白衣の断罪者 ——腐った権力を切り刻む

翌朝、病院の空気は昨日とは異なる色を帯びていた。
昨日、オペを成功させた田口の功績は、早々に病院幹部の耳に入っていた。しかし、それは祝福ではなく、詮索という名の毒となって広がり始めていた。

私はいつも通り、無機質な白衣を羽織り、ナースステーションの隅でカルテの整理をしていた。周囲の医師たちは、どこかよそよそしい。私の「無能」という評価は変わっていないはずなのに、彼らの視線には、昨日までにはなかった「警戒」の色が混じっている。

「如月先生、ちょっといいかな」

冷ややかな声とともに、外科部長の鬼塚が近づいてきた。その背後には、昨日のオペを執刀した田口が、まるで敗戦兵のような青白い顔で付き従っている。

「はい……何でしょうか?」

私は努めて気弱な声で答え、伏せ目がちに彼を見上げた。
鬼塚の視線は鋭い。まるで獲物を値踏みする肉食獣のように、私という存在の奥底を探ろうとしている。

「昨日のオペだ。田口の報告書を読んだ。……動脈を傷つけた瞬間に、出血が完全に止まったと書かれている」

鬼塚はニヤリと歪んだ笑みを浮かべた。

「田口。お前の腕で、あんな複雑な止血が短時間でできるはずがない。……さて、本当は何が起きたんだ?」

田口の肩がびくりと震えた。彼は鬼塚の威圧感に耐えきれず、視線を泳がせる。
(ダメね、この男は。すぐに自分を守るために嘘を吐き、結局は墓穴を掘る)

私は心の中でため息をつきつつ、震える声で口を挟んだ。

「あ、あの……田口先生は、本当に素晴らしかったです。あんなに的確に、迷いなく……」

「黙れ、如月!」

鬼塚が私を怒鳴りつけた。
「お前の意見など聞いていない。私が聞いているのは事実だ。……昨日のオペ室で、何か不自然なことはなかったか」

私は首をすくめ、小さくなった。

「……そ、それが、私はあまりのことにパニックになってしまって……。ただ、田口先生が、『あ、止まった』と仰ったのは覚えています。……何か、悪いことでもあったのでしょうか?」

「悪いこと? ……ふん、まあいい。田口、後で詳しく聞かせろ。お前、何か隠していることがあるなら、今すぐ吐け」

鬼塚はそれだけ言い残し、踵を返した。田口が私を恨めしそうに睨みつけ、鬼塚の後を追う。
廊下に、彼らのヒールの音が響き渡る。私は静かに頭を上げ、その背中をまっすぐに見つめた。

(疑い始めたわね。でも遅いわ、鬼塚部長。その疑念こそが、あなたを破滅へ導く入り口になるのだから)

私は何食わぬ顔で、再びカルテの整理に戻った。
しかし、病院の監視カメラ、電子カルテのアクセスログ、そして田口の私物端末――それら全てが、私の手のひらの中で動いている。彼らが私を疑えば疑うほど、彼らは自分の悪行を隠蔽するために、さらに深い泥沼へと足を踏み入れることになるのだ。

ナースステーションの電話が鳴った。
看護師が受話器を取り、顔を青くする。

「……はい。えっ、医療事故調査委員会ですか? ……はい、承知いたしました」

電話を切った看護師の手が震えている。
「……どうしたの?」
私が尋ねると、彼女は恐怖に引きつった表情で答えた。

「大学病院の本部から、抜き打ちの監査が入るそうです……。それも、昨日のオペの件を含めて、すべてを洗い直すと」

病院内が、一気に騒がしくなった。
本部からの監査。それは、この病院の腐敗を知る者にとっては死刑宣告に等しい。
鬼塚や院長が作り上げた「聖域」が、外からの力によって揺らぎ始めている。

(……面白いわ。内部からの崩壊だけでなく、外部からの監査も加わる。これで、この腐った箱庭は、より早く、確実に沈んでいく)

私は小さく笑みを浮かべ、誰も見ていないのを確認してから、ナースステーションを離れた。
廊下の窓から外を見上げると、厚い雲が空を覆っている。
嵐が来る。
病院という城壁が、その重みで自壊する時が、刻一刻と近づいている。

私は医局へと向かう足取りを少しだけ速めた。
鬼塚や田口が、自らの保身のためにパニックを起こし、さらに墓穴を掘り進める姿を見るために。
そして、その泥沼の中で、彼らを笑いながら切り刻むために。

私の手は、清潔な白衣の中で、静かに次の「メス」を研いでいた。
誰がこの病院を食い物にしているのか。その核心に触れる準備は、もう整っている。

第1章で終わらせたはずの浄化は、まだほんの序章に過ぎなかった。
私は、病院の全貌を支配する「黒幕」を、この手で引きずり出す決意を固めていた。