玉響恋物語

「今から、他の集落を回ってくる」

 忌部氏の屋敷を訪問した翌日、真佐弥は玉作りの進捗状況を各集落に尋ねに行くことにした。

「私は実嗣様のお見舞いに行ってきてもいい?」

「ああ。早く良くなられるといいんだが……」

 いっこうに目を覚まさなかった実嗣を真佐弥も心配していた。

 阿花里は忌部氏の屋敷から帰る途中、草いちごを摘みとり、袖の中に入れてきた。

 小粒ではあるけれど、食欲をそそる紅赤色(べにあかいろ)の実。出血した時には体に良いと、志久那から教わったことがあった。

 怪我をした実嗣への手土産にと思い、阿花里は布袋に入れた草いちごを潰さないよう大切に持って、玉造の社へ向かった。

 阿花里と真佐弥はそれぞれ目的の場所に行く。跡をつける存在に、ふたりともまったく気づかずに。

 阿花里が祓殿へ行くと、麗瑞は快く迎えた。

「ごめんね、阿花里ちゃん。せっかく来てくれたのに、実嗣はまだ眠ったままなのよ」

 麗瑞は申し訳なさそうに、しなかやかな葉のような眉を寄せた。

 実嗣は奥のほうで、背中を向けて横になっていた。

「具合……かなり悪いんですか?」

「阿花里ちゃんのおかげで、血は止まったわ。傷口もちゃんと綺麗にしたし、大丈夫なはず。もう少ししたら、目を覚ますと思うんだけど……」

「よかったらこれ、食べてください。血が足りなくなった時にいいそうです」

 阿花里から布袋を受け取ると、麗瑞は興味深そうに、ごそごそと袋を開けた。

「いちごね! これ、お肌にもいいのよ。ありがとう、すっごく嬉しいわ」

 自分への贈り物をもらったみたいに、麗瑞は喜んだ。

「ところで、阿花里ちゃんの叔父さんは、特に問題ないわよね?」

「はい。この前のことが嘘みたいに、いつもの叔父さんに戻りました。本当にありがとうございました。麗瑞様って、本当にすごい力を持っているんですね。それに空も飛べるなんて……」

 麗瑞は小さく、えっと声を漏らした後、くすくすと笑い出した。

「あれはね、大きな鳶に乗ってたのよ」

「鳶……って、鳥にですか?」

 阿花里には鳥の姿が見えなかった。麗瑞がいきなり上空から現れ、急降下して自分の足だけで地面に着地したように思ったのだ。

「そう。実嗣の念で創られた大きな鳶よ。それを使って私を迎えに来たってわけ。普通の人には鳶の姿が見えないから、そう思われても仕方がないのかもしれないけど……。さすがに私は空を飛べないわ」

 麗瑞はちらっと実嗣を見た。体が動いた気配がしたので、気がついたのかと思ったのだ。

「あの……叔父さんみたいになってしまう可能性って、誰にでもあるんですか?」

「そうよ。妖が人の心に生じた闇を深くして、人格が壊れていく様を見て楽しんでいるみたいなのよ。京だけの話じゃなかったのね」

 麗瑞はどんよりとした、ため息をついた。

「京には被害に遭った人がたくさんいるんですか?」

「ええ。叔父さんみたいに、眼が真っ黒くなってしまった人――永遠に続く闇に堕ちてしまった人を私たちは擬妖(ぎよう)と呼んでいるの。人間には戻れず、妖にもなりきれない存在のことよ。でもね、言霊に応える勾玉を使えば、人間に戻してあげることが出来るの」

「それって……言霊に応える勾玉がなかったら、叔父さんは擬妖というものになったままだったということですか?」

「そう。それとね、闇に取りこまれて、擬妖になる前の段階の人はもっといたわ。その人たちを半妖と呼んでいるんだけど、元に戻るためには言霊に応える勾玉がやはり必要なの」

 麗瑞は阿花里にわかりやすく説明する。

 半妖が擬妖と違うのは、眼球が真っ黒くなっていないことと、記憶が残っていること。

 その人たちはみな同じようなことを言っていた。負の感情でいっぱいになった時に、黒い塊が目の前に現れた……と。

 その塊が近づくと、奇怪な姿の妖が出現するらしい。目が三つもある童や、牛の大きさほどある猫、蛇のように長い首に舌先が割れた若い女性など、多数報告されている。

 その妖たちは、こぞって同じことを尋ねる。能力をひとつだけやる、何の能力が欲しいか……と。そして、その望みを叶えるために、黒い息を吹きかけてくるそうだ。

 なぜ能力を与えるのかは、妖たちが事態をよりおもしろおかしくして楽しむため、または陰陽師たちを翻弄するためではないかと、麗瑞は考えていた。

「阿花里ちゃんの叔父さんは、恐らく破壊力みたいなものを望んだんじゃないかしら。実嗣の拘束する術を破ってたみたいだし」

 人間に悪さをしようとする存在が、こんなに近くにいたなんて――。阿花里は恐ろしくなり、ぶるっと身震いをした。

「怖い? この話はもうやめておく?」

「いいえ、大丈夫です。もっと聞かせてください」

 阿花里はすべて聞かせてもらおうと、覚悟を決めた。

「最初はね、訳がわからなかったわ。常軌を逸した人たちがちらほら現れて、複数の男たちに取り押さえられても、狂ったように暴れる。それで、(もの)()が取り憑いているのかと、私たち陰陽師が呼ばれたの」

 けれど、術を使って(ひょう)()を解こうとしても変わらない。浄化も試みたけれど、それもだめだった。

 困り果てていた麗瑞の夢の中に、玉祖命が現れた。言霊に応える勾玉を使うとよい……と、導いてくれたのだ。

「その勾玉のおかげで、どんなに助けられたことか。だって、妖によって闇に堕とされた人たちを救い上げて、再び光の中へ戻してあげることが出来るんだから」

「麗瑞様はどうして使いたる者をやめてしまうんですか?」

「それはね、担当する仕事が変わって、外へ出ることがままならなくなるからなの」

「建物の中でするお仕事が増えるということですか?」

「そう。だから、実嗣に託すことにしたの。それに、実嗣なら私が使い走りをさせても、怪しまれないと思って」

 麗瑞はもっともらしい顔をした。

「あの、本当に私でも……お役に立てるのでしょうか? もちろん、実嗣様が男性の職人を希望していることはわかっています」

「言霊に応える勾玉の存在を知られないよう、出来るだけ近親者に引き継ぐこと以外にも、阿花里ちゃんにやってほしい理由があるのよ」

 物作りは作った人の技術だけでなく、人柄や情熱も現れると、麗瑞は思っていた。

 だから、真佐弥に頼んで、阿花里が作った勾玉を持ってきてもらった。

「真佐弥の作る勾玉は、過剰な技巧はいっさいないの。石本来の美しさを目一杯引き出そうとしているのを感じるのよ。最初からその形だったのではないかと思うほど、自然な形をしているように思えるわ。阿花里ちゃんが作った勾玉も、真佐弥と同じように見えたの。とても奥ゆかしい勾玉だと思ったわ」

 父の作った勾玉と似ていると言われたことは、阿花里にとって最高の褒め言葉だった。自然に顔がほころぶ。

「阿花里ちゃんの腕も確かだし、この間は実嗣のために、犠牲を払うことを躊躇(ためら)わなかったでしょ。他人のために心を砕ける人に、作りたる者として、ぜひ勾玉を作ってほしいわ」

「麗瑞様のお気持ち、とても嬉しいです」

 阿花里は実嗣のほうを見た。やはり、起きてくる気配はなさそうだった。

 訊きたかったことも教えてもらえたし、これ以上長居をするのも悪いので、阿花里は帰ることにした。

 祓殿を出て、石段を下りようとした時だった。

「阿花里ちゃーん!」

 少し鼻にかかった高音で自分を呼ぶ声に気づき、阿花里は振り返った。走ってやってくる麗瑞に歩み寄る。

「これ、返しておくわね」

 麗瑞は阿花里の右手を取って、碧玉の勾玉を乗せた。

「これは……」

「阿花里ちゃんが作った勾玉よ。真佐弥に持ってきてもらったって、さっき話したでしょ」

 阿花里は勾玉を見つめる。そして、決心した。麗瑞のように、玉を見て判断してもらおうと――。

「実嗣はね、冷たそうで頑固かもしれないわ。でもね、本当は優しくて、からかいたくなるくらい単じゅ……真っすぐな子よ。ちゃんとわかり合えば、うまくやっていけると思うの。だから阿花里ちゃん、作りたる者のこと、前向きに考えてみてね」

 勾玉を握っている阿花里の手を麗瑞の両手が優しく包みこんだ。

*****
 
 麗瑞は祓殿へ戻ると、床についている実嗣の横に腰をおろした。

「いつまでも眠った振りをしていると、お見舞いにもらったいちご、私が全部食べちゃうわよ」

 背中を向けていた実嗣は、のそのそと上半身を起こした。横になっていた時に上に掛かっていた白藍色(しらあいいろ)の狩衣を羽織る。

 実嗣と麗瑞は夜具や替え用として、それぞれ余分に狩衣を持参し、拝殿に置かせてもらっていた。

「起きているって、どうしてわかったのですか?」

「私が空を飛んでやって来たって、阿花里ちゃんが話してたでしょ。あの時、実嗣の肩がぷるぷる震えてたわ」

 麗瑞がひたすら呪いを唱え続け、懸命に空を飛んでいる姿を想像して、実嗣は思わず笑ってしまったのだ。

「あの娘、見当はずれなことをよく話しますよね」

「でも、素直で可愛いらしいじゃない。実嗣は真面目に考えすぎるところがあるから、ああいう子が側にいると、安らぐんじゃないかしら」

「あの娘の言動が俺には読めないので、対応に困ってしまいます」

「そのうち楽しく思えてくるわよ。ところで、傷の具合はどう? なかなか目を覚まさないから心配したわ」

 実嗣は肌着の左袖をまくった。

 あんなに血を流していたのが嘘のように、傷口は塞がっていた。赤茶色の傷跡が、一直線にすーっと残っているだけだった。

「よかったわ。もうほとんど大丈夫ね」

「俺は意識を失って長い間眠ってしまうほど、危ない状況だったのですか?」

 実嗣は怪我をしても特異と思えるほど、いつも治りが早い。失神することなんて、今までに一度もなかった。

「貝輪に血がついてしまったからよ。それを渡した時に、私が話したことを覚えてる?」

「……確か、貝輪の効力が失われないよう、血を付けるなと」

「そう。血を穢れと感知して、貝輪ははめている者の活力を吸い上げて、効力を維持しようとするの。血を拭いて綺麗にすれば貝輪の効力は戻るから、実嗣の活力も元に戻るというわけよ」

「自衛のためといって渡されたのに、けっこう危険な物ですね。いったい何から護ってくれるんですか」

 実嗣は貝輪を見ながら尋ねた。

「その時が来ればわかるわ」

 実嗣は立ち上がった。自分の物とは違う形見の品が視界に入り、それを手に取る。

「これは、あの娘が着ていた衣の切れ端……ですか?」

「そう。実嗣の血を止めるために、阿花里ちゃんは着ていた衣の袖を引き裂いて、あてがってくれたの」

 実嗣は眠りこんでしまう前、阿花里の姿に違和感を覚えたことを思い出した。それが何だったのか、はっきりわかった。

 小袖の下の白い衣が、片袖だけ露になっていたのだ。

「血は落とせたわ。だけど……」

 縫い合わせの糸を無理やり引きちぎったせいで、ところどころ布に裂け目が入っていた。

 血相を変え、心配そうに実嗣の名前を呼び続ける阿花里の顔が、実嗣の脳裏に浮かぶ。

「明日、真佐弥さんの所に行ってきます。あの娘が作業している様子を見て、確かめたいのです。職人として、信頼出来るかどうかを。それで、作りたる者として誓約を交わしてもらうか、決めようと思っています」

 麗瑞は実嗣の話を喜ばしく思いながら、黙って聞いていた。