白衣の断罪者 ——腐った権力を切り刻む

聖マリアンナ総合病院は、もはやかつての聖域ではなかった。
連日のようにニュース番組で報じられる不正の数々は、地域住民の不信感を決定的なものに変えていた。外来患者の数は激減し、誇り高かったはずの外科病棟は、まるで時が止まったかのような静寂に包まれている。

鬼塚は、連日の警察による家宅捜索と、厚労省からの監査によって、ついに外科部長の座を追われた。彼が愛していたはずの権力は、呆気ないほど簡単に足元から崩れ去った。田口に至っては、医療事故調査委員会から永久追放に近い勧告を受け、今や病院の裏口ですら姿を見せることができないほど追い詰められている。

私は医局の窓から、警察のパトカーが去っていく様子を眺めていた。
病院の玄関先で、かつて威張り散らしていた鬼塚が、うなだれた背中で連行されていく姿が見える。

(さようなら、鬼塚部長。あなたが積み上げたのは、命ではなくゴミの山だったのね)

私の心には、復讐を果たした達成感などない。あるのは、一つ、また一つと悪がこの社会から摘出されていくことへの、冷徹な静寂だけだ。
だが、この病院の腐敗は、所詮は氷山の一角に過ぎない。
彼らを操り、裏で利益を貪っていた「本丸」は、まだ無傷のままである。

その時、医局のドアが勢いよく開いた。

「如月先生、理事長がお呼びです」

秘書の事務的な声が響く。私はゆっくりと振り返り、完璧な「おどおどした研修医」の表情を作り上げた。

「り、理事長……? 私のような者が、一体、何のご用でしょう」

「さあね。本部の方針が決まったらしいわ」

理事長室へ向かう廊下は、まるで裁判所への通路のように長く感じられた。
この病院を影で支配していたのは、創設者の息子であり、大手製薬会社『メディカル・コア』の取締役でもある理事長、堂本だ。彼は鬼塚を操り、病院の資金を不正に流用していた張本人だ。
鬼塚や田口は、彼にとっては使い捨ての捨て駒に過ぎない。

(ようやく、あなたに会えるのね。堂本理事長)

ノックをして、重厚な扉を開ける。
部屋の中は高級な家具と、漂う高級な葉巻の香りで満たされていた。堂本はデスクにふんぞり返り、冷たい目で私を値踏みするように眺めている。

「君が、如月セリナか。鬼塚や田口を追い詰めた、あの『無能な研修医』というのは」

堂本の声は低く、そして鋭かった。彼は鬼塚たちとは違う。獣のような直感を持つ、冷酷な捕食者だ。
私はわざとらしく震え、視線を彷徨わせた。

「いえ、私は……ただ、聞かれたことに答えただけで……」

「ふん。調査チームの高木が、君のことをえらく買っているようだ。……だがね、如月先生。この世には、消せない炎というものがある」

堂本は机の上に一枚の封筒を置いた。
中身を見るまでもない。示談金、あるいは口封じのための脅迫か。

「この病院の経営を安定させるため、君にはしばらく、海外の提携病院へ研修に行ってもらいたい。……もちろん、十分な手当ては用意する。静かにしているのが、君にとっても賢明な選択だ」

退職勧奨という名の、追放だ。
私の「掃除」が邪魔なのだろう。彼は私の正体に気づいている。私が、彼が大切に育ててきたこの病院の「癌」を切り刻んだ張本人であることに。

私は封筒に手を伸ばし、ゆっくりと開いた。中には、想像を絶する額の小切手が入っている。

「これを……受け取れば、私はここから消えるべきなのですか?」

「賢い選択だ。君のような小さな医師が、巨大な組織に逆らったところで、得られるものなど何もない」

堂本は余裕の笑みを浮かべる。
私はその笑顔を、瞳の奥に焼き付けた。

(ええ、あなたがそう言うなら、消えてあげましょう。……あなたの帝国が、跡形もなく崩れ去るその時まで)

私は小切手を受け取り、震える声で答えた。

「……わかりました。研修の準備をいたします」

「いい心がけだ」

部屋を出た瞬間、私の表情から卑屈な仮面が消え去った。
廊下を歩く足取りは、先ほどまでの怯えた様子とは裏腹に、迷いのない、鋼のような硬さを持っていた。

(研修? ええ、最高の研修をさせてあげるわ。あなたが積み上げてきた『富』が、どのような仕組みで弱者を食い物にしているのか、その全貌を解剖する研修をね)

私はスマートフォンの画面を開く。そこには、『エコー』から届いたばかりのメッセージが表示されていた。

『メディカル・コア社、次回の新薬治験データに不正の疑い。対象は、政界の大物と結託した、極秘の臨床試験だ』

私は窓の外に広がる、夕闇に染まり始めた街を見つめた。
今、この瞬間も、どこかで理不尽な力が振るわれている。
だが、もう終わりだ。
次の戦場は、病院という閉鎖空間ではない。
もっと巨大で、もっと強固な、悪の権化そのものだ。

(待っていなさい、堂本。あなたが信じているその強大な権力が、どれだけ簡単に崩れ去るか、その目で確かめなさい)

私は医局のロッカーから、病院の外へ出るための私服を取り出した。
もう、この白衣を纏って大人しくしている時間は終わった。
私の「最強のブラックヒロイン」としての、本当の戦いが、今、幕を開けようとしていた。

第3章の幕開けは、病院という箱庭を超え、より大きな悪への反逆へと向かう。