龍王の花嫁 ~記憶を失くした私を夫が百年待っていました~

龍界中の視線が集まっていた。
白龍王は片膝をついたまま、私を見上げている。
差し出された手。
百年前に交わせなかった約束。
百年間待ち続けた想い。
その全てが込められていた。
私の胸が熱くなる。
泣きそうだった。
けれども今は、ちゃんと伝えたかった。
逃げずに。
自分の言葉で。
「龍王様」
白龍王が微笑む。
「はい」
「ずっと待っていてくれたんですね」
「待つと決めたのは私です」
その答えが白龍王らしかった。
責めることもない。
後悔を押しつけることもない。
ただ静かに事実を告げる。
私は小さく笑った。
「私、思い出したんです」
「ええ」
「黒姫だった頃のことも」
「はい」
「約束したことも」
白龍王の瞳が揺れる。
私は一歩近づいた。
「でも」
広場が静まり返る。
「私は黒姫だけじゃありません」
龍族たちが息を呑む。
「杉本志穂でもあります」
父とのこと。
孤独だった学生時代。
龍が見えるせいで信じてもらえなかった日々。
小さな白龍と過ごした時間。
全部、自分だった。
「人間界で生きてきた十九年間も」
「苦しかったことも」
「嬉しかったことも」
「全部大切なんです」
白龍王は静かに聞いている。
否定しない。
急かさない。
それが嬉しかった。
「だから」
私は真っ直ぐ見つめ返した。
「私は黒姫として生き直すんじゃありません」
右腕の龍紋が輝く。
「杉本志穂として未来を選びます」
風が吹いた。
白龍王の髪が揺れる。
そして、私はそっと手を伸ばした。
差し出された手を握る。
温かかった。
ずっと昔から知っている温もりだった。
「龍王様」
「はい」
「私と結婚してください」
一瞬。
白龍王が固まった。
龍族たちも固まった。
そして次の瞬間。
「うおおおおおおおおお!」
闇龗神の絶叫が響いた。
「娘が嫁に行くぅぅぅぅ!」
「義父上、落ち着いてください」
「落ち着けるか!」
広場が爆笑に包まれる。
張り詰めていた空気が一気に和らいだ。
白龍王は額を押さえていた。
珍しく困った顔をしている。
だが、その口元は確かに笑っていた。
「こちらこそ」
白龍王は私の手を包み込む。
「私と結婚してください」
今度こそ。
二人は同じ未来を選んだ。
◇◇◇
その時だった。
空が光る。
契約管理者が前へ出た。
「静粛に」
一瞬で広場が静まる。
神々しい威圧感が広がった。
「これより龍王婚姻契約の最終審査を行う」
巨大な魔法陣が出現する。
空一面を覆うほどの大きさだった。
龍族たちがどよめく。
「婚姻契約は龍界最高位契約」
契約管理者の声が響く。
「単なる結婚ではない」
黄金の文字が空中を流れていく。
「龍王と女王は龍界そのものと契約する」
私は息を呑んだ。
「つまり」
契約管理者が続ける。
「一方が滅べば契約も傷付く」
「一方が闇に堕ちれば龍界も傷付く」
「互いを支え続ける覚悟が必要となる」
白龍王は迷わなかった。
「承知しております」
契約管理者は私を見る。
「黒姫」
私は少しだけ考えた。
以前の自分なら怖かっただろう。
責任が重すぎる。
失敗したらどうしよう。
そんなことばかり考えていたはずだ。
でも今は違う。
全部一人で背負う必要はない。
隣にいる人がいる。
支えてくれる人たちがいる。
だから。
「承知しています」
迷いなく答えた。
契約管理者が頷く。
「ならば問う」
空が震える。
「何のために契約する」
白龍王が答える。
「愛する人を守るためです」
契約管理者は私を見る。
「黒姫」
私は深く息を吸った。
そして答える。
「龍と人間の未来を繋ぐためです」
その瞬間。
契約陣が眩く輝いた。
轟音が響く。
空を覆う雲が割れる。
黄金の光が降り注ぐ。
「承認」
契約管理者が宣言した。
「龍界最高位婚姻契約を認可する」
歓声が爆発した。
龍たちが空へ飛び立つ。
祝福の雨が降る。
花びらのような光が舞う。
「おめでとうございます!」
「女王陛下!」
「龍王陛下!」
私は思わず笑った。
こんなにも大勢に祝福される日が来るなんて思わなかった。
孤独だった少女はもういない。
居場所を見つけたから。
帰る場所を見つけたから。
契約管理者が静かに告げる。
「七日後」
広場が再び静まる。
「龍界全土にて婚礼を執り行う」
龍族たちが歓声を上げる。
「その日をもって」
契約管理者は高らかに宣言した。
「黒姫は正式に龍界女王となる」
私は白龍王を見た。
白龍王もこちらを見ている。
二人は自然と笑い合った。
百年前には辿り着けなかった未来。
ようやく掴んだ幸せ。
そして、本当の物語はここから始まる。
龍界最大の祝祭。
龍王と女王の婚礼が。
もうすぐ始まろうとしていた。