玉響恋物語

 翌日の昼過ぎ、実嗣は阿花里の住む集落へ向かうことにした。

「では、あの娘に会ってきます」

「まさか、その格好で行くつもり? 目立つわよ」

「移動中は術をかけて姿を隠すので、大丈夫ですよ」

「でも、姿を消した状態で、阿花里ちゃんと話をするわけじゃないでしょ。もし、真佐弥以外の誰かに見られたら、いったい何者かと騒ぎになるんじゃないかしら」

 こんな時には……と実嗣が考えていると、がたっと戸口が開いた。

「戻ったぞー。ひっく」

 立っていたのは、赤ら顔の守彦だった。

「いやぁ、実に……ひっく、有意義な集いじゃったー。ひっく」

 守彦は体をあらゆる方向へ揺らしながら、千鳥足で中へ入ってくる。不規則な間隔のしゃっくりはつらそうに見えるけれど、かなりご機嫌な様子だ。

 実嗣が麗瑞に助けを求めて鳶をよこす少し前に、守彦は賀茂邸に嫌な気配を感じたので、京へ戻ることにした。

 結界を破ろうとした跡を何か所も見つけたので、守彦は急いで修復に取りかかる。

 そして、完全に修復を終え、玉造の社の祓殿に戻った時に、草いちごを食べている実嗣たちと対面した。

 実嗣の身に起こった話を麗瑞から聞くと、守彦は勝手に実嗣の快気祝いと称し、この地にいる神々を巻き込んで、さっきまで呑んでいたというわけだ。

「守彦様、俺の身なりを真佐弥さんみたいにしてください」

 守彦は呑みすぎて充血した目で、じろりと実嗣を見た。

「なぜじゃー? ひっく」

「真佐弥さんの集落に行ったら、この服では目立ってしまいます」

「ということは、ひっく……あの娘に会うんだな。なら、わしも一緒に……ひっく」

「俺ひとりで行きます。そんなにふらふらしていては危ないですよ」

「これは反閇(へんばい)じゃ。邪気を払うために、こうして歩いておる。ひぃっっっくぅ」

 守彦は大きなしゃっくりをすると、ぺたりと地面に座り込んでしまった。ゆっくり立ち上がり歩こうとするも、すぐに尻もちをついてしまう。

 守彦は同行をあきらめ、よっこいせっと立ち上がる。

「実嗣、そこにしゃがめぇー」

 守彦は懐から欅の葉を取り出した。ふぅと息を吹きかけると、人の手のひらほどの大きさになった。

 実嗣が床に腰をおろすと、守彦は葉っぱを実嗣の頭の上にかざした。実嗣たちにはわからない言葉を念じながら、ぱっぱっと横に一往復させる。

 すると、実嗣の着ていた服が、白藍色の直垂と濃藍色の括袴に変わっていった。最後に萎烏帽子が頭の上に乗っかる。

「ありがとうございます、守彦様」

 動きやすい格好になった実嗣は、昨日まで床に伏していたとは思えないほど、軽快に祓殿を出ていった。

*****

 実嗣は先日立ち寄った茂みで、我隠在無の術をかけて姿を消した。そして、恵珠山へと向かう。

 麗瑞から教わった通りに、真佐弥の住む集落へと歩いていった。

 すると、複数の竪穴住居が見えてきた。

「ここ……か」

 実嗣は集落の中へ入っていった。

 どの家も外から自然の光を採り込むために、戸口が開放されている。

 実嗣は順に家の中を覗いていった。三軒目を回ったところで、作業衣を着た阿花里を見つけた。

 実嗣は無言のまま中へ入る。

 見たこともない道具や成形前の石が置かれた屋内で、阿花里が(たがね)の刃先を石にあて、槌でごつごつと叩いていた。

 作業にひたすら打ち込む職人の目。(まばた)きすら惜しむかのように、阿花里は石を凝視している。

 実嗣は阿花里の横で、立ち止まった。

「おまえひとりなのか?」

 実嗣が声を発すると、すっと姿が立ち現れた。術が切れ、可視状態になる。

 ここにいるはずのない人間が、思いも寄らない格好をして、自分の知らない間に工房内にいる!

律動的に鏨を叩いていた音より、脈打つ心臓音のほうが大きくなりそうなくらい、阿花里は驚いた。

「どうして、さね……んっ!」

「しっ! 大声を出すな!」

 実嗣はとっさに、阿花里の口を手で覆った。

 潰してしまいそうなくらい、柔らかくて小さな頬――。女性の顔に触れてしまったことに動揺し、実嗣は手を離そうとした。けれど、阿花里に大きな声を出されたら困ると思いとどまる。

 恥ずかしがってなどいられない。慎重に事を運ぶにはどうすればいいかと、実嗣は眉間に皺を寄せて考える。すると、睨みつけるような顔になっていった。

 こ、殺される!? 阿花里は捕食動物に狙われた小動物のような気分になり、体がすくんだ。ちょっとでも動いたら、すぐにでも襲われそうな気がしてきた。

 実嗣は(おび)えたような目をしている阿花里を見て、警戒されているのだと感じた。やましいことをするつもりはないと、はっきり伝えておくことにした。

「そんなに怖がるな。俺は無理やり、そういうことはしない。用があったから、他の者に見つからないよう、姿を隠してここまで来た。だから、騒がないでくれ」

 実嗣は周りに気取(けど)られないように、声を小さくして話す。阿花里がこくっと頷いたのを見ると、顔から手をゆっくりと離した。

 阿花里もぼそぼそと話し始める。

「無理やりしない……って、そういうことは普通、力づくで一方的にするのではないのですか?」

「……? 普通は合意の上でだろ?」

「合意を……口にするんですか? どんなふうに?」

 阿花里は尋ねた。人殺しに合意があるなんて思えないからだ。『殺すぞ!』『はい、どうぞ!』――こんなふうに、口に出して確認し合うのだろうか。

 阿花里とまったく違うことを考えていた実嗣は、どう答えたらいいか悩んでいた。生々しくならないよう、説明しなければならないからだ。

「どんなふうって……く、口にするなら、優しく重ねてみて抵抗されなければ、合意ってことになるんじゃないのか」

「優しく重ねるって……何をですか?」

「だから、く、口だろ」

 ぶっきらぼうな言い方だったけれど、実嗣は阿花里の質問にきちんと答えた。

「えっ、口に口を……重ねる? えぇっ! さっ、さっ、実嗣様はいったい何の話をしているんですかっ!?」

 阿花里は顔を赤らめ、目をぱちぱちさせた。

 自分の間違いに気づいた実嗣も、耳まで顔が赤くなる。

 人間の顔がどこまで赤くなるのか、ふたりはまるで競っているようかのだった。

「な、何の話って、おまえは俺に何をされると思ったんだ?」

「えっと、あの、こ、殺されるって……」

「それもおかしいだろ! どうして俺がおまえを殺さなければならないんだ! まさか、俺に殺されるようなことをしたのか!?」

「そんなことしてません! 私を見る実嗣様の目が恐ろしくて……」

 実嗣はむっとしたけれど、そろそろ話を進めなければならないと、自重することにした。

「俺の目つきが悪いのには、慣れてもらわないと困る」

「困るって?」

「……まあ、いい。今日ここへ来たのは、確認したいことがあったからだ」

「そうなんですか。あの……こんなもので申し訳ないのですが、どうぞここに座ってください」

 阿花里はひとり分の大きさの筵を持って来て、実嗣の前に置いた。

 工房は裸足で作業出来るように、床一面に莚を敷き詰めてある。だから、阿花里と真佐弥はそのまま座っている。けれど、実嗣が目上の客ということで、阿花里なりに気を遣ったのだ。

「あーっ!」

 阿花里はまたもや大声で叫んだ。

「大きな声を出すなって言ってるだろ!」

「すみません、すみません! 実嗣様が土足だったから、つい……。工房の中では土足禁止だって、父さんに言われてるんです」

 実嗣は口答えすることなく、さっさと草履を脱いで、ひとり用の莚の上に座った。そして、草履の底を合わせて脇に置いて、文句無いだろという顔をする。

「真佐弥さんは?」

「他の集落へ行ってます」

 阿花里は実嗣の左腕が気になり、ちらっと見た。

「実嗣様、この間は助けてくれて、ありがとうございました。それで……具合はもういいのですか?」

「ああ、すっかり良くなった。そうだ、あの赤い実、美味しかった」

「いちごですね。気に入ってもらえてよかったです!」

 心底嬉しそうな阿花里の笑顔に、実嗣は目をそらしたいような、ずっと見ていたいような不思議な気分になった。

 訳のわからない感情を留まらせないよう、咳ばらいをしてもやもやを吐き出す。

「作業中だったようだけど、今、話して大丈夫か?」

「はい。私もちょうど、実嗣様にお話したいことがあったんです」

「俺に? では、おまえの話を先に聞く」

「あっ、いえ。私の話は後でいいです」

 阿花里は両手を左右に振って、とんでもないと遠慮した。

「気になるから、先に話せ」

「……わかりました」

 高圧的な実嗣の目。いつ慣れるのだろうと思いながら、阿花里は立ち上がった。そして、壁際に置いてある丸籠を持ってくる。出来上がった玉を入れている籠だ。

「ここにあるのは全部……私が作った玉です」

 丸籠をいったん筵の上に置いた後、実嗣にすすすっと差し出した。

 中には碧玉や赤や白の瑪瑙で作られた勾玉、管玉、丸玉などが、ごそっと入っている。

「どれも、一生懸命作りました。実嗣様に認めてもらえるような玉を作れているか、見てほしいんです」

 阿花里は両手をついて、実嗣に伺いを立てた。

 実嗣はひとつ手に取った。それは、碧玉で作られた一寸程の勾玉だった。真佐弥が麗瑞に見せるために持ち出して、返してもらったものだ。

「正直、俺には玉のことはよくわからない。だが、滑らかな反りや、整った円形の穴を見ると、とても丁寧に作られていると思う」

 ある程度の評価をもらえたと思い、阿花里はさらに深く頭を下げた。

「実嗣様、お願いがあります。私に作りたる者の務めをやらせてもらえないでしょうか」

 実嗣には地に伏す阿花里の表情はわからない。けれど、声からは真剣さがひしひしと伝わってきた。

「どうしてやる気になった?」

 考えられる理由はひとつ。だけど、実嗣はあえて尋ねた。阿花里の口から直接聞きたかったからだ。

 阿花里は顔を上げて、実嗣をまっすぐに見た。

「この間、叔父さんがあんな状態になってしまって、本当に驚きました。でも、言霊に応える勾玉が、叔父さんを救ってくれました。あの勾玉がなかったら――。そう考えると、すごく恐ろしいです。だから、叔父さんみたいになってしまった人を救う手助けをしたいんです」

「おまえはこの間、言霊に応える勾玉を初めて知ったようだったけど、真佐弥さんから本当に何も聞かされていなかったのか?」

「はい。父さん、口数が少ないから……。それであの後、喧嘩しちゃったんです。何で話してくれなかったのって」

「喧嘩? 真佐弥さんが怒ったところなんて、想像つかないな」

「父さんは淡々と話していて、私が一方的に怒っている感じでした。麗瑞様――実嗣様のお父様は、何でも話してくれそうですね」

「あの人は…………」

 実嗣は言い(よど)んで、俯いた。話そうかやめようか、しばらく考えていた。

「あの人は……本当は父ではないんだ」

 顔を上げてそう告げたきり、実嗣は黙ってしまった。

 言いづらそうなことをわざわざ話してくれたのだと思い、阿花里は何か気の利いた言葉をかけたくなった。

「あんなに美しいから、そう言われても納得出来ます」

「……? おまえはいったい、俺の話をどう受け取ったんだ?」

「麗瑞様はお父様ではなく……お母様ということなんですよね?」

「はぁっ!? おまえ……!」

 実嗣は右手で額を覆い、首を左右に振った。

「あんなに長身で体格のいい女はいないだろ! 初対面の時も思ったけど、おまえは何でそんなに考え方が両極端なんだ?」

「両極端?」

「前にもあっただろ。俺が、その……女が苦手だと知ったら、男が好きなのかと勘違いしたじゃないか」

 実嗣は思い出したくなさそうに、声を低くして、ふてくされるように言った。

「す、すみませんでした」

 阿花里は申し訳なさそうに縮こまる。

「小さい頃……俺は麗瑞様に引き取られたんだ」

阿花里は初めて実嗣と麗瑞に会った日のことを思い出した。ふたりは似ていないと思ったことも。

「いろいろと面倒をみてもらって、麗瑞様には感謝している。だから、使いたる者として、きちんと任務を遂行していきたい」

 実嗣は阿花里に勾玉を返して、ひと呼吸おいた。

 仕事で接するのならば、女性だから信用出来ないという考えを捨て、人となりで判断すべきだ。そう思ってここへ来たと、自分に言い聞かせる。

「妖に翻弄された人間を助けたいという、おまえの気持ちを信じることにした。真佐弥さんにはおまえから話してくれ。俺は麗瑞様に話しておく。作りたる者と使いたる者の誓約を交わすと」

「私でいいんですか」

「ああ。これから、よろしく頼む」

「はいっ!」

「誓約のことは、おって連絡する」

「わかりました。ところで実嗣様、もしよかったら……これをもらってくれませんか?」

 阿花里は丸籠にしまったばかりの碧玉の勾玉を手のひらに乗せた。

「なぜそれを俺に?」

「実嗣様にお渡しするのは、これと同じ碧玉の勾玉です。作りたる者として、実嗣様に言霊に応える勾玉を作り続けることをこの勾玉で誓います」

 阿花里の意気込みを感じて、実嗣は勾玉を受け取った。

「一生懸命頑張りますので、よろしくお願いします」

「ああ。それから…………。いや、何でもない。では、真佐弥さんによろしく伝えておいてくれ」

 実嗣は呪いを唱え、瞬く間に姿を消した。

 阿花里は目の前で起こった出来事に、しばし呆然とする。

 すると、ぱさっと何かが筵の上に現れた。

 実嗣が姿を隠す術をかけている時に、身につけていたり触れていたりしている物が体から離れると、術の影響はなくなってしまう。

 そのことを阿花里は知らないけれど、実嗣の落とし物に違いないと思い、声をかける。

「実嗣様……」

 聞こえてきたのは、静かに筵を踏む音だけ。それも遠くなってしまった。

 阿花里は置かれたものを手に取ってみる。

 それは……血痕がすっかり消え、丁寧に小さくたたまれた薄紅色の小袖の袖だった。