阿花里は時間を見つけては、言霊に応える勾玉を作り続けた。
たくさんの人が救われますように――。そう願いながら、勾玉作りに精を出す。
阿花里は勾玉を磨こうと、玉祖命から授かった木砥を道具箱から取り出した。
すると突然、木砥がぴかぴかと光り始める。
驚いた阿花里は、木砥を落としそうになった。木砥から光の筋が立ち上り、阿花里は呆然としながら、光の行き先を目で追う。
すると、光は大きな塊になり、その中で男の姿がぼやっと見えてきた。
角髪に結った髪と白練色の衣。首には目を見張るほど立派な玉の首飾り。前に阿花里が父から聞いたことのある出で立ちをしている。
父の話では確か……と思い出していると、光を纏う男の声が聞こえてきた。
「私の名は玉祖命。玉作りの工たちの祖である。そなたが現今の作りたる者だな」
「は、はい。父の後を継いで、今は私が言霊に応える勾玉を作っています」
「そなたに新たな務めを命じるため、姿を現した」
父は眠っていた時に、玉祖命が夢に現れたと話していた。
だから、阿花里は今、夢を見ているのかもしれないと思った。けれど、木砥の感触や重さが、この出来事を現実のことだと感じさせる。
「そなたに使いたる者と、導きたる者を監視してもらいたい」
「監視……? 私が!?」
「そうだ。誓約の儀に関わった者には、常闇の禍玉と浄明の勾玉が効かないのだ」
証の勾玉は人を闇から救いたいと願う者たちに託したもの。それ故、誓約を交わした三人は、善人であることを前提としている。
そんな玉祖命の気持ちを裏切り、妖に何らかの能力を与えてもらった誓約者には、償いとして闇の中をさまよわせることにしていたのだ。
「この話を他の誓約者たちにしたことはない。幸いにも闇に足を踏み入れた者もいない。だが、そなたのような誓約者が現れたことでその所以を考え、ひとりに付き一度だけ救ってやることにした。使いたる者、導きたる者が闇に堕ちた時は、そなたが祓いなさい」
「私が闇に堕ちてしまった時はどうするのですか?」
阿花里は考えたくなかったけれど、あのふたりがそうなる可能性があるのなら、自分も否定出来ないと思った。
「そなたに授けた玉作りの道具は神器であり、使えば陰の気が浄化される。それ故、そなたは言霊に応える勾玉を作り続けている限り、陽の気を保てることになっている」
「では、あのふたりが闇に堕ちかけたら、私はどうすればよいのですか?」
「作りたる者の証の勾玉をかざして、呪いを唱えるのだ」
それではまるで、実嗣がやっていること――陰陽師のようだと、阿花里は思った。
「そなたが持つ証の勾玉に、今からその力を与える」
玉祖命は阿花里に向けて、右手をかざした。
すると、阿花里の首にぶら下がっていた勾玉が、吸い寄せられるように襟元から姿を現し、空中にふわふわと浮いた。
玉祖命の手から放つ光が、その勾玉へと注ぎ込まれる。手を下ろすと光は消え、勾玉が阿花里の胸元にぶらんと垂れ下がった。
「闇に侵されているかを突きとめたい時は、その者に勾玉を向けて闇兆と唱えよ。勾玉の色が黒く変われば、闇砕と唱えるのだ。勾玉の色が元に戻れば、闇を滅した証拠となる」
「闇兆……、闇砕……。私が唱えて、本当にうまくいくのでしょうか?」
「そなたには陰陽師の資質が備わっている。だから、命じているのだ。頼んだぞ」
そう話すと、玉祖命の姿はだんだんと光の筋に戻っていって、木砥に吸い込まれるように消えてしまった。
今起きたことが夢ではないと、阿花里は確かめてみようと思った。頬をぺしぺしと叩く。音と一緒に頬に軽い痛みがやってきた。
やはり夢ではないと思いながら、持っている砥石に目を凝らす。
玉祖命は新たな務めと言っていた。
阿花里は父に話そうか悩んだけれど、とりあえず自分の胸に納めておくことにした。
*****
「さ・ね・つ・ぐー! 阿花里ちゃんに小袖を贈ったそうね!」
麗瑞は声を弾ませながら、実嗣の部屋に入ってきた。
「はい。着られなくなってしまったのは俺のせいなので、そのお詫びです」
実嗣は読んでいた書物を手にしたまま、麗瑞の挑発に乗らないよう冷静に対応する。
阿花里以外に誰も知らないのに、ひっそりと様子をうかがっていたのは……と、実嗣は麗瑞の隣にいる守彦に目を向ける。
すると、守彦は顔をさっと斜め上に動かし、視線を避けた。
麗瑞は実嗣の前に腰を下ろし、身を乗り出す。
「もちろん、着させるためにあげたのよね? 脱がせるためじゃないわよね?」
「脱がせる……? なっ、何を言ってるんですか!? 違います! そんな必要がどこにあるのですか!?」
冷静沈着――。心の中でそう言い聞かせていたのに、実嗣は麗瑞が待ち構えていたような反応をしてしまう。
「あら、一度脱がせてるじゃない」
「俺がですか!? まだ脱がせてません!」
すると、それまで存在を消すように黙っていた守彦が、おもしろそうにふたりの間に割って入る。
「ほほぅ。では、いずれ脱がせるのだな」
「俺はそんなことをしないですし、ましてや前科者でもありません!」
「あら、実嗣が怪我をした時、阿花里ちゃんは手当てのために着ていた衣を引きちぎって、肩から先が肌着になってしまったでしょ。それってある意味、脱がせたことにならないかしら?」
「麗瑞様、それはこじつけです!」
もちろん、麗瑞もわかっていた。けれど、ほんの少しでも実嗣に隙があれば、麗瑞は突っ込まずにはいられなかった。
それに、普段は無愛想で大人びた実嗣の表情が、からかわれると年相応の青年のようになり、麗瑞はほっとする――という、それらしい理由もあった。
「まぁいいわ。阿花里ちゃんがその小袖を着てきたら、ちゃんと褒めてあげなさい。何も言葉がないって、寂しいのよ」
麗瑞は言いたいだけ言って、守彦と一緒に実嗣の部屋から出ていった。
阿花里に小袖を渡す時、実嗣はやりどころのない恥ずかしさに耐えながら頑張った。だから、渡したという達成感に満たされ、その後のことは何も考えずにいた。
もし阿花里があの小袖を着てくれたら――。そう考えたら、実嗣は自分でも気づかないうちに頬が緩んでいった。
*****
「真佐弥さん! 話を聞いてください!」
阿花里と真佐弥がいる工房に、白い上衣と紫の袴姿の男性が訪れた。玉造の社の宮司だ。心の陰りが目の下にも現れていて、顔色が悪い。
阿花里は急いで小さな筵を用意したけれど、宮司は座る間を惜しむかのように、その場で立ったまま話し始める。
「昨日、務めを終えて家に帰ったら、戸口にこれが挟んであったのです」
宮司は持っているものを見せた。文字が書かれた人形代だった。
「中に入ると、いつも私の帰りを待っている妻がいませんでした。境内もひととおり探したのですが、どこにもいないのです。ひと晩寝ずに待っていましたが、いったいどこにいるのやら心配で……」
阿花里と真佐弥は宮司に近づき、人形代をじっと見る。
「父さん、同じようなもの……実嗣様も持ってるよね」
「ああ。実嗣様に尋ねたら、何かわかるかもしれない」
「宮司様、私、実嗣様に連絡してみます」
阿花里はすぐに蝶遣いを放った。
実嗣には人知を越えたことが出来るのだから、いなくなった者の行方を探すことも可能かもしれない。宮司はそう希望を持つ。
実嗣からの返事を待つ間、阿花里と真佐弥も宮司の妻の行方を捜すことにした。
宮司は川沿いの道へ行ってみた。季節の草花を楽しもうと、妻がひとりでもよく歩いている場所だ。
遠い昔、八俣遠呂智という頭と尾が八つもある怪物が、この川の上流の淵を住処としていた。その怪物は若い娘を次々と喰らった。
次は自分の番だと怯えて暮らしている娘を救うために、怪物を倒した勇敢な神がいた。建速須佐之男命だ。
建速須佐之男命が怪物を倒した後、川は血で緋色に染まったという。だから、この辺りに住む者たちは、その川を緋の川と呼んでいた。
宮司が視線をあちこち動かしていると、見覚えのある柳色の布が、川岸に流れ着いているのに気づく。
恐る恐る手を伸ばして、その布を拾う。鋭利なものでざっくり切られたのか、布が切り裂かれたようになっていた。
見覚えのある色と柄。そして、玉作り職人たちがあまり着ない色。宮司は本能的に布を握りしめる。
周辺を探してみたものの、妻の手掛かりになるものは他になかった。
日暮れ前、阿花里と真佐弥は宮司の家を訪ねた。阿花里は自分の住む集落とその周辺を捜し、真佐弥は他の集落を尋ねまわった。
宮司は拾ってきた布をふたりに見せる。
「川べりで服の切れ端を見つけました。おそらくこれは妻の……っ!」
「宮司様、実は――」
真佐弥は宮司の様子を気にしながら、ゆっくり話しかけた。
「他の集落でも、行方不明の者がいました。その者の家にも、宮司様が持っていた紙があったそうです」
「これですか?」
宮司は袂に入れていた人形代を取り出した。
「はい。見せてもらいましたが、同じものです」
「本当ですか!? それで、紙を置いたのは誰なのか、わかりましたか!?」
「いいえ。でも、手掛かりになりそうな話を聞いてきました」
話をしてくれた者は、おととい歩いていた時、遮るものがないのに何かにぶつかったそうだ。
その時、あっと驚いた声が聞こえ、目の前に突然男が現れた。けれど、何やら言葉を発して、すぐに姿を消してしまった。
男は白い上衣を着て青い袴を履き、頭に黒い帽子を乗せて、白い腕輪をはめていた。男はすぐに袖で顔を隠したので、どんな顔をしていたのかはわからなかったそうだ。
その日の暮れ方、娘が帰ってこないと心配になり、捜しに行こうとしたところ、戸口に人形代が差し込まれているのに気づいた。そして、今も娘は行方知れずのままだという。
他の村にも行方がつかめない者がいて、その者たちの家族も同じようなことを真佐弥に話した。
声を発したら姿が現れる。何かを唱えたら姿を消す。阿花里はその様子に見覚えがあった。そして、陰陽師が着る白い狩衣と青い指貫、さらに白い腕輪も――。
「そうですか……。帰らぬ人を待ち続けて、その人たちもさぞかし心を痛めていることでしょう。阿花里さん、実嗣様から連絡はありましたか?」
「いいえ、まだ何も……」
宮司は険しい目つきになった。
「もしかしたらなのですが、実嗣様は連絡を取れないのではなく……取ろうとしていないのではないでしょうか?」
「それはどういう意味ですか?」
尋ねた阿花里にだけでなく、宮司は同意を求めるように、真佐弥にも視線を向けた。
「ここで人の形をした紙を使ったり、呪いを唱えたりする人はたくさんいますか? 自在に姿を消したり、現したりすることが出来る人はたくさんいますか? いずれも可能で、さらに白い腕輪をはめている人は、他にいるでしょうか?」
考えたくないことが頭に浮かんできてしまい、阿花里はそれを打ち消そうとした。けれど、異様に速く脈打つ鼓動が、その考えをなかなか消し去ってくれない。
阿花里は首にぶらさげている証の勾玉を服の上からぎゅっと握りしめた。
たくさんの人が救われますように――。そう願いながら、勾玉作りに精を出す。
阿花里は勾玉を磨こうと、玉祖命から授かった木砥を道具箱から取り出した。
すると突然、木砥がぴかぴかと光り始める。
驚いた阿花里は、木砥を落としそうになった。木砥から光の筋が立ち上り、阿花里は呆然としながら、光の行き先を目で追う。
すると、光は大きな塊になり、その中で男の姿がぼやっと見えてきた。
角髪に結った髪と白練色の衣。首には目を見張るほど立派な玉の首飾り。前に阿花里が父から聞いたことのある出で立ちをしている。
父の話では確か……と思い出していると、光を纏う男の声が聞こえてきた。
「私の名は玉祖命。玉作りの工たちの祖である。そなたが現今の作りたる者だな」
「は、はい。父の後を継いで、今は私が言霊に応える勾玉を作っています」
「そなたに新たな務めを命じるため、姿を現した」
父は眠っていた時に、玉祖命が夢に現れたと話していた。
だから、阿花里は今、夢を見ているのかもしれないと思った。けれど、木砥の感触や重さが、この出来事を現実のことだと感じさせる。
「そなたに使いたる者と、導きたる者を監視してもらいたい」
「監視……? 私が!?」
「そうだ。誓約の儀に関わった者には、常闇の禍玉と浄明の勾玉が効かないのだ」
証の勾玉は人を闇から救いたいと願う者たちに託したもの。それ故、誓約を交わした三人は、善人であることを前提としている。
そんな玉祖命の気持ちを裏切り、妖に何らかの能力を与えてもらった誓約者には、償いとして闇の中をさまよわせることにしていたのだ。
「この話を他の誓約者たちにしたことはない。幸いにも闇に足を踏み入れた者もいない。だが、そなたのような誓約者が現れたことでその所以を考え、ひとりに付き一度だけ救ってやることにした。使いたる者、導きたる者が闇に堕ちた時は、そなたが祓いなさい」
「私が闇に堕ちてしまった時はどうするのですか?」
阿花里は考えたくなかったけれど、あのふたりがそうなる可能性があるのなら、自分も否定出来ないと思った。
「そなたに授けた玉作りの道具は神器であり、使えば陰の気が浄化される。それ故、そなたは言霊に応える勾玉を作り続けている限り、陽の気を保てることになっている」
「では、あのふたりが闇に堕ちかけたら、私はどうすればよいのですか?」
「作りたる者の証の勾玉をかざして、呪いを唱えるのだ」
それではまるで、実嗣がやっていること――陰陽師のようだと、阿花里は思った。
「そなたが持つ証の勾玉に、今からその力を与える」
玉祖命は阿花里に向けて、右手をかざした。
すると、阿花里の首にぶら下がっていた勾玉が、吸い寄せられるように襟元から姿を現し、空中にふわふわと浮いた。
玉祖命の手から放つ光が、その勾玉へと注ぎ込まれる。手を下ろすと光は消え、勾玉が阿花里の胸元にぶらんと垂れ下がった。
「闇に侵されているかを突きとめたい時は、その者に勾玉を向けて闇兆と唱えよ。勾玉の色が黒く変われば、闇砕と唱えるのだ。勾玉の色が元に戻れば、闇を滅した証拠となる」
「闇兆……、闇砕……。私が唱えて、本当にうまくいくのでしょうか?」
「そなたには陰陽師の資質が備わっている。だから、命じているのだ。頼んだぞ」
そう話すと、玉祖命の姿はだんだんと光の筋に戻っていって、木砥に吸い込まれるように消えてしまった。
今起きたことが夢ではないと、阿花里は確かめてみようと思った。頬をぺしぺしと叩く。音と一緒に頬に軽い痛みがやってきた。
やはり夢ではないと思いながら、持っている砥石に目を凝らす。
玉祖命は新たな務めと言っていた。
阿花里は父に話そうか悩んだけれど、とりあえず自分の胸に納めておくことにした。
*****
「さ・ね・つ・ぐー! 阿花里ちゃんに小袖を贈ったそうね!」
麗瑞は声を弾ませながら、実嗣の部屋に入ってきた。
「はい。着られなくなってしまったのは俺のせいなので、そのお詫びです」
実嗣は読んでいた書物を手にしたまま、麗瑞の挑発に乗らないよう冷静に対応する。
阿花里以外に誰も知らないのに、ひっそりと様子をうかがっていたのは……と、実嗣は麗瑞の隣にいる守彦に目を向ける。
すると、守彦は顔をさっと斜め上に動かし、視線を避けた。
麗瑞は実嗣の前に腰を下ろし、身を乗り出す。
「もちろん、着させるためにあげたのよね? 脱がせるためじゃないわよね?」
「脱がせる……? なっ、何を言ってるんですか!? 違います! そんな必要がどこにあるのですか!?」
冷静沈着――。心の中でそう言い聞かせていたのに、実嗣は麗瑞が待ち構えていたような反応をしてしまう。
「あら、一度脱がせてるじゃない」
「俺がですか!? まだ脱がせてません!」
すると、それまで存在を消すように黙っていた守彦が、おもしろそうにふたりの間に割って入る。
「ほほぅ。では、いずれ脱がせるのだな」
「俺はそんなことをしないですし、ましてや前科者でもありません!」
「あら、実嗣が怪我をした時、阿花里ちゃんは手当てのために着ていた衣を引きちぎって、肩から先が肌着になってしまったでしょ。それってある意味、脱がせたことにならないかしら?」
「麗瑞様、それはこじつけです!」
もちろん、麗瑞もわかっていた。けれど、ほんの少しでも実嗣に隙があれば、麗瑞は突っ込まずにはいられなかった。
それに、普段は無愛想で大人びた実嗣の表情が、からかわれると年相応の青年のようになり、麗瑞はほっとする――という、それらしい理由もあった。
「まぁいいわ。阿花里ちゃんがその小袖を着てきたら、ちゃんと褒めてあげなさい。何も言葉がないって、寂しいのよ」
麗瑞は言いたいだけ言って、守彦と一緒に実嗣の部屋から出ていった。
阿花里に小袖を渡す時、実嗣はやりどころのない恥ずかしさに耐えながら頑張った。だから、渡したという達成感に満たされ、その後のことは何も考えずにいた。
もし阿花里があの小袖を着てくれたら――。そう考えたら、実嗣は自分でも気づかないうちに頬が緩んでいった。
*****
「真佐弥さん! 話を聞いてください!」
阿花里と真佐弥がいる工房に、白い上衣と紫の袴姿の男性が訪れた。玉造の社の宮司だ。心の陰りが目の下にも現れていて、顔色が悪い。
阿花里は急いで小さな筵を用意したけれど、宮司は座る間を惜しむかのように、その場で立ったまま話し始める。
「昨日、務めを終えて家に帰ったら、戸口にこれが挟んであったのです」
宮司は持っているものを見せた。文字が書かれた人形代だった。
「中に入ると、いつも私の帰りを待っている妻がいませんでした。境内もひととおり探したのですが、どこにもいないのです。ひと晩寝ずに待っていましたが、いったいどこにいるのやら心配で……」
阿花里と真佐弥は宮司に近づき、人形代をじっと見る。
「父さん、同じようなもの……実嗣様も持ってるよね」
「ああ。実嗣様に尋ねたら、何かわかるかもしれない」
「宮司様、私、実嗣様に連絡してみます」
阿花里はすぐに蝶遣いを放った。
実嗣には人知を越えたことが出来るのだから、いなくなった者の行方を探すことも可能かもしれない。宮司はそう希望を持つ。
実嗣からの返事を待つ間、阿花里と真佐弥も宮司の妻の行方を捜すことにした。
宮司は川沿いの道へ行ってみた。季節の草花を楽しもうと、妻がひとりでもよく歩いている場所だ。
遠い昔、八俣遠呂智という頭と尾が八つもある怪物が、この川の上流の淵を住処としていた。その怪物は若い娘を次々と喰らった。
次は自分の番だと怯えて暮らしている娘を救うために、怪物を倒した勇敢な神がいた。建速須佐之男命だ。
建速須佐之男命が怪物を倒した後、川は血で緋色に染まったという。だから、この辺りに住む者たちは、その川を緋の川と呼んでいた。
宮司が視線をあちこち動かしていると、見覚えのある柳色の布が、川岸に流れ着いているのに気づく。
恐る恐る手を伸ばして、その布を拾う。鋭利なものでざっくり切られたのか、布が切り裂かれたようになっていた。
見覚えのある色と柄。そして、玉作り職人たちがあまり着ない色。宮司は本能的に布を握りしめる。
周辺を探してみたものの、妻の手掛かりになるものは他になかった。
日暮れ前、阿花里と真佐弥は宮司の家を訪ねた。阿花里は自分の住む集落とその周辺を捜し、真佐弥は他の集落を尋ねまわった。
宮司は拾ってきた布をふたりに見せる。
「川べりで服の切れ端を見つけました。おそらくこれは妻の……っ!」
「宮司様、実は――」
真佐弥は宮司の様子を気にしながら、ゆっくり話しかけた。
「他の集落でも、行方不明の者がいました。その者の家にも、宮司様が持っていた紙があったそうです」
「これですか?」
宮司は袂に入れていた人形代を取り出した。
「はい。見せてもらいましたが、同じものです」
「本当ですか!? それで、紙を置いたのは誰なのか、わかりましたか!?」
「いいえ。でも、手掛かりになりそうな話を聞いてきました」
話をしてくれた者は、おととい歩いていた時、遮るものがないのに何かにぶつかったそうだ。
その時、あっと驚いた声が聞こえ、目の前に突然男が現れた。けれど、何やら言葉を発して、すぐに姿を消してしまった。
男は白い上衣を着て青い袴を履き、頭に黒い帽子を乗せて、白い腕輪をはめていた。男はすぐに袖で顔を隠したので、どんな顔をしていたのかはわからなかったそうだ。
その日の暮れ方、娘が帰ってこないと心配になり、捜しに行こうとしたところ、戸口に人形代が差し込まれているのに気づいた。そして、今も娘は行方知れずのままだという。
他の村にも行方がつかめない者がいて、その者たちの家族も同じようなことを真佐弥に話した。
声を発したら姿が現れる。何かを唱えたら姿を消す。阿花里はその様子に見覚えがあった。そして、陰陽師が着る白い狩衣と青い指貫、さらに白い腕輪も――。
「そうですか……。帰らぬ人を待ち続けて、その人たちもさぞかし心を痛めていることでしょう。阿花里さん、実嗣様から連絡はありましたか?」
「いいえ、まだ何も……」
宮司は険しい目つきになった。
「もしかしたらなのですが、実嗣様は連絡を取れないのではなく……取ろうとしていないのではないでしょうか?」
「それはどういう意味ですか?」
尋ねた阿花里にだけでなく、宮司は同意を求めるように、真佐弥にも視線を向けた。
「ここで人の形をした紙を使ったり、呪いを唱えたりする人はたくさんいますか? 自在に姿を消したり、現したりすることが出来る人はたくさんいますか? いずれも可能で、さらに白い腕輪をはめている人は、他にいるでしょうか?」
考えたくないことが頭に浮かんできてしまい、阿花里はそれを打ち消そうとした。けれど、異様に速く脈打つ鼓動が、その考えをなかなか消し去ってくれない。
阿花里は首にぶらさげている証の勾玉を服の上からぎゅっと握りしめた。
