――桜が舞っていた。
湖のほとり。
まだ若い白龍がそこにいる。
今より少し幼く見える顔。
けれども金色の瞳だけは変わらない。
『黒姫』
優しい声だった。
少女は振り返る。
黒髪が風に揺れる。
『また来てくださったのですね』
『あなたに会いたかった』
少女が笑う。
その笑顔を見た瞬間。
私の胸が締め付けられた。
懐かしい。
泣きたくなるほど。
大切だった。
とても。
――そこで映像が途切れた。
「っ……!」
私は膝をつく。
神殿の床が冷たい。
呼吸が乱れる。
頭の中に流れ込んだ感情がまだ残っていた。
「今のは……」
『黒姫の記憶だ』
低い声が響く。
顔を上げると、瘴気龍がこちらを見ていた。
先ほどまでの敵意が少しだけ薄れている。
『お前は本当に覚えていないのか』
「覚えていません」
『そうか』
瘴気龍は静かに目を閉じた。
『ならば無理もない』
その様子に私は違和感を覚える。
この龍は敵ではない。
少なくとも、本当は。
「あなたは誰なんですか」
しばらく沈黙が続く。
やがて黒龍は答えた。
『我は龍脈の守護者』
『かつて黒姫に仕えた龍だ』
私は目を見開く。
『主が消えた日』
『龍界の龍脈は傷付いた』
『人と龍を繋ぐ要だったからだ』
黒龍の身体から黒い霧が漏れる。
『その傷を我が引き受けた』
『結果がこの姿だ』
私は言葉を失った。
百年。
いや、それ以上。
この龍は苦しみ続けてきたのだ。
『憎んでいるわけではない』
『ただ苦しい』
『長すぎた』
その声はあまりにも寂しかった。
私はゆっくり立ち上がる。
「ごめんなさい」
思わず口から出た。
黒龍が目を見開く。
『なぜ謝る』
「分からないです」
私は胸に手を当てた。
「でも」
「私のせいな気がするんです」
理屈ではない。
黒姫の感情が残っている。
大切な人を置いていってしまった。
そんな後悔が。
胸の奥にあった。
黒龍はしばらく何も言わなかった。
やがて。
『変わらぬな』
小さく呟く。
「え?」
『黒姫もそうだった』
私は固まった。
『自分の責任ではないことまで背負う』
『愚かなほど優しい』
黒龍の声は少しだけ柔らかかった。
その時だった。
神殿の奥から光が溢れた。
空間が揺らぐ。
眩い銀色の光。
そこから一人の人物が現れた。
長い銀髪。
白い装束。
年齢も性別も分からない。
ただ。
圧倒的な存在感だけがあった。
黒龍が頭を下げる。
『契約管理者』
私は息を呑んだ。
この人が。
黒龍が言っていた。
龍と人の契約を司る存在。
銀髪の人物は私を見る。
感情の見えない瞳だった。
「杉本志穂」
静かな声。
だが神殿全体に響く。
「龍王妃候補」
「黒姫の転生体」
私は背筋を伸ばした。
「はい」
「問う」
契約管理者の視線が鋭くなる。
「なぜ龍王と結婚したい」
私は少し驚いた。
もっと難しい質問が来ると思っていた。
けれども。
答えは決まっていた。
「好きだからです」
契約管理者は無言。
黒龍も見ている。
「龍王様は」
私は続けた。
「ずっと私を守ってくれました」
「誰も信じてくれなかった時も」
「ずっと」
小さな白龍を思い出す。
あの孤独だった日々を。
「だから一緒にいたいです」
契約管理者は首を横に振った。
「不合格」
「えっ」
私は固まる。
あまりにも即答だった。
「好意だけでは国は守れない」
冷たい声。
「龍王妃とは龍界の母である」
「愛しているだけでは資格にならない」
私は言葉を失う。
確かにその通りだった。
契約管理者はさらに続ける。
「もう一度問う」
「お前は何を成したい」
沈黙。
神殿が静まり返る。
私は考える。
龍王のため?
黒姫だから?
女王だから?
違う。
もっと前から。
人間界にいた頃から。
ずっと願っていたことがある。
龍が見える自分。
人間。
龍族。
どちらにも完全には馴染めなかった。
だから。
私は顔を上げた。
「私は」
契約管理者を真っ直ぐ見つめる。
「龍と人間の架け橋になりたいです」
空気が変わった。
黒龍が目を見開く。
契約管理者も僅かに瞳を細める。
「人間界にも苦しんでいる人がいます」
「龍界にも苦しんでいる龍がいます」
「知らないから怖い」
「分からないから憎む」
私は拳を握る。
「だったら繋げたいんです」
「お互いを知れるように」
「争わなくていいように」
神殿に沈黙が落ちた。
やがて。
契約管理者は静かに告げる。
「……なるほど」
初めてその声に感情が混じった。
「ならば見せてもらおう」
銀色の光が広がる。
「その願いに相応しい器かどうか」
神殿が震える。
湖の心臓が強く脈打つ。
そして、次なる試練が始まろうとしていた。
湖のほとり。
まだ若い白龍がそこにいる。
今より少し幼く見える顔。
けれども金色の瞳だけは変わらない。
『黒姫』
優しい声だった。
少女は振り返る。
黒髪が風に揺れる。
『また来てくださったのですね』
『あなたに会いたかった』
少女が笑う。
その笑顔を見た瞬間。
私の胸が締め付けられた。
懐かしい。
泣きたくなるほど。
大切だった。
とても。
――そこで映像が途切れた。
「っ……!」
私は膝をつく。
神殿の床が冷たい。
呼吸が乱れる。
頭の中に流れ込んだ感情がまだ残っていた。
「今のは……」
『黒姫の記憶だ』
低い声が響く。
顔を上げると、瘴気龍がこちらを見ていた。
先ほどまでの敵意が少しだけ薄れている。
『お前は本当に覚えていないのか』
「覚えていません」
『そうか』
瘴気龍は静かに目を閉じた。
『ならば無理もない』
その様子に私は違和感を覚える。
この龍は敵ではない。
少なくとも、本当は。
「あなたは誰なんですか」
しばらく沈黙が続く。
やがて黒龍は答えた。
『我は龍脈の守護者』
『かつて黒姫に仕えた龍だ』
私は目を見開く。
『主が消えた日』
『龍界の龍脈は傷付いた』
『人と龍を繋ぐ要だったからだ』
黒龍の身体から黒い霧が漏れる。
『その傷を我が引き受けた』
『結果がこの姿だ』
私は言葉を失った。
百年。
いや、それ以上。
この龍は苦しみ続けてきたのだ。
『憎んでいるわけではない』
『ただ苦しい』
『長すぎた』
その声はあまりにも寂しかった。
私はゆっくり立ち上がる。
「ごめんなさい」
思わず口から出た。
黒龍が目を見開く。
『なぜ謝る』
「分からないです」
私は胸に手を当てた。
「でも」
「私のせいな気がするんです」
理屈ではない。
黒姫の感情が残っている。
大切な人を置いていってしまった。
そんな後悔が。
胸の奥にあった。
黒龍はしばらく何も言わなかった。
やがて。
『変わらぬな』
小さく呟く。
「え?」
『黒姫もそうだった』
私は固まった。
『自分の責任ではないことまで背負う』
『愚かなほど優しい』
黒龍の声は少しだけ柔らかかった。
その時だった。
神殿の奥から光が溢れた。
空間が揺らぐ。
眩い銀色の光。
そこから一人の人物が現れた。
長い銀髪。
白い装束。
年齢も性別も分からない。
ただ。
圧倒的な存在感だけがあった。
黒龍が頭を下げる。
『契約管理者』
私は息を呑んだ。
この人が。
黒龍が言っていた。
龍と人の契約を司る存在。
銀髪の人物は私を見る。
感情の見えない瞳だった。
「杉本志穂」
静かな声。
だが神殿全体に響く。
「龍王妃候補」
「黒姫の転生体」
私は背筋を伸ばした。
「はい」
「問う」
契約管理者の視線が鋭くなる。
「なぜ龍王と結婚したい」
私は少し驚いた。
もっと難しい質問が来ると思っていた。
けれども。
答えは決まっていた。
「好きだからです」
契約管理者は無言。
黒龍も見ている。
「龍王様は」
私は続けた。
「ずっと私を守ってくれました」
「誰も信じてくれなかった時も」
「ずっと」
小さな白龍を思い出す。
あの孤独だった日々を。
「だから一緒にいたいです」
契約管理者は首を横に振った。
「不合格」
「えっ」
私は固まる。
あまりにも即答だった。
「好意だけでは国は守れない」
冷たい声。
「龍王妃とは龍界の母である」
「愛しているだけでは資格にならない」
私は言葉を失う。
確かにその通りだった。
契約管理者はさらに続ける。
「もう一度問う」
「お前は何を成したい」
沈黙。
神殿が静まり返る。
私は考える。
龍王のため?
黒姫だから?
女王だから?
違う。
もっと前から。
人間界にいた頃から。
ずっと願っていたことがある。
龍が見える自分。
人間。
龍族。
どちらにも完全には馴染めなかった。
だから。
私は顔を上げた。
「私は」
契約管理者を真っ直ぐ見つめる。
「龍と人間の架け橋になりたいです」
空気が変わった。
黒龍が目を見開く。
契約管理者も僅かに瞳を細める。
「人間界にも苦しんでいる人がいます」
「龍界にも苦しんでいる龍がいます」
「知らないから怖い」
「分からないから憎む」
私は拳を握る。
「だったら繋げたいんです」
「お互いを知れるように」
「争わなくていいように」
神殿に沈黙が落ちた。
やがて。
契約管理者は静かに告げる。
「……なるほど」
初めてその声に感情が混じった。
「ならば見せてもらおう」
銀色の光が広がる。
「その願いに相応しい器かどうか」
神殿が震える。
湖の心臓が強く脈打つ。
そして、次なる試練が始まろうとしていた。

