「ここの生活には慣れたかい?」
庭でぼんやりと桜を眺めていると後ろから声をかけられた。
「お陰様で」
「そう、良かった」
声の主、巳影は聞いておいて癖にさほど興味もなさそうに返す。
相変わらずその瞳に光は宿っていない。
「そういえば、明日のことは聞いてる?」
「何の話?」
「緊急でカラクリ討伐の要請が入ったんだよ」
「ずいぶん急な話ね」
通常、統花府からの討伐要請は数日前に来るはずなのだけれど……。
ここまで急遽な事は中々無い。
「この間行ったばかりじゃない」
「俺もそう言ったんだけどね。明日は俺と姫さん二人だけだから」
二人での討伐というのも珍しい。
稀な事は続くものだ。
「この件はくれぐれも内密に」
「なぜ?」
「御座からそう言われてるんだ。じゃあ、また明日」
そう言って巳影は足早に去ってしまった。
この時、もう少し深く考えていれば良かったなと後で後悔することになる。
**
「巳影はいつ神使になったの?」
道中、虎徹と澄の話を思い出し巳影に質問する。
問うて気が付いた。
巳影にとってあまり良いものでなかったらどうしようかと。
「俺は普通に祖父から引き継いだよ」
だからあっけらかんと話す彼に救われた。
「でも、そこからの訓練がキツかったかなあ」
「訓練?」
「そ。姫さんはもう力使いこなしちゃってるけどさ、俺は落ちこぼれだったから御座や他の神使にそれはそれはしごかれたんだよ」
昔を懐かしむような顔。
本当の彼の表情を見た気がした。
そんなことを話していたら、目的地の周辺に到着したようだった。
「ここ……」
内心私は動揺していた。
私が目を覚ました楼閣のすぐ近くだったからだ。
あれ以来、ここへは近づいていなかった。
「でもこの辺りも神域なのだからカラクリはいないんじゃ……?」
楼閣の鳥居をくぐったその時だった。
「ごめんね」
そう言うと、巳影は鋭い爪を自分の首筋に突き立てる。
「え!?」
そんな事したら怪我を……!
そんな私の考えとは別の動きを“それ”は見せた。
「うっ……!!」
赤い何かに鳥居へと身体を巻きつけられる。
これは……巳影の血……?
「悪く思わないでね」
巳影が表情一つ変えずにこちらに歩いてくる。
「俺は蛇の神使だからね、ついでに毒も注入できるけど……やる?」
私はブンブンと頭を振ると、今度こそ彼は表情を変える。
「ふふっ……」
その笑い声はとても低いものだった。
「はーあ、まんまと騙されてくれるんだもん。随分不用心だよね、お姫さま」
ドス黒い、負の感情。
私に向けられていると悟る。
「なん、で……?」
「なんでって、ここに居てもらっちゃ困るんだよ」
私の顎を乱暴に持ち上げる。
抵抗したくても、身体の自由が効かない今、なすすべが無い。
「今だったら、君に何をしたって構わないよね」
「っ……」
その長い指を私の首筋に這わせる。
抵抗する事も出来ない私は、彼をキツく睨みつける。
本当は優しい人だと思っていたのにーー。
「何その目」
私を見下ろすその瞳は氷の様に冷たかった。
「そうやって潤んだ瞳で睨みつければ許されると思ってるの?そんなとこまで一緒なんだ」
冷たい声色で私を捲し立てる。
一体何の話をしているんだ。
「ほんと、許せない」
苦々しく呟くと同時、私の唇に柔らかい衝撃が走る。
「んんっ……!!」
電流が流れたような甘い痺れ。
「………やっ…んっ」
「うるさい」
「………ん!」
私の中に侵入してくるソレは、私を逃さない様必死に絡めてくる。
彼の求めに比例して、思考がどんどん鈍くなる。
息を吸うのが追いつかず、意識を手放そうとしたその時だった。
「はあ……っ」
「これからが良いところなのに」
おもむろに唇を離す。
私は乱れた息を整えるので精一杯だった。
行為を問いだだそうとした、その時だった。
「巳影」
急な第三者の声に驚く。
その主は、息を切らした白緋だった。
「何故、ここが分かった」
「お前は彼女をここに連れてくるだろうと思ったからだ」
空気が冷たい。
「巳影。自分が何をしたか分かっているのか」
「分かってるも何も……」
そう言って彼は乾いた声で笑う。
「白緋には関係ないよね」
「……」
「お前は何も思わないわけ?」
明らかに白緋を攻撃している。
「彼女が居なくなって、その後釜にこの女が入り込んで我が物顔で居座って。何も感じないわけ?」
「……」
「俺は耐えられないよ」
すごく、苦しそうな顔だった。
彼の術が消える。
私の身体は解放されたがその場から動く事は出来ない。
「俺の姫は、八重だけだ」
そう呟いてからどれ位時間が経ったのだろう。
すごく長い時間にも思えるし、一瞬の出来事の様にも思う。
「はぁ、もういいや」
その空気を壊したのは、なんとも気の抜けた声だった。
「俺は神使を降りるよ」
「そんな事が許されると思っているのか」
「別に?俺の勝手でしょ」
そう言い残して、彼は瞬く間に闇夜に去っていった。
「はっ……」
「大丈夫か」
緊張が解けたせいで腰が抜けってしまった。
身体を支える様に白緋が手を貸す。
「どうして……あんな事……」
自分の指で唇をなぞる。
感触が、まだ残っている。
「何故、白緋がここへ……?」
「巳影の様子がおかしかったから。後を付けた」
「そう……」
「怖がらせて悪かった」
何故彼が謝るのだろう。
「怖くなんか」
私が怖がっている様に見えるのだろうか。
「怖くなんか…」
そんな訳がない。
「怖かったよぉ……っ」
身体が震える。
された行為自より、あんなに強い悪意を誰かから向けられた事に心が痛かった。
涙を拭う。
拭っても拭っても溢れ出して止まらない。
「ーーーっ」
長い指私の涙を掬う。
いきなりの感覚に私の身体が強張る。
「悪い」
申し訳なさそうに顔を背ける。
「お前の泣き顔は、あまり見たくない」
「……っ」
何を考えているか分からない顔。
貴方は今、何を考えているの?
「少し休んでいくか」
そう言って古都の塔に目をやる。
私もすぐに戻れるほどの体力は残っていなかったのでその言葉に甘えようと思った。
「立てるか?」
「平気」
手を差し出そうか戸惑う彼をよそに私は自分で立ち上がる。
今は誰にも頼る気にはなれなかった。
「行こう」
そう言って鳥居をくぐった直後だった。
「ーーーっ!!」
視界が歪む。
頭が割れるように痛い。
「おい!!!」
遠くに白緋の声が聞こえるーーー。
今日は散々な日だなぁ。
なんて呑気に思いながら、私は意識を手放した。
**
『ーーちゃんって言うのね』
『ーーちゃんが幸せでありますように!』
「……っは!!」
今の、何……?
「はぁ…はぁ…」
息を整え状況を整理する。
見覚えのある景色に、私は戻ってきたのだと悟る。
もしかして、巳影との出来事も夢だったのか……?
そう考え込んでいると、襖の向こうからドタドタとものすごく大きな足音が聞こえた。
「気がついた!!?」
血相を変えた澄がすごい勢いで襖を開ける。
何故目を覚ましたことが分かったのだろう。
「からだ大丈夫?」
こんなに眉毛が下がっている澄を見るのは初めてだ。
「白緋兄さんからきいたよ、たいへんだったね」
やっぱり夢じゃなかったんだ……。
胸の奥がズキと痛む。
巳影の苦しそうな表情が頭から離れない。
「まだゆっくり休んでてね!」
「ありがとう」
「ぼく、みんなに目を覚ましたこと伝えてくるよ!」
そう言って足早に部屋を出ていく。
一人になった部屋で私は考えを整理する。
『俺の姫は、八重だけだ』
巳影が口にした名前を思い出す。
「八重って、前任の桜ノ命……?」
度々話には出ていたが、名前を聞いたのは初めてだった。
『その後釜にこの女が入り込んで我が物顔で居座って。何も感じないわけ?』
巳影は私が桜ノ命になったのが許せないんだ。
それを気付きもせず皆のためとか言って……馬鹿みたい。
「どうしようかなぁ……」
辞める?
でも、辞めたら私は何処に行けばいい?
私は祈りの力が使えるからここにいるのに、
桜ノ命でもない私を誰が受け入れてくれるんだ。
ぐるぐると負の考えが頭を回る。
「今は、ここに居たくない」
私は身支度を整え、ここを出る準備をする。
別に出て行こうという訳ではない。
ただ、一人別の所で考えをまとめたかった。
それに今巳影とこの場所で鉢合わせたらものすごく気まずい。
私は最低限の荷物を持って宮の外を出た。
庭でぼんやりと桜を眺めていると後ろから声をかけられた。
「お陰様で」
「そう、良かった」
声の主、巳影は聞いておいて癖にさほど興味もなさそうに返す。
相変わらずその瞳に光は宿っていない。
「そういえば、明日のことは聞いてる?」
「何の話?」
「緊急でカラクリ討伐の要請が入ったんだよ」
「ずいぶん急な話ね」
通常、統花府からの討伐要請は数日前に来るはずなのだけれど……。
ここまで急遽な事は中々無い。
「この間行ったばかりじゃない」
「俺もそう言ったんだけどね。明日は俺と姫さん二人だけだから」
二人での討伐というのも珍しい。
稀な事は続くものだ。
「この件はくれぐれも内密に」
「なぜ?」
「御座からそう言われてるんだ。じゃあ、また明日」
そう言って巳影は足早に去ってしまった。
この時、もう少し深く考えていれば良かったなと後で後悔することになる。
**
「巳影はいつ神使になったの?」
道中、虎徹と澄の話を思い出し巳影に質問する。
問うて気が付いた。
巳影にとってあまり良いものでなかったらどうしようかと。
「俺は普通に祖父から引き継いだよ」
だからあっけらかんと話す彼に救われた。
「でも、そこからの訓練がキツかったかなあ」
「訓練?」
「そ。姫さんはもう力使いこなしちゃってるけどさ、俺は落ちこぼれだったから御座や他の神使にそれはそれはしごかれたんだよ」
昔を懐かしむような顔。
本当の彼の表情を見た気がした。
そんなことを話していたら、目的地の周辺に到着したようだった。
「ここ……」
内心私は動揺していた。
私が目を覚ました楼閣のすぐ近くだったからだ。
あれ以来、ここへは近づいていなかった。
「でもこの辺りも神域なのだからカラクリはいないんじゃ……?」
楼閣の鳥居をくぐったその時だった。
「ごめんね」
そう言うと、巳影は鋭い爪を自分の首筋に突き立てる。
「え!?」
そんな事したら怪我を……!
そんな私の考えとは別の動きを“それ”は見せた。
「うっ……!!」
赤い何かに鳥居へと身体を巻きつけられる。
これは……巳影の血……?
「悪く思わないでね」
巳影が表情一つ変えずにこちらに歩いてくる。
「俺は蛇の神使だからね、ついでに毒も注入できるけど……やる?」
私はブンブンと頭を振ると、今度こそ彼は表情を変える。
「ふふっ……」
その笑い声はとても低いものだった。
「はーあ、まんまと騙されてくれるんだもん。随分不用心だよね、お姫さま」
ドス黒い、負の感情。
私に向けられていると悟る。
「なん、で……?」
「なんでって、ここに居てもらっちゃ困るんだよ」
私の顎を乱暴に持ち上げる。
抵抗したくても、身体の自由が効かない今、なすすべが無い。
「今だったら、君に何をしたって構わないよね」
「っ……」
その長い指を私の首筋に這わせる。
抵抗する事も出来ない私は、彼をキツく睨みつける。
本当は優しい人だと思っていたのにーー。
「何その目」
私を見下ろすその瞳は氷の様に冷たかった。
「そうやって潤んだ瞳で睨みつければ許されると思ってるの?そんなとこまで一緒なんだ」
冷たい声色で私を捲し立てる。
一体何の話をしているんだ。
「ほんと、許せない」
苦々しく呟くと同時、私の唇に柔らかい衝撃が走る。
「んんっ……!!」
電流が流れたような甘い痺れ。
「………やっ…んっ」
「うるさい」
「………ん!」
私の中に侵入してくるソレは、私を逃さない様必死に絡めてくる。
彼の求めに比例して、思考がどんどん鈍くなる。
息を吸うのが追いつかず、意識を手放そうとしたその時だった。
「はあ……っ」
「これからが良いところなのに」
おもむろに唇を離す。
私は乱れた息を整えるので精一杯だった。
行為を問いだだそうとした、その時だった。
「巳影」
急な第三者の声に驚く。
その主は、息を切らした白緋だった。
「何故、ここが分かった」
「お前は彼女をここに連れてくるだろうと思ったからだ」
空気が冷たい。
「巳影。自分が何をしたか分かっているのか」
「分かってるも何も……」
そう言って彼は乾いた声で笑う。
「白緋には関係ないよね」
「……」
「お前は何も思わないわけ?」
明らかに白緋を攻撃している。
「彼女が居なくなって、その後釜にこの女が入り込んで我が物顔で居座って。何も感じないわけ?」
「……」
「俺は耐えられないよ」
すごく、苦しそうな顔だった。
彼の術が消える。
私の身体は解放されたがその場から動く事は出来ない。
「俺の姫は、八重だけだ」
そう呟いてからどれ位時間が経ったのだろう。
すごく長い時間にも思えるし、一瞬の出来事の様にも思う。
「はぁ、もういいや」
その空気を壊したのは、なんとも気の抜けた声だった。
「俺は神使を降りるよ」
「そんな事が許されると思っているのか」
「別に?俺の勝手でしょ」
そう言い残して、彼は瞬く間に闇夜に去っていった。
「はっ……」
「大丈夫か」
緊張が解けたせいで腰が抜けってしまった。
身体を支える様に白緋が手を貸す。
「どうして……あんな事……」
自分の指で唇をなぞる。
感触が、まだ残っている。
「何故、白緋がここへ……?」
「巳影の様子がおかしかったから。後を付けた」
「そう……」
「怖がらせて悪かった」
何故彼が謝るのだろう。
「怖くなんか」
私が怖がっている様に見えるのだろうか。
「怖くなんか…」
そんな訳がない。
「怖かったよぉ……っ」
身体が震える。
された行為自より、あんなに強い悪意を誰かから向けられた事に心が痛かった。
涙を拭う。
拭っても拭っても溢れ出して止まらない。
「ーーーっ」
長い指私の涙を掬う。
いきなりの感覚に私の身体が強張る。
「悪い」
申し訳なさそうに顔を背ける。
「お前の泣き顔は、あまり見たくない」
「……っ」
何を考えているか分からない顔。
貴方は今、何を考えているの?
「少し休んでいくか」
そう言って古都の塔に目をやる。
私もすぐに戻れるほどの体力は残っていなかったのでその言葉に甘えようと思った。
「立てるか?」
「平気」
手を差し出そうか戸惑う彼をよそに私は自分で立ち上がる。
今は誰にも頼る気にはなれなかった。
「行こう」
そう言って鳥居をくぐった直後だった。
「ーーーっ!!」
視界が歪む。
頭が割れるように痛い。
「おい!!!」
遠くに白緋の声が聞こえるーーー。
今日は散々な日だなぁ。
なんて呑気に思いながら、私は意識を手放した。
**
『ーーちゃんって言うのね』
『ーーちゃんが幸せでありますように!』
「……っは!!」
今の、何……?
「はぁ…はぁ…」
息を整え状況を整理する。
見覚えのある景色に、私は戻ってきたのだと悟る。
もしかして、巳影との出来事も夢だったのか……?
そう考え込んでいると、襖の向こうからドタドタとものすごく大きな足音が聞こえた。
「気がついた!!?」
血相を変えた澄がすごい勢いで襖を開ける。
何故目を覚ましたことが分かったのだろう。
「からだ大丈夫?」
こんなに眉毛が下がっている澄を見るのは初めてだ。
「白緋兄さんからきいたよ、たいへんだったね」
やっぱり夢じゃなかったんだ……。
胸の奥がズキと痛む。
巳影の苦しそうな表情が頭から離れない。
「まだゆっくり休んでてね!」
「ありがとう」
「ぼく、みんなに目を覚ましたこと伝えてくるよ!」
そう言って足早に部屋を出ていく。
一人になった部屋で私は考えを整理する。
『俺の姫は、八重だけだ』
巳影が口にした名前を思い出す。
「八重って、前任の桜ノ命……?」
度々話には出ていたが、名前を聞いたのは初めてだった。
『その後釜にこの女が入り込んで我が物顔で居座って。何も感じないわけ?』
巳影は私が桜ノ命になったのが許せないんだ。
それを気付きもせず皆のためとか言って……馬鹿みたい。
「どうしようかなぁ……」
辞める?
でも、辞めたら私は何処に行けばいい?
私は祈りの力が使えるからここにいるのに、
桜ノ命でもない私を誰が受け入れてくれるんだ。
ぐるぐると負の考えが頭を回る。
「今は、ここに居たくない」
私は身支度を整え、ここを出る準備をする。
別に出て行こうという訳ではない。
ただ、一人別の所で考えをまとめたかった。
それに今巳影とこの場所で鉢合わせたらものすごく気まずい。
私は最低限の荷物を持って宮の外を出た。
