な居場所になったよ。私の夢を見つけるきっかけになったし、これ以上ないほど感謝してる」
「それは、まさに夢の掛け橋じゃな、はは」

 おばあちゃんと本音で話すのは、これが初めてのことだ。だから余計に嬉しい。腹を割って話せることが本音を話せることが、これほど心を軽くするなんて。

「でもおばあちゃんは分かっていたんだよね? 私には将来の夢がない、だから勉強する気も起きてないって。孫がそんな状態で、不安にならなかったの?」

 おばあちゃんはお母さんと違って、私に「勉強しろ」とは言わなかった。それが不思議だった。
 するとおばあちゃんは「そうなぁ」と。グラスを傾け、コクリとお茶を飲む。

「特に心配しとらんかった。だってひろちゃんは自分から『この家に来たい』と思ったんじゃろ? その理由が何であれ、ひろちゃんは自分で決めて、行動を起こした。じゃけ、この先のことも自分で道を切り開くと思っとった。じゃけん心配はせんかったな」
「おばあちゃん……。そっか、ありがとう」

 裏を返せば、私を信頼している証だ。きっとお母さんが持ち合わせていない感情だ。電話で開口一番「勉強はどう?」と聞く母親だ。私への信頼は、とうに底をついているだろう。

「だからこそ言わないとね。将来のことや私の気持ちを、はっきりとお母さんに伝えなきゃ。私の気持が『ウソじゃない』って信じてもらうために」

 ポツリと呟くと、おばあちゃんは笑みを浮かべた。大福のようなほっぺが持ち上がる。
 祈春さんもミヤも、私を見て笑ってくれる。皆から「がんばれ」とエールをもらった気になり、私はポケットに入ったスマホへ意識を向けた。
 晩ご飯を食べ終わったら、お母さんに電話しよう。
 夢が見つかったって。それを叶えるための大学を目指すって。そこは無名大学かもしれないけど頑張りたいって――
 そう決心した時だった。
 スマホがブーと振動をたてる。一度で収まったからメールだ。
 ポケットから出して差出人を見る。なんと相手は恒太郎だった。
 恒太郎、私にメールを送ってくれたんだ!
 喜んだ私だけど、本文を見てサッと体の体温が下がる。
 そこに書かれていたのは――

【俺、天文学者になるの諦める】

 彼らしからぬ一文に、思わずスマホを落としそうになる。祈春さんとミヤがラストの卵焼きを取り合っていたけど、そんな喧騒はもう私の耳に入ってこなかった。