玉響恋物語

 三日後、阿花里と真佐弥は再び忌部氏の屋敷へ向かった。

 麗瑞の言ったとおり、永久の闇に堕ちてしまった多津岐の眼は元に戻った。そして、闇に取り込まれた発端となった一連の出来事は、多津岐の中から忘却されていた。

 そういった現象が起こると、麗瑞は実嗣を連れて立ち去る前に、阿花里たちに教えた。

 だから、多津岐は目覚めた時、なぜ自分がここにいるのかわからず、すぐに尋ねてきた。

 阿花里と事前に打ち合わせた筋書きを元に、真佐弥は説明していった。

 つまり、こういう流れだ――。

 多津岐は急ぎの用件を伝えるために、忌部氏の屋敷へ向かう真佐弥と阿花里の後を追った。すると、ふたりは追いはぎに襲われていた。多津岐が加勢したことで、劣勢から優勢に変わる。

 ひとりは逃げ出し、多津岐がもうひとりの追いはぎと()み合いになる。だけど、多津岐はふとした(はず)みで倒れてしまい、木の幹で頭を打って意識を失ってしまった。

 土まみれの多津岐に、乱れた髪と服の真佐弥。そして、袖を引きちぎられた阿花里の小袖を見て、多津岐はこの話を信じた。

「それで結局、僕は義兄さんに何を伝えに行ったんでしょうか?」

 多津岐が疑問に思ったのも無理はない。伝言のことは作り話なのだから。

「忌部様の使いが来て、訪問を三日後にしてほしいという連絡だったと話してくれた。おまえは気を失って目を覚ました後、そう伝えてくれた。伝えたら安心したのか、再び気を失ってしまった。二度も気を失ってしまったから、記憶が定かではないのだろう。巻き添えにして、すまなかった」

「そうでしたか。でも、義兄さんたちが無事で何よりです」

 多津岐はそう言って、目じりを下げながら真佐弥を見た。

 このように事態が丸く収まったのは、麗瑞の判断が適切で行動が早かったからだ。

 動揺した気持ちを引きずったままの阿花里たちに、日を改めて忌部氏の元へ出向くよう勧めた。

 そして、麗瑞は自身の式神を集落に住む男の格好にして、忌部氏の屋敷へと遣わす。真佐弥の体調がすぐれないため、訪問を三日後に延期させてほしいと連絡させた。

 だから、阿花里たちはこうして、出直すことが出た。

 ただ、この前とは違い、阿花里は白い無地の小袖を着ている。

 唯一持っていたよそゆきの服は、着られなくなってしまったからだ。

 阿花里と真佐弥は原生林を抜け、さらに歩いて忌部氏の屋敷に到着した。

 建物は木柵に囲まれていて、住居だけでなく倉庫や(うまや)などもある。この辺りでは立派な屋敷だ。

 真佐弥はいつも対応してくれる下人に声をかけた。

「真佐弥さんはこちらへどうぞ。阿花里さんは向こうで行成様がお待ちでいらっしゃいます」

 忌部家の(あるじ)である行長(ゆきなが)は、真佐弥とふたりで大切な話があるらしい。

 行成は行長の嫡男だけれど、まだ重要な仕事を任されていなかった。

 阿花里は行成のいる所へ行った。

「久しぶりだなー」

 気さくで若々しい声がした。

 阿花里は慌てて板張りの床に手をつき、お辞儀をする。

 足音が止まり、阿花里の目線の先に淡黄色(たんこうしょく)の指貫の裾が見えた。

「そんなにかしこまるなよ。早く顔を上げて」

 阿花里が顔を上げると、白緑色(びゃくろくいろ)の狩衣を着た行成が立っていた。

 阿花里より一歳年上だけれど、くりっとした目の童顔のせいか、年下のように見える。小柄で少年のような体格も、実年齢より若く見えてしまうようだ。

「お久しぶりです、行成様」

「違うだろう、阿花里。ふたりだけの時は、俺をお兄様と呼ぶようにって言ってるじゃないか」

 阿花里の困惑をよそに、行成はいつもそうせっつく。

 行成には口うるさい姉ばかりいるせいか、自分を敬慕してくれる妹という存在に、多大な憧れをもっていた。それで、阿花里にお兄様と呼ぶよう、強要し続けているのだ。

 遊びごととはいえ、格上の相手にそのような振る舞いをしていいものか、阿花里はいつも悩んでしまう。

 阿花里と行成の出会いは、二年ほど前のこと――。

 父に連れられ、阿花里は初めて忌部氏の屋敷で、行成親子と対面した。

 会った瞬間、実に愛らしい少女だと思った行成は、阿花里を仮初めの妹候補にする。そして、機を待つ。

 仕事の話が始まった途端、行成は無邪気な顔で阿花里に誘いかける。

「大人の話を聞いていても、つまらないだろう? 珍しいお菓子があるから、ついておいでよ」

 阿花里はちらっと真佐弥を見た。真佐弥は問うような目を行長に向ける。

 強面(こわもて)で厳格な行長からは想像しがたいけれど、息子に対してはかなり甘い父親だった。それもそのはずで、行長が歳をとってから出来た待望の長男だからだ。

「では、おまえからその子に、忌部と玉作り集団のことをいろいろ教えてあげなさい」

 行長から許可をもらうと、阿花里は行成と一緒に別室へ移動した。

 行成は使用人に持ってこさせた菓子を阿花里に勧める。

「これは清浄歓喜団(せいじょうかんきだん)っていう唐菓子(からくだもの)だよ」

「くだもの? これも木に()るんですか?」

 どう見ても、もぎたての瑞々しい果物には見えない。小さな皿に乗っている茶色い菓子は硬そうで、縛った袋のような形をしていた。

「あはは、違うよ。木に生るものは水菓子(みずくだもの)っていうんだ。この唐菓子は粉を練って、油で揚げたものなんだって。食べてごらん」

 説明されてもよくわからなかったので、とりあえず阿花里は実のように膨らんでいる部分をかじってみた。

「水果物と違って、果汁がまったく無いんですね。薬草のような不思議な香りがします。思ったより硬いけど、この歯ごたえが癖になりそうかも」

 阿花里の素直な反応と、ごりごり音をさせながら懸命にかみ砕いている様子を見て、行成は決心した。

 仮初めの妹検定に、阿花里は見事一発合格したのだ。

 この日から、行成は阿花里との会話を楽しんでいる。

「今日は石を用意しておいたから、阿花里が前に話していた遊びを教えてくれ」

石投(いしなご)ですね」

 阿花里はまず手本を見せることにした。

 行成から受け取った石をひとつだけ手元に残し、後の石は床に置く。そして、持っている石を高く上げ、その間に床にある石を拾い、落ちてきた石を受け止めた。

「行成様もやってみてください」

「阿花里、だから俺のことは行成様じゃなくて……」

 行成は呼ばれるのを今かと今かと待っている。

「えっと、あの、では、やってみてくださいね……お、お兄様」

「くぅー。いいねぇ、お兄様って響き!」

 行成は拳を額にあて、(えつ)()る。

「それはいったい、何のごっこ遊びなのですか?」

 くすくすと笑いながら、色白の青年がふたりに近づいてきた。

 あっ、あの人だ!……と、阿花里は思わず叫びそうになった。数日前に家を飛び出し、湖で夕陽を見ていた時に出会った青年だった。

 裸足だった阿花里を心配して、馬に乗せて家の近くまで送ってくれた人――弓削峯理だ。

 会話を聞かれてしまい、行成はばつが悪そうに頭を()く。

「峯理様、出かけられたのではなかったのですか?」

「用事が済んだので、戻ってきたのです」

峯理は阿花里と目が合うと、少し驚いたような顔をしたけれど、すぐに微笑んだ。

「君はあの時の……撫子(なでしこ)だね」

 阿花里はなぜ花の名で呼ばれたのかわからず、返事をしてもよいのか悩んでしまう。

 行成は大きな目をさらに大きくした。

「峯理様、阿花里を知っているのですか?」

「ええ。つい最近会ったんですよ、湖で」

「もしかして、峯理様が馬を貸してほしいと言われた日ですか? 急がれていたのか、(くら)もつけずに乗って行かれましたよね」

「…………早く夕陽を見たくなったんです」

 峯理は意味ありげな視線を阿花里に送った。

 阿花里はその視線の意味を理解すると、頬を赤くして俯き、自分の足元を見る。

「ところで、なぜ阿花里のことを撫子と呼ぶのですか?」

 峯理もごっこ遊びに興じているのではないかと、行成は気になっていた。

「彼女は黄土色の服を着ていたんです。笑顔になった時、大地の上で花を咲かせる撫子のように、可愛らしい笑顔を咲かせていたからです」

「峯理様は女性に、花の名前をつけて呼んでいるのですか? 撫子は確か……撫でて可愛がるとか、そういう意味でしたっけ?」

 京の人は風流だなと感心している行成が、突然疑いの目を峯理に向ける。

「もしかして峯理様は……気に入った花に名前をつけて、誉め言葉をかけながら()でて、満開になったら優しく手折って、それを自分の側において――」

「勝手に変な想像しないでください。可憐(かれん)な乙女の姿を花に例えただけです。それ以上、何もありませんよ」

 峯理はさらりと流した。

「撫子、君はなぜこのお屋敷に?」

「父が行長様に用があって、一緒に来たんです」

「そう。それで、君は行成殿の相手をしているというわけだね」

 峯理は(ねぎら)うような顔をした。

「あの……今日は、行成様にお見せする物を持ってきました」

 阿花里は帯にぶら下げた小さな袋から、赤瑪瑙の丸玉(まるだま)を取り出した。丁寧に磨かれ、均整のとれた茜色(あかねいろ)の丸い玉だった。

「これが私が初めてひとりで作った玉です」

「持ってきてくれたんだ!」

 行成は丸玉を手に取り、いろいろな角度から眺める。

「初めて作ったとは思えないくらい上手だね。さすが、真佐弥の子だ」

 峯理も横から、興味深そうに玉を見ている。

「失礼します、行成様。行長様がお呼びでいらっしゃいます」

 先程案内してくれた下人が、行成を呼びに来た。

「えー、もうちょっと話したかったのにな。わかったよ、今行く。阿花里、見せてくれてありがとう」

 行成は丸玉を阿花里に返し、名残惜し気に去っていった。

 峯正はまだこの場に残っていた。

「ねぇ、撫子――」

「あのっ、私の名前、阿花里っていいます」

 阿花里はまず名乗ったほうがいいと思った。

「可愛いらしい名前だね。君にぴったりだよ。ところで撫子、君は自分の仕事、楽しい?」

 峯理にはこの呼び名がすっかり定着してしまったようだ。

阿花里も京の空気に包まれているような気分がして、嫌ではなかった。

「はい、とっても。峯理様はどのような仕事をしているのですか?」

「僕? そうだね……神社や神事など、神道についてのことを記録することと言えば、わかりやすかな」

 忌部氏の所へは、神に供える物や神具について話を聞くために訪れたのだと、峯理は阿花里に話した。

「行長殿に見せてもらったけど、ここで作られる玉はどれも本当に素晴らしいね。京へ帰る前に、ひとつ譲ってもらえないか、お願いしてみようと思っているんだ」

 阿花里はぱっと手を出して、握っていた丸玉を見せた。

「あの、これでよろしければ……」

「僕に? でも、それは君が初めて作った玉だよね? そんな大切な物、もらってもいいのかな」

 確かに、阿花里にとって思い入れのある玉だ。だけど、峯理に喜んでもらえたら嬉しい。その気持ちのほうが強かった。

「はい。先日、送ってくださったお礼です」

「君を送ったのは……僕がもう少し君といたかったという理由もあったんだけどね」

 阿花里ははにかんだ顔をした。

「馬に乗せてもらって楽しかったので、峯理様が受け取ってくれたら嬉しいです」

「ありがとう。大切にするよ」

 峯理が丸玉を受け取ると、再び下人が用件を伝えにきた。

「阿花里さん、真佐弥さんが帰るそうです」

「わかりました」

 一歩足を動かした阿花里を峯理が引き止める。

「僕はもう少しここに滞在する予定なんだ。君は忌部殿のお屋敷によく来るの?」

「いいえ。そんなには……」

「君と出会ったあの湖には?」

「夕陽を見に、時々行きます」

 納得のいく言葉を聞けて、峯理は嬉しそうな表情をした。

「それなら僕も、湖に足を運んでみるよ。君にまた……会えるのなら」

「私も時間を作って行ってみます」

「ありがとう。でも、今日はまだ君を帰したくないな」

 阿花里を案内するために残っていた下人が、ふたりの会話中いたたまれなさそうに俯いて待っていた。

 阿花里と真佐弥が忌部氏の屋敷を出ると、行長は行成を連れて自室へ行った。

「行成、ここだけの話だが……」

 行長のいかつい顔が、さらに(すご)みを増す。

「真佐弥がわしらを裏切っているかもしれん」

「どういうことですか、父上!?」

「忌部を通さずに、真佐弥が自ら玉の取引をしているらしいのだ」

 行長は怒りを抑えようと、普段よりもゆっくり話した。

「ありえないですよ! いったい誰の情報なのですか!?」

「真佐弥と同じ集落に住む玉作り職人だ。この屋敷へ来て、そう密告していったらしい」

「真佐弥は根っからの職人気質(しょくにんかたぎ)で、物欲などないように見えます。信じがたい話のように思えるのですが……」

 行成はしばらく首をひねっていた。

「わしもおまえと同じ考えだった。だが先日、ここへ来るのを三日後に変更してほしいと伝えてきた。急に予定を変えるなど、今までに一度もなかったのに」

「人づてに連絡してくることも、ありませんでしたね。でも、突然具合が悪くなったなら、しかたがないかと」

「だが、今日会ってみて、少し前まで体調が悪かったようには、まったく見えなかった。例えば……だが、誰かと急遽密談をするために、仮病を使ったのではあるまいか」

「まさか、そんな……」

 行長は腕を組んで目を閉じた。そして、決意した顔で目を開ける。

「念のため、これから真佐弥と娘の行動を探ることにする」

「阿花里もですか!?」

 行成は口をぽかんと開けた。

「何かわかったら、おまえにも知らせる。このことを他言してはならぬぞ。よいな」

「はい……」

 父に逆らうことは出来ず、行成は力なく返事をした。