龍王の花嫁 ~記憶を失くした私を夫が百年待っていました~

私はその場に膝をつく。
「志穂!」
白龍の声が聞こえる。
でも今は答えられない。
記憶が止まらない。
百年前。
龍界。
今よりずっと美しかった頃。
私は王座の前に立っていた。
黒姫として。
龍王女として。
そして、一人の女性として。
神殿の外では龍たちが泣いている。
誰も契約に賛成していなかった。
けれども、私は知っていた。
これしか方法がないことを。
「黒姫様」
呼ぶ声。
振り返る。
白龍だった。
若い。
今より少し幼い。
けれども、その瞳だけは変わらない。
真っ直ぐ私を見ていた。
「行かないでください」
私は笑った。
その顔を見たくなかった。
泣きそうだったから。
「白龍」
優しく呼ぶ。
「大丈夫ですよ」
すると白龍の表情が歪む。
「その言葉は嫌いです」
私は目を丸くした。
白龍が怒ることなど滅多にない。
「大丈夫じゃない。全然大丈夫じゃない」
震える声。
「あなたがいなくなるのに、どうしてそんな顔で笑うんですか」
胸が痛んだ。
今でもその時の顔を覚えている。
私は彼に近づく。
そして頬に触れた。
「白龍」
彼は俯く。
「待っていてください」
その言葉に白龍の身体が止まる。
「必ず戻ります」
私はそう言った。
本気だった。
嘘ではなかった。
絶対に帰るつもりだった。
何十年かかっても。
何百年かかっても。
もう一度会うつもりだった。
白龍は長い間黙っていた。
やがて小さく口を開く。
「何年でも待ちます」
私は微笑む。
すると彼は続けた。
「何百年でも」
涙が落ちる。
白龍が泣いていた。
今まで一度も見たことがなかった。
龍界最強の龍王が、子供のように泣いていた。
「だから」
彼は震える声で言う。
「必ず帰ってきてください」
私は頷いた。
「約束します」
そして、契約が始まった。
記憶が終わる。
私は現実へ戻る。
気付けば涙が止まらなかった。
白龍も泣いていた。
百年前と同じように。
私は立ち上がり、ゆっくり白龍の前へ歩く。
彼は動かない。
動けない。
私はそっと手を伸ばした。
百年前、最後に触れた時と同じように頬へ触れる。
白龍が眼を見開く。
「お待たせしました」
龍界中が静まり返る。
私は微笑む。
涙を流しながら。
「帰ってきました」
白龍の瞳から涙が零れる。
百年。
長かった。
誰よりも長かった。
そして、ようやく約束が果たされた。
その瞬間だった。
「娘ちゃあああああん!!!!!」
空気が吹き飛んだ。
轟音とともに黒龍が飛び込んでくる。
「記憶戻ったかあああ!! 熱はないか!? 飯は食ったか!? 白龍!泣かせたな!?」
白龍が静かに言う。
「今は感動の場面です」
「そんなの後でいい!!」
黒龍は私を抱きしめた。
思い切り。
潰れそうなくらい。
「良かったぁぁぁ……」
声が震えていた。
黒龍も泣いていた。
私は思わず笑う。
百年前の約束は果たされた。
けれどもまだ終わりじゃない。
次は未来の約束を果たす番だった。
龍王の求婚が始まろうとしていた。