玉響恋物語

 祓殿を出ると、作業衣に着替えて工房へ行くよう、真佐弥は阿花里に伝えた。

 真佐弥は玉祖命から授かった道具が入っている籠を阿花里に渡す。

「これらの道具は、もう阿花里のものだ。心して使っていきなさい」

 阿花里は頷くと、普段使っている道具箱の横に、父から受け取った籠を置いた。

「父さん、証の勾玉ってどうすればいいの? 誓約の儀の時に必要なだけなんだよね?」

「どこかにしまっておいてもいいし、持ち歩いても構わないそうだ」

「実嗣様はどうするのかな?」

「麗瑞様は身につけていた。実嗣様にもそうさせるのかもしれない」

 阿花里は悩んだ末、穿孔(せんこう)に麻紐を通して首にかけることにした。目立たないよう、服の内側に隠す。

 初めて言霊に応える勾玉を作る時は、初めて一人で玉作りした時よりも緊張しそうだ。そんなことを考えていたら、峯理の顔がふっと過った。

 忌部氏の屋敷へ行った時、阿花里は初めて作った丸玉を峯理にあげた。

 その時、峯理は阿花里に会いに、湖へ足を運んでみると話していた。

 夕飯の支度までのひと時、もしかしたら峯理に会えるかもしれない。そう思い、阿花里は急いで湖へ行ってみることにした。

 峯理と出会った場所に近づくと、京の人がひとり立っているのに気づいた。

 きらきら輝く湖面さえ霞んでしまいそうなほど、その青年の(たたず)まいは美しかった。

「峯理様!」

「撫子……よかった、君に会えて。渡したい物があったんだ」

 阿花里が側まで来ると、峯理は黒い小箱を見せた。

「手を出して」

 阿花里は言われるまま、両の手のひらを上にして出す。小箱を渡されるのかと思ったけれど、そうではなかった。

 峯理は蓋を開けて、中に入っている黄色い粉を指ですくう。そして、阿花里の手にすりこんでいった。

「この薬、傷によく効くんだよ。子供の頃に怪我をすると、僕もよく塗ってもらっていたんだ」

 峯理が持っていたのは蒲黄(ほおう)という(がま)の花粉を乾燥させたもので、傷などに効き目のある生薬だった。

「君の可愛らしい手が痛々しかったから、早く良くなってほしくて持ってきたんだ」

 峯理は阿花里の手を労わるように何度もさすった。

「残りはあげるから使って。これはお礼だよ。この間、僕に赤い玉をくれただろう」

「でも……」

「遠慮しないで。君に受け取ってほしいんだ」

 峯理は阿花里の手の中に小箱を置いて握らせた。

 有無を言わせない優しい笑顔に、阿花里はあっさり根負けする。

「大切に使わせていただきます。ありがとうございます、峯理様」

「うん。ところで、まだここで話していても大丈夫?」

「すみません、そろそろ食事の用意をしないと……」

「そう……。残念だけど、薬を渡すことが出来たし、何より君に会えた。でも、名残惜しいから、家の近くまで送らせて」

 峯理は待機させている馬に向かって歩き出した。けれど、阿花里がついてこないのに気づいて引き返す。

「こないだみたいに……僕に運んでほしいのかな。それなら喜んで君を抱きかかえて行くよ」

「歩こうとしたら、砂に足を取られてしまっって……」

 阿花里は右のつま先で地面をとんとんと叩いて、急いで草履を履き直した。焦りで赤かった顔が、峯理の言葉でもっと赤くなる。

「この間は君が裸足だったから、送ってあげるきっかけが出来た。きっかけがなくても、こうして送ってあげることが出来て嬉しいよ。おいで、撫子」

峯理はごく自然に阿花里の手を取った。阿花里の心臓が、ばくばく動き出す。

 阿花里が多津岐夫婦と手を繋いで歩いた時には、こんなに鼓動が速くなることはなかった。

 胸の高鳴りに戸惑いながらも、阿花里はなぜか安らぎも感じていた。

この前と同じように集落の近くで降ろしてもらうと、今度は阿花里が見送られる側になった。

 峯理は阿花里の姿が見えなくなると、懐から懐紙を取り出した。中に入っていた赤瑪瑙の丸玉を手のひらに乗せる。

 阿花里と繋いでいた手のひらの上で、丸玉がころころと転がっていた。

*****

 忌部氏の屋敷では、阿花里と真佐弥の尾行を直接指示していた部下が、主人の行長と行成に報告をしている。

「では、昨日と一昨日(おととい)は、真佐弥だけ他の集落に行っていたんだな」

 細かい性格の行長は、逐一確認しながら聞いていた。

「はい。特に怪しい様子はなかったようです」

「で、その間、娘のほうは?」

「一昨日は大切そうに袋を持ち、玉造の社の中の建物に入って行きました」

「……袋?」

「はい。小さくて丸っぽいものが、ごろごろ入っているようだったと……」

「袋に入っていたのは……もしや、玉ではないのか?」

「でも、中を見てはいないんだよね?」

 推測だけでものを言った父に、行成は同意したくなかった。

「はい。何が入っていたのかはわかりませんでした。その後、娘は手ぶらで建物から出てきました。すると、背の高い長髪の男が、娘の後を追いかけてきました。女性とも思えるほど美しい顔の男で、娘に玉を渡していたようです」

「阿花里に!? それ本当!?」

「はい、行成様。とても親しそうな雰囲気だったと……」

 阿花里がいったい誰といたのかと、行成は眉間に皺を寄せる。

「それだけではありません。今日は真佐弥さんと娘がそろって、玉造の社へ行ったそうです。ふたりが社を出る時、一昨日いた長髪の男が見送ったらしいです」

「ほほぅ。やはり、その男との関係を蜜にしているようだな。そういえば……長身で女のように美しく、長い髪を垂らしている男が京にいると、聞いたことがあるぞ」

 行長は顎に手を添えながら、記憶を辿る。

「そうだ! 賀茂とかいう陰陽師だ!」

「陰陽師!? 父上、呪いか何かに使う玉を真佐弥が勝手に渡しているのでしょうか」

「そうだとしたら、けしからん! わしらと玉作り職人は、同じ祖神を祀っている(えにし)で結ばれているというのに! わしらを裏切っているのか!」

 行長は(もも)の上の手をわなわなと震わせた。

「その京の人だけど……賀茂氏らしき人物が、阿花里に玉を渡したんだんだよね。どんな玉だったの?」

 行成は少しでも多く情報を得ようとした。

「碧玉の勾玉のようだったと……」

「なんと! いちばん値打ちがある石ではないか! 引き続き、あの親子を見張れ!」

 行長はかつてないほど険しい顔で命じた。

「まさか、阿花里が裏切るなんて……。阿花里が俺たちを裏切るなんて……」

 行成は何も映さないような眼で、ぼそぼそと繰り返し呟いた。

*****

 言霊に応える勾玉は、今や阿花里にしか作ることが出来ない勾玉となった。

 重圧を感じつつも、その使命をきちんと果たしていこうと、阿花里はさっそく作り始める。

 玉祖命から与えられた鏨を使うと、槌で数回打てば簡単に石を切り離すことが出来た。

形を整える作業に使う刃物も砥石も、容易に削れる。

 勾玉に(あな)を空ける作業は、両側から空けていき、綺麗に貫通させなければならない。けれど、授かった錐の先端を置いて打つと、片側からだけであっという間に孔を空けることが出来た。

 そして、仕上げは木砥で磨いて、光沢を出す。

 そろそろ終わりだと思った頃、勾玉がぱっぱっぱっと、三回白い光を発した。

 父の言っていた出来上がりの合図に、阿花里は神器に触れている実感がさらに沸き、手が震えそうになった。

 普通の道具で作る時と比べものにならないほど、勾玉が短時間で完成した。

 麗瑞と約束したとおり二個勾玉が出来上がると、阿花里は一刻も早く実嗣に渡したくなった。

「父さん、言霊に応える勾玉をどうやって届ければいいの? 実嗣様たち、まだ祓殿にいるのかな」

「そうだ、お前にまだ渡していなかったな。今からやり方を教えるから、おまえがやってみなさい」

 真佐弥は自分の葛籠の中から、蓋の付いた細長い朱色の箱を持ってきた。

 中には親指くらいの長さの、長方形の白い紙が何枚も入っていた。紙には小さな文字が並んでいる。

 その横に一輪の笹百合が置かれていた。細い茎の先に大きな花が咲いているけれど、香りがしなかった。

「麗瑞様から、これを使って連絡してほしいと渡されている。その花は作りもので、枯れることなく咲き続けるそうだ」

 真佐弥はそう説明すると、箱の中から紙を一枚取り出して、阿花里に渡した。

「紙を斜め内側に折ってみなさい」

 阿花里は言われたとおり、谷折りにしてみた。

「それは(ちょう)(つか)いといって、蝶の形を真似(まね)たものだ。それを花の中央に置いてみなさい」

 阿花里は蝶遣いを花の上に乗せた。

 すると、紙に書かれていた文字が、一文字一文字ばらばらに、くるくる回り始めた。

 回転が止まると、蜜を吸い終わって満足した蝶のように飛び立ち、すぐに消えた。

 麗瑞の所にも同じ笹百合がある。

 真佐弥に放たれた蝶遣いは、麗瑞の笹百合に近づくと姿を現し、伝達のご褒美として蜜を吸おうとするかのように、花の中央に止まるらしい。

「あの紙には何て書かれてたの?」

「二本の百合の花の間を行き来するよう書かれているらしい」

 しばらくして、伝鳥が現れた。

 阿花里が伝鳥を見たのは二度目。一度目は誓約の儀の連絡を麗瑞からもらった時だ。

 阿花里は右手を出して、羽をはためかせながら自分に向かってくる伝鳥を待ち受けた。

「イマカラ、ハラエドノニ、キテクレ」

 伝鳥は阿花里の手のひらに止まると、平坦な声で三回繰り返した。

「これって……実嗣様からだよね?」

「ああ。おまえが返事をするといい」

 阿花里は頷くと、すぅっと息を吸った。

「さねつぐさま、まがたま、できたので、これから、いきます」

 阿花里は伝鳥のように抑揚をつけないで、伝言を三回繰り返して言ってみた。

「阿花里、伝鳥を真似てしゃべる必要はない。あと、伝言も一回で大丈夫だ」

「えっ、そうだったの!?」

 実嗣が同じ伝言をいらいらしながら九回も聞く姿を阿花里は想像してしまった。

 阿花里は言霊に応える勾玉を麻袋に入れて、すぐに祓殿へ向かった。

「実嗣様、阿花里です」

「入ってくれ」

 中では実嗣、麗瑞、守彦が顔を合わせ、何やら真剣に話し込んでいるようだった。

「すみません、ちょっと外します」

 実嗣は断りを入れてから、戸口で佇んでいる阿花里に近づいた。

「実嗣様、とりあえず一組、言霊に応える勾玉を入れてきました」

 実嗣は守彦と麗瑞の会話に気を取られながら、阿花里から麻袋を受け取った。

「――ここでも先日、ある地主神が黒い塊を見たそうじゃ」

「闇に堕ちる人が、また現れてもおかしくないってことね」

「そうだのぅ。京みたいに、あちこち出没せんといいが」

 実嗣は袋を開いて、勾玉を確認した。

「もしかしたら、すぐにまた言霊に応える勾玉が必要になるかもしれない。もっと作っておいてくれ」

「はい」

 阿花里の返事を聞くと、実嗣はそそくさと話し合いの場へ戻った。

 今日も袖を持ってきてくれたお礼を言えず、阿花里はお辞儀だけして祓殿を後にした。