桜ノ命は五人の神使に祈りを捧ぐ

この隠世には春の季節しか存在しない。
何故ならここが春の隠世だからだと、深月は言っていた。

では冬の隠世はずっと凍える様な寒さなのだろうか…?
そんなたわいのない事を考えながら、私は春の雨に身を委ねる。
私はここが好きだ。

綺麗な都の街並みに、見た目の個性は豊かだけれど心優しい都の人たち。
そして、私と一緒に戦い守ってくれる五人の神使たちーーー。

「うっ、うっ……」

私は居てはいけない存在だった?
これからの事を考えなければいけないのに、その場にしゃがみ込んでしまう。

泣くのは泣く理由がある者がする行為だ。
今の私は泣いて良い立場にはない。
そう思っているのに次から次へと溢れ出してしまう。
私の着物が雨で重くなり始めた時だった。

「どうして」

突然の声に驚き顔を上げる。
そこに居たのは知らない男の人だった。

「どうして、泣いているんだ」

私は息をのむ。
それは突然話しかけられた驚きではない。

その人が、あまりにも“黒”かったからだ。

「え……と」

上手く声が出ない。
腰まで伸びた黒く長い髪に、漆黒の大きな翼。
反比例するように真っ白は肌に、まるで血の様に濃い朱色の瞳がまるでこの世の者とは思えなかった。

“逃げろ”

そう細胞は告げているのに、その(うれ)いを(はら)んだ瞳に囚われて逃げられない。

「可哀想に」

腰が抜けて未だ座り込んだ私の頬に、その人の手が触れる。
その手は氷の様に冷たかった。

「……またね」

手を話すと彼は私の横を通り抜ける。

「まっ……!!」

ーーー待って。
振り返って引き止めようとしたが、その姿はもう何処にもなかった。

**

どの位の時間そうしていたのだろうか。
雨にうたれた身体はすっかり冷え切ってしまった。
一旦何処かへ移動しよう。
そう思い立ち上がった瞬間だった。

「美桜!!!」

遠くから私を呼ぶ声が聞こえた。
まずい。

今あったらどんな顔をして良いのか分からない。
貴方の中の姫もきっと私では無いのだから。

「……っ!」
「おい!!」

咄嗟に声の方向とは反対方向に走りだす。
水分を含んだ衣服は重たくて、足がとられてしまいそうだった。

「はあ……はあ……っ!!」

息が上がる。
走った所で私の速度ではすぐに追いつかれてしまうことは分かっていた。
けれど、走らずにはいられなかった。

「捕まえた」
「白緋……なんで……」

私の手を掴む白緋の顔を恐る恐る見ると、いつもの澄ました表情はそのままに私を見下ろす。
息は少しだけ上がっているように見えた。

「何故、居なくなろうとする」
「白緋も私が桜ノ命じゃ嫌だよね」
「……」

沈黙が肯定とも取れて心が痛かった。

「ごめんね、大切な人の場所を奪っちゃって」

自分で発した言葉に自分の体温が下がる。

「私、居なくなるから」

掴まれた手を振り払おうとした。

「ひゃ……っ」

振り払おうとした手を強く引かれる。
私はすっぽりと白緋の腕の中に収まってしまった。

「やっ……」

私の精一杯の抵抗も彼の腕の力で封じられてしまう。

「居なくなるなんて言うな」
「なん……」
「俺が困る」

そんな事を言われたら勘違いしてしまうではないか。
ここに居ていいと。

「たまには弱音を吐いていい」
「なんで……」
「お前は一人で抱えすぎだ」

別に抱えてなんかない。
私は私のやるべき事をやっていただけだ。

「私が何したって言うのよ……」
「うん」
「何よ桜ノ命って、急にそんなのやれって言われても分かんないわよ」
「うん」

白緋の優しい相槌に、次から次へと言葉が溢れ出てしまう。

「それなのに前の方が良かったなんて言われても知らないわよ……!」
「うん」
「ごめんなさい。大切な場所に私なんかが来てごめんなさい……」
「うん」
「でもそれじゃあ、私は何処にいたら良いのよ……っ」

みっともなく、泣きじゃくってしまう。
今だけは雨が降っている事に感謝をしてしまう。

此処(ここ)にいればいい」
「……」
「ずっと。邪魔をする者は俺が許さない」
「っ……」

腕に込められた力の強さに、私の鼓動は跳ね上がる。
そんな事を言われたらまた勘違いしそうになる。

貴方に受け入れられているのだとーーー。

**

そこから私は白緋に連れられて宮に戻った。
まるで子供を連れて逃がさない様に、私の手首を強く握って離さなかった。

「お前どこ行ってたんだよ!!」
「お姉ちゃ〜〜〜〜〜ん!!」
「み、み、み、美桜さん!!すっかり冷え切って……!」

虎徹と澄の二人は帰ってきた瞬間飛んできたし、深月はまるでお母さんかのように右往左往するし。

「心配かけてごめんなさい」

先程まで取り乱していたのは私だというのに、逆に私が冷静になってしまう。
でも、そっか。
心配してくれていたんだ。

「早く湯船に浸かってください!暖かいお茶も用意するので!」
「深月さん!そっちは便所です!」

こんなやり取りに私は安心してしまう。

「……」
「深月?」
「桜ノ命をするの、嫌になってしまいましたか?」

今の今まで慌てふためいていた深月の思いもよらない言葉に驚いてしまった。

「好き好んでなっているわけでもないのに……」
「優しいね、深月は」
「……何故?」
「普通は巳影と同じ事を思う」

皆それぞれ前任の桜ノ命を思っている。
それは深月も例外ではないはずだ。

「美桜さん、貴方勘違いしていませんか?」
「勘違い……?」
「私達は貴方に感謝しているのですよ」

感謝される覚えなんてなかった。

「私だけじゃない、都の人々だってそうです」
「お前がいなかったら隠世の時は止まったままだったんだ。時間を動かしたんだよ」
「そうですよ。ねっ、白緋」
「……ああ」
「でもっ」

巳影の顔がよぎる。
あれは大切な居場所を取られ、傷付いた者がする顔だ。

「巳影も本当は分かっているはずなんです。前に進むべきだって」
「……」
「彼も少なからず貴方に感謝をしているはずです」
「そうかな……」
「行った行為は決して許されるものではありませんが」

深月の柔らかな顔が一瞬崩れる。

「これは私の我儘ですが……」
「なに?」
「彼の事を嫌いにならないであげて下さい」
「嫌いなのは彼の方じゃないかしら」
「あれはああ見えて素直になれないタチなんです」

何処か懐かしそうに深月は笑う。
昔からの仲だ、きっとそう思うだけの出来事があったのだろう。

「きっと貴方と心から支え合える日が来ますよ」
「だといいな」
「おっと、話しすぎましたね。ではゆっくり休んでください」

そう言いながら深月は部屋を後にする。
巳影は大丈夫だろうか。

そんな思いとは裏腹に、彼はこの日を境に宮から姿を消したのだった。