玉響恋物語

 玉を取りに戻った阿花里は、林の手前で待つ父の元へと急いだ。

 人の姿が見えてきたけれど、なぜかふたりいる。ひとりは阿花里の集落に住む人たちが着る、黄土色の作業衣を着ていた。

 似たような体格、髪型。父と一緒にいるのは、叔父の多津岐だった。阿花里が忘れ物を取りに帰った時、多津岐は工房の近くにいたはずだ。

 ふたりの様子が、どうもおかしい。

 突然、多津岐が真佐弥の胸ぐらを両手でつかんだ。そのまま押し倒して、馬乗りになる。

「何してるの、多津岐叔父さん!? やめてーー!!」

 阿花里は叫びながら、一目散に駆け寄った。

 近くで見ると、多津岐が着ている服には、なぜか木の葉がたくさん付いている。

 多津岐は真佐弥の両肩を地面に押さえ込んだまま、阿花里を見た。

「阿花里ちゃん、どうしてここへ? 家に帰ったんじゃ……なかったのかい?」

「忘れ物を取りに戻っただけだよ!」

 多津岐は恵珠山に行こうと工房を出たところで、阿花里とばったり会った。

 その時、阿花里はこう言った。私だけ戻ってきたと――。

 だから、真佐弥ひとりが忌部氏の屋敷へ行くことに変更したのだと、多津岐は思い込んでしまった。

 阿花里が家の中に入ったのを見て、多津岐は我を忘れた。やるなら今だ! 多津岐は(のみ)を腰紐に挟み、すぐさま走り出した。

 早く真佐弥に追いつこうと、滅多に人が通らない獣道(けものみち)藪漕(やぶこ)ぎしながら駆けていった。体にばしばしと当たる小枝や、まとわり付くような葉をものともせずに。

 そうして、真佐弥に追いついた。誰にも見られず、遂行出来ると思っていたのに――。

 阿花里に危害が及ばないよう、真佐弥は自分に注意を引きつけようとした。

「多津岐、なぜさっきから、忌部様の屋敷へ行くのを邪魔する?」

「邪魔? いやだなぁ。邪魔してるのは義兄さんのほうですよ」

 ここまで来たら、阿花里に見られてもやるしかない。多津岐は腹を括った。

「どういうことだ!?」

「義兄さんがいなければ、僕の欲しいものが手に入る。だから……いなくなってほしいんです」

「いなくなるって、どういうこと? 多津岐叔父さん、何をするつもりなの!?」

「阿花里ちゃん、阿花里ちゃんのためでもあるんだよ」

 多津岐の薄ら笑いに、阿花里はぞくっとした。

「僕なら、阿花里ちゃんが家を飛び出すようなことはしない。いつだって話を聞いてあげたし、実際に親子みたいに仲がよかった。そうだろう? 真佐弥さんにはもう振り回されないようにしてあげるから…………わかってくれるね?」

 真佐弥の肩を抑えていた多津岐の両手が、すっと首へ移動した。そして、指に力をぐっと込める。

「だめぇーーーーっっ!!」

 阿花里は声を限りに叫んだ。父から離そうと、多津岐の上半身を何度も揺すろうとした。けれど、びくともしない。

 阿花里は泣きそうになった。

「何をしている!」

 男性の怒鳴り声がした。

 すると、空間だった場所に、実嗣がぱっと現れた。姿を消すための術――我隠在無の術は、声を出すと解けてしまうのだ。

 実嗣は地面を滑っているかのような速さで、三人に近づく。

「実嗣様、お願いです! 助けてください! 父さんが、父さんが……!」

 父から離そうと、阿花里はまだ多津岐の肩をつかんでいた。

 真佐弥は自由に呼吸することが出来ず、顔を(ゆが)めている。

「義兄さんがいなければ、義兄さんがいなければ……」

 早く()()()()しまおうと、多津岐は実嗣のことを気にも留めずに、力を入れ続ける。

「娘! そこをどけ!」

 阿花里が離れると、実嗣は右手の人差し指と中指をくっつけて立て、刀の形を指で模した刀印(とういん)を結ぶ。

躯宿憑邪浄散無(くしゅくひょうじゃせいさんむ)!」

 実嗣は言葉に合わせて、風を切るように刀印を左右斜めに動かす。何かが乗り移っているのかもしれない。実嗣はそう思い、憑依を取り除こうとした。

 風圧を伴った術を受け、多津岐の体は弾かれたように後ろへ飛ばされていった。

 真佐弥はやっと空気を吸えるようになったけれど、喉を押さえながら横向きになり、苦しそうに(あえ)ぐ。

「貴様! 邪魔をするな!」

 多津岐は素早く立ち上がり、ものすごい速さで実嗣に襲いかかった。今度は、実嗣の上に乗っかり、押さえ込む。

 振り上げられた多津岐の左拳を実嗣はとっさに両手で受け止めた。

 すると、多津岐はにやっと笑った。右手を腰にやり、腰紐に挟んであった鑿の()を握って、刃先を実嗣に向ける。

「その眼はっ!」

 実嗣は多津岐を見て叫んだ。

 左右の眼球には白目がなく、黒目だけの恐ろしい顔になっていた。多津岐は永久(とこしえ)の闇に()ちてしまったのだ。

 眼に気をとらわれていたせいで、鑿が()ぎ払われた瞬間、実嗣はうまく()けきれなかった。なんとか多津岐を押しのけたけれど、左の袖がざっくりと切られてしまう。

「実嗣様っ!!」

 阿花里は悲鳴に近い声をあげた。

 多津岐が体勢を整える前に、実嗣は急いで刀印を結び、声を張り上げる。

縛拘(ばくこう)!」

 実嗣の指先から浅緑色(あさみどりいろ)(ツル)みたいな紐がするすると伸びて、多津岐に巻きついていった。刀印を手前に引き寄せ、ぐぐっと締めつける。

 そして、紐は実嗣の指から離れ、末端が多津岐の体に、ぴたっとくっついた。

 多津岐は身動き出来ないようになった。

「娘! 真佐弥さんと一緒にいろ! そして、そこを動くな!」

「はいっ!」

 阿花里はすぐに言われたとおりにした。

 実嗣は懐から人形代を取り出す。

四護囲繞(しごいじょう)!」

 人形代に向かって唱え、阿花里と真佐弥のほうへ放った。

 人形代は四体に分裂し、ふたりを囲むように四方位に散って、すーっと降りていく。四体の人形代がすべて地面に落ちると、空色の透きとおった壁が出来ていた。

 阿花里と真佐弥の身を守るために、実嗣は結界を張ったのだ。

 多津岐があの眼となってしまった以上、実嗣は対処出来ない。そう判断し、麗瑞を呼ぶことにした。

 実嗣は左腕を掲げる。左手首に付けている白い腕輪が露になった。複数の白い二枚貝に穴をあけて、紐でつなげている貝輪だ。

 実嗣は右手で貝輪を包むように握りながら、念を送った。

 すると、貝輪から水蒸気のような(もや)が、もわもわと放出された。そして、それは徐々に大きな(とび)の姿になっていった。

 次に、実嗣は人形代を出す。

我念導伝(がねんどうでん)! 麗瑞様を連れて来てくれ」

 その人形代を鳶の背中に貼るように乗せた。

 鳶は褐色の羽をぶわっと広げ、ぴーひょろろろと鳴き声をあげながら飛んでいった。

 その様子を見届けた実嗣は、再び多津岐に目を向ける。

 全身を紐で巻かれた多津岐は、地面に横たわったまま、ぴくりとも動かない。

 やれることをひととおり終え、実嗣はひと息つく。少し気が緩んできたせいか、鑿で切られた左上腕が、ずきずきしてきた。

 横一直線に出来た傷口から、血が流れている。曲げていた肘の先から血は行き場を失い、袖の中で赤い雫を垂らしていた。これ以上出血しないよう、実嗣は心臓より上に左腕を上げる。

 多津岐を縛っている紐は、どのくらい持ちこたえられるだろうか。実嗣は麗瑞をひたすら待ち続ける。

「これで……動きを封じこめたつもりか?」

多津岐はふんっと力を入れた。すると、紐は()端微塵(ぱみじん)になり、多津岐の体は自由になった。

 そして、体を大きく左右に振りながら、ゆっくりと立ち上がる。

「こんなに早く解かれるとは! 術が弱かったのか!?」

 実嗣は再び印を結ぼうとするけれど、激痛に気力と体力を奪われる。腕を上げているのがしんどくなって、いつの間にか左手を下ろしていた。

 気がつけば、指先まで血が達している。赤錆色(あかさびいろ)の染料をたっぷり付けた筆で、貝輪をいたずらに塗ったようになっていた。

 多津岐は実嗣との間合いを詰めていく。

 気をしっかりもたなくてはと思うのに、実嗣の意識は朦朧(もうろう)としていった。

*****

 高らかな鳴き声が聞こえた。滑空(かっくう)する鳥が見え、実嗣は気持ちを奮い立たせる。

 実嗣の貝輪から創り出された鳶が、麗瑞を乗せて戻ってきた。

 鳶が着地すると、麗瑞は実嗣のもとへ走った。

「実嗣! いったい何があったの!?」

「あの男が真佐弥さんを襲っていたんです。取り憑かれているのかと思い、(はら)ってみたのですがうまくいかず、あの眼を見て、俺では無理だと……」

「あの眼は……間違いないわね」

 墨で塗りつぶされたような多津岐の眼球を見て、麗瑞は瞬時に理解した。

「それで、あのふたりを結界に入れて守ってるのね」

「そうです」

 阿花里と真佐弥は透明の青壁に手を置いて、はらはらしながら見ていた。

「光矢眼眩!」

 勇ましい声が(とどろ)いた。

 麗瑞の術により、あっという間に強い光が多津岐の視界を奪った。

「縛拘!」

 続けざまに、麗瑞は叫んだ。すると、指頭(しとう)から深緑色(ふかみどりいろ)の太い紐が、多津岐めがけて伸びていった。ものすごい速さで多津岐の上半身を巻き、ぎゅっぎゅっと締め上げる。

「うぅっ!」

 多津岐は苦しさに耐えきれず、その場にへたり込んだ。

 麗瑞は急いで多津岐に近づき、片膝をつく。

「今、楽にしてあげるわね」

 さっきまでの険しい表情から一変して、麗瑞は慈悲深い顔になった。そして、腕輪から黒い勾玉――常闇の禍玉をつかんで引っ張り、紐から外した。

 麗瑞はその勾玉を多津岐にかざす。

「この者に宿りし闇を黄泉路(よみじ)へと誘い給え」

 多津岐の体から黒い気――悪気(あっき)が、もくもくと煙のように出てきた。

 常闇の禍玉はその悪気を吸っていった。吸い尽くすと、すべてを葬り去るように、勾玉は消滅した。

 すると、多津岐の眼が鈍色(にびいろ)に変わった。

解元(かいごん)!」

 麗瑞は阿花里と真佐弥に向かって唱えた。

 青壁が突如として消失した。実嗣がかけた結界を解いたのだ。

 阿花里と真佐弥は沈痛な面持ちで、麗瑞と多津岐の側へと駆け寄った。

「大丈夫? あなたたち怪我(けが)してない?」

「はい。助けに来てくださって、ありがとうございます」

 真佐弥は首元をさすりながら、麗瑞に答えた。

 多津岐の様変わりに、阿花里は打ち震える。

「叔父さん、どうしちゃったんですか!? どうしてこんなことに!?」

「叔父さん……? この人は阿花里ちゃんの叔父さんなの? 心の中にある闇が大きくなって、その闇に支配されてしまったのよ。今から彼の魂を浄化するわね」

 麗瑞は浄明の勾玉を腕輪から抜き取り、多津岐の目の前に持っていった。

「邪に染まりし(たま)を浄め、明るき()を授け給え」

 白い気――良気(りょうき)が勾玉から発散され、(もや)のようなものが多津岐をしっとりと覆っていった。浄明の勾玉は良気を出しきると、すぅっと消えた。

「すべて話して、楽になりなさい」

 麗瑞は優しい声で、多津岐を誘導した。

「僕は……僕は義兄さんに……なりたかったんです」

「真佐弥のことね。真佐弥が羨ましかったの?」

「はい。だから、動作や格好などを真似て、義兄さんみたいだ……と思おうとしたこともあります」

「どうしてこんなことをしたの?」

「僕がいちばん欲しかったもの――それを義兄さんが(ないがし)ろにしていると考えたら、許せなくなったんです」

「いちばん欲しかったものって?」

「……我が子です」

 多津岐は腹の底から、声をしぼり出した。

「僕は……生きている我が子を……我が子を抱くことさえ出来なかったのに……」

 あの時、失意を抱えながら生きていかなければならないのかと、多津岐は思っていた。

 志久那が阿花里の乳母になるまでは――。

「義兄さんはもっと阿花里ちゃんにかまってあげればいいのにって、僕はずっとそう思ってました」

 真佐弥は目を伏せ、多津岐の言葉を静かに受け止める。

「だから、阿花里ちゃんが家を飛び出したと聞いて、気持ちを抑えられなくなったんです。僕のほうが父親にふさわしい。いっそ娘になってしまえばいいのに……と」

「多津岐叔父さん……」

 阿花里は両手で、多津岐の右手を握った。阿花里を褒めて、よく頭を撫でてくれる手だ。

 多津岐はぴくっと肩を上げて反応したけれど、生気のない目線は地を()っていた。

「僕だって、阿花里ちゃんの成長を側で見てきたんです。親のような情が芽生えても、おかしくはないでしょう? もちろん、叔父として立場をわきまえてきました。だけど――」

「私が家を飛び出しちゃったせいだ! 私がそんなことをしなかったら……」

 阿花里は握っている多津岐の手に力を込める。

「私を可愛がってくれたこと、本当に感謝してる。多津岐叔父さんが褒めてくれたから、私、自分を見失わないでやってこられたの。だからお願い、大好きだった叔父さんに戻って! ねっ、お願い!」

 多津岐は阿花里を見た。そして、微かに笑顔を見せて頷く。

 すると、多津岐の瞼が徐々に閉じていき、力も抜けていった。完全に眠りについた瞬間、倒れてきた多津岐の肩を麗瑞ががしっと支えた。

「魂がすっかり浄化されたら、目を覚ますわ。ふたりとも、そんなに心配そうな顔をしなくても大丈夫よ。目を開けたら、ちゃーんと白目も黒目も元通りになってるから」

 麗瑞はそう言ってふたりに微笑むと、きょろきょろと周りを見た。

「日陰で休ませたほうがいいわね。あの林の中へ入って、彼が寄りかかれる幹を見つけましょう」

 麗瑞と真佐弥はそれぞれ多津岐の脇に頭を入れ、左右から支え上げるようにして、林の中へと歩いていった。

 阿花里は心配そうに、三人の様子を見守る。

 自分も後をついていこうと一歩踏み出した時、どさっと何かが落ちるような音がした。驚いて目をやると、実嗣が横向きに倒れていた。

 阿花里はすぐさま実嗣の側に行き、両膝を地面につけて屈んだ。

 左腕を押さえていた実嗣の右手が、ぶらんと力なく離れた。手のひらには鮮血がべったりと付いている。

「実嗣様! 実嗣様!」

 呼びかけても、まったく反応がない。阿花里は麗瑞に早く知らせようと叫ぶ。

 けれど、阿花里の声は届かなかった。

 阿花里は自分が出来ることを考える。大きく裂かれた実嗣の左袖の中を(のぞ)いてみた。顔を背けたくなるくらい痛々しい刃傷が、一直線に出来ていた。

 阿花里は急いで血を止めなければと思った。けれど、腕を縛るための布なんて、今は持っていない。

 何か代わりのものは……と思った時、阿花里は自分が着ている小袖の左の袖を右手でとっさにつかんだ。

 母さん、ごめんね。でもお願い、助けて! 阿花里は心の中でそう叫びながら、思いっきりを引き裂いた。

 そして、縫い合わせの部分を引っ張ってほどき、布を大きくする。その布の内側を傷口にあてるように折り、実嗣の患部に置いた。ぐるぐる巻きつけ、ほどけないようにぎゅっと結ぶ。

「……つっ!」

 傷口に圧力がかかり、鋭い痛みのせいで、実嗣は目をぱっと開いた。

 心配そうに見ている阿花里と目が合う。

「実嗣様! 大丈夫ですか!? 実嗣様!」

 実嗣は気だるそうに頷いた。

 阿花里の姿にどこか違和感を覚えながら、実嗣は再び目を閉じてしまった。