玉響恋物語

阿花里(あかり)、家に帰るぞ」

 父に呼ばれ、少女は振り向いた。麻紐(あさひも)で高くひとつに結い上げられた長い黒髪が、空気を揺らすように半円を描く。

「父さん、すごく良い石が採れたの」

 阿花里は嬉しさを滲ませた柔らかい笑顔で、両の手のひらに乗せた碧色(あおみどりいろ)の鉱石を見せる。

 それを見る父の真佐弥(まさや)は、硬い表情のまま頷くだけだった。

 予想通りの父の反応に、阿花里は物足りなさを感じる。けれど、いつもの事だからと何も言わず、石を背負い(かご)に入れた。

 阿花里たち親子は玉作り職人だ。

 (いにしえ)の時代より、この地は玉の生産地として広く知られていた。

 阿花里の家は代々、玉作り集団の(おさ)をしている。そして現在、この辺りの集落をまとめているのは、父の真佐弥だ。

 真佐弥の玉作りの腕前は見事なもので、職人たちからだけでなく、玉の管理をしている忌部氏(いんべし)からの信頼も厚い。

 ふたりは今、小高い山の中腹にいる。恵珠山(あやたまやま)と呼ばれ、玉材(たまざい)となる鉱石が豊富にある。

 阿花里が手にしている碧色の石――碧玉(へきぎょく)は、この山でしか採れない希少な原石だ。

 装飾品やお守りとして加工された碧玉は、その独特な色調から珍重されている。さらに、玉作り職人たちの技術も相まり、時の権力者たちから逸品だと賞賛されてきた。

 ところが、大陸から仏教が伝来すると、お守りとしての玉の需要が減っていった。人々は仏像や仏具へと傾倒していったため、関心が薄れてしまったからだ。

 国内にいた職人の数はじわじわと減っていき、玉作りは徐々に(すた)れていった。

 平安京に遷都(せんと)して二百年以上()った今でも、この地では意欲的に玉を生産し続けている。祭祀(さいし)や儀式の際に、玉は神宝(しんぽう)として、まだ必要とされているからだ。

 阿花里は背負い籠の中に、採掘道具をしまった。

 気づけば、太陽は熟しきった柿のような色になっていた。

 明るい色の衣も着てみたい――。阿花里は美しい夕景色を見ながらそう思った。

 阿花里は今年、数えの十七歳。年頃の娘たちのように、身なりが気になり始める。

 籠を背負おうと手を伸ばすと、袖口が視界に入った。阿花里が着ているのは、黄土色(おうどいろ)の小袖と裾を絞った(はかま)

 目線を父に移す。父も同じ格好をしている。

 阿花里たちの集落の近くには、(みやこ)にいる貴族たちの間でも口の()に上っている温泉がある。

 肌が若返ったり病が治ったりするという噂が流れ、神の湯とまで言われているそうだ。

 そこを訪れる京から来た人たちの中に、玉作りの作業を見たいという人が少なからずいるので、忌部氏が真佐弥たちの工房へ連れて来るようになった。

 その際に、汚れた白い衣では不衛生に思われるかもしれないと忌部氏は考え、真佐弥たちの集落に限り、黄土色に染めた衣を支給することにしていた。

 京の女性たちを見た阿花里は、その華やかな装いに憧れる。

 明るい色の衣を着たいと父に話しても、必要ないとすぐに却下されるだろう。

 母さんがいれば……と考えてみても、虚しくなるだけだった。

 阿花里は気持ちを切り替え、背負い籠の肩紐に腕を通した。

 すでに籠を背負っていた真佐弥は、()の短い鶴嘴(つるはし)(くわ)をそれぞれ両手に持ち、阿花里の支度が整うのを待っていた。

 阿花里が近寄ってくると、真佐弥は大股で歩き始めた。

 父に遅れないよう、阿花里はせわしく足を動かす。

 ふたりはひと言もしゃべらずに、家路を辿(たど)っていった。

 なだらかな山の斜面をしばらく下っていくと、阿花里たちの住む集落が見えてきた。茅葺(かやぶ)き屋根の家が点在している。

 五世帯ほど住んでいるけれど、世帯数よりも数が多い。それは、玉作り工房が複数あるからだ。工房は竪穴住居(たてあなじゅうきょ)と同じ外観のため、見分けづらい。

 阿花里と真佐弥は家の前を通り越し、隣接する工房へ入ろうとした。

「おかえりなさい。良い収穫がありましたか?」

 多津岐(たつき)という男が近づいてきた。

 真佐弥の妹婿であり、工房を挟んだ隣に住んでいる。

 目尻の垂れた優しい顔をしていて、人当たりがいい。周りのことにもよく気づき、長として多忙な真佐弥を脇から支えることも少なくなかった。

「ああ。あの山は期待を裏切らないからな」

 阿花里は背負い籠を降ろし、その中から今日いちばんの収穫物を手に取った。

「見て、多津岐叔父さん! これ、すごく良い石でしょ」

「すごいなぁ、阿花里ちゃん。目利きも良くなってきたね」

 阿花里が父に見せた時に、聞きたかった言葉だった。

 多津岐はえらいえらいと言いながら、誇らしげな顔で阿花里の頭を()でる。

 頭を押され、(うつむ)き加減になった阿花里の目に入ってきたのは、多津岐の足元だった。

「多津岐叔父さん、何で裸足(はだし)なの?」

草履(ぞうり)を履かずに、うっかり工房を出てしまったんだよ」

「本当!? 父さんみたい!」

「真佐弥さんが!? しっかり者なのに意外だなぁ」

 阿花里と多津岐は示し合わせたかのように、同時に真佐弥を見る。

 真佐弥は顔をふいと背け、ふたりの視線を(すんで)の所でかわした。

 工房の中では常に裸足で作業出来るよう、真佐弥は床全体に(むしろ)を敷き詰めている。

 そうすることで、方方(ほうぼう)に置かれている道具類や、研磨用の水が必要となるたびに、わざわざ草履を履いて移動することがなくなった。

 玉作りにもっと集中できるようになったと、真佐弥は多津岐に話していた。

 多津岐はそれを真似したらしい。

「地べたに裸足だと冷えるだろう。早く草履を履いたほうがいい」

 真佐弥は多津岐を()きたてた。自分の話を早く終わらせたいという気持ちもあったけれど、もちろん多津岐の身を案じてのことだ。

 草木の緑が濃くなってきても、日が陰り始めると、風がぐっと冷たくなる。土もひんやりしているはずだ。

「そうですね、義兄(にい)さん。阿花里ちゃんも、つい裸足で工房を出てしまわないよう、気をつけるんだよ」

「私は大丈夫よ!」

 根拠はないけれど、阿花里はそう言いきった。

 多津岐が(きびす)を返し、ぺたぺたと地面を(たた)くように歩き出すと、阿花里たちは工房の中へ入っていった。

「多津岐叔父さんの後ろ姿って、父さんにそっくり。ふたりとも大股で、のしのし歩くし」

 単に背格好が似ているだけだと、真佐弥は素っ気なく返事をした。

 阿花里には言わなかったけれど、真佐弥は思い出してしまった。前に妹が夫と間違え、兄の真佐弥に背後から思いきり抱きついてきたことを。

 翌朝、阿花里と真佐弥はいつものように向かい合って莚に座り、朝飯を食べる。

 火を(おこ)せるようになってからは、食事の用意は阿花里がやっている。

 (あわ)(ひえ)などの雑穀を混ぜ合わせ、青菜と一緒に煮込んで(かゆ)にして食べる。朝はだいたいこんな感じだ。

「今日はこれから玉造の(やしろ)へ行く。おまえも一緒に来なさい」

 真佐弥は先に食べ終え、木製の(わん)(さじ)を置きながら、阿花里にそう命じた。

 玉造の社には、玉作り集団の祖神(そしん)(まつ)られている。

「お参りするの?」

「仕事だ。人と会う」

「誰と?」

「それは……歩きながら話す」

 それきり真佐弥は口を閉じ、腕を組んで下を向いてしまった。

 (から)になった阿花里の椀が筵の上に置かれる音が聞こえると、真佐弥はすっと立ち上がった。隅のほうへ移動して、葛籠(つづら)の前で両膝をつく。

 葛籠は植物の(つる)を編んで作った、(ふた)付きの四角い籠だ。そこに置かれているのは真佐弥の分で、二段に積まれている。

 真佐弥は上段の葛籠を脇によけ、下段のほうの蓋を開けた。そして、中にしまってあった布をゆっくり取り出す。

「今日から人と会う時は、これを着て行きなさい。母さんが娘の頃に着ていたものだ」

 渡されたのは薄い紅染めの小袖だった。木の葉がひらひらと舞い落ちていく模様が描かれている。

 阿花里は受け取った姿勢のまま、しばらく見入っていた。

「母さんの……形見?」

「そうだ。娘が生まれたら、着させたがっていた」

 阿花里はようやく手を動かす。ところが、小袖を羽織ったり、あててみようとしたりはしなかった。母の温もり感じ取ろうとしているかのように、ぎゅっと胸に抱きしめる。

 阿花里は母のことを覚えていない。顔や声さえも――。阿花里を産んで、すぐに亡くなってしまったからだ。

「ありがとう、父さん!」

 阿花里は目を潤ませながら微笑んだ。

 真佐弥は頷きながら、右の口角を(かす)かに上げる。

 ふたりは手や顔を洗い、身支度を済ませて家を出た。

 すると、水を()んで戻ってきた志久那(しくな)と出くわす。

 志久那は昨日の日暮れ方に会った多津岐の妻で、真佐弥の実の妹だ。

 背が低く、ややふっくらとしていて、温厚な顔つきをしている。肩までの髪を首の後ろで束ねていた。

 志久那たち夫婦はふたりで暮らしている。子供はいない。

 ふたりが結婚して一年ほど経った頃、志久那は身ごもった。数か月後、ふたりを待っていたのは我が子の元気な産声ではなく、死産という哀れな結末だった。

 その悲痛な出来事からおよそ一週間後に、阿花里は生まれた。そしてすぐに、母親のいない子になってしまった。

 産まれて間もない阿花里を見た志久那の心の中から、無理やりしまいこんでいた母性が溢れ出てきた。

 そして、子供が亡くなっても、体は母のままだった。捨て続けていた乳をあげることが出来る――。志久那は乳母になりたいと、真佐弥に申し出た。

 亡き友の面影があるせいなのか、志久那は乳を飲ませるたび、赤子に対して愛おしい気持ちでいっぱいになった。

 多津岐も家に帰って阿花里がいると、楽しそうにあやした。

 乳離れした後もずっと、志久那は何かと阿花里の世話を焼き続けている。女の子が母親から教えてもらうことを志久那が代わりに教えてやっていた。

 志久那は水の入った桶を両腕で抱えながら、何度も目線を上下に動かして阿花里を見た。

「あらまぁ、阿花里ちゃん。今日はいつもの衣じゃないのねぇ。ずいぶん感じが違うわ」

「母さんの形見なの」

「よく似合ってるわ。ますます、お母さんそっくりの美人さんになっていくわねぇ。そう思わない、兄さん?」

 志久那は懐かしそうに目を細めながら、真佐弥に同意を求めた。

 かつて、他の集落に住む玉作り職人たちの間でも、阿花里の母はとても美しい娘だと評判だった。

 やや面長の顔に、絹糸のように滑らかで長い睫毛(まつげ)。磨きあげられた玉のように綺麗な瞳。そして、ふっくらとした愛らしい唇。阿花里は母から、その面差しを受け継いでいた。

「阿花里、ほら行くぞ」

 妹からの問いかけにはまったく答えず、真佐弥は下を向いてさっさと歩き出した。

 けれど、志久那は見逃さなかった。真佐弥が一瞬、右の口角を上げたことを。

 褒められたり嬉しかったりすると、真佐弥は照れを隠すため、よくこんな表情をするのだ。

 そのことを知っている志久那は、ほっこりとした気分で真佐弥を見送る。

「志久那叔母さん、いってきまーす!」

 阿花里は元気よく手を振って、父の後を追いかけた。