「俺さ、ドナー登録してきた。もしものときのために免許証の裏面にも臓器提供の意思があることを書いたよ」そう告げ、今朝取得したばかりの免許証の裏面を母親に見せながら――宮崎灯花は力なく俯いたままだった。
灯花は、半年前父親が心臓病で亡くなってからは母親とはろくに目も合わせていない。だからといって何かしら喧嘩をしているとか、思春期だからとかそういう理由で目を合わせないのではなく、ただなんとなく父親を亡くしてからの母親は無理に明るく振る舞っているように見えて、それを直視できなかっただけなのだろう。
現代においてマイナンバーカードさえあれば本人確認書類として機能するし、臓器提供する意思表示の項目も存在している。しかし高校三年生である灯花のマイナンバーは無くしてはいけないと常に自宅の金庫に保管されており、緊急時にすぐに使用することができない。
自宅の金庫には父親のマイナンバーカードも保管されており、そこには母親の「もう何も失いたくない」という痛々しいほどの想いが透けて見えた。
そんな母親の想いを無下にしてまでマイナンバーを持ち歩きたいとは言い出せない灯花は、自分の身に何かがあったときのために臓器提供する意思表示があることを伝えるため、免許証を取得したのだ。
とは言ったものの理由はそれだけではないようで、家にいれば嫌でも無理に笑う母親を見なければならず、それならばと始めたアルバイトで貯めたお金の使い道でもあったわけだ。運転することが目的ではなく、あくまで臓器提供をする意思表示があることを伝えるために取得した免許証。取るのにはそれなりに時間もかかったし、アルバイトで貯めたお金の大半を使う羽目になったが、目的を達成した灯花には、確かな満足感があった。
シンクに蛇口から水滴が落ちる音が聞こえるほど小さなリビングで灯花の話を聞いた母親である――宮崎友枝は水滴の音にかき消されるくらいの声量で「そう……」とだけ呟いた。
普段は明るく振る舞っている友枝も息子の想いに気づき、どんな反応をするのが正解なのかわからないようだ。高校二年の秋という、多感で大事な時期に父親を亡くした息子が、半年経ってどんな未来を歩もうとするのか、友枝には想像もついていなかったからだ。
よくあるお話と言ったら聞こえが悪いかもしれないが、父親と同じ病気の人を救いたいと考え医者を志す者もいることだろう。
しかし灯花の出した答えは病気を治すために医者になるのではなく、もしものために自分ができることとして臓器提供をするという選択だった。
友枝は臓器提供をするという意思表示にどれだけの覚悟が必要かを知っている。現に夫である――宮崎朝陽が心臓病で苦しんでいるときでさえ、適合する者が見つからなかった。これはドナー登録の存在を知っている人が少ないとかそういう問題ではなく、臓器提供をする覚悟がどれだけあるという問題だと感じているようで、友枝自身も朝陽と同じ境遇にいる誰かを助けたいという想いはありつつも、マイナンバーも免許証の臓器提供意思表示の項目は空欄のままだ。
自分には「すごい」や「よくやった」「素晴らしいことよ」なんて言葉をかける資格は無いと友枝自身は悟っているようで、力なく「そう……」と応えるのが精一杯な様子だ。
「お母さん、今から買い物に行ってくるわね」
「わかった。俺も今からバイトあるから。帰りは十九時くらいだと思う」
「夜はまだ暗いから、気をつけなさいね」
「うん。お母さんも気をつけて」
高校三年生の春。夜はまだ若干の肌寒さを感じる気温まで下がる。
灯花は少し厚めのカーディガンに袖を通し、大きな音を立てないように気を配りながら玄関の扉を開け、アルバイト先であるガソリンスタンドに歩いて向かう。
灯花は、半年前父親が心臓病で亡くなってからは母親とはろくに目も合わせていない。だからといって何かしら喧嘩をしているとか、思春期だからとかそういう理由で目を合わせないのではなく、ただなんとなく父親を亡くしてからの母親は無理に明るく振る舞っているように見えて、それを直視できなかっただけなのだろう。
現代においてマイナンバーカードさえあれば本人確認書類として機能するし、臓器提供する意思表示の項目も存在している。しかし高校三年生である灯花のマイナンバーは無くしてはいけないと常に自宅の金庫に保管されており、緊急時にすぐに使用することができない。
自宅の金庫には父親のマイナンバーカードも保管されており、そこには母親の「もう何も失いたくない」という痛々しいほどの想いが透けて見えた。
そんな母親の想いを無下にしてまでマイナンバーを持ち歩きたいとは言い出せない灯花は、自分の身に何かがあったときのために臓器提供する意思表示があることを伝えるため、免許証を取得したのだ。
とは言ったものの理由はそれだけではないようで、家にいれば嫌でも無理に笑う母親を見なければならず、それならばと始めたアルバイトで貯めたお金の使い道でもあったわけだ。運転することが目的ではなく、あくまで臓器提供をする意思表示があることを伝えるために取得した免許証。取るのにはそれなりに時間もかかったし、アルバイトで貯めたお金の大半を使う羽目になったが、目的を達成した灯花には、確かな満足感があった。
シンクに蛇口から水滴が落ちる音が聞こえるほど小さなリビングで灯花の話を聞いた母親である――宮崎友枝は水滴の音にかき消されるくらいの声量で「そう……」とだけ呟いた。
普段は明るく振る舞っている友枝も息子の想いに気づき、どんな反応をするのが正解なのかわからないようだ。高校二年の秋という、多感で大事な時期に父親を亡くした息子が、半年経ってどんな未来を歩もうとするのか、友枝には想像もついていなかったからだ。
よくあるお話と言ったら聞こえが悪いかもしれないが、父親と同じ病気の人を救いたいと考え医者を志す者もいることだろう。
しかし灯花の出した答えは病気を治すために医者になるのではなく、もしものために自分ができることとして臓器提供をするという選択だった。
友枝は臓器提供をするという意思表示にどれだけの覚悟が必要かを知っている。現に夫である――宮崎朝陽が心臓病で苦しんでいるときでさえ、適合する者が見つからなかった。これはドナー登録の存在を知っている人が少ないとかそういう問題ではなく、臓器提供をする覚悟がどれだけあるという問題だと感じているようで、友枝自身も朝陽と同じ境遇にいる誰かを助けたいという想いはありつつも、マイナンバーも免許証の臓器提供意思表示の項目は空欄のままだ。
自分には「すごい」や「よくやった」「素晴らしいことよ」なんて言葉をかける資格は無いと友枝自身は悟っているようで、力なく「そう……」と応えるのが精一杯な様子だ。
「お母さん、今から買い物に行ってくるわね」
「わかった。俺も今からバイトあるから。帰りは十九時くらいだと思う」
「夜はまだ暗いから、気をつけなさいね」
「うん。お母さんも気をつけて」
高校三年生の春。夜はまだ若干の肌寒さを感じる気温まで下がる。
灯花は少し厚めのカーディガンに袖を通し、大きな音を立てないように気を配りながら玄関の扉を開け、アルバイト先であるガソリンスタンドに歩いて向かう。



