神殿の奥に現れた巨大な扉。
それはまるで千年分の記憶を閉じ込めているかのようだった。
黒い石で作られた重厚な扉の中央には、一頭の龍と一人の姫が向かい合う紋章が刻まれている。
私の右腕の痣が熱を帯びた。
「これは……」
「黒姫の記憶庫だ」
契約管理者が静かに告げる。
「本来ならば、女王以外は立ち入れない場所」
その言葉に私は息を呑んだ。
「では、私が……」
「そうだ」
契約管理者は頷く。
「お前が黒姫だからこそ開く」
重い沈黙が落ちる。
私は扉を見つめた。
怖い。
中に何があるのか分からない。
知りたい。
でも知るのが怖い。
そんな矛盾した感情が胸を満たしていた。
『行くのか』
黒龍が尋ねる。
私は小さく息を吐いた。
「行きます」
そして扉に手を触れた。
瞬間。
世界が白く染まった。
◇◇◇
桜が咲いている。
満開だった。
風が吹くたび花びらが舞う。
その中央に少女がいる。
黒髪。
白い着物。
穏やかな笑顔。
私は一目で分かった。
黒姫だ。
今の自分とよく似ている。
けれども。
どこか違う。
もっと堂々としていて。
もっと強い。
湖のほとりで黒姫が笑っている。
その向かいには白龍王がいた。
今より少し若い姿だった。
「また来てくださったのですね」
「あなたに会いたかった」
白龍王が言う。
その声は今と同じだった。
優しくて。
少し不器用で。
愛情に満ちている。
黒姫が笑う。
「龍王様は忙しいでしょう?」
「あなたより大切なものはありません」
即答だった。
黒姫が吹き出す。
「またそんなことを」
「事実です」
私は思わず顔を赤くした。
甘い。
想像以上に甘い。
昔からこうだったのか。
白龍王は。
景色が変わる。
今度は龍界だった。
巨大な宮殿。
跪く龍族たち。
その中央に立つ黒姫。
『女王陛下』
『黒姫様』
誰もが敬意を向けている。
私は驚いた。
今まで聞いていた以上だった。
黒姫は本当に愛されていた。
龍族の誰もが。
彼女を慕っている。
景色が再び変わる。
会議室。
そこには白龍王と国之常立神がいた。
珍しく国之常立神の顔が険しい。
「反対です」
冷たい声。
「人間界との交流を広げるべきではありません」
黒姫が首を傾げる。
「なぜですか」
「危険だからです」
国之常立神は即答する。
「人は変わりやすい」
「龍を利用しようとする者もいる」
「争いの火種になります」
黒姫はしばらく考える。
だが、静かに言った。
「それでも」
「私は橋になりたいのです」
私の胸が大きく鳴った。
同じ言葉だった。
契約管理者に言った言葉と。
まったく同じ。
「龍と人」
「分かり合えるはずです」
黒姫はそう言った。
国之常立神は苦しそうな顔をする。
景色がまた変わる。
今度は夜だった。
龍界全体が揺れている。
悲鳴。
怒号。
燃え上がる炎。
「これは……!」
私は息を呑んだ。
龍脈だ。
龍界を支える力の流れ。
それが暴走している。
黒姫が中央に立っている。
顔色が悪い。
だが決意だけは揺らいでいなかった。
「黒姫!」
白龍王が叫ぶ。
「駄目です!」
「龍界が崩壊します」
黒姫は微笑む。
「だからです」
「私しか止められない」
国之常立神が拳を握る。
「別の方法を探します」
「ありません」
黒姫は首を振った。
そして、静かに告げる。
「私を人間界へ送ってください」
私は凍り付いた。
「え……?」
国之常立神も固まる。
白龍王の顔から血の気が引く。
「何を言っているのです」
「龍脈の暴走は私が原因です」
黒姫が言う。
「私がいる限り暴走は続く」
龍界を守るには。
自分を切り離すしかない。
「嫌です」
白龍王が言った。
初めて聞くほど震えた声だった。
「絶対に嫌です」
「龍王様」
「嫌です!」
白龍王が黒姫を抱き締める。
「ようやく会えたのに」
「これ以上失いたくない」
胸が痛む。
苦しい。
息が出来ないほど。
黒姫も泣いていた。
「ごめんなさい」
「待っていてください」
「必ず帰ります」
白龍王は首を振る。
子供のように。
何度も。
何度も。
だが、黒姫は離れた。
最後に国之常立神を見る。
「お願いします」
国之常立神は俯いた。
長い沈黙。
やがて。
震える声で答える。
「……御意」
その瞬間。
景色が崩れた。
◇◇◇
私は神殿の床に膝をついた。
「違う……」
涙が零れる。
「追放じゃなかった」
国之常立神は黒姫を追い出したわけじゃない。
黒姫自身が望んだ。
龍界を守るために。
国之常立神は命令に従っただけだった。
それでも。
どれほど苦しかっただろう。
契約管理者が静かに言う。
「これが真実だ」
私は涙を拭う。
「国之常立神さんは……」
「裏切っていなかった」
「そうだ」
黒龍も静かに目を閉じる。
長い誤解だった。
百年続いた誤解。
その時だった。
神殿全体が大きく揺れた。
ドクン。
湖の心臓が脈打つ。
黒い亀裂が走る。
「なっ……」
契約管理者の表情が初めて変わった。
「まずい」
次の瞬間。
湖の心臓から巨大な闇が噴き出した。
憎しみ。
絶望。
後悔。
百年間積み重なった負の感情。
それらは黒い龍の形をしている。
『黒姫……』
怨嗟の声が響いた。
神殿全体が震える。
契約管理者が私を庇うように前へ出る。
「記憶の封印が解けた影響か」
黒い龍がゆっくり顔を上げた。
黄金の瞳。
だが濁っている。
私はその姿を見て息を呑んだ。
なぜならその顔は、白龍王によく似ていたからだった。
「龍王様……?」
黒い龍が咆哮する。
神殿が揺れる。
そして契約管理者が低く呟いた。
「最悪だ」
「龍王の絶望が具現化した」
私の顔から血の気が引いた。
百年間。
黒姫を失った悲しみ。
会えなかった苦しみ。
それが。
怪物になってしまったのだ。
そしてその怪物は。
真っ直ぐ私を見つめていた。
それはまるで千年分の記憶を閉じ込めているかのようだった。
黒い石で作られた重厚な扉の中央には、一頭の龍と一人の姫が向かい合う紋章が刻まれている。
私の右腕の痣が熱を帯びた。
「これは……」
「黒姫の記憶庫だ」
契約管理者が静かに告げる。
「本来ならば、女王以外は立ち入れない場所」
その言葉に私は息を呑んだ。
「では、私が……」
「そうだ」
契約管理者は頷く。
「お前が黒姫だからこそ開く」
重い沈黙が落ちる。
私は扉を見つめた。
怖い。
中に何があるのか分からない。
知りたい。
でも知るのが怖い。
そんな矛盾した感情が胸を満たしていた。
『行くのか』
黒龍が尋ねる。
私は小さく息を吐いた。
「行きます」
そして扉に手を触れた。
瞬間。
世界が白く染まった。
◇◇◇
桜が咲いている。
満開だった。
風が吹くたび花びらが舞う。
その中央に少女がいる。
黒髪。
白い着物。
穏やかな笑顔。
私は一目で分かった。
黒姫だ。
今の自分とよく似ている。
けれども。
どこか違う。
もっと堂々としていて。
もっと強い。
湖のほとりで黒姫が笑っている。
その向かいには白龍王がいた。
今より少し若い姿だった。
「また来てくださったのですね」
「あなたに会いたかった」
白龍王が言う。
その声は今と同じだった。
優しくて。
少し不器用で。
愛情に満ちている。
黒姫が笑う。
「龍王様は忙しいでしょう?」
「あなたより大切なものはありません」
即答だった。
黒姫が吹き出す。
「またそんなことを」
「事実です」
私は思わず顔を赤くした。
甘い。
想像以上に甘い。
昔からこうだったのか。
白龍王は。
景色が変わる。
今度は龍界だった。
巨大な宮殿。
跪く龍族たち。
その中央に立つ黒姫。
『女王陛下』
『黒姫様』
誰もが敬意を向けている。
私は驚いた。
今まで聞いていた以上だった。
黒姫は本当に愛されていた。
龍族の誰もが。
彼女を慕っている。
景色が再び変わる。
会議室。
そこには白龍王と国之常立神がいた。
珍しく国之常立神の顔が険しい。
「反対です」
冷たい声。
「人間界との交流を広げるべきではありません」
黒姫が首を傾げる。
「なぜですか」
「危険だからです」
国之常立神は即答する。
「人は変わりやすい」
「龍を利用しようとする者もいる」
「争いの火種になります」
黒姫はしばらく考える。
だが、静かに言った。
「それでも」
「私は橋になりたいのです」
私の胸が大きく鳴った。
同じ言葉だった。
契約管理者に言った言葉と。
まったく同じ。
「龍と人」
「分かり合えるはずです」
黒姫はそう言った。
国之常立神は苦しそうな顔をする。
景色がまた変わる。
今度は夜だった。
龍界全体が揺れている。
悲鳴。
怒号。
燃え上がる炎。
「これは……!」
私は息を呑んだ。
龍脈だ。
龍界を支える力の流れ。
それが暴走している。
黒姫が中央に立っている。
顔色が悪い。
だが決意だけは揺らいでいなかった。
「黒姫!」
白龍王が叫ぶ。
「駄目です!」
「龍界が崩壊します」
黒姫は微笑む。
「だからです」
「私しか止められない」
国之常立神が拳を握る。
「別の方法を探します」
「ありません」
黒姫は首を振った。
そして、静かに告げる。
「私を人間界へ送ってください」
私は凍り付いた。
「え……?」
国之常立神も固まる。
白龍王の顔から血の気が引く。
「何を言っているのです」
「龍脈の暴走は私が原因です」
黒姫が言う。
「私がいる限り暴走は続く」
龍界を守るには。
自分を切り離すしかない。
「嫌です」
白龍王が言った。
初めて聞くほど震えた声だった。
「絶対に嫌です」
「龍王様」
「嫌です!」
白龍王が黒姫を抱き締める。
「ようやく会えたのに」
「これ以上失いたくない」
胸が痛む。
苦しい。
息が出来ないほど。
黒姫も泣いていた。
「ごめんなさい」
「待っていてください」
「必ず帰ります」
白龍王は首を振る。
子供のように。
何度も。
何度も。
だが、黒姫は離れた。
最後に国之常立神を見る。
「お願いします」
国之常立神は俯いた。
長い沈黙。
やがて。
震える声で答える。
「……御意」
その瞬間。
景色が崩れた。
◇◇◇
私は神殿の床に膝をついた。
「違う……」
涙が零れる。
「追放じゃなかった」
国之常立神は黒姫を追い出したわけじゃない。
黒姫自身が望んだ。
龍界を守るために。
国之常立神は命令に従っただけだった。
それでも。
どれほど苦しかっただろう。
契約管理者が静かに言う。
「これが真実だ」
私は涙を拭う。
「国之常立神さんは……」
「裏切っていなかった」
「そうだ」
黒龍も静かに目を閉じる。
長い誤解だった。
百年続いた誤解。
その時だった。
神殿全体が大きく揺れた。
ドクン。
湖の心臓が脈打つ。
黒い亀裂が走る。
「なっ……」
契約管理者の表情が初めて変わった。
「まずい」
次の瞬間。
湖の心臓から巨大な闇が噴き出した。
憎しみ。
絶望。
後悔。
百年間積み重なった負の感情。
それらは黒い龍の形をしている。
『黒姫……』
怨嗟の声が響いた。
神殿全体が震える。
契約管理者が私を庇うように前へ出る。
「記憶の封印が解けた影響か」
黒い龍がゆっくり顔を上げた。
黄金の瞳。
だが濁っている。
私はその姿を見て息を呑んだ。
なぜならその顔は、白龍王によく似ていたからだった。
「龍王様……?」
黒い龍が咆哮する。
神殿が揺れる。
そして契約管理者が低く呟いた。
「最悪だ」
「龍王の絶望が具現化した」
私の顔から血の気が引いた。
百年間。
黒姫を失った悲しみ。
会えなかった苦しみ。
それが。
怪物になってしまったのだ。
そしてその怪物は。
真っ直ぐ私を見つめていた。

