龍王の花嫁 ~記憶を失くした私を夫が百年待っていました~

龍王宮での朝は早かった。
「志穂様、朝でございます」
柔らかな声に呼ばれ、私はゆっくり目を開けた。
見慣れない天井。
豪華な欄間。
障子越しに差し込む朝日。
ここが龍界だと思い出すまで、まだ少し時間がかかる。
「おはようございます……」
侍女たちが一斉に頭を下げた。
「おはようございます、黒姫様」
「ひゃっ」
未だに慣れない。
私は慌てて起き上がった。
「その呼び方は……」
「黒姫様は黒姫様でございます」
にっこり。
全員笑顔だった。
逃げられない。
諦めて着替えを始める。
だが問題はそこからだった。
「本日の装いはこちらです」
広げられた着物を見て私は固まった。
「えっ」
真っ白な生地。
銀糸の刺繍。
龍の文様。
明らかに高級品だった。
「これ私が着るんですか?」
「もちろんです」
「汚したらどうしよう……」
「新しいものをお持ちします」
「そういう問題じゃなくて……」
侍女たちは楽しそうだった。
結局、あっという間に着付けられてしまった。
鏡の前に立つ。
そこにいたのは知らない女の子だった。
綺麗な着物。
整えられた黒髪。
ほんのり紅を差した唇。
「私じゃないみたい……」
思わず呟く。
その時だった。
「よくお似合いです」
背後から声がした。
私は振り返る。
白龍王だった。
心臓が跳ねる。
今日も格好いい。
慣れる気がしない。
「ありがとうございます」
「本当に綺麗です」
さらりと言われた。
私の顔が真っ赤になる。
言った本人は平然としている。
ずるい。
ものすごくずるい。
白龍王は首を傾げた。
「顔が赤いですね」
「龍王様のせいです!」
「私ですか?」
本当に分かっていないらしい。
私は顔を覆った。
先が思いやられる。
朝食は大広間だった。
長い机の上には料理が並んでいる。
焼き魚。
炊き立てのご飯。
味噌汁。
だし巻き卵。
「和食なんですね」
「お嫌いですか?」
「大好きです!」
思わず前のめりになる。
白龍王が少し嬉しそうに微笑んだ。
「よかった」
私は箸を取った。
一口食べる。
「美味しい……!」
思わず声が漏れる。
だしの味が優しい。
体が温まる。
なんだか懐かしい気持ちになる。
気付けば夢中で食べていた。
すると、小皿が目の前に置かれる。
「え?」
白龍王だった。
焼き魚の身を丁寧にほぐしている。
「骨がありますので」
「じ、自分でできます!」
「知っています」
そう言いながら続けている。
止める気はないらしい。
侍女たちは微笑ましそうに見ていた。
私は恥ずかしくなった。
「子どもじゃないです……」
「そうですね」
「なら……」
「ですが心配です」
即答だった。
私は黙る。
なんだろう。
この人は。
過保護すぎる。
食後。
白龍王に案内されて宮殿を歩いた。
広い庭園。
池。
橋。
桜並木。
どこを見ても綺麗だった。
「すごい……」
思わず見上げる。
空の向こうには雲海が広がっていた。
浮遊島が浮かぶ。
龍たちが空を飛んでいる。
まるで夢みたいだった。
「気に入りましたか?」
「はい」
自然と笑顔になる。
すると白龍王が少しだけ目を細めた。
その表情はどこか安心したように見えた。
「よかった」
小さな声だった。
私は首を傾げる。
「龍王様?」
「いえ」
白龍王は空を見上げた。
「あなたが笑ってくれて安心しました」
胸が温かくなる。
まただ。
龍界へ来てから何度もそうなる。
ここは知らない場所のはずなのに。
知らない人たちのはずなのに。
不思議と居心地がいい。
ふと風が吹いた。
桜の花びらが舞う。
その景色を見ながら、私は初めて思った。
もけれどもたら、ここにいてもいいのかもしれない。
そんなことを。
ほんの少しだけ。