湖の中央。
黒い渦は今も不気味に回り続けていた。
私は船の先端に立つ。
右腕の龍の痣が熱を帯びている。
まるで何かに呼ばれているようだった。
「本当に行くのですか」
国之常立神が最後の確認をする。
私は頷いた。
「行きます」
「戻れなくなる可能性があります」
「それでも」
迷いはなかった。
すると国之常立神は小さく息を吐く。
「ならば止めません」
そう言って懐から一枚の護符を取り出した。
「持っていきなさい」
「これは?」
「龍脈干渉用の護符です」
国之常立神は珍しく少しだけ優しい目をした。
「帰ってきてください」
私は思わず笑う。
「はい」
次の瞬間だった。
小さな白龍が空中を泳ぐ。
『こっち』
私は一歩踏み出した。
湖面へ。
本来なら落ちるはずだった。
だが、足元に青白い光が広がる。
水が道を作った。
「なっ……!」
護衛たちが息を呑む。
湖そのものが私を迎えている。
まるで女王を迎える臣下のように。
私は振り返る。
「行ってきます」
そして光の道を歩き始めた。
水の中へ。
◇
不思議な光景だった。
息苦しさはない。
服も濡れない。
水を避けている。
青い光が周囲を照らしていた。
小さな白龍が先導する。
『もう少し』
私は歩き続けた。
やがて。
巨大な建造物が見えてくる。
「これ……」
思わず立ち止まった。
神殿だった。
湖底とは思えないほど巨大な白亜の神殿。
無数の龍の彫刻。
荘厳な柱。
長い石段。
そして中央には巨大な扉があった。
胸が痛む。
なぜだろう。
初めて見るはずなのに。
懐かしい。
帰ってきたような気がする。
『入って』
小さな白龍が扉の前へ降りる。
私が近付いた瞬間。
扉が音もなく開いた。
その奥にあったものを見て。
私は息を呑む。
巨大な水晶。
神殿の中心に浮かんでいる。
龍の心臓のように鼓動していた。
だが、半分以上が黒く染まっている。
そのたびに苦しそうな音が響いた。
ドクン。
ドクン。
ドクン。
『苦しい』
声が聞こえる。
どこからだろう。
違う。
目の前の水晶からだ。
私は近付いた。
「あなたが……湖の心臓?」
水晶が微かに光る。
『やっと来てくれた』
涙が出そうになる。
その声は幼い子どものようだった。
『ずっと待ってた』
私は手を伸ばす。
だが。
その瞬間。
黒い影が広がった。
神殿全体が震える。
轟音。
床が砕ける。
「きゃっ!」
私は後ろへ下がる。
水晶から瘴気が溢れ出した。
そして、巨大な龍の姿を形作る。
漆黒の鱗。
赤い瞳。
憎しみに満ちた咆哮。
神殿が揺れる。
『ニンゲン……』
低い声が響いた。
『また来たか』
私は凍り付いた。
圧倒的だった。
今まで見たどんな龍よりも大きい。
『奪うために』
「違います!」
私は叫んだ。
黒龍が止まる。
「助けたいんです」
『嘘だ』
「嘘じゃありません!」
震える声だった。
それでも私は逃げない。
『人間は奪う』
黒龍の瞳に悲しみが宿る。
『壊す』
『殺す』
『裏切る』
その言葉を聞いた瞬間。
私は気付いた。
この龍は怒っているのではない。
傷付いている。
ずっと。
ずっと昔から。
「あなたも……苦しいんですね」
黒龍が固まる。
『何?』
「本当は誰かを傷つけたいんじゃない」
私はゆっくり近付いた。
「助けてほしいんですよね」
黒龍の瞳が揺れる。
憎しみの奥にあるもの。
孤独。
悲しみ。
絶望。
それが見えた。
まるで昔の自分を見ているようだった。
理解されない苦しみ。
一人ぼっちの寂しさ。
「大丈夫です」
私は微笑む。
「私は逃げません」
右腕の痣が眩く光った。
神殿全体が震える。
水晶も呼応する。
その瞬間。
私の脳裏に映像が流れ込んできた。
桜。
湖。
白龍。
そして、一人の少女。
黒い髪。
白い着物。
泣きながら笑っている。
『また会いましょう』
知らないはずの声。
なのに。
なぜか涙が止まらなかった。
黒龍が目を見開く。
『まさか……』
私自身も理解できない。
けれども。
胸の奥で何かが目覚め始めていた。
長い長い眠りから。
少しずつ。
確実に。
黒姫の記憶が。
目を覚まそうとしていた。
黒い渦は今も不気味に回り続けていた。
私は船の先端に立つ。
右腕の龍の痣が熱を帯びている。
まるで何かに呼ばれているようだった。
「本当に行くのですか」
国之常立神が最後の確認をする。
私は頷いた。
「行きます」
「戻れなくなる可能性があります」
「それでも」
迷いはなかった。
すると国之常立神は小さく息を吐く。
「ならば止めません」
そう言って懐から一枚の護符を取り出した。
「持っていきなさい」
「これは?」
「龍脈干渉用の護符です」
国之常立神は珍しく少しだけ優しい目をした。
「帰ってきてください」
私は思わず笑う。
「はい」
次の瞬間だった。
小さな白龍が空中を泳ぐ。
『こっち』
私は一歩踏み出した。
湖面へ。
本来なら落ちるはずだった。
だが、足元に青白い光が広がる。
水が道を作った。
「なっ……!」
護衛たちが息を呑む。
湖そのものが私を迎えている。
まるで女王を迎える臣下のように。
私は振り返る。
「行ってきます」
そして光の道を歩き始めた。
水の中へ。
◇
不思議な光景だった。
息苦しさはない。
服も濡れない。
水を避けている。
青い光が周囲を照らしていた。
小さな白龍が先導する。
『もう少し』
私は歩き続けた。
やがて。
巨大な建造物が見えてくる。
「これ……」
思わず立ち止まった。
神殿だった。
湖底とは思えないほど巨大な白亜の神殿。
無数の龍の彫刻。
荘厳な柱。
長い石段。
そして中央には巨大な扉があった。
胸が痛む。
なぜだろう。
初めて見るはずなのに。
懐かしい。
帰ってきたような気がする。
『入って』
小さな白龍が扉の前へ降りる。
私が近付いた瞬間。
扉が音もなく開いた。
その奥にあったものを見て。
私は息を呑む。
巨大な水晶。
神殿の中心に浮かんでいる。
龍の心臓のように鼓動していた。
だが、半分以上が黒く染まっている。
そのたびに苦しそうな音が響いた。
ドクン。
ドクン。
ドクン。
『苦しい』
声が聞こえる。
どこからだろう。
違う。
目の前の水晶からだ。
私は近付いた。
「あなたが……湖の心臓?」
水晶が微かに光る。
『やっと来てくれた』
涙が出そうになる。
その声は幼い子どものようだった。
『ずっと待ってた』
私は手を伸ばす。
だが。
その瞬間。
黒い影が広がった。
神殿全体が震える。
轟音。
床が砕ける。
「きゃっ!」
私は後ろへ下がる。
水晶から瘴気が溢れ出した。
そして、巨大な龍の姿を形作る。
漆黒の鱗。
赤い瞳。
憎しみに満ちた咆哮。
神殿が揺れる。
『ニンゲン……』
低い声が響いた。
『また来たか』
私は凍り付いた。
圧倒的だった。
今まで見たどんな龍よりも大きい。
『奪うために』
「違います!」
私は叫んだ。
黒龍が止まる。
「助けたいんです」
『嘘だ』
「嘘じゃありません!」
震える声だった。
それでも私は逃げない。
『人間は奪う』
黒龍の瞳に悲しみが宿る。
『壊す』
『殺す』
『裏切る』
その言葉を聞いた瞬間。
私は気付いた。
この龍は怒っているのではない。
傷付いている。
ずっと。
ずっと昔から。
「あなたも……苦しいんですね」
黒龍が固まる。
『何?』
「本当は誰かを傷つけたいんじゃない」
私はゆっくり近付いた。
「助けてほしいんですよね」
黒龍の瞳が揺れる。
憎しみの奥にあるもの。
孤独。
悲しみ。
絶望。
それが見えた。
まるで昔の自分を見ているようだった。
理解されない苦しみ。
一人ぼっちの寂しさ。
「大丈夫です」
私は微笑む。
「私は逃げません」
右腕の痣が眩く光った。
神殿全体が震える。
水晶も呼応する。
その瞬間。
私の脳裏に映像が流れ込んできた。
桜。
湖。
白龍。
そして、一人の少女。
黒い髪。
白い着物。
泣きながら笑っている。
『また会いましょう』
知らないはずの声。
なのに。
なぜか涙が止まらなかった。
黒龍が目を見開く。
『まさか……』
私自身も理解できない。
けれども。
胸の奥で何かが目覚め始めていた。
長い長い眠りから。
少しずつ。
確実に。
黒姫の記憶が。
目を覚まそうとしていた。

