玉響恋物語

 阿花里は小袖の裾や袖を何度も見ながら歩く。作業衣の小袖とは違って身の丈と同じ長さのせいか、足首がくすぐったい。

 初めて着る明るい色の衣。心だけでなく、体もふわふわと浮き立つようだった。

 真佐弥もきちんとした身なりをしている。白い直垂(ひたたれ)柿渋色(かきしぶいろ)括袴姿(くくりばかますがた)。普段は短めの後ろ髪をひとつに結んでいるだけなのに、今日は萎烏帽(なええぼし)子をかぶっている。

 そろそろ、玉造の社が間近になってきた。

 後ろにいる阿花里に話しかけようと、真佐弥は歩を緩めて振り返った。そして、阿花里の歩幅に合わせ、並んで歩く。

「これから会うのは……京に住んでいる方たちだ」

「京から、わざわざ父さんに?」

「父さんの作る勾玉をお仕事で必要とされている。だから、こうして時々お会いして、手渡しているのだ」

 玉作り集団の作る玉は、忌部氏を介して流通している。父が京の人と直接やり取りをしているのは、阿花里にとって初耳だった。

「どんな仕事をしている人たちなの?」

「人々が平和に過ごせるよう、お祈りをされたり…………鬼や(あやかし)などを退治されたりしているそうだ」

「お、鬼ーっ!?」

 阿花里は父の言葉だけではなく、素っ頓狂な自分の声にも驚く。

「その人たちはお守りとして、勾玉が必要ってことなの?」

「……もう社に着いた。お待たせしているといけないから急ぐぞ」

 真佐弥は歩幅を元に戻し、阿花里の質問を聞き流した。

 ふたりは玉造の社のひとつ目の鳥居をくぐった。

 ふたつ目の鳥居の先には石段がある。鬱蒼(うっそう)と茂る常緑の低木に左右を挟まれ、(きざはし)には枝葉の影が出来ていた。

 石段を上りきると、開けた視界の先に拝殿(はいでん)が見えた。参拝客はひとりもいない。清浄な場所を示す注連縄(しめなわ)は、鳥居で見たものよりも大きくて太い。

 その拝殿の奥には、御神体がおさめられている本殿がある。

 本殿のほうから宮司(ぐうじ)が歩いて来た。

 色素がすっかり無くなってしまった白い髪と、ほっそりした顔に刻まれた複数の深い(しわ)。老齢ではあるけれど、背筋がすっと伸びている。白衣(びゃくえ)と紫色の袴姿に、高潔さが(にじ)み出ていた。

「真佐弥さん、今日は娘さんと一緒なのですね」

 宮司は孫でも見るような眼差しで、阿花里に微笑んだ。

 この社に祀られている玉祖命(たまのおやのみこと)は、玉作り集団が祖神として(あが)めている神だ。玉祖命は三種の神器(じんぎ)のひとつ、あの八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)を作ったと伝えられている。

「真佐弥さん、お客様はもう祓殿(はらえどの)にいらっしゃいますよ」

「そうですか。では急いで向かいます」

 宮司に一礼をし、阿花里たちは祓いを行う社殿へと急いだ。

 客は真佐弥と会う時はいつも、滅多に人が立入るのことのない祓殿を利用させてもらっていた。

 泣く子も黙るという鬼。そんな恐ろしい鬼を退治するなんて、いったいどんな人なのだろうと、阿花里は想像してみる。

 獰猛(どうもう)な顔つきに、大きな図体(ずうたい)。そして、毛むくじゃらの手足。もじゃもじゃっとした胸毛も追加して……野獣と化していった。

 そして、ぼてっとした腹が(あら)わになった褌姿(たふさぎすがた)で、武器の棍棒(こんぼう)を持たせる。これが阿花里の考えた、人類史上最強の人物像だった。

 阿花里と真佐弥は祓殿の真正面に来た。

 足の付け根あたりの高さに床があり、阿花里は小さな(きし)み音を立てながら階段を上った。

「お待たせして申し訳ありません。真佐弥です」

「どうぞ、入ってください」

 少し低めで、よく通る男性の返事が聞こえてきた。

 建物の中は意外と広い。座っても体が痛くならないよう、床板の上には薄畳が敷かれている。

 調度品は必要最小限の物だけ。顔や手足を洗うための木製のたらい、硯箱(すずりばこ)を乗せた文台(ぶんだい)、照明具の燈台(とうだい)だけの簡素な室内だ。

「真佐弥、いらっしゃい」

 もう一人、男性がいた。女性のように柔らかい声で話すけれど、無理やり作った高音の声だ。

 阿花里はその男性に、思わず見とれてしまう。

 形の整った眉と、(なまめか)かしい(まなこ)。そして、薄くて形の良い唇。女性と見紛(みまが)うような、見目麗しい顔立ちをしている。

 月のように白い狩衣と闇のように濃い藍色(あいいろ)の指貫を身にまとい、座っていると床についてしまいそうなほど長い髪は、瞳と同じように(つや)やかで美しい。女性のように頭を露出していて、烏帽子をかぶってはいなかった。

 阿花里は父と横に並んで座る。

 目の前にいる二人の男性の間には、衣の中に桃でも隠しているのかと思うほど、お腹がぽっこり突き出たたぬきが、二本足で立っていた。灰白色(はいはくしょく)狩衣(かりぎぬ)指貫(さしぬき)姿で、さらに烏帽子まで乗せている。

 なぜ、たぬき? たぬきを着飾って連れ歩くのが、京では流行っている? 阿花里はそんなことを考えながら、膨れ上がったお腹をつついてみたい衝動に駆られる。

「遅れてすみません」

 真佐弥が手をついて謝った。

 たぬきに気を取られていた阿花里は、慌てて同じように頭を下げる。

「気にしないで。温泉に入りたかったから、早く来ちゃったの。やっぱり玉造のお湯はいいわね。お肌つるんつるんよ」

 長髪の男性はうっとりとした顔をしながら、手のひらで両頬をすりすりとさすった。

 真佐弥は年若い男性に視線を移して、お辞儀をする。

 長髪の男性と同じ月白色(げっぱくいろ)の狩衣を着て、濃藍色の指貫を履いていた。

 その男性は無言のまま、真佐弥に挨拶を返した。ところが、少し遅れて会釈した阿花里には無反応だった。

 真佐弥は最後に、たぬきを見る。そして、(うやうや)しく(こうべ)を垂れた。

 他の人にはたぬきではなく、もしかして人間に見えている? 阿花里はそんなことを考えながら口をぽかんと開け、目をこすってはたぬきを凝視する……を繰り返した。

 長髪の男性は閉じたまま手にしていた蝙蝠扇(かわほりおうぎ)を少し広げて口元に添え、阿花里を見てくすくすと笑った。

「真佐弥、阿花里ちゃんに私たちのこと話してないの?」

「申し訳ありません。なかなか言い出せなかったもので、詳しくは……」

「それじゃあ、私から阿花里ちゃんに伝えるわね」

「はい、お願いします」

 長髪の男性は頷いて、阿花里のほうへ体を傾けた。

「私は賀茂麗瑞(かものれいすい)。国の安泰を維持するため、京で占いをしたり、(まじな)いを唱えたりしているの」

 麗瑞は扇をさっと全開にして、しなやかに(あお)いだ。

 阿花里が思い描いていた客人像――棍棒を持った野獣のような大男とは、似ている要素が何ひとつなかった。

 麗瑞が手にしているのは棍棒ではなく、色彩豊かな鳥が描かれた美しい扇だった。

「そこにいるのは、息子の実嗣(さねつぐ)。歳は阿花里ちゃんより、ふたつ上よ。私と同じ仕事をしているの」

 阿花里は実嗣と麗瑞を交互に見た。

 顔のつくりもそうだけれど、雰囲気がまったく違う。(あで)やかな麗瑞とは異なり、実嗣は凛々(りり)しかった。

 阿花里の視線に気づくと、実嗣は()()けるように一瞥(いちべつ)した。

「実嗣も何か話しなさいよ」

「俺は特に話すことはないです」

 興味なさそうに、ぼそっと話す。戸口付近から聞こえてきた声と同じだった。

「実嗣、女子(おなご)と接する時は、最初の印象が大事じゃ。まずは笑顔だと、わしはいつも言っているだろうが」

 阿花里は声のするほう――たぬきを見た。

 すると、たぬきは阿花里に向かい、歯をむき出しにして、にかっと笑った。

「えぇっ! た、たぬきが、しゃべった!?」

「やっぱり最初は驚くわよね」

 阿花里の反応に理解を示しながらも、麗瑞は可笑(おか)しそう目を細める。

「京のたぬきって、しゃべるんですね! すごいです!! 人と同じようにしゃべるから、服を着ているんですね!」

「……そんなわけないだろ」

 お腹を抱えて笑っている麗瑞の代わりに、実嗣が(あき)れ顔で答えた。

「阿花里とかいう、そこの娘。さっきから、たぬき呼ばわりしておるが、わしは賀茂家の屋敷神じゃ。守彦(もりひこ)という立派な名前もある。見た目が少ぉしだけ似ているからといって、たぬきと決めつけるでないぞ。折角おまえたち親子にも、わしの姿が見えるようにしてやっているというのに。それから実嗣! たぬきではないと、まずははっきり否定すべきであろう!」

 守彦は手にしていた蝙蝠扇を実嗣にぴしっと向け、きぃっと(にら)んだ。

 父が丁寧にお辞儀をした理由が、やっと阿花里にもわかった。見た目はどうあれ、あのたぬきは神様だったのだ。

「守彦様には実嗣の教育係もしてもらってるのよ」

 麗瑞は阿花里にそう付け加えた。

 まさか、目の前に神様がいるなんて――。阿花里はたぬき……ではなく、きつねにつままれたような気分になった。

「阿花里ちゃん、私たちが鬼や妖を退治しているっていう話は、もう聞いているかしら?」

「はい。でも、どのようにですか?」

「力じゃ到底(かな)わないから、特殊な能力を使うの」

「特殊な……能力?」

「そう。特別に見せてあげるわね」

 麗瑞はにっこり微笑んだ。そして、扇をぱたんと閉じて、その先を戸口の方へ向ける。

光矢眼眩(こうしがんげん)!」

 力強い男性の声。それは紛れもなく、麗瑞の口から発せられた。

 扇を持つ指先から放たれた光芒(こうぼう)が、ものすごい速さで戸口に当たる。そしてその瞬間、周囲がまばゆい光にぱぁっと覆われた。

 麗瑞はすっと俯き、光をまともに見ないようにした。実嗣と守彦も瞬時に下を向く。

 阿花里と真佐弥は光をまともにくらった。

 やっと目が慣れてきた頃、阿花里は麗瑞がこちらを見ているのに気づいた。

「こうやって、敵の目を(くら)ませるの。そうしたらその隙に、あーんなことや、こーんなこととか出来ちゃうのよ」

 麗瑞はすっかり元の声に戻っていた。

「あとはね、道具を用いて、呪いを唱えることもあるの。真佐弥、例の物をもらえるかしら」

「はい」

 真佐弥は胸元から麻袋を出し、麗瑞に渡した。

 麗瑞は袋に入っている物を(もも)の上に乗せる。そこには碧玉で作られた一寸ほどの勾玉が十数個あった。

「これは言霊に(いら)える勾玉といって、真佐弥に作ってもらっているの。とーっても大事な道具なのよ。まあ、見ててちょうだい」

 麗瑞は勾玉をひとつだけ、右手のひらに乗せた。

黄泉(よみ)()べる伊邪那美命(いざなみのみこと)よ。御玉(おんたま)に闇啜る力を分け与い宿し給え」

 麗瑞は太い声で詠唱した。

 すると、勾玉は閃光(せんこう)に包まれた。光が消えると、勾玉の色が檜扇(ひおうぎ)の実――ぬばたまのように真っ黒になっていた。

「これはね、常闇(とこやみ)の禍玉っていうの。悪い気を吸い込んでくれるのよ。それから、もうひとつあるの」

 麗瑞は常闇の勾玉を腿の上に置き、すぐ横にある碧玉の勾玉――言霊に応える勾玉をもう一個つまんで、手のひらに乗せた。

数多(あまた)の神を生みし伊邪那岐命(いざなぎのみこと)よ。御玉に蘇りの力を分け与い宿し給え」

 麗瑞の唱えに反応して、まぶしい光がまた勾玉を覆った。さっきと違うのは、変色した勾玉の色。碧色から麗瑞たちが着ている狩衣と同じ、月白色に変化していた。

 驚嘆した阿花里の表情を見て、麗瑞は満足そうに微笑んだ。そして、月白色の勾玉を阿花里に見せる。

「これは浄明(きよあけ)の勾玉といって、良い気を放出して、人の体に送り込んでくれるの」

 麗瑞はもう片方の手で、常闇の勾玉を持った。そして、ふたつの勾玉の凹凸(おうとつ)を合わせる。すると……円の形になった。

「このふたつの勾玉は対になっているの。そして、この勾玉を作る者と使う者も、対になっているのよ」

「それは……父が作ったその不思議な勾玉を使えるのは、麗瑞様だけということですか?」

「そう。誓約を交わしたひと組だけが、言霊に応える勾玉を作り使うことを許されているの」

 麗瑞は勾玉をすべて袋に入れて、懐にしまった。そして、両手を床について、体をすいっと阿花里のほうに近づける。

「言霊に応える勾玉を常闇の禍玉と浄明の勾玉に変えたら、こうして持ち歩いているの」

 麗瑞は左の袖をまくって、腕を見せた。黒と白の勾玉が交互に紐に通され、腕輪になっていた。

「近々、実嗣を私の後継者にって考えているんだけど、そうなると玉を作る人が新たに必要になってしまうでしょ。だからね、阿花里ちゃんにお願いしようと思って、今日はここに来たのよ」

「私!? 私にも、その不思議な勾玉を作ることが出来るんですか!? 本当なの、父さん!?」

 実嗣が訴えるような目をして、麗瑞を見た。

「もしかしたら……と思っていたのですが、やはり女に頼むのですね。どうして事前に、そのことを話してくれなかったのですか!?」

「だって、そう教えたら、実嗣は絶対にここに来ようとしなかったでしょ?」

 守彦は両手を腰にあて、何度も頷く。

「麗瑞の言うとおりじゃ。実嗣は女子を避ける傾向があるからのぅ」

「ほんと、女性の話になると、途端に嫌そうな顔をするのよね」

 麗瑞は首を傾げながら、肩をすくめる。

 実嗣から自分にだけあの冷ややかな視線を向けられた理由が、阿花里にはわかった気がした。

「それって……実嗣様は、男の人のほうが好きということですか?」

 阿花里の質問に、実嗣は男性二人と一柱の男神から、いっせいに視線を浴びた。彼らは目を見開き、驚愕(きょうがく)の事実を知ったというような顔をしている。

「ち、違う! いや、そういうことになるのか……? いやいや、そうじゃない! 変な言い方をするな!」

 誤解された実嗣を麗瑞は哀れんだ目で見ている。けれど、蝙蝠扇で隠した口元は笑いを隠せないでいた。

 阿花里は実嗣をからかうつもりなど、まったくなかった。

 女性が嫌いなら男性のほうが好き――。ただ単純にそう思っただけで、麗瑞たちが想像したような、深い意味はなかった。

 実嗣は躍起になって言い返す。

「女っていうのは、しゃあしゃあと(うそ)をついたり、平然と裏切ったりする。そして、都合が悪くなると、すぐに泣く。うわべだけ綺麗(きれい)に飾ってみせても、女なんて信用出来ないのです!」

 今度は皆が阿花里を見る。

 視線に痛くなって、阿花里は下を向いた。薄紅色の衣が目に入る。

「実嗣はそんな女性としか接してこなかったのかしら? それで女嫌いだったの? 全員そうとは限らないんだから、決めつけはよくないわよ」

 麗瑞はやんわりと実嗣を(さと)した。

「ですが、実際に――」

 ふたりのやり取りは、阿花里の耳を素通りしていった。今着ている小袖のことで、阿花里の頭の中がいっぱいだったからだ。

 よそゆきの服より作業衣を着たほうが、職人らしくてよかったのかな――。

 母の形見の品に難癖をつけられたようで、阿花里は悲しくなった。俯いていると、体中の水分が目に集まってきそうだった。

 守彦は実嗣の左肩を蝙蝠扇でぺしぺし叩いた。

「実嗣、可愛(かわい)らしい娘を見て、ついいじめたくなりおったのか。おぬしは女子に対しては、まだまだ子供(うぶ)だからのぅ」

 場を和ませようとしてか、守彦はかっかっかっと豪快に笑った。

 今まで事の成り行きを黙って見ていた真佐弥が、一文字に結んでいた口を開く。

「麗瑞様、事前にきちんと阿花里に話していなかった、私の落ち度です。お許しください。阿花里は信じられないような話をたくさん聞いて、気が動転しているのだと思います。あとで私からきちんと説明しておきますので、ひとまず下がらせてもらってよいでしょうか」

「そうね……また日を改めましょう。私も実嗣によく言い聞かせておくわ」

 真佐弥は立ち上がって黙礼した。

 阿花里も同じようにお辞儀をする。けれど、父とは違い、実嗣の顔を見ることはなかった。