玉響恋物語

「弓削峯理様……」

 真佐弥が重い口を開いた。

「私は妻の依緒里(いおり)が亡くなる間際に、彼女から初めて本当のことを聞きました。そのことと私の記憶を合わせて、お話します」

 真佐弥は静かに語り始めた――。

 依緒里が真佐弥のいる集落へやって来た時、土で汚れた地味な小袖を着て、やつれた様子だった。住んでいた集落が盗賊に襲われ、両親や村人たちが殺され、無我夢中でここまで逃げてきたと話す。

 この話を信じた真佐弥は、依緒里がここで住めるように手配した。

 依緒里は真佐弥の妹の志久那と仲良くなり、真佐弥とも親しくなっていった。

 数か月後、真佐弥は依緒里に結婚を申し込んだ。

 ふたりは夫婦になり、依緒里は阿花里を身ごもった。けれど、阿花里を産んで間もなく亡くなってしまった。

 依緒里は息を引き取る前に、この集落へ来た経緯などを話してくれた。嘘をついていたことを何度も何度も謝りながら――。

 本当は京に住む官人の娘で、陰陽師という占いや呪いなどをする家の生まれであること。呪いに使う特殊な勾玉が、この地にあるらしいと聞いたこと。その勾玉を探しに行くことで、不遇な生活を送る親戚の子の後見人に、依緒里の父がなってくれるということを話した。

 依緒里は自分の式神――兎依に、親戚の子の様子を時々見に行かせていた。

 依緒里の父は約束どおり、彼女が旅立った段階で、親戚の子の後見人としての親子関係を結んでくれた。

 そして、兎依の協力で、そう時間がかからずに勾玉のことはわかった。京にいる陰陽師の賀茂麗瑞が所有し、真佐弥が作っているということも。

 麗瑞は本当に人々のためを思って働いている陰陽師だと、兎依は言っていた。

 弓削の父と義兄は勾玉を得たら、名声や権力を得るために使うだろうと、依緒里は思った。

 あの勾玉を弓削家に知らせないほうがいい。依緒里がそう考え始めた時、真佐弥から求婚された。

 京の心配はただひとつ――親戚の子のこと。親戚の子は元服して名を峯理と改め、今は学問に励んでいると兎依が言っていた。

 あの子は依緒里がいなくても立派に成長するはず。それならこの集落で、真佐弥たちを守っていこう。

 依緒里はそう考え、真佐弥と結婚することにした。

 そして、出産が近づくと、いつまでも戻らない依緒里を見つけて連れ戻すことが絶対にないよう、父と義兄である恒道宛に伝言を兎依に頼んだ。

 特殊な勾玉の手がかりをつかんで更に西の西海道(さいかいどう)へ向かったけれど、道中で重い病になり、明日をも知れぬ体となってしまった。志半ばではあるけれど、これが最後の報告になるだろう――と。

 ここまで話して、真佐弥はいったん話をやめた。

 腰紐に括りつけていた、色あせた小さな麻袋を外して、峯理に見せる。

「京にいる親戚の子――弓削峯理という男性が、もしここを訪ねて来ることがあったら、これを渡してほしいと依緒里から託されました。いつお会い出来てもいいように、私はずっと持ち歩いていました」

 峯理は真佐弥から麻袋を受け取ると、中の物を出した。入っていたのは、いびつな形をした碧玉の勾玉だった。

「それは依緒里が作ったものです」

「姉上が……?」

「自分でも玉を作ってみたいと言い、私が教えました。その石は碧玉と言って、この地でしか採れない鉱石です。この石を使うことで、自分がここにいる証にしたいと話していました。そして亡くなる直前、京に戻らなかったお詫びも込めて、依緒里が気にかけていた親戚に会う機会があったら、お守りとしてこの勾玉を渡してほしいと頼まれました」

 峯理は勾玉をじっと見つめた。

 孔がやたらと大きい。それは、反対側からも開けていった時、綺麗に孔を貫通させることが出来ず、削りすぎたためだった。

 理狐は峯理に寄り添いながら、真佐弥の話を聞いていた。そして、峯理の腕をぽんぽんと叩く。

「依子はここで不幸な生活を送ったのだと、私たちは思い違いをしていたようね」

 緩んだ表情に変わった理狐とは違い、峯理はまだ険しい顔を崩さなかった。

「あなたは本当に、心から姉上を愛していたのですか?」

「はい。だから……阿花里がここにいるのです」

 今まで阿花里が聞いたことがないほど、父の口調は穏やかで温かかった。

 阿花里は断片的にしか、母を思い描けない。

 それでも満足だった。それ以上母のことを知れば、恋しくなってしまうと思ったから。

 そして今、父や縁のある峯理から母の話を聞き、会いたくてたまらなくなってしまった。

 阿花里の目から、ぽたっぽたっと透明な玉のような涙がこぼれていく。誰にも気づかれないよう、慌てて顔を伏せる。

 だけど、小さく肩を震わせている阿花里に、実嗣は気づいていた。

 峯理は懐紙を取り出した。その中には阿花里が初めて作った、赤瑪瑙の丸玉が入っている。

 それを依緒里――依子が作った碧玉の勾玉も一緒に包んで懐紙をしまった。

 峯理は気が抜けたようにふっと微笑み、そして目を閉じた。体を覆っていた良気が浸透するように、すーっと無くなっていく。

 幼い頃の自分と依子との想い出の夢路を辿るように、峯理は眠りについた。

*****

 夢の中の峯理は、髪を後ろでひとつに結び、萌葱色(もえぎいろ)水干姿(すいかんすがた)の子供だった。衣は恒道のおさがりで、古びたものを着ている。

 依子は真朱色(まそおいろ)(うちき)の袖で巻物を隠しながら、峯理のいる薄暗い部屋を訪れた。

「姉上!」

 峯理が近寄ってくると、依子は蕾がほころんでいくような笑顔を返した。

 峯理にとって、依子は春の陽だまりみたいに温かい存在だった。

「茅君と一緒に見ようと思って、持ってきたの」

 依子は目をきらきらさせながら、秘伝書と書かれている巻物を広げる。

 食い入るように文字を追っていく依子の横顔を眺めながら、峯理は話しかけられるのをじっと待っていた。

 依子はこくりと頷く。読み終えたという仕草(しぐさ)だった。

「このとおりにやれば、式神をつくることが出来るみたいね」

「式神って……陰陽師の命令に従ってくれる仲間みたいなもの?」

「そうよ。ここに書かれているのは、弓削家にだけ伝わっているやり方なんですって。式神は動物の姿で、使い主が生きている間はずっと一緒よ」

 峯正は人差し指を顎に置いて、小首を傾げた。

「それって……使い主が死んだら、式神もいなくなるってこと?」

「そうなるわね。式神のためにも、長生きしましょうね」

 ふたりは巻物に書かれているとおりに、咒、爻、卜……など、記号のような漢字をそれぞれ小さな正方形の和紙に筆で書き写していった。

 それから、自分の名前を書き、針で指を刺して滴った血をその上に垂らす。

 塩で清めた盥に水を入れ、書き写した和紙をその中に浸すと、渦を巻いて水と同化していった。

 すると、盥の上に辻風のようなものが発生した。それが収まった頃、式神がふたりの前に姿を現した。

 依子には兎で、峯理には狐の姿の式神だった。

 もふもふした白い毛に、依子の袿と同じ赤い色の目をした兎。もういっぽうは滑らかな白い毛並みで、きりっとした()り目のきつねだ。

 依子は自分の名前から一字とって、式神を兎依と名づけた。

 峯理は依子に考えてもらい、式神を理狐という名前にした。峯理のために正しい道筋を示してくれますように、という願いを込めて選んだ。

 兎依は陽気で溌剌(はつらつ)としていて、理狐は落ち着いてしっかりした性格だった。兎依と理狐はすぐに仲良くなる。

 峯理は夢の中で依子と過ごした日々を辿り終えると、体は完全に浄化されて元に戻った。

*****

 翌々日、阿花里のもとに理狐が訪ねてきた。この前と同じように、使い主以外にも理狐の姿が見えるようにしていた。

 峯理はこれから京へ帰るので、嫌でなければ会いたいという気持ちを理狐が代わりに伝えに来た。

 阿花里は急いで工房を出で、理狐の後をついて行った。

 峯理は近くで待っていた。阿花里と夕陽を見た後に送って降ろしてくれた、あの場所で――。

「ありがとう、来てくれて。もう会ってもらえないかもしれないと思っていたから」

 擬妖になっていない峯理には、記憶がすべて残っていた。

「僕はね、素直に反応する君が可愛くて、すぐにでもここから連れていってしまいたくなった。だから、情がわきすぎないように、名前で呼ばないことにしていたんだ」

 峯理は右手を伸ばし、愛おしげな目で阿花里の頬に触れた。

「本当に……君はお母さんにそっくりだね。特に、声はまったく同じように聞こえる」

「峯理様と母さんとの想い出話、いつかもっと聞かせてほしいです」

 母に会えない寂しさより、母を思い描ける嬉しさのほうが、やっと阿花里の中で大きくなっていた。

「落ち着いたら時間を作るよ。遺品も大切にとってあるから、君に見せたい。だから、いつか僕の住む屋敷へ遊びにおいで。僕は妹ごっこだけではなく、お姫様ごっこだってしてあげられるよ」

「お姫さま……ごっこ?」

 ここから出たことのない阿花里は、京での生活は想像すら出来ない。それに、自分がお姫様だなんて、もっと想像出来なかった。

「そう。床を引きずるほど長い衣を着て、顔に白粉(おしろい)や紅を塗る。髪も結ばずに垂らすんだ。きっと似合うよ」

「私はお姫様より、妹のほうが想像出来そうな気がします」

「そうかな?」

「はい、お兄様」

「……!」

 阿花里は行成の時よりも、なぜか自然にすっと言えた。しかも、とびきりの笑顔付きだ。

 峯理は不意を突かれ、一瞬呆然となった。そして、恍惚感に浸る。

 この甘美な気持ちは何なのか。峯理はすぐに確かめたくなった。

「も、もう一度言ってもらえないかな」

「はい、お兄様」

 喜んでもらえたと思って、阿花里の笑顔が満開になった。

 峯理は無意識に拳を額にあてる。けれど、行成と同じことをしていると、我に返った。

「それじゃ、僕はもう行くよ。支度がまだ残っているから」

「あの……夕陽を見に、またここに来てくださいね」

「うん。それまでは君にもらった赤い玉を見ながら、ここで見た夕陽を思い出すよ。じゃあね、阿花…………撫子」

 峯理は指の背で阿花里の頬を優しく撫で、名残惜しそうに手を離した。

 峯理が京へ帰ってしまうのはとても寂しかったけれど、阿花里の気持ちは思ったより落ち着いていた。

 それは阿花里には弓削家の血が流れていて、峯理とは切れない縁で結ばれていると知ったからかもしれない。
 
*****

 忌部氏の屋敷での問題が解決すると、実嗣と麗瑞は京へ帰った。

 ふたりの移動手段は時間のかかる牛車(ぎっしゃ)ではない。守彦の肉球を墨に浸けて押した通行許可証を持っているからだ。

 神社の鳥居の前に立ち、瞬間移動の呪いを唱えて行き先を伝える。そして、許可書を天に向け鳥居をくぐると、目的地にいちばん近い神社の鳥居の前に移動出来るのだ。

 実嗣は京での仕事に一区切りつくと、新たに出来上がった言霊に応える勾玉を受け取るため、玉造の社で阿花里を待っていた。

「実嗣様、阿花里です」

 祓殿の戸口で声をかけられると、実嗣は何かを背後にささっと隠した。そして、阿花里の姿を確認する。会う時にいつも着ている白い無地の小袖だ。

「守彦様は実嗣様と一緒ではないのですか?」

 賀茂家の屋敷神である守彦は、実嗣の教育係も兼ねている。常に行動を供にしているものだと、阿花里は思っていた。

「俺が教育課程を修了したから、守彦様は同行するのをやめたそうだ。必要だったり、危険が差し迫ったりした時には来てくれるらしい。ところで、忌部殿とはあの後、うまくやっているか?」

「はい。本当にありがとうございました。行成様たちの様子も変わりないようです。あの、麗瑞様はお元気ですか?」

「ああ。土産(みやげ)に玉造の湯をたんまり汲んでこいと言われた」

「お湯が冷めてしまいませんか?」

「冷めるし、大量に持ち帰ることは出来ない」

「それじゃ麗瑞様は単にからかっているだけでは……」

「そう思ったが、これを渡された」

 実嗣が背後から出した物を見て、阿花里はくすくす笑った。

「ひょうたん! 麗瑞様は本気なんですね」

「本当に玉造の湯が恋しいのか、俺を困らせたいのか、判断出来ない」

「実嗣様を困らせた後に玉造のお湯を手に入れるという、両方達成することが目的なのかもしれませんよ」

「なるほど」

 それが正解かもしれないと、ふたりは顔を見合わせ、くすっと笑った。

 実嗣はひょうたんを横に置いて、本題に入る。

「では、言霊に応える勾玉を渡してくれ」

「はい。この中に入ってます。いっぱい作りました」

 阿花里は麻袋ごと実嗣に手渡した。

 かつかつと勾玉どうしが触れ合う音――玉響が聞こえる。

「助かる。またよろしく頼む」

「はい」

「それから…………阿、阿花里」

「はっ、はい?」

 実嗣がぎこちなく呼ぶと、名前で呼ばれると思わなかった阿花里は、語尾が上がった変な返事をしてしまった。

 ふたりとも少し気まずくなったけれど、漂ってくる空気をなかったことにする。

「これを渡しておく」

 実嗣がまた後ろを向いたので、阿花里はさっきと同じことが起こるような気がした。

「ひょうたん、私の分もあるんですか?」

 意図しない阿花里の発言に慣れてきたのか、実嗣はふっと笑う余裕が出てきた。

「また思いもよらない事を言ってくるんだな。ひょうたんの話題はもう終わったと思ったんだが」

 実嗣が大切そうに両手で持っているのは、白妙(しろたえ)の布に包まれた平たいものだった。

「私にですか!? 開けて見てもいいですか?」

 実嗣が頷いたので、阿花里は手渡されると、ゆっくり布を開いた。

 包まれていたのは、一斤染めの小袖だった。母の形見のものと色合いは同じだけれど、模様が違う。黄葉(もみじ)が描かれていた。

「同じ柄のものを探したが、見つからなかった。だから、その黄葉の色が阿花里の作業衣と似ていると思って、それを選んだ」

 実嗣がそこまで考えて選んだことに、阿花里は驚いた。

「俺はおまえの大切なものを台無しにしてしまった。本当にすまない。そして、あの時、手当をしてくれて……ありがとう」

「実嗣様、私のほうこそ、ありがとうございます」

 何のことだろうと、実嗣は頸を傾げた。

「私が破いた衣の袖、綺麗にしてくださったんですよね」

「俺はしばらく寝ていた。汚れを落としたのは麗瑞様だ」

「でも、わざわざ届けてくれました。実嗣様のお心遣い、とても嬉しかったです」

 阿花里はもらった小袖の感触を確かめる。

「実嗣様、この衣はとても質の良いものですね。触った感じが違います。私が戴いていいのでしょうか」

「どんな布地であれ、形見の品には及ばない。それに、おまえが受け取ってくれないと、俺は借りを返せないままだ」

 実嗣の言葉を聞いて、阿花里ははっと小さく息を吐いた。阿花里の母の形見だということを実嗣が知っているとは思わなかったからだ。

 叔父の多津岐が闇に堕ちた時も、忌部氏から責められた時も、実嗣はいろいろと手を尽くしてくれた。それなのに、借りだなんて――。

 けれど、実嗣の優しい配慮を断る理由は浮かばなかった。

「ありがとうございます、実嗣様」

 阿花里の心の中にも、玉響が聞こえた気がした。