龍王の花嫁 ~記憶を失くした私を夫が百年待っていました~

評議会から三日後。
私は龍王宮の玄関前に立っていた。
緊張で手のひらが汗ばんでいる。
「本当に一人で行くんですか……?」
目の前には金龍がいた。
いつもの無表情。
眼鏡の奥の瞳は冷静そのものだ。
「一人ではありません」
国之常立神は書類を差し出した。
「護衛は付きます」
私は少し安心した。
だが次の言葉で固まる。
「ただし白龍王陛下は同行しません」
「えっ」
「当然です」
国之常立神は淡々と言う。
「王妃候補の試験です」
「陛下の助けがあっては意味がありません」
その通りだった。
分かっている。
分かっているのだが。
少し寂しい。
そんなことを考えていると。
「志穂」
聞き慣れた声がした。
振り返る。
白龍王だった。
私の顔が少し明るくなる。
「龍王様」
「無理はしないでください」
開口一番それだった。
国之常立神が小さくため息を吐く。
「陛下」
「何でしょう」
「過保護です」
「当然です」
即答だった。
国之常立神が額を押さえる。
私は思わず笑ってしまった。
白龍王は私の前に立つ。
そして小さな白い鱗を渡した。
「これは?」
「私の加護です」
私は目を丸くした。
鱗は陽の光を受けて美しく輝いている。
「危険を感じたら握ってください」
「でも……」
「心配なのです」
真剣な顔だった。
断れない。
私は大切そうに鱗を握った。
「ありがとうございます」
白龍王は少し安心したように微笑んだ。
それから一行は宮殿を出発した。
目的地は龍界の東端。
青龍王が治める地域だった。
空飛ぶ龍車に揺られながら、私は窓の外を見る。
雲海。
浮遊島。
空を泳ぐ龍たち。
何度見ても幻想的だ。
「綺麗……」
思わず呟く。
すると向かいの席に座る金龍が口を開いた。
「見惚れている場合ではありません」
「すみません」
「今回の試験内容を復習してください」
私は慌てて姿勢を正した。
「えっと……」
手元の紙を見る。
「東の集落で住民の困りごとを調査する」
「その解決案をまとめる」
「そして報告する」
「合っていますか?」
「概ね」
国之常立神は頷く。
「女王とは何だと思いますか?」
突然の質問だった。
私は困る。
「えっと……国を治める人?」
「半分正解です」
国之常立神は窓の外を見る。
「国を治める前に」
「民を知らねばなりません」
静かな声だった。
「民が何に困り、何を望み、何に苦しんでいるのか。知らなければ王はただの飾りです」
私は真剣に聞いていた。
国之常立神は続く。
「今回の試験は戦いではありません」
「知ることです」
「知ること……」
「はい」
その言葉は私の胸に残った。
やがて龍車が到着する。
東の集落だった。
大きな湖の周囲に家々が並んでいる。
龍族たちが行き交い。
子どもたちが走り回っている。
平和そうに見えた。
だが。
「黒姫様?」
「本物?」
「人間じゃないの?」
周囲がざわつき始める。
私は少し緊張した。
すると一人の老龍が近付いてきた。
「ようこそお越しくださいました」
深く頭を下げる。
私も慌てて頭を下げた。
「よろしくお願いします」
老龍は少し驚いた顔をした。
「頭を下げられるとは思いませんでしたな」
「え?」
「王族は普通なさいません」
私は困った。
自分には当たり前だったからだ。
老龍は穏やかに笑った。
「良いことです」
その言葉に少しだけ肩の力が抜ける。
その後。
私は集落を歩き回った。
畑を見る。
市場を見る。
住民たちの話を聞く。
そこで気付いた。
みんな口を揃えて同じことを言う。
「湖の水位が下がっている」
「漁獲量が減った」
「畑の水も足りない」
私は眉をひそめた。
どうやら大きな問題らしい。
老龍が説明する。
「昔はもっと豊かな湖だったのです」
「けれども数十年前から少しずつ……」
私は湖を見つめた。
確かに岸辺は広い。
水が減っているのだろう。
「原因は分かっているんですか?」
「分かりません」
皆が首を振る。
私は考え込んだ。
自分には専門知識なんてない。
解決策も分からない。
だけど。
ここで諦めたくなかった。
その時だった。
湖の向こうから。
微かに泣き声のようなものが聞こえた。
「……え?」
私だけが反応した。
周囲は気付いていない。
もう一度聞く。
悲しそうな声。
助けを求めるような声。
私は湖の奥を見つめた。
「今の……何?」
胸の奥がざわつく。
まるで何かを呼んでいるようだった。
そしてその瞬間。
右腕の龍の痣が微かに光った。
私は息を飲む。
何かが起きようとしていた。