重ねられた手から伝わる体温は、コンビニの冷えた夜気の中でも驚くほど熱く、僕の心臓を不規則に揺らした。
驚いて蓮の顔を見ると、彼は視線を少しだけ逸らし、街灯の光に照らされた横顔を朱色に染めている。
「……あ、わりぃ。なんか、俺、変なことしたな」
蓮は慌てて手を引っ込めた。その動作があまりにも不器用で、僕は思わず吹き出しそうになった。太陽みたいに眩しくて、堂々としている彼が、僕の前ではこんなにも揺らいでいる。それが嬉しくて、同時にどうしようもなく切ない。
「……別に、変じゃないよ」
僕は努めて冷静なふりをして、自分の膝の上で指先を組んだ。
もし、このまま僕が手を握り返していたら、どうなっていただろう。そんな禁忌的な空想が頭をよぎる。ダメだ、僕は化学部長だ。論理的に、事象を客観的に観察しなければならない。
でも、今の僕の中に渦巻いている感情には、どんな数式も、どんな科学的根拠も当てはまらない。
「……帰ろっか。遅くなると、親も心配するだろ」
蓮が立ち上がり、少しだけ気まずそうに背伸びをした。
帰り道は、行きよりもさらに静かだった。住宅街の街灯が、僕たちの影を長く引き伸ばす。
歩調を合わせるようにして歩いていると、肩が触れそうになる距離が、行きよりもずっと近く感じられた。
「あーあ、明日は日曜日か。……また月曜日まで、お預けだな」
蓮が独り言のように呟く。その言葉の響きに、僕は少しだけ胸が躍った。
「……追試の勉強、月曜から再開するよ。化学準備室で待ってる」
「おう、絶対行くな。……というか、行かせてくれ。一ノ瀬といると、なんか落ち着くんだよな」
彼はわざとらしく大きく背伸びをして、夜空を見上げた。
街灯の光の下で見る彼の横顔は、アスリートとしての逞しさと、少年の脆さが混ざり合っていて、見ていて飽きない。
「お前さ、最初は何考えてるか全然わかんなかったけど……今は、少しだけわかる気がする」
「……なにが?」
「……お前も、意外と寂しがり屋なんだなってこと」
蓮はニッと笑って、僕の背中をポンと強く叩いた。
その衝撃で少しふらついたけれど、不思議と嫌な感じはしなかった。
「……失礼な。部長として、部員たちの管理をしてるだけだよ」
「はいはい、そーですね。……じゃあ、また月曜な。あんまり俺のこと考えて、実験失敗すんなよ?」
「誰が考えるか!」
僕が言い返すと、蓮は喉を鳴らして笑い、少し先にある角を曲がっていった。
その後ろ姿が見えなくなるまで、僕は立ち尽くしていた。
夜風が少し冷たい。けれど、体の中にはまだ、彼と肉まんを半分こした時の温かさが残っている。
家に帰り、自分の部屋のベッドに倒れ込む。
天井を見上げながら、僕は自分の胸に手を当てた。トクン、トクンと、静かに、けれど確実に鼓動を刻んでいる。
化学準備室で、二人きりの時間を過ごすこと。
大会の試合を見に行くこと。
コンビニで肉まんを分けること。
どれもこれも、僕の「想定内」の日常にはなかった出来事だ。
『……化学反応っていうのは、物質が混ざり合って、別の物質に変化すること』
教科書の定義が、頭の中で再生される。
今の僕と蓮の間で起きているのは、きっとそんな単純なものじゃない。
僕の世界は、彼という存在に触れたことで、もう元の姿には戻れない――取り返しのつかない変化を起こしてしまったのだ。
「……好き、かもな」
暗い部屋の中で、僕は自分の口から零れた言葉に驚いた。
それは論理も理屈もない、ただの感情の爆発だ。
でも、その事実は、どんな実験結果よりも確実で、歪みのない真実だった。
翌朝、鏡を見ると、自分の目がいつもより少しだけ潤んでいるように見えた。
たった一つの出会いが、これほどまでに僕の日常を変えてしまうなんて。
これから先、彼との距離が縮まれば縮まるほど、僕の「理論」は崩壊していくのだろう。
それでもいい。
彼が僕を必要としてくれるのなら、僕は何度でも、僕の中の「常識」を壊して、新しい世界を見に行こう。
『待ってろよ、高木蓮』
心の中でそう呟いて、僕は大きく息を吸い込んだ。
月曜日の化学準備室。彼がドアを開けて入ってくるのを想像するだけで、胸が熱くなる。
僕たちの放課後は、まだ始まったばかりだ。
この未完成な化学反応が、いつかどんな形に結晶するのか。
それを確かめるのが、これからの僕の、一番の楽しみになるに違いない。
驚いて蓮の顔を見ると、彼は視線を少しだけ逸らし、街灯の光に照らされた横顔を朱色に染めている。
「……あ、わりぃ。なんか、俺、変なことしたな」
蓮は慌てて手を引っ込めた。その動作があまりにも不器用で、僕は思わず吹き出しそうになった。太陽みたいに眩しくて、堂々としている彼が、僕の前ではこんなにも揺らいでいる。それが嬉しくて、同時にどうしようもなく切ない。
「……別に、変じゃないよ」
僕は努めて冷静なふりをして、自分の膝の上で指先を組んだ。
もし、このまま僕が手を握り返していたら、どうなっていただろう。そんな禁忌的な空想が頭をよぎる。ダメだ、僕は化学部長だ。論理的に、事象を客観的に観察しなければならない。
でも、今の僕の中に渦巻いている感情には、どんな数式も、どんな科学的根拠も当てはまらない。
「……帰ろっか。遅くなると、親も心配するだろ」
蓮が立ち上がり、少しだけ気まずそうに背伸びをした。
帰り道は、行きよりもさらに静かだった。住宅街の街灯が、僕たちの影を長く引き伸ばす。
歩調を合わせるようにして歩いていると、肩が触れそうになる距離が、行きよりもずっと近く感じられた。
「あーあ、明日は日曜日か。……また月曜日まで、お預けだな」
蓮が独り言のように呟く。その言葉の響きに、僕は少しだけ胸が躍った。
「……追試の勉強、月曜から再開するよ。化学準備室で待ってる」
「おう、絶対行くな。……というか、行かせてくれ。一ノ瀬といると、なんか落ち着くんだよな」
彼はわざとらしく大きく背伸びをして、夜空を見上げた。
街灯の光の下で見る彼の横顔は、アスリートとしての逞しさと、少年の脆さが混ざり合っていて、見ていて飽きない。
「お前さ、最初は何考えてるか全然わかんなかったけど……今は、少しだけわかる気がする」
「……なにが?」
「……お前も、意外と寂しがり屋なんだなってこと」
蓮はニッと笑って、僕の背中をポンと強く叩いた。
その衝撃で少しふらついたけれど、不思議と嫌な感じはしなかった。
「……失礼な。部長として、部員たちの管理をしてるだけだよ」
「はいはい、そーですね。……じゃあ、また月曜な。あんまり俺のこと考えて、実験失敗すんなよ?」
「誰が考えるか!」
僕が言い返すと、蓮は喉を鳴らして笑い、少し先にある角を曲がっていった。
その後ろ姿が見えなくなるまで、僕は立ち尽くしていた。
夜風が少し冷たい。けれど、体の中にはまだ、彼と肉まんを半分こした時の温かさが残っている。
家に帰り、自分の部屋のベッドに倒れ込む。
天井を見上げながら、僕は自分の胸に手を当てた。トクン、トクンと、静かに、けれど確実に鼓動を刻んでいる。
化学準備室で、二人きりの時間を過ごすこと。
大会の試合を見に行くこと。
コンビニで肉まんを分けること。
どれもこれも、僕の「想定内」の日常にはなかった出来事だ。
『……化学反応っていうのは、物質が混ざり合って、別の物質に変化すること』
教科書の定義が、頭の中で再生される。
今の僕と蓮の間で起きているのは、きっとそんな単純なものじゃない。
僕の世界は、彼という存在に触れたことで、もう元の姿には戻れない――取り返しのつかない変化を起こしてしまったのだ。
「……好き、かもな」
暗い部屋の中で、僕は自分の口から零れた言葉に驚いた。
それは論理も理屈もない、ただの感情の爆発だ。
でも、その事実は、どんな実験結果よりも確実で、歪みのない真実だった。
翌朝、鏡を見ると、自分の目がいつもより少しだけ潤んでいるように見えた。
たった一つの出会いが、これほどまでに僕の日常を変えてしまうなんて。
これから先、彼との距離が縮まれば縮まるほど、僕の「理論」は崩壊していくのだろう。
それでもいい。
彼が僕を必要としてくれるのなら、僕は何度でも、僕の中の「常識」を壊して、新しい世界を見に行こう。
『待ってろよ、高木蓮』
心の中でそう呟いて、僕は大きく息を吸い込んだ。
月曜日の化学準備室。彼がドアを開けて入ってくるのを想像するだけで、胸が熱くなる。
僕たちの放課後は、まだ始まったばかりだ。
この未完成な化学反応が、いつかどんな形に結晶するのか。
それを確かめるのが、これからの僕の、一番の楽しみになるに違いない。



