黒い龍が咆哮した。
轟音が神殿全体を揺らす。
湖の水面が荒れ狂い、巨大な波が立ち上がった。
私は息を呑む。
目の前にいるのは敵ではない。
分かっていた。
この存在は白龍王の憎しみではない。
絶望だ。
百年間抱え続けた悲しみ。
失った痛み。
守れなかった後悔。
その全てが形になったものだった。
『黒姫……』
黒い龍が低く唸る。
『なぜ……』
その声は苦しそうだった。
『なぜ置いていった……』
私の胸が締め付けられる。
契約管理者が前に出る。
「下がれ」
神気が広がる。
黒龍も構えた。
『危険だ』
だが、私は首を振った。
「嫌です」
「志穂」
「この人は敵じゃない」
契約管理者が眉をひそめる。
「理性を失っている」
「それでもです」
私は一歩前へ出た。
怖い。
本当に震えそうだった。
けれども逃げたくなかった。
これまでずっとそうだった。
龍が見えても。
信じてもらえなくても。
苦しくても。
いつも誰かが守ってくれた。
小さな白龍。
白龍王。
黒龍。
国之常立神。
闇龗神。
みんなが支えてくれた。
だから今度は。
自分が向き合う番だった。
『来るな』
黒い龍が唸る。
『消えてしまえ』
神殿が揺れる。
闇が広がる。
それでも私は止まらない。
一歩。
また一歩。
近付いていく。
契約管理者も黒龍も驚いていた。
『何をしている』
黒龍が叫ぶ。
『危険だ!』
私は振り返らない。
そして黒い龍の前まで来た。
巨大な瞳。
その奥に見えたのは怒りではなかった。
悲しみだった。
ただ。
どうしようもなく悲しんでいるだけだった。
私は手を伸ばした。
黒い鱗に触れる。
冷たかった。
『触れるな!』
黒い龍が叫ぶ。
だが私は離さない。
「ごめんなさい」
その言葉に。
黒い龍が止まった。
「一人にしてしまって」
静寂が落ちる。
「ごめんなさい」
私の目から涙が零れる。
「寂しかったですよね」
『……』
「苦しかったですよね」
『……』
「ずっと待っていてくれたのに」
黒い龍の瞳が揺れた。
百年間。
誰にも言えなかった言葉。
誰にも聞いてもらえなかった感情。
それが少しずつ溢れていく。
『帰ってこないと思った』
震える声。
『また会えないと思った』
私は頷く。
「うん」
『怖かった』
「うん」
『忘れられたと思った』
私は首を振った。
「忘れていません」
本当は覚えていなかった。
けれども。
心は覚えていた。
ずっと。
ずっと。
忘れたことなんてなかった。
「私は帰ってきました」
黒い龍の瞳から光が零れる。
涙だった。
龍も泣くのだと初めて知った。
『黒姫……』
その瞬間。
私の右腕の痣が輝いた。
神殿が震える。
封印されていた最後の記憶が解放される。
◇◇◇
桜が舞う。
湖のほとり。
黒姫が笑っている。
白龍王がいる。
龍族たちがいる。
皆が笑っている。
温かい場所。
帰りたい場所。
守りたい場所。
黒姫は振り返る。
その顔が私を見る。
『あなたに託します』
優しい声だった。
『未来を』
光が弾けた。
◇◇◇
私は目を開く。
全てを思い出した。
黒姫として生きた日々。
龍界。
白龍王。
龍族たち。
別れの日。
約束。
全部。
全部。
覚えている。
「私は……」
ゆっくり立ち上がる。
涙を拭く。
そして真っ直ぐ前を見る。
「黒姫です」
その瞬間。
神殿全体に光が満ちた。
黒い龍が崩れていく。
闇が浄化されていく。
『黒姫』
今度の声は穏やかだった。
黒い龍が微笑む。
そして光になる。
百年間の絶望が消えていく。
私は手を伸ばした。
「龍王様」
光が指先をすり抜ける。
温かかった。
まるで抱き締められているようだった。
やがて最後の光も消える。
静寂。
そして、契約管理者が跪いた。
「……なるほど」
私は驚く。
さらに黒龍も膝をつく。
『見事だ』
神殿中の龍族たちの幻影が現れる。
皆が跪いていた。
『黒姫様』
『女王陛下』
『お帰りなさいませ』
私は息を呑む。
だが、以前とは違った。
もう戸惑わない。
逃げない。
俯かない。
自分が何者なのか知ったから。
契約管理者が静かに問う。
「黒姫」
「はい」
「契約者となった後、お前は何を望む」
私は少しだけ考えた。
そして答える。
「私は」
言葉が自然と出てきた。
「龍と人間の架け橋になります」
契約管理者は黙って聞いている。
「人間界にも龍界にも居場所のない人がいる」
「昔の私みたいに」
私は拳を握る。
「だから作りたいんです」
「どちらも繋がる未来を」
神殿が静かに光る。
湖の心臓が共鳴した。
契約管理者が初めて微笑んだ。
「合格だ」
その言葉と同時に。
巨大な契約陣が出現する。
神代文字が空を埋め尽くした。
「これより最終契約を執行する」
神殿が震える。
世界が共鳴する。
そして契約管理者は告げた。
「最後の試練は龍界そのものだ」
私は顔を上げる。
「龍界……?」
「女王として認めるか否か」
「全龍族による審判を受けよ」
その瞬間。
巨大な光の門が開いた。
向こう側には龍界の王都が見える。
無数の龍族。
八大龍王。
白龍王。
国之常立神。
闇龗神。
全員が待っている。
女王としての最後の試練が。
今、始まろうとしている。
轟音が神殿全体を揺らす。
湖の水面が荒れ狂い、巨大な波が立ち上がった。
私は息を呑む。
目の前にいるのは敵ではない。
分かっていた。
この存在は白龍王の憎しみではない。
絶望だ。
百年間抱え続けた悲しみ。
失った痛み。
守れなかった後悔。
その全てが形になったものだった。
『黒姫……』
黒い龍が低く唸る。
『なぜ……』
その声は苦しそうだった。
『なぜ置いていった……』
私の胸が締め付けられる。
契約管理者が前に出る。
「下がれ」
神気が広がる。
黒龍も構えた。
『危険だ』
だが、私は首を振った。
「嫌です」
「志穂」
「この人は敵じゃない」
契約管理者が眉をひそめる。
「理性を失っている」
「それでもです」
私は一歩前へ出た。
怖い。
本当に震えそうだった。
けれども逃げたくなかった。
これまでずっとそうだった。
龍が見えても。
信じてもらえなくても。
苦しくても。
いつも誰かが守ってくれた。
小さな白龍。
白龍王。
黒龍。
国之常立神。
闇龗神。
みんなが支えてくれた。
だから今度は。
自分が向き合う番だった。
『来るな』
黒い龍が唸る。
『消えてしまえ』
神殿が揺れる。
闇が広がる。
それでも私は止まらない。
一歩。
また一歩。
近付いていく。
契約管理者も黒龍も驚いていた。
『何をしている』
黒龍が叫ぶ。
『危険だ!』
私は振り返らない。
そして黒い龍の前まで来た。
巨大な瞳。
その奥に見えたのは怒りではなかった。
悲しみだった。
ただ。
どうしようもなく悲しんでいるだけだった。
私は手を伸ばした。
黒い鱗に触れる。
冷たかった。
『触れるな!』
黒い龍が叫ぶ。
だが私は離さない。
「ごめんなさい」
その言葉に。
黒い龍が止まった。
「一人にしてしまって」
静寂が落ちる。
「ごめんなさい」
私の目から涙が零れる。
「寂しかったですよね」
『……』
「苦しかったですよね」
『……』
「ずっと待っていてくれたのに」
黒い龍の瞳が揺れた。
百年間。
誰にも言えなかった言葉。
誰にも聞いてもらえなかった感情。
それが少しずつ溢れていく。
『帰ってこないと思った』
震える声。
『また会えないと思った』
私は頷く。
「うん」
『怖かった』
「うん」
『忘れられたと思った』
私は首を振った。
「忘れていません」
本当は覚えていなかった。
けれども。
心は覚えていた。
ずっと。
ずっと。
忘れたことなんてなかった。
「私は帰ってきました」
黒い龍の瞳から光が零れる。
涙だった。
龍も泣くのだと初めて知った。
『黒姫……』
その瞬間。
私の右腕の痣が輝いた。
神殿が震える。
封印されていた最後の記憶が解放される。
◇◇◇
桜が舞う。
湖のほとり。
黒姫が笑っている。
白龍王がいる。
龍族たちがいる。
皆が笑っている。
温かい場所。
帰りたい場所。
守りたい場所。
黒姫は振り返る。
その顔が私を見る。
『あなたに託します』
優しい声だった。
『未来を』
光が弾けた。
◇◇◇
私は目を開く。
全てを思い出した。
黒姫として生きた日々。
龍界。
白龍王。
龍族たち。
別れの日。
約束。
全部。
全部。
覚えている。
「私は……」
ゆっくり立ち上がる。
涙を拭く。
そして真っ直ぐ前を見る。
「黒姫です」
その瞬間。
神殿全体に光が満ちた。
黒い龍が崩れていく。
闇が浄化されていく。
『黒姫』
今度の声は穏やかだった。
黒い龍が微笑む。
そして光になる。
百年間の絶望が消えていく。
私は手を伸ばした。
「龍王様」
光が指先をすり抜ける。
温かかった。
まるで抱き締められているようだった。
やがて最後の光も消える。
静寂。
そして、契約管理者が跪いた。
「……なるほど」
私は驚く。
さらに黒龍も膝をつく。
『見事だ』
神殿中の龍族たちの幻影が現れる。
皆が跪いていた。
『黒姫様』
『女王陛下』
『お帰りなさいませ』
私は息を呑む。
だが、以前とは違った。
もう戸惑わない。
逃げない。
俯かない。
自分が何者なのか知ったから。
契約管理者が静かに問う。
「黒姫」
「はい」
「契約者となった後、お前は何を望む」
私は少しだけ考えた。
そして答える。
「私は」
言葉が自然と出てきた。
「龍と人間の架け橋になります」
契約管理者は黙って聞いている。
「人間界にも龍界にも居場所のない人がいる」
「昔の私みたいに」
私は拳を握る。
「だから作りたいんです」
「どちらも繋がる未来を」
神殿が静かに光る。
湖の心臓が共鳴した。
契約管理者が初めて微笑んだ。
「合格だ」
その言葉と同時に。
巨大な契約陣が出現する。
神代文字が空を埋め尽くした。
「これより最終契約を執行する」
神殿が震える。
世界が共鳴する。
そして契約管理者は告げた。
「最後の試練は龍界そのものだ」
私は顔を上げる。
「龍界……?」
「女王として認めるか否か」
「全龍族による審判を受けよ」
その瞬間。
巨大な光の門が開いた。
向こう側には龍界の王都が見える。
無数の龍族。
八大龍王。
白龍王。
国之常立神。
闇龗神。
全員が待っている。
女王としての最後の試練が。
今、始まろうとしている。

