玉響恋物語

 恒道は阿花里を右肩にひょいと乗せ、すぐさま外に出た。

 実嗣も慌てて祓殿を出て後を追うけれど、どんどん離されてしまう。というのも、恒道の一歩分の距離がとてつもなく長くて、人間の動きとは思えないほどだからだ。

 実嗣は左腕を前方にさっと出した。貝輪を握って念を送り、鳶を創り出す。追い風に背中を押されながら、走った勢いのまま鳶に乗った。

 眼下に広がる景色に紛れ、恒道の姿を見失わないよう追い続ける。

 恒道が立ち止まったのは、緋の川の上流域の(ふち)だった。川に流れる淀んだものが、すべてここに寄せ集められたのではないかと思うほど、おどろおどろしい。

 突然、静かだった水面が、不規則な波を立て始める。(へび)のような頭がひとつ、ふたつ……と、次々に出てくる。

 尾らしきものも何本かある。なのに、胴体はひとつしか見当たらない。

 ここまで大きくて異様な姿の蛇に遭遇したことのない実嗣は、ごくりと唾をのんで様子を伺う。

「次は俺の番だからな! 俺の(にえ)だ!」

 湿った土のような涅色(くりいろ)の眼の頭が、阿花里を()めるように見て言った。

「おまえにはやらん! あの娘をさらってこさせた俺様のものだ!」

 血を溜めて固めたような赤茶色の眼の頭が牽制(けんせい)した。

「おまえは既に人を喰らい、妖術を使えるようになっただろう! おまえの赤い眼が、復活を遂げた動かぬ証拠だ! 復活していないのは、俺だけなんだぞ!」

「だが、俺様の分身である(うろこ)があの男にとりついて、娘をここまで運ばせた!」

 他の頭がこの二頭の言い争いに気をとらわれている間に、実嗣は恒道から阿花里を奪おうとした。恒道の背後へと、鳶を忍び寄らせる。

 けれど、涅色の眼の頭が気づいてしまい、阿花里たちのほうへ長い尾を近づけてきた。

 すると、恒道は阿花里を肩から降ろし、その怪物ーー大蛇のほうへ差し出した。

「阿花里!」

 実嗣はかなり近寄ったけれど、大蛇のほうが速かった。阿花里は尾で巻きつけられてしまう。

 空中に浮かんだ阿花里の体は、びゅんびゅんと(うな)る風を作り出す尾に翻弄される。意識が戻り、頭のてっぺんから突き抜けていくような声で叫ぶ。

「きゃーーっ!!」

「かわいい悲鳴だな。もっと聞いていたいが、他の奴に獲られてしまわんよう、早く喰ってしまうか」

 涅色の眼の頭が出す、しゅーという噴気音が更に大きくなった。阿花里に向かって、鋭い牙が近づいてくる。

 抜け出す手立てがない阿花里は、少しでも現実から目をそらそうと、瞼をぎゅっと閉じた。

 実嗣は大蛇に気づかれないように、背後で印を結ぶ。そして、その指を涅色の眼の首の辺りで、素早く水平に動かした。

斬歿(ざんぼつ)!」

 すると、首が一直線に切れて、頭が水面に向かって落ちていった。それと同時に、するりと尾から離れた阿花里も落下していく。

 実嗣は鳶を速く飛ばせて、阿花里をしっかりと受け止めた。

「阿花里! 大丈夫か!」

「は……い」

 阿花里は返事をするのが精一杯だった。まだ宙に浮いているみたいに力が入らず、体ががたがた震えている。

「俺はあの大蛇を倒す。おまえは俺の後ろに隠れて、しっかり捕まっていろ!」

 移動しようと、阿花里は下を向いた。馬に乗った時より大地がずいぶんと遠いのに、乗り物らしき乗り物に乗っていないことに気づく。

 阿花里は狼狽(ろうばい)して、叫び声をあげながら、実嗣に抱きついた。

「どうした!?」

「体が空中に浮いてます!」

「ああ、おまえには見えないが、俺たちは鳶に乗っている」

 阿花里は鳶と聞いて、前に麗瑞が鳶に乗って現れたことを思い出した。

「大丈夫だから、ゆっくり俺の背後へ回れ」

 阿花里は実嗣の背中に身を寄せ、ひしっとしがみついた。

 仲間を斬りつけられた他の頭は、(たけ)り狂うように四方八方から襲ってきた。

「光矢眼眩!」

 実嗣の術で視界を奪われた頭は、もがくように暴れ始める。

 鳶に当たらないよう実嗣はうまくよけながら、立て続けに頭を斬り落としていく。そして、最後の頭を斬り終えた。

 恒道の袖にくっついていた鱗は、いつの間にか赤い光を出すことをやめ、地面に落ちていた。

 恒道の眼も元に戻っている。自分は今どこにいるのかと、恒道は辺りを見回す。

 鳶から降りた実嗣は、阿花里を背にかくまい、警戒しながら恒道に近づいた。

「恒道様、大丈夫……ですか?」

「あ、ああ。私はなぜここにいるのだろう? 御社(おやしろ)で依子の娘に会ったところまでは、覚えているのだが……」

 実嗣はその後に起こった出来事をつぶさに話した。そして、恒道の足元に落ちている物を指差す。

「くっついていたのは、あれです。なぜ恒道様の袖に?」

「私の袖に? まったく身に覚えがないが……」

「この場所にも覚えがありませんか?」

「……ある。ここへは祓いに来た」

 弓削家は弓矢を作る集団だった。その流れから、的を射て吉兆を占うことを得意としている。

 数か月前、恒道は的に向けて矢を射た。そして、矢があたった文字や数字などを読み解き、神代の昔に滅ぼされた大蛇が蘇生と導き出した。

 その大蛇を滅ぼしたら、恒道の評価が上がるのは間違いない。

 それと同時に、かつて義妹(いもうと)に捜索させるも手がかりを得られなかった特殊な勾玉をその地で探してみようと思った。

 恒道は大蛇が住処としている淵へ行き、倒したはずだった。だから、次は特殊な勾玉探しに取りかかる。

 滞在している忌部氏の屋敷で、玉作り職人たちの祖神が祀られている神社が近くにあると知った。

 そこに行けば、特殊な勾玉の情報を得られるかもしれない。そう考え行ってみたところ、実嗣達に会ったというわけだ。

「確か阿花里……と言ったな。おまえが首にさげている勾玉を――」

 突然、ごぉぉぉぉぉぉーーと、ものすごい勢いで風を切る音がした。

 三人とも目を疑う。

 実嗣によって全滅したはずの大蛇が、赤茶色の眼をぎらぎらさせて、一頭こちらへ向かっていた。岩をも噛み砕けそうなほど、大きくて鋭い牙をむき出しにして。

 実嗣は阿花里の手を取って、出来るだけ淵から離れようと駆ける。

 恒道もあの牙の犠牲にならないよう走り出した。けれど、(つまず)いて手をつく。

 すると、大蛇は恒道に狙いを定めた。あっという間に尾を恒道の体に巻き付けると、ぶんぶん振り回した。

 実嗣は左手で阿花里の顔を自分の胸に押しあてる。同じ目に遭った阿花里に、むごい状況を見させないようにした。そして、右手は素早く刀印を結ぶ。

「光矢――」

 呪いを唱えようとしている実嗣の叫びも(むな)しく、大蛇が口を開くとすぐ、恒道の姿は見えなくなった。

「恒道様っ!」

 残酷な最期が目に焼きつき、実嗣は脱力感に襲われる。阿花里を抑えていた手が緩んでしまう。

 いったい何が起こったのかと、阿花里は振り返った。

 大蛇は白い玉を吐き出した。ぼとっぼとっと水の中に落ちていき、小さな波紋をいくつも作っている。

「実嗣様、何が落ちたんですか!?」

「……恒道様の腕輪だ。いつもはめていらっしゃった」

「恒道様のお姿は!?」

 阿花里に真実を話そうとしたけれど、実嗣は殺気を放った視線を感じ、急いで刀印を結んだ。

「淵の底で寝ていたからぁー、俺だけ難を逃れたみたいだなぁー。せっかく俺たちが、あの男を飼いならしていたんだがなぁー」

 動きは早いのに、その頭の口調はやたら遅かった。馬鹿にされているようで、実嗣はいらっとする。

「あの男を飼いならしていたとは、どういう意味だ?」

「利用出来ると思ってー、あの男を喰わずに操っていたのさぁー」

 その頭はせせら笑い、恒道が手先となった経緯を話し始めた――。

 遠い遠い昔、八つの頭の大蛇は建速須佐之男命に頭をすべて斬り落とされると、生き返ることがないよう、土中に頭を埋められしまった。しかも、掘り起こされないよう、その上には杉の木が植えられた。

 けれど、淵の底では胴体がわずかながら命脈を保っていた。

 再び頭と銅体をつなげることは不可能だった。けれど、切断された首から、少しずつ頭が生えてきた。

 長い長い年月を重ね、ようやく頭が八つそろう。すると、薬草を摘みにこの辺りに来て、道に迷った人間の娘に出くわした。その娘を喰らった一頭が完全に復活する。

 大蛇が人の血肉を探している中、わざわざやってきた人間がいた。弓削恒道だ。

 恒道は術で大蛇を封じ込めようとしたけれど、逆にかけられてしまった。贄となる人間を調達するよう暗示をかけられたのだ。

 恒道は大蛇を倒したという記憶を植えつけられ、この淵を後にした。化け物に鱗を袖に付けられたとは知らずに――。

 鱗は赤い光を発するたびに、恒道の体内へ入っていった。その鱗を媒体にして、赤茶色の目の大蛇は恒道を操る。

 大蛇に体を乗っ取られた恒道は、複数の集落を回り、女性や子供がひとりになる機会を狙った。

 大蛇は出来るだけ、人間たちに存在を気づかれないようにしたかった。

 そこで、恒道が疑われるよう、存在を匂わす物をその場に残せと暗示をかける。

 さらに、人間たちが神にすがっても無駄だと思うよう、神職の妻をさらうことにした。

「なぜ女や子供ばかり狙った?」

「どうせ喰うならー、女のほうが柔らかくてうまいしー、新鮮な子供の血肉はー、活力がみなぎってくるのさぁー。だが、今は斬り落とされた仲間の頭を生やすためにー、()(ごの)みは出来なくなったぁー。早く頭を生やすには、何でも喰わないとなぁーっ!」

 突然、大蛇の眼が、ぴかっと光った。血の飛沫(しぶき)のような光線を眼から出す。

盾防(じゅんぼう)!」

 実嗣は刀印で大きく長円を描いた。大蛇の攻撃を盾の術でしのいだけれど、すさまじい威力に、体が後ろへ押しやられる。

 阿花里が側にいては、思うように動けない。早く阿花里の周りに結界を張ろうと、実嗣は焦った。

「こしゃくなぁー! いつまでも逃れられると思うなよぉー!」

 大蛇は、ほぉーっと息を吹きかけた。

 盾の術が切れてしまい、風圧が実嗣と阿花里に襲いかかる。

 実嗣は左腕を顔の前に出し、少しでも風をよけようとしながら、右手で人形代を取り出した。けれど、風に飛ばされてしまう。

「しまったっ!」

 実嗣がもう一度人形代を取ろうと、懐に手を入れた時だった。

「実嗣様っ! 危ないっ!」

 阿花里は思いっきり実嗣を突き飛ばした。その勢いで阿花里も倒れる。ふたりは間一髪で、大蛇の餌食(えじき)になるのを免れた。

 結界を張ることに気を取られ、そのうえ左袖で視界を(せば)めていた実嗣は、大蛇が横から襲おうと、急に向きを変えたことに気づかなかったのだ。

「うぅっ……」

 うめき声が聞こえ、実嗣は急いで起き上がった。阿花里が苦しそうに、体をくの字に曲げている。

「阿花里っ!!」

 再び正面から向かってくる大蛇に、実嗣は受けて立つと言わんばかりに、指を二本立てて構えた。

「斬歿!」

 実嗣は首を狙ったけれど、大蛇が直前になってよけた。その結果、頭ではなく左目を斬りつけていた。

「ぎゃぁぁぁぁっーー!」

 大蛇は痛そうに顔を歪め、頭をぶんぶん振った。上下左右に大きく暴れ、淵に沈んでいた胴体が、水面から何度も出てくる。

 八俣遠呂智が過去に退治された時、川の水が血で赤く染まった。

 実嗣はその話を聞いたことがある。頭を埋められても完全には滅びていなかったことといい、大蛇には心臓らしきものがあるかもしれないと思った。

 すぐに精神統一し、両方の手で刀印を結んで重ね合わせた。

「我、強大なる剣を持ちて、現存する悪を(ことごと)く滅する。ここに我の力を専心し、(あめ)の下に並ぶものなき光束の剣を念じ()だす――刀薙總絶(とうちそうぜつ)!」

 夜明けを告げる日の光のように輝く諸刃(もろは)の剣が、実嗣の手に創り出された。

 刀印を頭上に掲げて大きく振り下ろすと、その諸刃の剣――光束剣は指先から離れ、くるくる回って大蛇の胴体を切り刻んでいった。

「ぐぉぉぉぉぉぉーーーーっっ!」

 けたたましい唸り声がやむと、大蛇の全身がばらばらと(ちり)になっていった。そして、大蛇の残骸もろとも、役目を終えた光束剣も消え失せた。