玉響恋物語

「阿花里、どこが痛む!?」

 実嗣はしゃがんで、阿花里をゆっくり仰向けにした。

 阿花里は弱々しく目を開け、ぼんやりと実嗣を見る。小さな口から漏れる呼吸が、えらく速い。

「左、肩がっ……、うっ」

 肩の辺りの服が裂けていたので、実嗣は覗き込んでみた。肌着までざくっと切れているのに、血は流れていない。

 けれど、得たいの知れない生物が潜りこんでいるかのように、白い肌を()むような赤紫色の(あざ)が、阿花里の肌にじわじわと広がっていく。人ならざるものの攻撃を受けると、想像を超えるような症状が出る。

「大蛇の毒にやられているようだ。今から祓う」

 実嗣は膝の上に阿花里を乗せ、体を抱き支えた。そして、阿花里の左襟を掴み、肌着ごとずらして、刀印をその痣に向ける。

濁祓(だくふつ)!」

 赤紫色に転じた部分が、顔と同じ肌の色へと変わっていった。

 阿花里の呼吸が落ち着いてくると、実嗣はやっと安心して……阿花里をぎゅっと抱きしめた。

こんなに腕を回さないといけないのかと思ってしまうほど、阿花里の体の細さに驚く。阿花里はこの小さな体で、実嗣をどかそうと懸命に力を込めた。

 本来なら、大蛇の毒牙に苦しんでいたのは、実嗣だったはず。それに、最悪の場合、恒道と同じ事態もありえた。

 阿花里の献身的な優しさに、ずっと蔓延(はびこ)っていた女性への嫌悪感が薄れそうになる。

 実嗣が女嫌いになったのは、麗瑞に引き取られる前のこと。元服もまだで、両親と共に暮らしていた時のことだった――。

 実嗣の父は母を屋敷に住まわせていた。父は側室を持たず、母は正妻として、父の愛を一心(いっしん)に受けているように見えた。

 ある日、実嗣は夜中に目が覚めてしまい、喉が渇いたから水を飲もうと寝床を出る。月明かりを頼りに歩いていると、使用人の女性の声がした。

 水を持ってきてもらおうと思い、実嗣が彼女に声をかけようとした時、なぜか父の声も聞こえてきた。

 父は母の寝所にいるはず――。実嗣は不思議に思い、耳を澄ました。

 けれど、自分の行動に後悔する。ふたりが立てる物音や会話に、実嗣は居たたまれなくなった。耳を塞いで、その場から逃げるように立ち去る。

 深夜の男女の逢瀬(おうせ)睦言(むつごと)の意味を何となく知っていた実嗣は、父が母を裏切っていたことに気づいてしまったのだ。

 よりによって、相手が母の身のまわりの世話をしている女性だったとは。

 翌日、父と密会していた女性は、いつもどおり甲斐甲斐(かいがい)しく母の世話をしていた。綺麗に身なりを整え、端から見れば自慢の側仕えとも思える働きぶりだ。

 母に笑顔で話しかけ、悪びれている様子など微塵もなかった。

 そんな状況に、実嗣は我慢出来なくなった。昨夜父と一緒にいたのを見たと、母のいない所で、その女性に話しかける。

 彼女は一瞬しまったという顔をしてから、すぐに申し訳なさそうに手をつき、頭を下げた。

 突然具合が悪くなり、何かが憑いてしまったらしく、陰陽師である実嗣の父に祓ってもらったのだと説明した。

 しれっと嘘をつかれ、実嗣は憤る。具合が悪い時の会話には、これっぽっちも思えないと言い切った。

 会話を聞かれていたことがわかると、彼女は作ったような涙声になった。拒んだら屋敷を追い出すと言われ、父に従うしかなかったと訴えてきた。

 けれど、父に真偽を確かめると実嗣に言われると、彼女は途端に意地の悪い口調になった。そんなことをしたら、実嗣の母に本当のことを暴露すると脅す。

 実嗣の父は他の使用人たちとも関係をもち、母にばれないよう気をつけながら、何人もの女性と過ごしているというのだ。

 どうしたらよいか実嗣が考えていると、母が現れた。

 どこか儚げで整った顔立ちに、薄花色(うすはないろ)の袿に沿って流れる艶やかな黒髪。実嗣と同じ涼しげな目元の美女だ。

 母は実嗣を探していたらしく、掻餅(かいもち)を食べましょうと実嗣の手を取った。

 引きつる顔を懸命にとどめている側仕えの者に向かい、白湯(さゆ)を用意してちょうだいと、母は笑顔で頼んだ。

 母の様子だと、彼女との会話を聞いていなかったように、実嗣には思えた。

 けれど、実嗣とふたりきりになると、母は()み砕くように話し始めた――。

 母にはこの屋敷以外に住む所がない。他に頼る身内もいない。だから、父のことは見て見ぬ振りをしている。実嗣も父に問いただすことなどせず、使用人たちと今までどおり接しなさい。

 実嗣にそう言い聞かせた。

 実嗣は悔しかったけれど、母の言いつけを守った。自分が母を支えていけるよう、早く大人になろうとした。

 そんな母のところに、時々訪ねてくる人がいた。賀茂麗瑞だ。

 ふたりは昔馴染みだった。実嗣は最初、男性の服を着ているのに髪を伸ばし、女性の言葉遣いをする麗瑞を変わり者だと思っていた。

 けれど、今まで遭遇した妖の話をしてもらったり、天体観測のことや暦の作り方などを教えてもらったりするうちに、麗瑞を物知りの変わり者だと思うようになった。

 ある日、京で大きな騒動が起こる。

 実嗣の父が神璽(しんじ)である八尺瓊勾玉を盗もうとした。けれど、持ち出すことが出来ないまま、逃走したというのだ。

 父は術や式神を使いながら抵抗したけれど、検非違使庁の役人たちに、槍や薙刀(なぎなた)で突き刺されたり、斬りつけられたりした。

 かなりの深手を負い、あの状態では永らえないだろうという話が伝わってきた。

 出来るだけ実嗣が、父のことで肩身の狭い思いをしないように――。

 実嗣の母はそう願い、自分が身をもって、父の罪をひとりで償うことにした。実嗣のことをよろしく頼むと、麗瑞に文を送る。

 文を受け取った麗瑞は、急いで実嗣のところへ来た。

 慌てた様子の麗瑞を変に思いながら、実嗣は母のところへ案内する。

 麗瑞は御簾を上げて、中へ入っていった。

 母は刃物で手首を切って倒れていた。

 その状況を見た麗瑞は、自分の服で止血に取りかかる。そして、母がはめていた貝輪に付いた血も拭う。

 けれど、母が目を開けることはなかった。

 その後、実嗣は麗瑞の養子となり、元服を迎え、名を改めた。

 実嗣が麗瑞の屋敷に移る際、(あるじ)がいなくってしまう屋敷から生活の場を求めて、母の使用人たちは実嗣について行くことを望んだ。

 少しでも良い印象を与えようと着飾ったり、いかに有能であるかを嘘を交えて言葉巧みに話してきたりした。

 そして、ある者は実嗣の気を引こうと、食べ物や絵巻物などを持ってくることもあった。

 父と密会していたあの使用人は、自分は情報通だから役に立つ。だから、父と同じように使ってくださいと言ってきた。

 他にも、昼だけでなく夜も仕えますと、召人(めしうど)になることを(ほの)めかす者たちもいた。

 実嗣は断固として、彼女たちを受け入れなかった。母の使用人たちと離れ、不愉快な気持ちから解放される。

 けれど、出すことの出来ない(うみ)が、心の中に溜まってしまった。

 女性と関わるのは不愉快だし面倒だと、実嗣は女性たちを避け続ける。

 だから、女性に心を開くことなど、二度とないと思っていたのに――。

 実嗣は腕の中にいる阿花里を見た。

 大蛇の牙が迫ってきて、これだけで済んだのは不幸中の幸いかもしれない。衣がずたずたになるくらい、危険な目に遭っていたら――。

 そう考えながら再び抱きしめると、阿花里がぴくっと動いた。

「う……ん」

 阿花里が反応した。

 実嗣は自分でも気づかないうちに、阿花里を強く抱きしめていた。目を覚ましたのかと、実嗣は慌てて阿花里から体を離す。

 けれど、阿花里は眠ったままだった。

 阿花里の肌から痣がすっかりなくなると、実嗣は自分が阿花里の服をずらしたことを思い出した。

 なるべく見ないように、服を直す。けれど、焦ってしまってうまくいかず、怪しい動きになっていた。

「やはり脱がせているではないか」

「少しだけですっ!」

 守彦の声がして、実嗣はとっさに返事をした。しかも、誤解を招きかねない言い方で。

 いつの間にか守彦が横にいて、にやにやした顔で実嗣を見ていた。

「阿花里が大蛇の毒牙にやられたので、祓っていただけです。守彦様は危なくなったら駆けつけると話していましたけど、もう遅いですよ」

「すまん、立て込んでいたのだ。ところで実嗣、男だから気持ちはわかるが、心が(はや)っても外ではいかん。せめて祓殿まで我慢しろ」

「祓殿には宮司様が――」

「なるほど。人目を避けて、やむを得ずここにした訳か」

「そういう意味で言ったのではありません! 宮司様が闇に堕ちたので、浄化されて祓殿で眠っていると伝えたかったのです」

「何? 導きたる者である、あの宮司が!? ならば、実嗣をからかうのはひとまずここまでにして、様子を見に行かんとな」

 守彦は懐から欅の葉を取り出し、地面に近づけ、上下に大きく振った。すると、三人が乗れるように、葉っぱがみるみる大きくなっていった。

 守彦が創り出した空飛ぶ葉っぱ――飛翔葉(ひしょうよう)は、わずかに浮いた状態で、風に流されることなく待機している。

「ほれ、行くぞ。阿花里も毒が抜けたとはいえ、(むしば)まれていた間は、体に相当負担があったであろう。早くちゃんと休ませてやらんとのぅ」

 守彦は飛翔葉にぴょんと飛び乗った。

 実嗣は阿花里を抱きかかえ、葉っぱの上にゆっくり座る。

 守彦は茎を握り、飛翔葉を上昇させた。茎を前に倒すと、のろのろと飛行し始めた。

 見下ろすと、川の色がすっかり変わっていた。

 流れているのは大蛇の血だけではない。誰も被害を受けずに、大蛇を始末出来ていたら――。

 実嗣は唇をぎゅっと噛みしめた。

「実嗣、何を思い煩っておる?」

 守彦は茎で方向を操作しながら、横目でちらちらと実嗣を見ていた。

 実嗣は弓削恒道が大蛇の犠牲になってしまったことを話した。とっさのことだったとはいえ、助けられなかったと悔しさを滲ませる。

「陰陽師も体を張らねばならんことがあるからのぅ。祓いに行く時点で、恒道とやらは最悪な状況も覚悟しておったのではないか。おぬしもそうであろう?」

「はい。でも…………でも、阿花里は違います。玉を作ることが彼女の仕事なのに、俺と誓約を交わしたせいで、こんな目に遭わせてしまいました」

「危険だとわかっていたら、阿花里が作りたる者になることを真佐弥は事前に止めていたと思うぞ」

「そうですが……」

「わしの知っている限り、真佐弥は何も巻き込まれておらんかった。今回は運が悪かったのだ。そもそも阿花里はおまえに玉を作って渡すだけであろう」

「それが……状況が変わったのです」

 常闇の禍玉と浄明の勾玉は、誓約に関わった者には効かない。だから、闇に堕ちた時には、作りたる者が証の勾玉で祓うよう、阿花里は玉祖命から言葉を賜ったことを話した。

 守彦は驚きのあまり、茎を垂直にして、飛翔葉を止めてしまった。そして、無垢な寝顔の少女をしげしげと見る。

「阿花里が……か?」

「そうです。宮司様の闇を祓ったのは、阿花里なんです」

「そうであったか。縁かのぅ……おまえが陰陽師の血を引く娘と誓約を交わしたのは」

 それきり、守彦は黙りこくってしまった。