白衣の断罪者 ——腐った権力を切り刻む

「指示……? 研修医である如月先生が、執刀医であるあなたに指示を出したと? 今、そう言いましたか、田口先生」

高木の冷徹な問いかけに、田口は我に返ったように顔を青くした。彼はようやく、自分の言葉がどれほどの重みを持つのかを理解したらしい。

「ち、違う! 俺はそんなことを……! あいつが! あいつが俺を嵌めたんだ! さっきのオペだって、俺の実力だ! お前なんかに、何がわかる!」

田口は逆上し、私に掴みかかろうと一歩踏み出した。しかし、高木がその腕を素早く掴み、制止する。

「落ち着いてください。病院の廊下ですよ。……如月先生、少し離れていてください」

私は「ひっ」と短い悲鳴を上げ、言われた通りにその場から少し後退した。震える手で目元を拭い、恐怖に怯える子羊のように見せる。私の視界の隅で、通りがかった他の医師や看護師たちが、何事かと足を止めているのが見えた。

「高木さん、何をしている! 忙しい救急の合間に、部下を詰問するつもりか!」

騒ぎを聞きつけたのか、鬼塚が苛立った足取りで現れた。彼は状況を瞬時に察し、険しい顔で調査チームを威圧する。しかし、高木は怯むどころか、冷ややかな瞳で鬼塚を見据えた。

「鬼塚部長。ちょうどいいところに。田口医師から、『執刀中に如月先生から指示を受けた』という趣旨の発言がありました。これについては、後ほど正式に聞き取りを行います」

「……何だと?」

鬼塚の表情が、驚愕から焦燥へと変わる。田口が墓穴を掘ったことを、彼は即座に悟ったのだろう。鬼塚は田口を射殺さんばかりの目つきで睨みつけた。

「田口、お前……。自分から何ということを……!」

「ち、違います、部長! 違います! 私は……!」

田口は狼狽し、しどろもどろになる。鬼塚はその醜態を直視できず、苛立ちを隠せない。

「高木さん、部下の教育は私の仕事だ。誤解があるようなので、別室で話をする。如月、お前もだ」

鬼塚は私を連れ去ろうと腕を掴もうとした。しかし、高木はそれを鋭い眼光で制した。

「失礼ですが、部長。この件はすでに、個別の聴取を終えるまで、当事者同士の接触を禁じる通達を病院側に出しています。如月先生は、私が保護します」

「保護だと? 研修医を?」

「彼女は、今回の医療事故調査における最重要証言者の一人ですから」

高木の言葉は絶対だった。鬼塚は歯ぎしりをして悔しがり、しかしそれ以上は手を出せなかった。調査チームを敵に回すことは、そのまま病院の存亡に関わるからだ。

「……分かった。好きにするがいい。だが、何も知らない素人の証言など、何の役にも立たないことを思い知るがいい」

鬼塚は捨て台詞を吐き、田口を引きずり回すようにして去っていった。二人の後ろ姿には、もはや権威の残滓など欠片も残っていない。ただ、崩壊を待つだけの老朽化した建物のようだ。

高木は二人を見送った後、私に向き直った。その瞳には、先ほどまでの冷徹さはなく、わずかな慈悲のようなものが宿っていた。

「大丈夫ですか、如月先生。怖い思いをさせてしまいましたね」

「……はい。ごめんなさい、私が口を滑らせたせいで……」

「いいえ。あなたが真実を話してくれたおかげで、ようやくこの病院の歪みの正体が見えてきました。……少し休んでください。調査は私が引き継ぎます」

「……ありがとうございます」

私は深く頭を下げ、その場を離れた。
廊下の曲がり角で人影が消えた瞬間、私は震えを止め、冷酷な表情で立ち止まった。

(田口という駒は、もう使えない。鬼塚は、自分の首を絞めるロープをさらにきつく巻いたわね)

高木は優秀だ。だが、彼はあくまで『法』の範囲内でしか動けない。彼がこの病院の悪を裁くのにかかる時間は、長すぎる。
私が欲しいのは、法による処罰ではない。彼らのすべてを奪い、社会的に抹殺し、二度と誰かを踏みつけることができない地獄へと叩き落とすことだ。

私はポケットのスマートフォンを取り出し、画面に表示された『ターゲットリスト』を見つめた。
リストの中には、鬼塚や田口の名前が並んでいる。そしてその隣には、彼らが裏で繋がっている製薬会社の幹部や、市議会議員の名前もある。

(ようやく、本丸に手が届くわ)

第2章は、彼らの崩壊の序曲に過ぎない。
私の『正義』は、これからが最も残酷で、そして最も鮮やかな幕開けを迎える。
私は誰にも気づかれることなく、静かに医局へと戻った。
次の仕掛けは、もう準備できている。