灯花は凪と友達になってから気づいたことがいくつかあるようだ。
一つ目はめちゃくちゃ頭が良いということだ。凪の転校早々に行われた夏休み前のテストではほぼすべての教科にて満点を叩きだしたのだ。
ほぼすべてということは本当にすべての教科で満点だったわけではなく、一教科だけ満点ではなかった。それでも点数は九十八点。ほぼ満点である。
ちなみに点数にならなかった数学のテストの該当箇所は答えが間違っていたわけではなく、複雑な計算が必要なのだが、途中式を書かずしていきなり答えのみを書いたことがマイナス点となったようだ。
灯花は途中式を書いていないからといってマイナスにするなんて「小学校かよっ!」と思わずツッコミを入れたくなったようだが、凪自身はそれを悔しがっておらず、むしろ「あぁ、そっか」と何か自分の中で結論を出し、納得している様子であった。
本人がそれでいいのであれば、他人がとやかく言うことではないため、灯花が凪に対して何かを言うことはなかったが、灯花的にはもう少しくらい悔しがってもいいのではないかと思っていたようだ。しかし当の凪本人はというと若干嬉しそうにしているので、灯花の心の打ちとしては「意味がわからない」の一言に尽きるだろう。
二つ目は灯花以外にも友達がいるということだ。
これは灯花が元の学校の生徒と一緒にいるところを見たことがあるだとか、誰かと電話をしているところを見たことがあるだとかそういうことではない。
単にクラスメイトとすでに友達になっているという意味である。
クラスで灯花の次に凪の友達になったのは辰之だ。灯花と凪が教室で話しているのを見て興味を持ったようだ。とは言っても辰之は凪の転校初日から灯花に対し友達になりたい宣言をする凪のことをすでに面白いやつ認定をしていたようで、なんだかんだ話をしてみたかったようだ。
「お! ダーリンはもう凪くんと友達になったわけね。よかったじゃん凪くん! 友達になりたいって言ってたもんね」
「ダーリン言うなハニー」
灯花と辰之はいつもと同じような挨拶を終えると、灯花は凪に辰之のことを説明するために、辰之のことを指さしながら凪に目を向ける。
「凪、こいつは山内辰之。小学校からの親友で今はサッカー部引退間近の体力バカだ」
「おいおい親友だなんて照れるぜ」
辰之は少し恥ずかしそうにしながらも、嬉しそうに頬を右手の人差し指で掻く。灯花からの紹介に気分を良くした辰之はその勢いのまま凪に話かける。
「ダーリンの親友やってます。山内辰之です! よろしく」
そう言って差し出された手を凪は握り握手を交わす。
その時辰之は何か違和感を覚えたようだが、それを口にする前に凪が挨拶をする。
「よろしくお願いします。凪興大です。二人は……付き合ってるの?」
凪の挨拶はやはり端的なものであったが、今回は質問が付け加えられていた。あまりに唐突な質問に、二人は一瞬でフリーズした。
そんな凪からの質問の意味がわからず、固まる二人であったが凪は意図が伝わっていないことを察して、質問の補足を行う。
「えっと、ダーリンとかハニーとか言い合ってるから、てっきりお付き合いされている仲なのかと……。違いましたか?」
二人はそこで初めて凪の質問の意図をくみ取ると、灯花と辰之はお互いの顔を見合わせ吹き出すようにして笑い始めた。
「辰之と俺が付き合うって? ないないないない本当にない!」
「俺も灯花とだけは無理かも! 俺らはただ単に親友だよ」
「え、でもさっきダーリンとハニーとかって」
困惑する凪を尻目に、辰之は言葉を返す。
「なんだったら灯花のことお母さんって呼ぶときもあるぞ!」
「え? ど、どういうこと?」
「そういうコミュニケーションってだけだよ。簡単に言うとそう言い合ってふざけあってるだけってことだ」
それを聞いた凪は納得するように左手の掌に右手で作った拳を軽く叩きつけながら「あぁなるほど」と呟く。
それに対し辰之は「俺たちももう友達だから、こういったコミュニケーションも取っていくからな!」と言いながら凪の肩に腕を回す。
凪は友達から辰之のようなコミュニケーションを取られたことがないのか、数秒前の辰之のように恥ずかしそうにしながらもどこか嬉しそうな表情を浮かべていた。
そんな二人を見て、なんとなく面白くなさそうな視線を、灯花は凪に向ける。灯花は深呼吸のようなため息を吐いてから、しびれを切らして凪に呟くようにして彼に声を掛ける。
「興大」
突然名前を呼ばれた凪は少しだけビクついた態度を取るもすぐに「ど、どうしたの?」と蚊の鳴くような声でそう答えた。
「なんだよダーリン! 凪を取られて不機嫌マンか?」
「うるせーハニー。てか興大は俺と友達になりたいって言ってきたんだぞ!」
「でも俺と友達になりたくないなんて言われてませーん」
出来たばかりの友達をすぐに取られるのは癪だ、という灯花の無言の抵抗は、辰之の屁理屈によってあっさりと一蹴されてしまった。それどころか辰之は「灯花のやつ! 凪が自分以外と仲良くしてることが気に食わないらしいぞ! 嫉妬だぜ嫉妬!」と凪に灯花の心の内をばらすかのように教えた。
それを聞かされた凪は「だ、大丈夫です! 山内くんとも友達になれて嬉しいけど、一番は宮崎くんと友達になれたことが嬉しいです!」と思わず何が大丈夫何だとツッコミを入れたくなる発言をした。
それが変に思えて、灯花の心は落ち着きを取り戻した。
三つ目は凪は体育の授業には参加をしないということだ。
これは灯花や辰之含め、三年一組全員が凪の体操着に袖を通している姿を見ていないため一目瞭然であった。
とはいってもこの時期の体育は水泳である。そのため体育着ではなく水着姿になるのだが、それでも凪の水着姿を見たことある者はいない。
体育着であれば、まだ高校指定の体育着が届いていないだけで、届くまでは見学ということも考えられるが、私立梅ケ原高等学校には指定の水着というものは存在しない。一応売店にも水着は売られているためサイズさえ合えばすぐに購入することも可能だ。
それなのにも関わらず二、三日に一回はある体育の授業がすべて見学なのはきっと別の理由があるに違いないと灯花は考えていた。
プールサイドをデッキブラシで生真面目にゴシゴシと磨く凪を見て、灯花は水中から上がるとそのまま凪の元へと近づく。
「興大は暑くねーの?」
足元だけ濡れないようにと申し訳程度に裾を上げた状態で制服を着こんでいる凪に灯花は声を掛ける。
「暑いけど、僕運動出来ないから」
凪は一旦プールサイドを磨くのをやめ、灯花の顔を見ながらそう返事をした。
七月も中旬となり、夏の痛みを感じるほどの日光が照りつける中、水の中に入れることは男子学生にとってはいいことなのかもしれないが、肌を晒すという行為は女子生徒にとってきついものがあるのかもしれない。もしかすると凪は日光にあまり当たりたくないのではないかと考えたのだが、その考えは間違いであるとすぐにわかった。
凪の顔からプールの隅に置いてあるベンチに視線を変更すると、そこには日光に日焼けしたくないという理由で休んでいる女子生徒数名が片方の手で日傘を持ち、もう片方の手でハンディファンを自身の顔に当てている光景が目に入ったからだ。
「……日光アレルギーとか?」
灯花は違うとわかっていても、そう凪に質問をした。
「いや全然。仮に日光アレルギーだったら半袖なんて着てないよ。むしろ太陽は好きかな。暑いのはそんなに好きじゃないけどね」
「そっか。じゃあ身体の調子とか体力的な問題?」
「まあそんなところかな……」
なんだか歯切れの悪い回答をする凪であったが、それに対しこれではもし仮に凪が何かの病気を患っていた場合かなり失礼なことをしていると感じた灯花は咄嗟に「ごめん」と頭を下げる。
凪は灯花が何に対して謝っているのかを察したのだろう。「大丈夫、気にしてないよ」と優しい口調で声をかけた。
「それにしても暑いね。宮崎くんはプールの中に戻ったほうがいいんじゃない?」
「……あっ! 興大も入ろうぜ!」
灯花は何かいいことでも思いついたかのようなテンションでそう凪に告げた。
「いや僕は入れないから」
「足先だけなら大丈夫だろ?」
「う、運動しなければ……」
「おっけ! せんせー! 興大、足先だけプール入るのオッケーですか?」
灯花はプールの端でジャージに袖を通し、生徒に水泳の授業をするわけでも特定の生徒に指導をしているわけでもなく、ただ呆然とプールで自由に遊んでいる生徒を眺めている先生にそう声を掛けた。
「いいぞ」と絶対に状況もロクに確認せずに返事をしたであろう先生に言質を取ったことで、灯花は凪の腕を引いてプールへと引っ張る。
灯花は一度しゃがむと、凪の申し訳程度に捲っていた裾を膝上まで綺麗に折り返す。その最中、灯花は以前より気になっていたことを口にする。
「足細くね? ちゃんと食べてんの?」
「いや宮崎くんもだいぶ細いでしょ」
「それは……そうかもしれないけどさ。あ! 興大って身長いくつよ?」
「僕? 一七五センチだけど」
「マジか! 二センチ負けてんだけど! 体重は?」
自身と同じくらいの身長だと思っていた人物よりも二センチも小さかったことに落胆する灯花であったが、ならばと体重を持ち出してきた。
「体重か……。そう言えば最近計ってないかも」
凪は自身の顎に手を当てると、天を見上げ考え込んだ。
それに対し灯花は体重は「張り合うものでもないか」と自身の中で結論付けるとゆっくりとプールの中に入る。
「興大も! ほら!」
灯花は凪にプールサイドに座るように合図をし、それに従うように凪はプールサイドに腰を掛け、足だけプールに浸かる。足をいれた直後はその冷たさにびっくりしたのか、つま先だけ浸かってすぐに足を引き上げたのだが、何度かツンツンと温度を確かめるように水面を突き、水温に慣れてから膝下くらいまで一気に足を入れる。
「気持ちいいか?」
「うん、冷たい。気持ちいいよ!」
「だろ! 運動がダメでもこれくらいならいいだろ!」
「ありがとう。それにしても宮崎くんは意外と腹筋があるんだね」
「そうか?」
灯花は自身の腹を確認し、それを撫でながら「ただ細いから浮き出てるだけだろ?」と呟く。
それに対し「僕も細い方だとは思うけど、浮き出たりしてないよ」と凪はそう反論した。
「ダーリンに腹筋があるって、凪はもう少し周りを見たほうがいいんじゃないか?」
水面を強く波打ちながら辰之が二人の会話に入ってきた。
辰之はさすがは現役サッカー部と言わしめるほどの綺麗に六つに割れた腹筋を持ち合わせていた。
「山内くんすごいね!」
と辰之の腹筋を見た凪は声を荒げるかのようにそう口にした。
そんな状況が少しだけ楽しくないのか灯花は手で水鉄砲を作り、それを辰之の顔面目掛けて発射する。
「サッカー部の体力バカの腹筋と比べるな!」
辰之は顔面にかかった水を右手で顔を撫でるように拭く。
「冗談だって! でも本当に灯花も腹筋あるな。運動は全くしてないんだろ?」
「運動はしてないな。バイトで体を動かすくらいじゃないか?」
「え、宮崎くんアルバイトしてるの?」
そんな二人の掛け合いに混ざるようにして、凪は質問をした。
「そうなんだよ! ダーリンはガソリンスタンドでアルバイトしてるんだぜ! 俺もバイク買ったらお世話になろうかな」
「俺のシフトが入ってない日に来いよ」
「なんでだよ! そしたらダーリンの働いてる姿が見れねーじゃねーか!」
「見なくていいんだよ。友達がバイト先に来るのは若干恥ずいだろ! なぁ興大もそう思うだろ?」
灯花はそう口にすると凪に目を向ける。
そこには目を見開き、口は閉じておらず、暑さのせいかどうかわからない汗が額から頬を伝って流れており、明らかに誰がどう見ても動揺している凪の姿があった。
「お、おい! 大丈夫か?」
灯花のその掛け声に意識を取り戻したのか、数回の瞬きの後に「大丈夫、大丈夫」と凪はいつものように返事をするだけであった。
そんなタイミングで、先生から『そろそろ時間だから早めに上がるように』と指示が飛んだ。教室からプールまでは少しだけ距離があるため、このように早めに授業が終了することはしばしば存在する。そのため合図が先生から出てしまっては、灯花も辰之も凪にそれ以上の追及をすることは叶わず、プールからあがり着替えを済ませ教室に戻ることにした。
これらの三つのことに気が付いた灯花であったが、新たな疑問も生まれたようであった。
一つ目はめちゃくちゃ頭が良いということだ。凪の転校早々に行われた夏休み前のテストではほぼすべての教科にて満点を叩きだしたのだ。
ほぼすべてということは本当にすべての教科で満点だったわけではなく、一教科だけ満点ではなかった。それでも点数は九十八点。ほぼ満点である。
ちなみに点数にならなかった数学のテストの該当箇所は答えが間違っていたわけではなく、複雑な計算が必要なのだが、途中式を書かずしていきなり答えのみを書いたことがマイナス点となったようだ。
灯花は途中式を書いていないからといってマイナスにするなんて「小学校かよっ!」と思わずツッコミを入れたくなったようだが、凪自身はそれを悔しがっておらず、むしろ「あぁ、そっか」と何か自分の中で結論を出し、納得している様子であった。
本人がそれでいいのであれば、他人がとやかく言うことではないため、灯花が凪に対して何かを言うことはなかったが、灯花的にはもう少しくらい悔しがってもいいのではないかと思っていたようだ。しかし当の凪本人はというと若干嬉しそうにしているので、灯花の心の打ちとしては「意味がわからない」の一言に尽きるだろう。
二つ目は灯花以外にも友達がいるということだ。
これは灯花が元の学校の生徒と一緒にいるところを見たことがあるだとか、誰かと電話をしているところを見たことがあるだとかそういうことではない。
単にクラスメイトとすでに友達になっているという意味である。
クラスで灯花の次に凪の友達になったのは辰之だ。灯花と凪が教室で話しているのを見て興味を持ったようだ。とは言っても辰之は凪の転校初日から灯花に対し友達になりたい宣言をする凪のことをすでに面白いやつ認定をしていたようで、なんだかんだ話をしてみたかったようだ。
「お! ダーリンはもう凪くんと友達になったわけね。よかったじゃん凪くん! 友達になりたいって言ってたもんね」
「ダーリン言うなハニー」
灯花と辰之はいつもと同じような挨拶を終えると、灯花は凪に辰之のことを説明するために、辰之のことを指さしながら凪に目を向ける。
「凪、こいつは山内辰之。小学校からの親友で今はサッカー部引退間近の体力バカだ」
「おいおい親友だなんて照れるぜ」
辰之は少し恥ずかしそうにしながらも、嬉しそうに頬を右手の人差し指で掻く。灯花からの紹介に気分を良くした辰之はその勢いのまま凪に話かける。
「ダーリンの親友やってます。山内辰之です! よろしく」
そう言って差し出された手を凪は握り握手を交わす。
その時辰之は何か違和感を覚えたようだが、それを口にする前に凪が挨拶をする。
「よろしくお願いします。凪興大です。二人は……付き合ってるの?」
凪の挨拶はやはり端的なものであったが、今回は質問が付け加えられていた。あまりに唐突な質問に、二人は一瞬でフリーズした。
そんな凪からの質問の意味がわからず、固まる二人であったが凪は意図が伝わっていないことを察して、質問の補足を行う。
「えっと、ダーリンとかハニーとか言い合ってるから、てっきりお付き合いされている仲なのかと……。違いましたか?」
二人はそこで初めて凪の質問の意図をくみ取ると、灯花と辰之はお互いの顔を見合わせ吹き出すようにして笑い始めた。
「辰之と俺が付き合うって? ないないないない本当にない!」
「俺も灯花とだけは無理かも! 俺らはただ単に親友だよ」
「え、でもさっきダーリンとハニーとかって」
困惑する凪を尻目に、辰之は言葉を返す。
「なんだったら灯花のことお母さんって呼ぶときもあるぞ!」
「え? ど、どういうこと?」
「そういうコミュニケーションってだけだよ。簡単に言うとそう言い合ってふざけあってるだけってことだ」
それを聞いた凪は納得するように左手の掌に右手で作った拳を軽く叩きつけながら「あぁなるほど」と呟く。
それに対し辰之は「俺たちももう友達だから、こういったコミュニケーションも取っていくからな!」と言いながら凪の肩に腕を回す。
凪は友達から辰之のようなコミュニケーションを取られたことがないのか、数秒前の辰之のように恥ずかしそうにしながらもどこか嬉しそうな表情を浮かべていた。
そんな二人を見て、なんとなく面白くなさそうな視線を、灯花は凪に向ける。灯花は深呼吸のようなため息を吐いてから、しびれを切らして凪に呟くようにして彼に声を掛ける。
「興大」
突然名前を呼ばれた凪は少しだけビクついた態度を取るもすぐに「ど、どうしたの?」と蚊の鳴くような声でそう答えた。
「なんだよダーリン! 凪を取られて不機嫌マンか?」
「うるせーハニー。てか興大は俺と友達になりたいって言ってきたんだぞ!」
「でも俺と友達になりたくないなんて言われてませーん」
出来たばかりの友達をすぐに取られるのは癪だ、という灯花の無言の抵抗は、辰之の屁理屈によってあっさりと一蹴されてしまった。それどころか辰之は「灯花のやつ! 凪が自分以外と仲良くしてることが気に食わないらしいぞ! 嫉妬だぜ嫉妬!」と凪に灯花の心の内をばらすかのように教えた。
それを聞かされた凪は「だ、大丈夫です! 山内くんとも友達になれて嬉しいけど、一番は宮崎くんと友達になれたことが嬉しいです!」と思わず何が大丈夫何だとツッコミを入れたくなる発言をした。
それが変に思えて、灯花の心は落ち着きを取り戻した。
三つ目は凪は体育の授業には参加をしないということだ。
これは灯花や辰之含め、三年一組全員が凪の体操着に袖を通している姿を見ていないため一目瞭然であった。
とはいってもこの時期の体育は水泳である。そのため体育着ではなく水着姿になるのだが、それでも凪の水着姿を見たことある者はいない。
体育着であれば、まだ高校指定の体育着が届いていないだけで、届くまでは見学ということも考えられるが、私立梅ケ原高等学校には指定の水着というものは存在しない。一応売店にも水着は売られているためサイズさえ合えばすぐに購入することも可能だ。
それなのにも関わらず二、三日に一回はある体育の授業がすべて見学なのはきっと別の理由があるに違いないと灯花は考えていた。
プールサイドをデッキブラシで生真面目にゴシゴシと磨く凪を見て、灯花は水中から上がるとそのまま凪の元へと近づく。
「興大は暑くねーの?」
足元だけ濡れないようにと申し訳程度に裾を上げた状態で制服を着こんでいる凪に灯花は声を掛ける。
「暑いけど、僕運動出来ないから」
凪は一旦プールサイドを磨くのをやめ、灯花の顔を見ながらそう返事をした。
七月も中旬となり、夏の痛みを感じるほどの日光が照りつける中、水の中に入れることは男子学生にとってはいいことなのかもしれないが、肌を晒すという行為は女子生徒にとってきついものがあるのかもしれない。もしかすると凪は日光にあまり当たりたくないのではないかと考えたのだが、その考えは間違いであるとすぐにわかった。
凪の顔からプールの隅に置いてあるベンチに視線を変更すると、そこには日光に日焼けしたくないという理由で休んでいる女子生徒数名が片方の手で日傘を持ち、もう片方の手でハンディファンを自身の顔に当てている光景が目に入ったからだ。
「……日光アレルギーとか?」
灯花は違うとわかっていても、そう凪に質問をした。
「いや全然。仮に日光アレルギーだったら半袖なんて着てないよ。むしろ太陽は好きかな。暑いのはそんなに好きじゃないけどね」
「そっか。じゃあ身体の調子とか体力的な問題?」
「まあそんなところかな……」
なんだか歯切れの悪い回答をする凪であったが、それに対しこれではもし仮に凪が何かの病気を患っていた場合かなり失礼なことをしていると感じた灯花は咄嗟に「ごめん」と頭を下げる。
凪は灯花が何に対して謝っているのかを察したのだろう。「大丈夫、気にしてないよ」と優しい口調で声をかけた。
「それにしても暑いね。宮崎くんはプールの中に戻ったほうがいいんじゃない?」
「……あっ! 興大も入ろうぜ!」
灯花は何かいいことでも思いついたかのようなテンションでそう凪に告げた。
「いや僕は入れないから」
「足先だけなら大丈夫だろ?」
「う、運動しなければ……」
「おっけ! せんせー! 興大、足先だけプール入るのオッケーですか?」
灯花はプールの端でジャージに袖を通し、生徒に水泳の授業をするわけでも特定の生徒に指導をしているわけでもなく、ただ呆然とプールで自由に遊んでいる生徒を眺めている先生にそう声を掛けた。
「いいぞ」と絶対に状況もロクに確認せずに返事をしたであろう先生に言質を取ったことで、灯花は凪の腕を引いてプールへと引っ張る。
灯花は一度しゃがむと、凪の申し訳程度に捲っていた裾を膝上まで綺麗に折り返す。その最中、灯花は以前より気になっていたことを口にする。
「足細くね? ちゃんと食べてんの?」
「いや宮崎くんもだいぶ細いでしょ」
「それは……そうかもしれないけどさ。あ! 興大って身長いくつよ?」
「僕? 一七五センチだけど」
「マジか! 二センチ負けてんだけど! 体重は?」
自身と同じくらいの身長だと思っていた人物よりも二センチも小さかったことに落胆する灯花であったが、ならばと体重を持ち出してきた。
「体重か……。そう言えば最近計ってないかも」
凪は自身の顎に手を当てると、天を見上げ考え込んだ。
それに対し灯花は体重は「張り合うものでもないか」と自身の中で結論付けるとゆっくりとプールの中に入る。
「興大も! ほら!」
灯花は凪にプールサイドに座るように合図をし、それに従うように凪はプールサイドに腰を掛け、足だけプールに浸かる。足をいれた直後はその冷たさにびっくりしたのか、つま先だけ浸かってすぐに足を引き上げたのだが、何度かツンツンと温度を確かめるように水面を突き、水温に慣れてから膝下くらいまで一気に足を入れる。
「気持ちいいか?」
「うん、冷たい。気持ちいいよ!」
「だろ! 運動がダメでもこれくらいならいいだろ!」
「ありがとう。それにしても宮崎くんは意外と腹筋があるんだね」
「そうか?」
灯花は自身の腹を確認し、それを撫でながら「ただ細いから浮き出てるだけだろ?」と呟く。
それに対し「僕も細い方だとは思うけど、浮き出たりしてないよ」と凪はそう反論した。
「ダーリンに腹筋があるって、凪はもう少し周りを見たほうがいいんじゃないか?」
水面を強く波打ちながら辰之が二人の会話に入ってきた。
辰之はさすがは現役サッカー部と言わしめるほどの綺麗に六つに割れた腹筋を持ち合わせていた。
「山内くんすごいね!」
と辰之の腹筋を見た凪は声を荒げるかのようにそう口にした。
そんな状況が少しだけ楽しくないのか灯花は手で水鉄砲を作り、それを辰之の顔面目掛けて発射する。
「サッカー部の体力バカの腹筋と比べるな!」
辰之は顔面にかかった水を右手で顔を撫でるように拭く。
「冗談だって! でも本当に灯花も腹筋あるな。運動は全くしてないんだろ?」
「運動はしてないな。バイトで体を動かすくらいじゃないか?」
「え、宮崎くんアルバイトしてるの?」
そんな二人の掛け合いに混ざるようにして、凪は質問をした。
「そうなんだよ! ダーリンはガソリンスタンドでアルバイトしてるんだぜ! 俺もバイク買ったらお世話になろうかな」
「俺のシフトが入ってない日に来いよ」
「なんでだよ! そしたらダーリンの働いてる姿が見れねーじゃねーか!」
「見なくていいんだよ。友達がバイト先に来るのは若干恥ずいだろ! なぁ興大もそう思うだろ?」
灯花はそう口にすると凪に目を向ける。
そこには目を見開き、口は閉じておらず、暑さのせいかどうかわからない汗が額から頬を伝って流れており、明らかに誰がどう見ても動揺している凪の姿があった。
「お、おい! 大丈夫か?」
灯花のその掛け声に意識を取り戻したのか、数回の瞬きの後に「大丈夫、大丈夫」と凪はいつものように返事をするだけであった。
そんなタイミングで、先生から『そろそろ時間だから早めに上がるように』と指示が飛んだ。教室からプールまでは少しだけ距離があるため、このように早めに授業が終了することはしばしば存在する。そのため合図が先生から出てしまっては、灯花も辰之も凪にそれ以上の追及をすることは叶わず、プールからあがり着替えを済ませ教室に戻ることにした。
これらの三つのことに気が付いた灯花であったが、新たな疑問も生まれたようであった。



